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こんばんは昨夜も窓を開けて寝ましたが、寝つきはいいけど何度も目が覚めてしまいました。少し暑いのかなあ、寝汗かいていました。体温も高いけど、看護師さんからは術後だから気にしなくていいとは言われたけど気になっています。今朝は5時に起きてブラインドを開けて外を眺めていました。良い天気やなあ、遠くに高速道路と海が見えるやん、洗濯物もよく乾くやろうな、なんて思いながらボーっとしていました。テレビを付けて少ししたらトイレ🚽に行きたくなって、本日のお通じ1回目終了〜すっきりしました。少しして夜
またまたご無沙汰しております年末年始を病院で迎え昨日やっと退院しました久々のブログにコメントをたくさんいただき返信できずごめんなさい年末年始の挨拶もせずもう二月になってしまいました今日はお別れブログですお別れと言っても喜んで受け入れなくてはならないお別れ…ブログを通じて知り合った大阪のブロ友さんその方が神奈川の幼馴染みの方に声をかけてくれ、そしてその神奈川の方がまたまた同じ職場の女性に声をかけてくれお陰さまで毛深い娘、もう行き遅れた年齢の娘を二匹一緒に引き取って
202312/29(金)最後の日最後は最初に食べたハムたまごと手作り肉まんハム増量に気づいてくれるあたり嬉しいすぐ擽ってくる…手もぎゅ。変わらずに過ごしてくっつき虫になっていっぱいキスしてぎゅうっして。残った荷物を実家に運んでもらうお父さんに線香あげてもらって(なんか長く手合わせてた)最後にテンちゃん抱っこして笑吠えられてwお手紙交換した。字を書くの大嫌いなあの人宝物にする。“〇さんの前では泣かないよ!”「そっか、じゃあね」“うん!じゃあね”から
2021年梅雨明けが宣言された二日後のことだった。その日は、数日前に壊れてしまったキッチンのIHを取り換えてもらうことになっていた。夕方4時に業者が訪問することになっていたのだが、下の子供の迎えがあったことを思い出し立ち合いを夫に代わってもらった。自営業の夫は、いつも昼食後に仮眠をとる習慣があった。家を出るとき声をかけると仮眠を終えた夫は、まだ寝足りない様子で机に突っ伏していた。「立ち合いよろしくね」の声に、何も返事はなかった。心臓が悪かった夫は10日くらい前から調子が悪
産後健診は、総合病院ではなく、かかりつけ医での受診となりました。産後2週間健診は、母子共に問題なく終え。その間、家庭内に新たな危機は起きてしまったけど。可愛い赤ちゃんやたくましい子ども達に元気をもらい、比較的、穏やかな気持ちで過ごすことはできていました。経済的な問題はかなり厳しいけれど、夫はずっと一緒にいてくれたので、その点はすごく助かりました。夫も夫で、赤ちゃんと過ごすことでツライ気持ちが癒やされているようでした。赤ちゃんのお世話をすることで、夫も、自分の存在意義を感じることができ
「愛してる」って、どうゆう事だろう?どういう感情になったら「愛してる」って事だろう?私は昔から「愛してる」が、良く分からなかっただから誰にも「愛してる」と、言ったことがなかった旦那にも言った事がなかったにも、かかわらず私は以前、旦那に「愛してる?」と、聞いたことがある「愛してますよ笑」と、笑いながら旦那は答えてくれた私が「愛してる」を、口にしないのを知っているからか旦那は私には聞いてはこなかった「愛してる」って何?どーゆーこと?私は
皆既日食の話題が一旦落ち着いたところで、原作の続きです☆パリ出動で戦闘状態になって...そして迎える、ベルばら最大の悲しいシーンの一つであるアンドレの戦死のシーン…(T_T)このあたりでいろいろ気になったことはあったのですが、なにしろ悲しすぎて...(T_T)とてもこのあたりのことは書けそうにないので、先を続けて読みました。そして巻き起こる、バスティーユ攻撃そして今度はオスカルの戦死シーン
誰も来ない精神科の看取り精神科で働く看護師タナトスです。新卒で配属された精神科で今年4年目を迎えました。入職時にいた先輩たちは全員退職し、中途で入ってきたおばさん看護師と後輩たちと力を合わせて、いかれた患者のお世話をする気が狂いそうな毎日です。精神科で認知症患者を看取る皆さんは、病院で亡くなることにどんなイメージがあるでしょうか。心臓マッサージや気管挿管など、必死に延命処置が行われ、多くの医師や看護師が必死になって患者を蘇生しようとしている場面が思い
私には、どうしても浮気できない物があるそれは「香水」何十年前の限定品で、買いだめしたのだけど、この香りがたまらない。甘くて優しい香りが漂って、決してキツくなく、それでいて香りが長続きするこれに似た香りや、別の香水もあるのだけど、結局、こればかり使っているので、なくなったらどうしよう!と、びくびくしながら、ちびちび使っているイヴサンローランの「VICEVERSA」。どうか、また再販して下さい香水をつけると、いい香りが降り注ぎ、気分が上が
あくまでも、崖男の場合。を念頭にお読み下さればと思います。また、気分を害される方もいらっしゃるかもしれませんどうぞ、ご自身の心の声を聴いて不要だと感じたら、ページを閉じて下さいね『最後となった史先生の回診後、急変』この記事は崖男の癌治療開始から15ヶ月緊急入院から3週間抗がん剤治療→高カリウム血症→腎障害→透析治療開始→危篤状態→透析中止から8日目のお話です…ameblo.jp今、どんな症状?18時23分崖男嘔吐18時23分アラーム鳴ってます18時2
いっちゃんの記録修学旅行小6なぜかゴーグル常着(笑)どれだけ名前を呼んでもどんだけ手を強く握ってもいっちゃんは、返事をしてくれない『ん?』の一言だけでいいうるさいなって睨みつけてくれたっていいお願い!!おねがいしますオカンの声に反応してください‼️いっちゃんの手を握ったまま彼の名を呼び続けたMさんが真っ先に駆け込んで来てくださった。「どうしました?」なんて聞かずも分かる状況だった。直ぐに2人目の看護師さんが来られた続いてすぐ3人目の方も
いっちゃんの記録保育園の遠足より🍙いっちゃんを車椅子に乗せ、地下入口から入った。地下の院内コンビニも閉まってて、いつもたくさんの人が行き交う通路はシーンと静まり返り、私がしゃべる声だけが響き渡る。ホンマに、独りで喋くってた。彼は静かにして欲しかったかもしれない今だから、そんな気配り考えれるけど、その時は、シーンとなるのが怖かった。アホやなオカンは。ゴメンな。毎月1度撮っているMRI検査室への通路を右手に見ながら通り過ぎた。救急外来は1階。エレベ
パパの携帯契約が切れる最後の日私の携帯に、パパからのラインが…急に心臓がバクバクした私その内容がこちら青い部分は二人の子供の名前ですもう、号泣でした声をあげて泣いてしまいました分身である息子はこんな会話をパパとしていたんだねパパの口からこの嬉しい話を聞いておきたかったなぁでも息子がパパの気持ち聞き出してくれて本当に感謝落ち込んだ時泣きたい時これを見て頑張るぞまた
いっちゃんの記録入学式中学1年生CT検査室の扉が開きオレンジ色の被曝防護用ベストを脱いでいるU先生が見えた。Mさんともう一人の方がベッドを動かし、U先生は再びいっちゃんに酸素を送る手押しポンプを動かしながら出てこられた。話し掛ける言葉もなく、聞く勇気も出ず、私たち4人は、いっちゃんを乗せたベッドを押しながら、ほぼ無言のまま病室まで戻った。部屋に戻ると、またモニターが繋がれた。そして、U先生が廊下に私を呼んだ。看護師さんが巡回の時に押して来られる台車のパソ
いっちゃんの記録6年の運動会では赤組応援団長をそれと⚽️卒団式「家族に電話???・・・・・・・」「お母さん、あまり長くはもたないかもしれません。ご家族はすぐに来れますか?」「え?・・・・は・・はい・・・・・すぐに出れば30分くらいで・・・・・」「30分・・・・・厳しいかもしれません。出来るだけ急いでください!!!」あまりに急な展開で何が何だかだった。要は、要は・・・・・要するに危篤状態だってことだろうか?そんなバカな‼️・・・・・
いっちゃんの記録小6修学旅行ちょけとる笑「・・・・・・・・・・先生・・・?・・・・・」すがる気持ちで先生の言葉を待った。Mさん達にあれこれ指示を出し終えた先生が、厳しい表情のまま私のほうを見た。「お母さん、遅くなってすみません。駐車場に入った時、連絡をもらって走ってきたんですが・・・・・いっちゃん、この状態はいつからですか?」「じ、10分前?・・・・・くらい・・・・・いや、そんなに経ってないかも・・・・・先生!!私トイレに行っていて・・・・
いっちゃんの記録年中さんの運動会《借り物競争》でいっちゃんの借り物は【おかあさん】笑そこになぜかゴボももれなく付いてくるw亮ママゴボをありがとう🤣いっちゃんを後部座席に乗せ、病院へ車を走らせた。外は真っ暗。私もいっちゃんも、外の景色を楽しむ余裕なんてあるわけもない。FMラジオから楽しそうな会話が流れてくる三代目JSBのメンバーがケラケラ笑いながら喋ってたが、内容はほとんど記憶にない。でも、かかった曲はハッキリ覚えてる。メロディアスなノリのいい曲だったか
いっちゃんの記録生活発表会なんのお面やろ?笑CTを撮り終えたいっちゃんが、ベッドごと救急処置室に戻ってきた。変わらず眉間に少しシワを寄せ、真っ直ぐ上を向いて目を閉じていた。ベッドのストッパーをガチャンと固定した後、女医先生は胸ポケットからペンライトを取り出し、それで照らしながらいっちゃんの目を覗き込んだ。何?それって、よくドラマで見る最期の時にお医者さんがしはるやつやん?やめてよ〜、縁起でもない←心の声「もう少しお待ちください。」女医先生が出て行
Aloha🌺いつも訪問いいねをありがとうございます。『ダンナさんの写真とフレーム選び』Aloha🌴いつもブログを読んでくださり、いいねもありがとうございます。この度は、たくさんの皆さまからの温かいコメントや励ましのメッセージを本当にありがとうご…ameblo.jp先日、ダンナさんとの最期のお別れセレモニーがありました。4/15(月)に息を引き取ってから8日目4/23(火)に、セレモニーやお別れの仕方について葬儀社とミーティングがあり、そのミーティングで決まったセレモニーの日が、そ
いっちゃんの記録憧れの年長さんの和太鼓いっちゃんのベッドの端に腰掛け手を握ったMさんが来て吐き気止めの点滴を入れてくださった。「このお薬は、U先生の指示だからね。先生もがんばって早く行くからねって言ってたよ!」いっちゃんは、うなずくだけだった。やっぱり携帯を見ようともしないし目を閉じたまま、時々眉間にシワを寄せる「もうすぐXmasやし、いつメン呼んでパーティしよな?唐揚げとポテトがあればええやんな?w」なんて、しょうもない話をいろいろした。
いっちゃんの記録やんちゃ盛りの6歳だしばらくして女医先生が来られ、さっき撮ったCT画像を見ながら説明をしてくださったが、特別に緊急を要するような話ではなかった。「ん〜、頭痛と吐き気はやはり水頭症から来るものでしょうかね·····あと、U先生から連絡がありまして、入院されるそうですね?今、小児科病棟で入院の準備をしています。お部屋の準備が出来ましたらお声かけしますので、それまでココでお待ちください。」そう言わはったあと女医先生は、また、いっちゃんの目をペンライ
合格祝賀会、楽しんで帰ってきました!クラスごとに、ゲームをしたりビンゴをしたそうで、進学先は違うけど一緒に戦い抜いた友人たちとLINEなど交換して、今度遊びに行くとルンルンです。2月の勝者でAクラスが桂先生に色紙を渡していたのを見ていたので、F1クラスみんなで担任に色紙を書いてプレゼント🎁したそうです。すごく喜んでくれた✨と本人たちも嬉しかったそうです。なんて書いたかは教えてくれなかったけど最高の先生方、環境、お友達に恵まれた3年間でした。これにて、このブログの更新は最後になります。感
こんにちは昨日と打って変わって今日は暑いですね〜息子くんがお昼寝しやすいようにと買ったニトリの冷感お昼寝マットが大活躍中さて今日は恵愛病院で貰ったおみやげについてです♬恵愛病院で出産する場合、両親学級(旦那&妊婦)と入院説明会(妊婦のみ)の二講義はマストで受けなければなりませんこの講義の他にも父親学級や祖父母学級などの講義も開催されていたのですが、わざわざ行くのが面倒くさくて最小限しか行かなかった私完全に失敗しました!!講義によっては受講できる妊娠周期が制限されているものも
いっちゃんの記録大好きな水族館で兄弟といっちゃんの元に、家族が全員揃ったU先生が静かに私達に向かって尋ねられた「先程、お母さんにはお話させて頂いたのですが、今ここで説明させていただいても·····?」「はい」U先生は、子供達もいるからか、ゆっくり優しい声でいっちゃんの現状を説明してくださったあんちゃんと旦那は、ソファに座ったまま伏し目がちに黙って話を聞いていた。ちぃ兄とゴボは、ずっといっちゃんの手足をさすりながら聞いていたそして、とうとう延命措置の話をされ
いつも気軽に、部屋のメンテナンスをしてくれたレントンさん。イースターホリデー明けから、見ていない。ホリデー前の最後の日に、私の部屋の修理点検に来てくれた。頼んでなかったけど、気軽にあちこち調整してくれた。あれから全く見ない。今日別のメンテナンスの人に聞いた。なんとやめたと言う。今思えば、最後に来てくれた時、少し様子がおかしかった。頼んでいないのに、調子の悪いところはないかわざわざ点検にきてくれた。もう、来ないつもりだったのかな〜業務上、辞めるなんてきっと言
今朝不安定な天気の中息子はなんとか学校に行ったこちらの学校最後の日2年弱通えた日数は3分の1以下だったけどそれでもタブレットをやめた後の2ヶ月はこれまでになく通えた学校では家での困り感はなく落ち着いて過ごせていたようで若干の「待てない」はあったものの活動に参加でき順調だったようだお友達や先生にケガが無く今日まで来れたこと本当に良かったと思う見慣れた学校安心できるクラスメイト信頼を置ける先生全てに感謝をしこれからお迎えに行ってきます読んで頂きあ
~『『会社の人へ』』から続く〜初めての人はこちらからご覧下さい♪『『突然の逮捕』①<逮捕!!>』こんにちは2個目のブログは突然やってきた逮捕の話です。そのときは突然やってきました。ある朝、5時半頃私が出勤しようと家を出て、いつもの通勤道を歩いている…ameblo.jp挨拶が済んだ数日後、私は最後の日を迎えました。最後の日と言うと、そうです。会社最後の日です。今まで勤め上げた会社、今日で退職。そして、会社全体に私の退職は通達されるのです。さようなら。こんな幕切れに
いっちゃんの記録小1の時、クラブ入団いつメンとの出会い私は、かなり気持ちが急いていた。トイレに走るように駆け込み終わるまでの間、頭の中はいっちゃんでいっぱいだった。《どうしたんやろ·····落ち着かな!》《なんでこんなにドキドキすんねやろ》身体が心底からガクガク震えるジーパンのボタンを留める手が震えて、なかなかうまくいかない。それが何なのか、どうしてなのか・・・・・ひょっとしたら分かってたのかもしれない。親の勘で。でも・・・・・《んなアホな!
アロハ70才を迎える、美男美女の先輩ご夫婦。日本はイヤだ。アメリカで暮らしたい...親の反対を押しきり、憧れの自由の国アメリカへと、彼が単身飛び出したのは、1970年代、1ドル360円のあの時代、二十歳になったばかりだった。当時は情報など全くなく、コンピューターも携帯もない時代。言葉ももちろんだけど、生きていくのは、何もかも大変だったけど、そんなことは全く苦にはならなかったと言う。ずっと大好きで夢にまで見た、アメリカに居るためには何だってした。その後ビジネスを始め
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母誤嚥性肺炎をきっかけに老衰が始まり4ヶ月…5月7日の夜安らかにお浄土へ旅立っていきました。9日にお通夜10日にお葬式12日の母の日目前でした.🌸🌸🌸棺の中の母にお花を手向ける時斎場の方が兄と私にピンクのカーネーションを手渡してくれました。「お二人でお母様の胸元に置いて差し上げて下さい。」母を挟んで棺の彼方側と此方側兄と一緒に母の胸にカーネーションを添えました。私たち兄妹2人そろった最初で最後