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5月14日の映画情報の公開に始まり、笠井信輔さんのテレビ放送、中日新聞夕刊1面に掲載と、『春の香り』が多くの方の耳目に触れる機会に恵まれました。皆様、温かいお声掛け本当にありがとうございました。春香は、亡くなる数日前まで「人の役に立ちたい。人の心に何かを刻みたい」と訴えていましたが、その願いが少しだけ叶えられた気がして、父親として嬉しく思います。映画『春の香り』の中で、春香の想いを代弁してくれるハルカ役を演じていただくのは、20歳の女優、美咲姫さんです。約1000人の応募者の
三連休が明け、何気ない日常が始まった。普段通りに挨拶を交わし、始業を告げるチャイムが校舎内に鳴り響く。当たり前の光景。ふと、滝学園以外の学校にも思いをはせてみる。『春の香り』を手に取った高校生はいるのかな?まだ、図書館で誰かに借りられるのを待っているのかな?なんて。金曜日に紹介した名古屋市立の高校の図書館司書の方から、直接メッセージをいただいた。本来、こちらからお礼を言わねばならないところ、先方から声をかけていただいたのだ。すごく幸せな気持ちになって、胸にグッとくるものがあった。これも春
本日9月30日は、坂野家にとって、記念すべき1日になりました。『春の香り』の記事が、1日で2紙に同時に取り上げていただいたのです。これまでの人生でも、新聞に掲載していただく経験はほとんどなく、ハンドボール部創部の際に、掲載された程度でした。それが本日は、2紙同時。そんなことは、この先もおそらく起こらないでしょう。春香に感謝しながら、じっくりと記事を読ませていただきました。読売新聞では、「Xくん」にも焦点をあてていただいて、紙面にも掲載していただきました。春香にとっては最期の作品。皆さんに見て
2019年10月12日、この日は、東海地方に大型の台風が接近しているというニュースが前日から流れていました。再発を告げられ、次なる手術に向かって入院していた春香から電話がありました。小学6年生の頃の入院の際は、いつも妻が隣にいましたが、17歳になっていた春香は一人で病室にいたため、大きな手術を前にして心細かったのか、前日に過呼吸を起こし、SOSを求めたのです。私と妻は急ぎ車に乗り、春香の待つ病室に向かいました。普段あまり弱音を吐かなかった春香が素直な気持ちを表してくれて、心の中が満たされた気持
2020.01.12美マージュTokyo@川越仙波東照宮・遠山記念館・蔵通り美マージュの新人企画で癒し系美人さん・Luaちゃんを初撮影川越で艶やかなオレンジ色の振袖👘振袖は華があるね
5月1日の中日新聞国際面には「世界一貧しい大統領」として著名なウルグアイのムヒカ元大統領(88歳)の今を伝える記事が掲載されていました。ムヒカ大統領は、先月26日の健康診断で食道に腫瘍が見つかりました。その際、若者に向けたメッセージとして、「成功を収めるには倒れるたびに立ち上がることが必要だ。」と述べています。また、「もし怒りがあるなら、希望に変えよう。憎しみにだまされず、愛のために戦おう」とも訴えました。小学6年生のわずか11歳で脳腫瘍を発症した春香は、家族の前でも弱音を吐く
春香が亡くなった後、数か月は心と身体を休める時間が必要でした。しかし、その間も「人の役に立ちたい」と言っていた春香の言葉が私たち夫婦の間から消えることはありませんでした。年が明け、季節が桜の季節を過ぎたころ、妻はおもむろに机に向かい春香との思い出を書き上げました。そして、私と春香でまとめた闘病の記録とともに『春の香り』として2022年8月に出版することとなりました。春香のメッセージは、多くの方の心に届いたようで、新聞社、ラジオ局、テレビの方が取材に来てくださりました。本当に感謝していま
『春の香り』を上梓した2022年8月に、一通のSNSメッセージをいただきました。福井県にお住いの佐治昌弘さんからでした。メッセージには、この年2022年4月5日に、最愛の娘、りりかさんを脳腫瘍で亡くしたことと、発病から旅立ちまでの経緯が詳細に綴られていました。春香と重なる部分が多く、しばらく返信ができないほど、涙を流しながら読んだことを覚えています。私と佐治さんは同世代で、娘は学年の違う同じ年生まれ(春香3月、りりかさん5月)で、多くの共通点がありました。しかし、この縁は偶然ではなく必
SNSで、春香と同じ18歳で娘に旅立たれた可児佳代さんに『春の香り』を紹介していただきました。風疹をなくそう会『handinhand』の共同代表をお務めの方です。私が勤める学校で発行している学年通信の名前も『handinhand』で、偶然なのか、共通点も多くあります。私はもちろん、ハンドボール愛が高じて、この名前を使っています。悲しみも、共有すれば、半分に減らすことができるかも知れません。知らないこと、孤立することが、さらに不安をうみ、自分を追い詰めていったことは、春香の初発の時に
春香が与える勇気つながる勇気本日も、『つながる縁』のコーナーに春香の名前を掲載していただきました。絵の好きな女の子が、皆様に勇気を届けてます。春香は、生前、おじいちゃんやおばあちゃんが大好きでした。江南のおじいちゃんおばあちゃんの家には、小さい頃、自転車に乗って一人で遊びに行ったりもしていました。桜井様からの手紙、中日新聞の細川記者から送っていただきました。「三度の手術」とありますが、脳腫瘍の「手術」と聞くだけで、私はトラウマのように体が固まります。春香の場合、それは言葉では尽くせない
「子どもの声を、聞きながら」で紹介いただきました。ありがとうございました。
一昨日、小説家平野啓一郎の芥川賞受賞作の「日蝕」を読み終えた私は、そう言えば、平野啓一郎ってモデルを嫁さんにもらってるんだったよなぁ………って、ショーもないことを思い出してしまった私は、Googleでさっそく、平野啓一郎の奥様をチェックしてみた❗すると、…………………平野啓一郎の奥様のモデルの春香さんの画像が出てきて、私は、本当にもう腰を抜かしてしまった❗(笑)あまりにもあまりにもあまりにも私の美的感覚にフィットしてしまっている❗1975年
今、NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で上白石萌音の兄として登場している濱田岳。先日、この濱田岳の奥様を知って、私はホントにもう腰を抜かした‼️(笑)奥様の名前は、小泉深雪。身長179センチのモデルである。すごいカップルもあったもんだ‼️(笑)今から4年ほど前か、小説家の平野啓一郎がモデルの春香と結婚していることを知り、そしてその春香の写真を見て腰を抜かしたものだが、濱田岳と小泉深雪のツーショットにはまったくもう絶句してしまうくらいの驚きだ‼️(