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2020年3月22日。春香の最後の誕生日は、コロナ禍の暗い気分を少しでも晴らそうと、家族四人で近くの菜花畑へ出かけました。新鮮な空気をたっぷり吸って帰宅した後は、毎年恒例のささやかなバースデーパーティーを開きました。妻が春香の好きな料理を作り、いよいよケーキを食べようとしたとき、“事件”が起きました。妻が箱ごと冷蔵庫にしまっておいたケーキを取り出そうとした瞬間、箱の一部が冷蔵庫の縁に当たり、ケーキが横向きに滑り落ちてしまったのです。形が崩れてしまったケーキを見ても、春香はにこにこと笑っ
小6の11月、春香は地元・江南市の病院から名古屋大学病院へ転院しました。最初は相部屋で、そこで春香と同じ小児脳腫瘍を患う、同じ学年の男の子とそのお母さんに出会いました。私たちはその後、部屋が変わりましたが、院内学級で子どもたちが勉強している間に、少しずつお母さん同士で話すようになっていきました。4月23日の読売新聞「ぷらざ」には、神奈川県海老名市の川地富士美さんの投稿が掲載されていました。川地さんには知的障害のある息子さんがいます。車椅子を利用する息子さんはドライブが大好きで、ある時、富士山
きょうは、当寺の責任役員(総代)Iさんにお誘いいただき、佐賀県小城市(おぎし)へ、普茶料理(ふちゃりようり)をいただきに。小城市の黄檗宗の星巌寺(せいがんじ・小城鍋島の菩提寺)に伝わる普茶料理を継承されている「普茶料理おぎ春香会」を、西九州大学の学生さんが手伝われ、60名限定の人気の食事会(電話予約は、予約開始時刻に、Iさんが固定電話とスマホを交互にかけて、やっと予約ゲットしてくださったほど予約が取りにくい)です。4人1組でのお料理提供。4人で、とても美味しく、楽しく、春の
春香と同じ脳腫瘍のため、若くしてこの世を去った元阪神タイガース・横田慎太郎選手の生涯を描いた映画『栄光のバックホーム』を観ました。夢を追いかけながらも病により区切りをつけ、引退を決意した彼が、最後の試合で見せた「奇跡のバックホーム」。その場面では、スポーツを愛する者として涙が止めどなく溢れました。映画の後半、闘病しながら講演活動を続けるシーンでは、実際に名古屋で聴いた横田慎太郎さんの声が胸に響きました。機能が低下し、徐々に衰えていく身体を家族全員で支え、最期まで見送っていく姿は、春香の時と
2020年、腫瘍が再々発した春香は、歩行が難しくなり、首も支えられない状態になっていました。片目の視力も低下し、いつも「見えない」と嘆いていました。週末には、家族四人で江南のフラワーパークへ出かけました。3月には自分の足で歩いた公園も、この日は車いすで回りました。冬の空気を肌で感じながら、たくさんの記念写真も撮りました。帰りの車の中で、春香は久しぶりに鼻歌を口ずさんでいました。4月20日の読売新聞「気流」には、群馬県の宮本さとさんの投稿が掲載されていました。さとさんの夫は難病を患い、10年
夕食の時、妻がふと、春香が不登校だった頃の家での過ごし方や思い出を話してくれました。他愛もない日常の出来事なのに、深く心に残っているエピソードがあるのだと語ってくれました。中学3年の夏休み明けから不登校を選んだ春香は、妻と毎日散歩に出かけることにしました。妻は、日中のすがすがしい時間帯に出発したいと考えていました。しかし、春香の起床は不定期で、遅く起きてきたかと思うと、ゆっくり着替えたり、スマホを触ったりして、なかなか準備が進みません。日が暮れかけ、「今日はもう行かないのかな」と妻が思
三河地方の学校の先生からお電話をいただき、教師や保護者の皆さま向けの講演をご依頼いただきました。いろいろとお話を伺ううちに、今回のご依頼に至った経緯が分かりました。その先生の息子さんが、昨年私の講演を聴いてくださり、母親である先生に紹介してくれていたのです。春香の思いが高校生の心を動かし、行動へとつながったことに、胸の奥から喜びがこみあげ、とても幸せな気持ちになりました。4月17日には、3月に収録したラジオ番組のオンエアを、妻と二人で聴きました。番組出演のきっかけも、林ともみさんの出版
春香は17歳で再発し、腫瘍の摘出手術を受ける前日に、家族へ宛てた手紙を残してくれました。その冒頭には、「パパ、ママ、このように存在させてくれてありがとう」という言葉が記されていました。小学6年生で脳腫瘍を患い、辛い治療にも耐え続けました。思い描いていた未来は大きく変わってしまったのに、春香は泣き言ひとつ言わず、小さな体でその不条理を受け止めていました。この手紙に、私たちがどれほど救われたことでしょう。4月16日の読売新聞「医療ルネサンス」には、胎児治療を受けた砂川日奈さんのケースが紹
春香が中学3年生の時、脳腫瘍の治療の影響で身体に不安が残り、修学旅行には妻が付き添う予定になっていました。ところが出発の前々日、春香は「ついてくるなら私は行かない」と強く自己主張をしました。翌日、学校に相談に行くと、沈黙を破って学年主任の先生が「春香さんのしたいようにしましょう」と、春香の思いを全面的に受け入れてくださいました。その瞬間、私と春香は涙があふれて止まりませんでした。4月14日の朝日新聞「折々のことば」には、難病を患う娘さんを持つ俳優・星野真里さんの言葉が紹介されていました。「
春香の入院中の楽しみのひとつに、病院内にあるコンビニでの買い物がありました。体調が良いときには歩いて、すぐれないときには車いすに乗って向かいました。買うものは些細なものでも、自分で欲しいものを選ぶことが何よりうれしいようでした。4月12日の朝日新聞「Reライフ」には、緩和ケア医の大橋洋平さんの記事が掲載されていました。大橋さんはGISTと診断され、翌年には肝臓に転移し、現在も抗がん剤治療を続けているがんサバイバーでもあります。大橋さんは、ホスピスとは「自分を生きるための場所
私がこれまでの人生で最も大きな衝撃を受けたのは、春香が小学6年生の時に脳腫瘍(膠芽腫)と診断された時です。喉が渇き、汗が吹き出し、気分が悪くなってトイレで吐きそうになりました。心にも深い傷が刻まれました。それからの7年2か月、寛解を経て再発、再々発と続き、そのたびに傷口は広がっていきました。春香が旅立った時には、ふさぐことのできない大きな穴が開いたように感じました。しかし、過ぎゆく日々が少しずつその穴を癒してくれました。4月12日の朝日新聞「窓」には、熊本県のグリーフケアの
今から15年ほど前、我が家の玄関の上にツバメが巣を作りました。小学生だった京香と春香は、物珍しそうに毎日観察していました。近所の田んぼから泥を運んで巣が形作られると、親鳥は卵を産み、ひなが孵ると餌を運び続けます。京香と春香は、その様子がかわいくてしかたがないようでした。やがてひなが成長すると、飛行訓練を経て巣立っていきます。ある時、1羽のひなが巣から落ちていました。子どもたちはひなを救い、かごに入れて、虫を取ってきて食べさせようとしましたが、うまくいきませんでした。やがてひなは死ん
春香は小学6年生で脳腫瘍を発症し、地元の病院で緊急手術を受けた後、名大病院で化学療法(抗がん剤服用)と放射線治療を受けました。辛い治療が続き、髪の毛も抜け、私と妻の心も次第に疲弊していきました。そんな状況の中で春香を救ってくれたのが、院内学級の存在でした。といっても、病気になる前の春香が特別に勉強好きだったわけではありません。「院内学級」という社会に参加し、みんなと一緒に学ぶことが楽しかったのだと思います。習字を書いたり、調理実習をしたり、楽器を弾いたり――。その時間だけは、病室ではなかな
春香が天国へ旅立った時、姉の京香は大学3年生でした。その後、就職活動を経て児童養護施設の職員となり、社会的擁護を必要とする子どもたちと全力で向き合ってきました。4月7日の朝日新聞「ひととき」に掲載された、児童養護施設出身の内野咲夏さん(26歳)の投稿を読み、胸が熱くなりました。内野さんには、一つ誇れるものがあるといいます。それは「児童養護施設出身であること」だそうです。周囲からは「大変そうだね」「可哀想だね」と言われることもあるといいます。実際に大変なことも多かったものの、
香の遺作『×くん』を出展するため、2023年に名古屋で開催された絵本フェスに参加しました。すべてが初めての経験で、会場でも戸惑っていると、一人の女性がやさしく声をかけてくれました。司会を務めていた川添美穂さんでした。その時、美穂さんは、息子さんが春香と同じ病であることをそっと打ち明けてくれました。4月6日の毎日新聞「愛知版」には、美穂さんの息子さんが病室のベッドの上で笑顔を見せる写真が掲載されていました。記事によると、一生さんは病名も年齢も春香と同じで、脳腫瘍によって18歳で天国へ旅立
京香が3歳になって幼稚園に通い始めたころ、平日に休みが取れたので、1歳になったばかりの春香を連れて、近所のオアシスパークへ出かけました。私にとっての“公園デビュー”でした。今でこそ父親が育児に参加するのは当たり前になっていますが、当時の私は、二人の子育てを妻に任せきりにしていました。部活動で土日も家にいなかった罪滅ぼしのつもりで、妻を家に残し、春香と二人だけで出かけたのです。公園では、春香と手をつないで歩いていましたが、1歳になったばかりで体力も続かず、すぐに疲れてしまいました。そこで
春香は小学6年生の時、緊急手術を受けました。病理検査の結果は膠芽腫。主治医からは中央生存値は1年と告げられました。私と妻はしばらく頭の中が真っ白になり、何も考えられない日々が続きました。しかし、2か月の入院治療を経て、春香が“生きたいように生きられるようにしよう”と決め、私たち自身の生き方も変えていきました。4月1日の朝日新聞「声」欄には、病気や障害を抱えた子どもの「親なき後」をテーマにした特集がありました。栃木県の酒井純子さん(53歳)は、知的障害のある二人の子どもを育てています。親
鈴木中人さんに紹介していただいた『出会いと感謝の人生』を拝読しました。著者の杉浦三代枝さんは、スギ製菓の会長を務めていらっしゃいます。現・碧南市に生まれ、当時は「勉強しなくてもいいから仕事を手伝え」という時代で、10代からせんべいを焼き始めました。1970年に本格的に創業し、売り上げは順調に伸びていきましたが、釣り針混入事件などのトラブルに巻き込まれ、工場の衛生管理に強い危機感を抱くようになりました。そのころ、経営者の勉強会でイエローハット創業者の鍵山秀三郎さんと出会い、人間形成とトイ
今年も桜が満開になりました。3月生まれの春香は、桜の花が大好きでした。幼い頃から、家族四人で近くの五条川や木曽川の堤防へ花見に行くのが、わが家の年中行事のようになっていました。2020年の春。春香が桜を見た最後の年になりました。当時は、これが最後になるなんて夢にも思っていませんでした。春香が天国に旅立ったあと、彼女の人生をもとにした映画が制作されました。撮影の季節は春。ロケ地は、木曽川の堤防に咲く三本の桜の木の下でした。ロマンチックな春香にとって、これ以上ないほどぴったりの場所です。芝
春香堂お線香、詩音桐箱入ギフト、短寸8把入【ご進物/お盆/お彼岸/お供え/送料無料】楽天市場ご進物やお供えに贈るお線香、どれを選んだら良いか迷ってしまうことはありませんか?大切な方への感謝の気持ちや、故人への偲ぶ心を伝える贈り物だからこそ、品格があり、心から喜ばれるものを選びたいですよね。そんな時に自信を持っておすすめしたいのが、今回ご紹介する「春香堂お線香詩音桐箱入ギフト」です。特に、お盆やお彼岸、あるいは急なご進物やお供えとしてお探しの方には、その品質の高さと使い
職場いじめで幻聴が…追い詰めた上司の言葉とは「お母さんは悪い人と入れ替わった」と打ち明ける娘を救った"母の愛"職場いじめで幻聴が…追い詰めた上司の言葉とは「お母さんは悪い人と入れ替わった」と打ち明ける娘を救った"母の愛"野村春香(仮名)さんのお母さんが、娘の様子がおかしいことに気づいたきっかけは、“独り言”でした。リビングのソファに座っていた娘の春香さんが、うつろな目で宙をながめながら、ぶつぶつと何かをつぶやいてい…toyokeizai.net
春香が旅立った後、同じようにお子さまを亡くされた方とお会いし、お話を伺う機会を何度かいただきました。病名や症状、年齢はそれぞれ異なりますが、子どもを失った苦しみや悲しみには深く共感するものがあります。特につらい治療に耐え、懸命に生きた姿を聞くと、いつも胸にこみあげるものがあります。3月23日の毎日新聞「月議」には、人生のパートナーをがんで亡くした二人の遺族が、20年もの間、手紙を通じて互いを気遣い続けたというコラムが掲載されていました。兵庫県姫路市の棗田瑞代さんは、25歳の時、8か月の
2002年3月22日、春香は愛知県江南市で誕生しました。私たち家族に、たくさんの幸せを運んでくれました。もし生きていれば24歳になります。どんな女性になっていたのか想像するだけで、少し胸が痛みます。最後に春香の誕生日を祝ったのは6年前でした。少し肌寒さの残る中、近くの菜の花畑を見に出かけました。帰ってきた後は、家族だけのささやかな誕生会。ママが冷蔵庫からケーキを取り出す際に落としてしまい、変形したケーキをみんなで笑いながら食べました。9か月後に再再発して旅立つとは、夢にも思いませんでした。
本日は、妻とともに東京・秋葉原を訪れました。昨年3月に公開された映画『春の香り』が、秋葉原UDXシアターで再上映されることになり、挨拶の舞台に立たせていただいたためです。プロデューサーの堀さん、配給会社の石原さんのお顔を拝見した瞬間、1年前の上映開始時の緊張感や高揚感がよみがえり、ここに戻ってこられた幸せを噛みしめました。控室では、丹野監督や主演の実咲ふゆさんをはじめ、映画スタッフの皆さんと談笑し、撮影時の思い出話に花が咲きました。そして、いよいよ挨拶の時間。舞台に立つと、満員のお
小学6年生で脳腫瘍を患った春香は、治療の一環としてテモダールという抗がん剤を服用していました。当時はカプセル剤で、小さな体の春香にとっては飲み込むこと自体が困難でした。服用後の副作用には個人差があるようですが、春香の場合は強く出てしまい、回を重ねるごとに「飲んだ後のつらさ」がよぎり、飲み込むことをためらうようになっていきました。退院後の在宅での服用では、飲み込みに失敗してしまうこともありました。処方された薬は必要量ぴったりの数しかありませんでしたので、私たちは薬剤師さんに電話をして、どうす
こんばんは。妄想炸裂ガールです。いつも私のブログを読んで下さり有難うございます。今日は午前中に私はパソコン教室でExcelの勉強をしました。Excelでは映像を見ながら操作手順を覚えるといったことです。前回と同じ内容ですよ。パソコン教室が終わって落ち着いて家に帰って来てから私はソファーで仮眠を取りました。仮眠を取ったと同時に爆睡までしてしまいました。鬼軍曹がZOOMに入ろうが何をしようが私は完璧に爆睡状態でした。鬼軍曹がこんなことを言っていました。鬼軍曹曰く。「今日、ママがZOOMに入ろうが
17時15分、黄昏が迫る札幌です体調が優れず、運動を控えていたヤッコさんでしたが、結論は適度な運動が大切と言うこと春の再始動の走り始めは仕事終わりの3kmジョグ、キロ7分でも大切なのはゼロではない事ラン後のご褒美は澄川の某居酒屋ここの店主はこれまた某名店で修行をしていた顔見知り僕達の来店を本当に喜んでくれて、応援しなければならない店に認定ですショウガとニンニク、新玉ねぎが絶妙、初カツオたたき刺春の香りが広がる春香ウド・ウルイの酢みそみずしく美味しい
春香は中学三年生の二学期から、学校にほとんど行かなくなりました。自分で選んだ道だったので、妻も全面的に春香の意思を尊重しました。学校に行かない時間は、絵を描いたり、妻と木曽川沿いを散歩したりしながら、自分を取り戻していました。三月になり、卒業式が近づくと、春香は「式には出る」と伝えてきました。三月十五日の朝日新聞「窓」欄には、愛知県立刈谷東高校の昼間定時制高校の卒業式のエピソードが掲載されていました。卒業式で答辞をやらないかと学年主任から誘われた武元もかさんは、はじめ「断ろう」
福島佳江さん(よっちゃん)が主催する「読み聞かせ&自分をハグする温かな時間を過ごしましょう絵本my対話」に参加させていただきました。本日の絵本には、春香の描いた『×くん』を選んでいただきました。ありがとうございました。会はまず、『×くん』の読み聞かせから始まりました。その後、よっちゃんから身体をリラックスさせるエクササイズを教えていただきました。目を閉じ、自分の身体に感謝を向けます。本日は部活の大会もあり、疲れもあったからか、深くリラックスすることができました。そして、もう一度『×くん』
今年度の締めくくりとして、「春の香り」の講演を名古屋の中学校でさせていただきました。普段の講演では、会場に着くとパソコンの設定や動作確認、会の進行の打ち合わせなどを済ませ、その後に担当の先生や管理職の先生とお話しする機会があります。あまり外に出ることのない私立学校の教員にとって、他校の様子を伺えるこの時間はとても貴重で、私はこのひとときが大好きです。今回は、講演開始の数分前に、担当の先生から院内学級のお話を伺いました。勉強を教えてほしいと言ってきた生徒が、翌日、旅立ってしまったという忘