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えっと...昨日は【青天を衝け】のレビューの投稿に失敗し、せっかく書き上げたデータも消失してしまい...。流石に落ち込んで、やる気を失ってしまいました(笑)。軽いプチキレ状態でしたね...。しかし、ここで引き下がっては【幕末オタ】の名が廃る!!なので、本稿を投稿次第...二日遅れの【青天を衝けレビュー】を...昨日書き込んでいた内容を思い出しながら...再度書きたいと思っております。暫し、お待ちを(笑)...。まあ、大体はですね...ネタを明かしますと...投稿日の
小林正観さんの心に響く言葉より…私は、小学校、中学校、高校、大学と、出会った先生から、呼び捨てにされたことは一度もありません。どの先生も、皆、人格者でした。今、自分は、そういう先生方の影響をとても強く受けています。30歳年下の男性、20歳の男性にも、「君」づけでは呼びません。全部「さん」づけです。もちろん、女性にも「さん」づけです。例えば、「太郎」という名前の人がいたとして、その人がほかの人から、「太郎」と呼び捨てにされるのと、
明治維新とは徳川幕藩体制崩壊から明治新政府による中央集権的統一国家成立と資本主義化の出発点となった一連の政治的・社会的変革。始期・終期には諸説あるが、ペリー来航による開国から大政奉還・王政復古の大号令、戊辰(ぼしん)戦争、廃藩置県などを経て西南戦争までをいうことが多い。御一新。出典小学館デジタル大辞泉明治維新の核は、大英帝国(ドイツ系王室)とイエズス会に傀儡された薩長土肥(薩摩・長州(萩)・土佐・肥前)+肥後ですが、欧州王室と繋がりがあった徳川家も勝海舟を使い、明治維新を上手く利用し
お立ち寄りありがとうございます2017年に初めてこの作品に出合って約4年の歳月を経て完結しました。この表紙がすべてを物語っているような終わりです。素晴らしかった。あらすじアマゾンより隊長の島田、隊士の市造、米吉ほか……全員死んだ。一撃必殺隊の最後の生き残り・丑五郎はすべての決着をつけるべく愛妾が待つ女郎屋へ。時代の変遷を目前にして、男の意気地をかけた最後の戦いが始まるーーーー。1巻の表紙に一目ぼれしたんですよね。このギラギラ感から随分変わりました。実写化
こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。弘前公園に住みついた‟子だぬき”がひょっこり現れました。天敵がいないせいか、人を全く怖がりません。子だぬき達は、目に見える世界がおもしろくてそれはもうたまらない様子でした。可愛らしいですね。海外のドキュメンタリー番組気分に浸ってしまい、娘たちと一緒にやさしさに包まれてしまいました。娘とその友人たちと西目屋地区へドライブ澤野大樹氏より★青森講演会第5回に寄せてのメッセージ★「岩戸」という言葉を
以前のブログで「日本では責任が重くなればなるほど責任を取らなくて済むようになる」と書いたことがあるのですが、その時に政治学者の丸山眞男に「無責任の体系」という言葉があることを知りました。その言葉の中に僕の疑問の答えがある気がして、図書館でこの本を借りてきたんですね。そして読んでいるのですが僕はもともと遅読な上に易しくはない本なので、まだ100ページを越えた程度しか読み進めておりません。そんな段階であれこれ言うのは僭越かもしれないのだけれども、読んでいてハッとした箇所を引用し、それに
こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。国内のみならず、地震やら洪水やら、暴動、潜水艦の座礁、ワクチン接種問題やら、トランプ氏の弾劾裁判、逆にトランプ氏の偉業、五輪森氏による女性蔑視発言、元警視庁捜査一課長の死、などなど、世の中カオス状態。「何か大きな事件が起きて、報道がそれ一色になった場合は、巧妙なトリックが仕掛けられている」とは、ずっとこのブログでも紹介してきました。マスメディアとDSはグルであると。世の中を、事故や事件でめちゃくちゃにし
江戸檜物町の襲撃事件で「仲間を助けずに逃げたのは武士にあるまじき行為」であるとして士籍を剥奪され、平民に落とされた上で蟄居生活を余儀なくされた横井小楠は、その後熊本に逼塞していましたが、その間も同じ肥後藩士で、のちに大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語などの起草に携わることになる井上毅(いのうえこわし)や、土佐脱藩の坂本龍馬等の訪問を受け、様々な提言を授けています。そして慶応三年(1867)、王政復古の大号令が発せられ(十二月九日)、天皇を頂点とした新政府が立ち上がると、朝廷は肥後藩に
⚡🔥9月27日には自民党総裁が決まり、その後、10月初めに、自民党新総裁が次の首相に指名されることになるでしょう。次の首相が誰になるのかは分かりませんが、結局のところは誰がなったところで、日本がどん底に向けて落ちて行くのは避けられないと考えています。それは野党が政権を取ったところで同じことです。理由は世界を支配しようとしている闇の存在、欧米系DSと中国系DS、この二つを駆逐しないことには、日本の政治家、官僚が両者の支配下に置かれて、言われるがままの悪の政策を行っているからです。
先週の「土曜プレミアム」ミステリと言う勿れ特別編、やっと見ることができました。後半は先日ご紹介した旧函館区公会堂をモデルに建てられた(という設定の)古い学校に埋められたタイムカプセルを整(ととのう)たち学生アルバイトが探すというストーリーで、ネタバレになりますが、本当の函館の公会堂の庭に埋められていたというのが謎の鍵でした。旧函館区公会堂それを見て、自分が昔書いた函館こそが封印の街であるというブログを思い出しました。『箱館と函館と怨霊(御霊)信仰』明治2年5月、榎本武揚ら五稜郭首脳
山口県は長州藩で明治維新を主導した藩明治維新は嘘の美談で真実を塗り替えているが、DSにそそのかされた〇〇人が、日本古来の孝明天皇を殺害し、偽天皇を天皇に据えたというのが真実だ。山口県に田布施という町がある。人口10,000人程度の小さな町だが、そこから、総理大臣などが複数名出ている。確か安倍も山口県だ。この国の沼の掃除が始まったのか⁉️軍事作戦中なので真実は分からないが、軍用機が山口に集結しているのには、何かしらの理由があるのだろうメーカー直販で圧倒的にお得パソコ
木戸孝允(桂小五郎)西郷隆盛、大久保利通と共に「維新三傑」と並び称される桂小五郎こと木戸孝允にも囲碁に関する逸話が多く残されている。【木戸の生涯】木戸は天保4年(1833)現在の山口県萩市に藩医・和田昌景の長男として生まれるが、病弱であった事から和田家では姉に婿養子を迎えている。小五郎は七歳の時に自宅の道向かいに住んでいた長州藩の大組士・桂家の末期養子となり武士の身分となるが、翌年に桂家の養母も亡くなったため生家の和田家で成長していく。早くから秀才として注目された小五郎は、
明治天皇の前の天皇だった孝明天皇には、「毒殺されたのではないか」という説があります。孝明天皇の死因をめぐる最新研究、天然痘との診断とその後の推移幕末維新人物伝2022(25)孝明天皇は毒殺されたのか②|JBpress(ジェイビープレス)慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇は急逝されたが、その崩御があまりに突然であり、劇的であったため、その当時から毒殺説がまことしやかに喧伝されていた。しかし、明治(1/3)jbpress.ismedia.jp慶応2年12月2
西郷隆盛大久保利通、木戸孝允と共に維新の三傑に挙げられる西郷隆盛は囲碁の愛好家としても知られ、昭和42年には明治100年を記念して日本棋院から名誉七段が贈られている。【西郷の生涯】隆盛は、文政10年薩摩藩の下級武士西郷吉兵衛隆盛の長男として鹿児島城下で生まれ、幼名は小吉、名は隆永、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助などを名乗り、明治以後になり父と同じ隆盛を名乗る。11歳の頃、友人の喧嘩の仲裁で右腕を切られ刀を握れなくなり、学問で身を立てようと勉学に励んだ西郷は、仲間のリー
〈澤野大樹氏インタビュー世界のいちばん長い日(前編)からの続きです〉――7月8日に消えた彼について、彼はすでに2年前には死亡していて中曽根康弘元総理の自民党合同葬で葬られたと。だから今回亡くなったのはゴムでありクローンであると。そのように言っているSNS界隈の自称インフルエンサーが多くいますが?そのようなことを言いふらしている人たちがたくさんいますよね。そのような情報の出どころは統一側なのでしょうね。そのような人は同時に「スナイパー説」も言っていますよね。しかしそ
NHK大河ドラマ「篤姫」の再放送それにしても面白い明治維新を徳川の側から描き権力を無くしていく幕府大奥を丁寧な心理描写を通して描き切っている聞けば「独眼竜政宗」のBSでの再放送もやっているとか東北の暴れ龍と言われた大大名の生涯を丁寧に描いた作品おそらく歴代、最高視聴率だったと思う三つ目の作品は「カムカムエヴリバディ」昨日から放送が始まった異色の三部構成でありながら息をも継がせぬ展開で視聴者を釘付けにした本放送の大河ドラマ「光る君へ」も面白いが再放送の三作品
2か月振りの投稿、待っていました。内容を何度も読みたいので、シェアします。
大久保利通【大久保の生涯】西郷隆盛、木戸孝允と並び「維新の三傑」と称される大久保利通は、文政13年8月10日(1830年9月26日)薩摩藩鹿児島城下の下級武士の家に生まれ、元服後に記録所書役助として藩へ出仕している。しかし嘉永3年(1850)藩主・島津斉興が嫡子・島津斉彬を廃して側室の子・島津久光を後継者にするため、「お由羅騒動」と呼ばれる斉彬派の粛清を行い、大久保は騒動に巻き込まれた父に連座し謹慎処分となる。その後、幕府の介入により斉興は隠居に追い込まれ、島津斉彬が藩主に就任
明治維新後は名を藤田五郎と改め、警察官となった元新選組の斎藤一でしたが、警視庁時代には剣術の等級が四級だったという逸話も有名です。では四級とはどれほどのものだったのでしょう。特に言明している書籍がみつからないのですが、この四級という等級は当時の警視庁流(のちに警視流に改められ現在に至る)におけるものだと思われます。その等級に関して、『剣法至極詳伝』(木下寿徳/大正二年/国立国会図書館デジタルコレクション)に、年度不詳ながら二級から四級までの名簿が掲載されています。同書にいわく
おはようございます(*--)(*__)ペコリ本日は野村望東尼さんの法要が行われた大楽寺さんについて書いていきますねぇ~(*゚∀゚*)とても綺麗に整備されていましたよ*。・+(人*´∀`)+・。*こちらはウォーキングコースになっているらしく多くの方と挨拶を交わしました(゚∀゚)ノ大楽寺さんの案内図です(≧∀≦)ノ歴史も古そうですね~(///∇///)立派な山門です(///∇///)山号は「放光山」です(゜∇^d)!!こちらには「曹洞宗大楽寺」っとあります(人´∀`).☆.
9日の日経の19面、「大機小機」というコラムで教育制度のことが書かれているのだが、その中で面白い指摘があった「明治維新からの約150年間は終戦を境に前半の約75年間と後半の約75年間に分けられる。前半ではでは年限を含む学制改革が少なくとも4回実施されたものの、後半では6・3・3・4制の枠組みが微動だにしていない。・・」一部抜粋え、そうなの?確認してみた明治維新(1868)〜第二次大戦終戦(1945)77年第二次大戦終戦(1945)〜現在(2024)79年
あなたは、「司馬遼太郎」に洗脳されている。こう言われて、「はい」と答える日本人が、どれだけいるでしょうか?教科書や大河ドラマでは学べない「日本国家の真実」があることを知っていますか?「司馬遼太郎の日本史」の罠が存在することを・・・・・==========================================================Q)あなたは、明治維新や江戸時代について、このように思っていませんか?明治維新は、坂本龍馬、西郷隆盛などの活躍により、古い体制だっ
西郷について書くことはとても難しいです。そもそも僕は決して西郷隆盛ファンではありません。世の中には熱狂的な西郷ファンが居て、僕はむしろ何故それほどまで西郷に惹かれる人が多いのか不思議に思っていたというのが本音です。ですから西郷について通り一遍のことを書いても仕方がありませんし、それでは西郷ファンには叱られそうな気がします。西郷を知るために、かつて山形の鶴岡に行った時に「南州翁遺訓」を買って読んでみたのですが、あまりピンと来ませんでした。そもそも西郷の功績とは何なのか。明治維新において大きな働きを
本書が出たばかりの時は気になるタイトルながらかなりの順番待ちで諦めていましたが先日、図書館に行った時に棚にあったので借りてみました↓一冊でわかる江戸時代(世界のなかの日本の歴史)Amazon(アマゾン)正直、江戸時代260年、しかも将軍の人数だけで15人ですから「一冊でわかる」というのはどうなんだろ?と、疑心暗鬼の気持ちもありましたがさすが!大石先生!わずか220ページという薄さでありながらもかなりの濃い内容でした。特に大石先生の中立的であろうとする言葉に
一部の方が『福沢諭吉の脱亜論』について、間違って解釈されている?それを知りまして、この記事を書きました。福沢諭吉の「脱亜論」というタイトルは、後年になってつけられたものです。これが出た当初は、タイトルはありません。実はこれが書かれた当時、福沢諭吉は「時事新報」という新聞の発行に携わっていてその社説として明治18(1885)年に書かれた記事が、後年になって「脱亜論」という名称で呼ばれるようになりました。『脱亜論』は文章は短いですが、そこに書かれたメッセージは、明治政府の基本政策ともなっ
京都長州藩邸跡京都市中京区河原町、現在ホテルオークラの建つ場所はかつて長州藩邸があった所。京都に滞在する藩士、江戸へ向かう途中の藩士らがここに滞在していた。高杉晋作もたびたびここに滞在している。1863(文久3)年3月、晋作はこの藩邸で頭を丸めて自らを「東行」と名乗り、「西へ行く人を慕いて東行く心の底ぞ神や知るらむ」と詩を詠んでいる。藩邸は1864(元治元)年7月の禁門の変の際火災で焼失し、その後は幕府に接収されてしまった。跡地には現在、桂小五郎(木戸孝允)の銅像が建ってい
2019年4月6日清水次郎長の生家に行きましたが、清水の次郎長親分は外出中でした。家の人に聞いたら「末廣」さんにいるのだとか・・・・巴川を渡り、「末廣」へ・・・・こちらの屋号のマークは「カギ長」になってますね。ここは清水次郎長の船宿だったそうで、現在は清水港船宿記念館になっています。船宿「末廣」では、清水次郎長が清水港振興に尽力した晩年の姿を知ることができるそうです。幕末から明治を駆けぬけた次郎長と清水港の様子を、今に伝える貴重な建築物でだそう
①岩倉具視幽棲旧宅、、、有待庵の移築先京都市左京区岩倉上蔵町100岩倉具視幽棲旧宅②大久保利通の有待庵の元の場所京都市上京区新夷町有待庵参考大久保利通茶室、岩倉具視旧宅へ移築明治維新の縁、京都市方針京都新聞(2019.9.4、参考)大久保利通の茶室「有待庵(ゆうたいあん)」の移築について、京都市は国史跡「岩倉具視幽棲(ゆうせい)旧宅」(左京区)を優先候補地に早ければ2020年度にも復元、公開を目指す方針を固めたことが3日分かった。岩倉は大久保と並ぶ明治維新の立役者で、
数年前から、神宮に参拝してます。大晦日の参拝とか、初詣とかではなく、札幌に用があった時の参拝です。中央区には、北海道神宮頓宮があります。そちらの参拝が多いです。もちろん御守りもいつもバックにあります。御神籤は基本的に引きません。大吉と凶とかが嫌だからですね~。でも、御守りは結構あります。社務所格好いいです!警務所太鼓北海道神宮は、1869年、「開拓民たちの心のよりどころに」と、明治天皇が北海道に「開拓三神」を祀るよう詔を出したのが始まりです。社殿灯籠本殿君が代、さざれ石、あ
おはようございます☀。昨夜は令和哲学カフェを視聴しました。令和哲学カフェ#658☕️令和哲学カフェのご案内☕️令和哲学カフェ今ここスッキリBeyondEverything時代のパラダイムが大きく変化しています。新型コロナウィルス感染拡大、そしてAIの台頭。今までの当たり前や常識が大きく揺さぶられ、「哲学」や「軸」がなければ、環境に左右され、変化に対応するだけで精一杯になってしまいます...www.youtube.com昨夜は、清国で起きた洋務運動と明治維新との違いを深めていきました。