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実は、わたしは安倍晋三総理が大和・西大寺北口で銃撃死されたことにこだわりを感じ続けています。なぜなら、佐藤栄作総理の妻、佐藤寛子さんがわが家、佐藤家は西行法師の子孫です西行=佐藤甚兵衛基治、の直系であると、回想録に書いておられます。ワンワールドと明治維新落合莞爾著さらに、落合莞爾著、ワンワールドと明治維新には『西行法師・佐藤義清のりきよは鳥羽上皇の命を受けて山林管理職の佐藤甚兵衛を置き、土御門のファンドを入れた』。つまり、北面武士の佐藤氏を中心に西行法師は
数年前から、神宮に参拝してます。大晦日の参拝とか、初詣とかではなく、札幌に用があった時の参拝です。中央区には、北海道神宮頓宮があります。そちらの参拝が多いです。もちろん御守りもいつもバックにあります。御神籤は基本的に引きません。大吉と凶とかが嫌だからですね~。でも、御守りは結構あります。社務所格好いいです!警務所太鼓北海道神宮は、1869年、「開拓民たちの心のよりどころに」と、明治天皇が北海道に「開拓三神」を祀るよう詔を出したのが始まりです。社殿灯籠本殿君が代、さざれ石、あ
「幾度か辛酸を経て、志始めて堅し、丈夫玉砕して甎全を恥ず」西郷隆盛の言葉である。この言葉は、幾多の苦難を乗り越えることで、初めて志は固くなるという意味である。そして、男なら玉のように砕けても、瓦のように安穏に生きるのは恥ずかしいと説いている。現代を生きる私たちも、人生において様々な困難に直面する。しかし、西郷の言葉は、どんな困難にも屈せず、自分の志を貫き通すことの大切さを教えてくれる。例えば、目標達成のために努力を続けている時、挫折しそうになったり、途
作家の見延典子さんの講演を聞きました桃井かおりさん主演の映画「もう頬杖はつかない」の作者さんです札幌南高校卒で早稲田大学第一文学部卒結婚されて広島在住と知りびっくり2008年には「頼山陽」(徳間書店)で第27回新田次郎文学賞を受賞頼山陽の研究をライフワークにされています頼山陽史跡資料館には時々行きますがまったく知らなかった・・とってもきさくでパワフルな方で講演のタイトルは「明治維新とは何だったのか~北海道に渡った先祖たち」明治維新の大嵐の中を生き
本書が出たばかりの時は気になるタイトルながらかなりの順番待ちで諦めていましたが先日、図書館に行った時に棚にあったので借りてみました↓一冊でわかる江戸時代(世界のなかの日本の歴史)Amazon(アマゾン)正直、江戸時代260年、しかも将軍の人数だけで15人ですから「一冊でわかる」というのはどうなんだろ?と、疑心暗鬼の気持ちもありましたがさすが!大石先生!わずか220ページという薄さでありながらもかなりの濃い内容でした。特に大石先生の中立的であろうとする言葉に
2か月振りの投稿、待っていました。内容を何度も読みたいので、シェアします。
NHK大河ドラマ「篤姫」の再放送それにしても面白い明治維新を徳川の側から描き権力を無くしていく幕府大奥を丁寧な心理描写を通して描き切っている聞けば「独眼竜政宗」のBSでの再放送もやっているとか東北の暴れ龍と言われた大大名の生涯を丁寧に描いた作品おそらく歴代、最高視聴率だったと思う三つ目の作品は「カムカムエヴリバディ」昨日から放送が始まった異色の三部構成でありながら息をも継がせぬ展開で視聴者を釘付けにした本放送の大河ドラマ「光る君へ」も面白いが再放送の三作品
26-1.明治維新の世界史上の意義①当時の世界情勢を一言で言い表すと、大植民地時代ということになるでしょう。つまり、欧米列強諸国が互いに争ってアジア・アフリカを侵略し植民地を作り、現代では考えられないような酷い非人道的搾取と支配を行っていた時代です。この当時の白人たちは、有色人種を自分たちと同じ人間だとは考...yamatokotaro.blogspot.com
10年たらずで幕藩体制を中央集権国家に変革し、民主化革命、自由化革命、人材登用革命を成し遂げた明治の先人たちの苦闘。■転送歓迎■R06.11.17■76,978Copies■8,758,557Views■過去号閲覧:https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776■1.海外からも高く評価されている明治維新日本は、1854年の開国
内容紹介(出版社より)薩摩藩の下級武士に生まれ、薩摩藩のリーダーとして明治維新の立役者となった西郷隆盛。西南戦争で武士の時代の終わりに殉じたその生涯を、50の謎とともに読み解く。「明治維新にどのような役割を果たした?」「なぜ西南戦争を戦わなければならなかった?」「西郷家はその後、どうなった?」などなど、知っていそうで知らない疑問がよくわかる、大河ドラマの予習にピッタリの1冊。序章隆盛以前の西郷家と薩摩藩1章隆盛の登場と幕末2章明治新政府での葛藤3章西南戦争とその後の西郷
#坂本龍馬土佐藩郷士の家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた#亀山社中(のちの#海援隊)を結成した。#薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕および明治維新に関与した。#大政奉還成立後の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町通蛸薬師下ルの#近江屋において暗殺された。実行犯については今井信郎による自供から、京都見廻組によるものという説が有力であるが、異説もある。
NHKでやっている【歴史探偵】という番組をご覧になったことありますか?私は元々歴史ものは大好きでこちらの番組は最近見始めたんですけどいろんな角度から掘り下げられていて現地調査や化学実験などもあり教科書では学ばないお話もいろいろあってとっても興味深くおもしろいです♪先日は、明治維新についてでした。たくさんの藩が乱立しあらゆる側面でカオス状態の中どん風に明治政府が日本を1つの強い国にまとめようと奔走したり西郷さんは、武士のみなさんは・・などなど混沌とした
弊著アスペルガー症候群のぼくがアイドルオタクになって救われた話では私が社会科が得意で、歴史好きだったことを書いています。今回はなぜ廃藩置県がうまくったのか明治維新で300余りの藩を廃止して府や県が置かれることになりますが、ここでもよく暴動が起きなかったなぁ~と疑問に思っていました。藩主の地位を奪われるのですから抵抗する藩主がいてもおかしくないのですが、割とすんなりことは運んだようです。セーフティネットをうまく作ったからではないか
私の住む長崎県大村市、嘗ては大村藩であった。石高は二万八千石と言う小藩であった。ところが、大村藩の勤王三十七士は明治維新、新政府によって爵位を受けている。その中でも渡邉昇公はただ1人子爵号を受けているのだ。その渡邉昇公は剣の達人として名を馳せていた。江戸の練兵館道場で修行し、桂小五郎の次の塾頭となっている。この道場は現在靖国神社の境内にあり、今は跡地の標柱が建てられている。最近渡邉昇公をモデルとした『琴海の嵐』と言う本が出版され、幕末における大村藩の有り様や渡邉昇公の行動力の凄さや剣の名声
\#歴史探偵今回は#明治維新/日本の大きな転換点「明治維新」実は新政府は資金不足に兵力不足からのスタートだった!?課題を一挙に解決した電撃作戦💡明治政府の苦悩と挑戦に迫る歴史探偵🔎明治維新新政府の挑戦13日(水)午後10:00〜日本の大きな転換点「明治維新」。実は新政府は、資金不足に兵力不足のどん底からのスタートだった!?課題を一挙に解決した電撃作戦とは?明治政府の苦悩と挑戦に迫る。←予告動画日本史上屈指の大改革・明治維新を徹底調査!実
奥山景布子著「葵の残葉」という本が今月の読書会の一つのテキストだ。それを読んで、幕末に松平家の四兄弟が敵味方に分かれたことを知った。松平容保は知っていたが、兄の徳川慶勝、茂栄と弟の定敬のことは知らなかった。尾張徳川が官軍についたことが明治維新に大きな役割を果たしていたことは知っていたが、これほどの葛藤があったことは知らなかった。明治以降、歴史は薩長のいいように書かれた。だが、「下の者に罪をなすりつけ、上にある者は何事もなかったかのように生き延びる」ーという言葉心に突き刺さる。
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。佐々木只三郎シリーズ前回のお話はこちらから『佐々木只三郎①
「小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である」吉田松陰の言葉である。この言葉は、人の成長と品格を深く洞察したものである。外見や表面的な評判ばかりを気にする「小人」とは、自分の価値を他者の目に依存する者のこと。彼らは周囲からどう見られているかばかりに心を砕き、内面的な欠点を省みることが少ない。一方、松陰が言う「君子」とは、内なる誠実さや徳を重んじる人物。彼らは自分の内面、つまり心のあり方や行動の正しさを常に反省し、改善しようと努める。自分の内
日本の幕末坂本龍馬は日本を洗濯し直したほうがいいといいました。その言葉通り徳川幕藩体制が終わり明治維新が始まりました。今このとき日本だけでなく、世界も、ここらで一度洗濯しなおした方が良くないですか?第二次世界大戦終結から80年。その頃に良かれと思われていたことが行き詰まっていませんか?例えば日本の場合は亭主関白家庭を前提にした高度経済成長、世界の場合は戦勝5ヵ国中心の安全保障。小手先の弥縫策では効果はないです。根本的にやり替える必
「順境にある者は怠りがちである、また、逆境にある者は励みやすい」吉田松陰の言葉である。この言葉は、私たちが直面する環境と心のあり方を見事に捉えている。順調な時、私たちは安心感に包まれ、時にその心地よさに流されて努力を怠りがち。成功は当たり前と錯覚し、気づけば自らを磨くことを忘れてしまう。しかし、逆境に立たされたとき、人はその困難に立ち向かおうとする強い意志を持ちやすい。困難が目の前にあるからこそ、それを乗り越えようと奮い立ち、努力を重ねる。逆境こそが、時に人間
CarmenBlacker氏によるTheJapaneseEnlightenment:AStudyoftheWritingofFukuzawaYukichiのレビュー。Blacker氏はイギリスの日本研究の第一人者で、ケンブリッジ大学の教授でもあった。Blacker氏は1952年に日本に訪れ、慶應義塾大学に留学していた。JapaneseEnlightenment:AStudyoftheWritingsofFukuzawaYukichi(Univers
シュウジNiJiさんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me家を午前中に出て地下鉄谷町線乗り谷町六丁目駅で降りて、会場に向かう前に昼ごはんをジャンボ酒場で済ませましたお好み焼き定食ランチ頂きました。会場近くで一服してから会場であるシアターOMに着いたら一番乗りでした。受付済ませて座席座りチケット今日は西南の役明治維新後の1部の反乱武士と政府側のいざこざ西郷さんも関係ありなかなか良い作品でした。活弁OMの後半は先月のドイツの旅
9日の日経の19面、「大機小機」というコラムで教育制度のことが書かれているのだが、その中で面白い指摘があった「明治維新からの約150年間は終戦を境に前半の約75年間と後半の約75年間に分けられる。前半ではでは年限を含む学制改革が少なくとも4回実施されたものの、後半では6・3・3・4制の枠組みが微動だにしていない。・・」一部抜粋え、そうなの?確認してみた明治維新(1868)〜第二次大戦終戦(1945)77年第二次大戦終戦(1945)〜現在(2024)79年
理由:三島由紀夫が言うように日本民族は内発的な革命が出来ない。その原因はわからぬが、とにかくこの民族は革命を内から起こすことを成し遂げようとはしないし、その考えさえも持ったことが無いように思う。近年の日本国の衰退もこの内発的革命を起こせない民族性に起因している。事実として日本国は世界で偉大な国の一つとなった。それは人類の共通した認識だと思う。しかし、その偉大さはただ外的な要因によって成し遂げられたことを忘れてはならない。1960年代の高度経済成長で日本国はとても豊かな国となった。だが、そ
10月末に行われた時代祭。久々に観に行きました。道路に馬車があるのは、ミスマッチで面白い。待機中。本番は御所から出てきますが、全ての行列が中に入って待機しているわけではないようです。幸運にも関係者席で観ることができました。この用紙が手に入ったら特等席で観覧することができます。京都御所は広大で直前に来ても割と良い場所から観ることはできるので、無くても構わないと思います。ただ立ってなければならなくなる。いよいよ開始。まずは明治時代から維新勤王隊列つぎは志士列桂小五郎
令和6年11月9日(土)いつでも嬉しいHz、ありがとうHzの並行世界に即移行できる、素敵な言葉をご紹介します♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。By吉田松陰幕末の長州藩士、明治維新の精神的指導者1830~1859・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時に、日々の些細な努力が果たして意味のあるものなのか、ふと疑問に思うことがあります。しかし、今朝引き寄せた吉田松陰の