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lie?-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be検証!明治天皇すり替えは可能だったのか第1話謎の人物「大室寅之祐」の正体憲政史家倉山満月刊カレントライター佐々木大輔裏くらら【チャンネルくららサブch】-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップ
中京区、河原町二条交差点。京都市役所、京都ホテルオークラをはじめ、ビルが集中し立ち並ぶ場所。この日は早朝で交通量の少ない時間帯でしたが、日中は市内オフィスの活動拠点でもあり、一際にぎわう場所。そんなビル群を縫うように走る細い参道。ちょっと見過ごしてしまいそうな目立たなさですが。ここに浄土宗寺院『法雲寺』があります。正式名称は『清水山洗心院法雲寺』といい、古い歴史を持つお寺。そして、最近では現在放映中のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも登場した俳優・段田康則さん演じる藤原兼家の隠居所
慶応四年(1868)一月三日の七つ半刻(夕方5時頃)、鳥羽伏見の戦い、そして戊辰戦争のはじまりを告げる最初の砲声が鳴り響いたのは、鳥羽街道小枝橋の南の付近でした。前日に討薩の表を掲げて大坂を出陣した旧幕府軍のうち、淀城を経て鳥羽街道を北上した部隊は『復古記』第九冊収録の「軍配書」によれば陸軍奉行竹中丹波守重固の指揮のもと秋山下総守歩兵一大隊小笠原石見守歩兵一大隊谷土佐守砲兵二門桑名藩四中隊砲兵六門騎兵三騎築造兵四十人松平右近将監家来三十人と
皆様ご存じのように、幕末初期の長州藩は「尊皇攘夷」の旗を掲げたテロリストが跋扈していた。欧米諸国との力の差を直視せず、ただただ攘夷を叫びテロ行為に走る連中の中には、頭目の高杉晋作をはじめとして伊藤博文、井上馨と言った後に薩長政権下で国政を壟断した輩も多数存在していた。ただ、長州の名誉のために断っておくと、当時の長州にも尊攘テロリストのような連中と違い大局観を見据えて行動しようとした者もいた。それが今回紹介する長井雅楽である。長井雅楽(諱は時庸)は藩内でも大組士中老の嫡男として生まれ、その家
こんばんは♪京都旅行2日目の朝は大原へ。バスと地下鉄を乗り継いで戻ってきましたが、それぞれで爆睡でした😂12:13大原発12:36国際会館前着バス🚌12:49国際会館13:03烏丸御池地下鉄🟢13:07烏丸御池13:12東山地下鉄🧡2日目は1日乗車券を利用してたので東山からまたバスに乗るつもりでしたけど、旦那が4日前?旅行の直前に買ってきた本で紹介されてたルートを歩いてみました。『ライカと歩く京都』とっても読みやすくて旦那も私も一気読みしてました。
「5分前は人間だった…」大佐だ。…………前回の「凶化合宿」。田舎の美しい景色から、リアルゴッサムシティの東大阪に帰って来た😓さて今回は、ひょっとしたら大化けするかも知れない「侍タイムトリッパー」(自主映画)を観てきたぞ👍自主映画で低予算ながら、太秦スタジオが全面協力した本作品だ。時は幕末、京のまちで倒幕側と幕府側がチャンバラバトルをしていた所、雷に打たれ、現代の京都の太秦映画村にタイムスリップしてしまった幕府側の侍。1人の女性が暴漢に襲われてる所、時代劇の主人公が現れ、かっこよく決めるも、侍
泣く気マンマンで入手しましたよ!幕末会津藩のお話です。ちょっとマイナーかもしれませんね。ちなみに古本を買ったのですが、今は絶版の様子。珠玉の物語だと思うのだけどな!「修理さま」とは会津藩士の神保修理(じんぼしゅり)のことで、ドラマ白虎隊では主役級で登場します。もう何度もわたしのブログに登場している名作ドラマ……国広富之さんが演じていらっしゃいます。そして雪というのは修理の新妻である雪子のこと。池上希実子さんが演じていらっしゃいます。神保修
この画像は、だいぶ前に私が脚本を書いたOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)、「るろうに剣心追憶編」の一場面である。幕末の京都で、「人斬り抜刀斎」と呼ばれ佐幕派から恐れられる主人公・緋村剣心が、今まさにその「人斬り」をしたばかりのシーンだ。自分の、しかもかなり前の作品を話題にするなど、脚本家としては棺桶に半分片足を突っ込んだも同然なのだが(笑)、この作品は十数年前の発売以来、お陰様で多くの方々に愛され、海外にもいまだファンが多く、つい最近もネットで期間限定の無料配信があったりし
水口の大岡寺にはホームページなどでは紹介されていない、油川信近ら幕末に活躍した志士たちの招魂碑が建っていました。前回の油川信近に続き、残りの4人について簡単にですが紹介したいと思います。2.豊田美稲(とよだよしね)甲賀郡池田出身。天保三年(1832)生まれ。通称は謙次。二十歳の時に家を出て諸国を遊学し、江戸で塚田孔平に北辰一刀流を学んだといいます。肥後の宮部鼎蔵・松田重助らとともに池田屋事件の過激浪士たちの中心人物の一人でしたが、宮部とともに浪士たちの過激な意見に対しては慎重な
浜松市のある交番の前。科捜研のポスターが貼ってあって驚いたです。同業者と言えば同業者だろうけど、しっかり番宣しちゃってるし(笑)幕末にて話題だった新選組。僕はガキンチョの頃から歴史は好きでした(特に幕末)「なぜに遠州から新選組隊士がいないんだろ?」と疑問もありました。それは仕方ない事なんだけど、浜松には元新選組隊士、元幕臣として住んでいたし墓も浜松にあります。一人は、幕臣・大島寅雄。函館戦争で投降した後に色々なとこでお預かりの身になり、最後は浜松藩お預かり。
今日は...ちょっと趣向を変えて...ロマンチックなお話しをご紹介しよう。女子萌え胸キュン・ストーリー。第14代将軍、徳川家茂。NHK大河ドラマでも描かれているが、気品ある年若い将軍様だ。彼が愛した妻・和宮とのロマンスは様々に語られているが、本当に仲の良い夫婦だったらしい。家茂の父は第13代紀州藩藩主・徳川斉順。一橋家同様、将軍を出す権利を有していた清水徳川家から養子として紀州藩に迎えられ、藩主となった人物だ。父は第十一代将軍徳川家斉。紀州藩主であった期間は21年間と言うか
ドラマ「君とゆきて咲く」を見て新選組や幕末に興味がわき色々な本を読むようになりましたこの本もそのうちの一冊図書館で借りてきました!ドラマにも出てくる桂小五郎坂本龍馬松蔭先生の名前にテンションが上がります直筆を見ることで活字からは伝わらない勢い息づかいが伝わってくるような気がします数年の間にものすごい勢いで勢力もそれぞれの考え方も変わっていくのでなかなか理解が難しいですがいろんな本を読んだり実際に京都などに足を運んだりして本当に少しずつですがわかるようにな
今日は、補足的な意味で「武威」に関して論じてみたい。というのも、この「武威」は、日本における武士の思想「武士道」や武士が考え出す国防方針・攘夷論などに多大な影響を与えているからだ。まず「武威」の意味だが、国語辞典的には「武力の威勢」「武家の威光」という意味となる。しかし、その具体的な内容となると広範囲だ。武力と、その武力を背景にした影響力。武士個人の強さや武術の巧みさも含むし、その武士が属する家の名や武士個人の名の影響力も武威に含まれる。つまり、「武名」も「武威」の一つだ。ここで重要な
侍タイムスリッパーを観て来ました初めは2館だけでの上映が、人気が出て拡大上映された作品レビューも高評価です侍タイムスリッパー侍タイムスリッパー時は幕末、京の夜。会津藩士・高坂新左衛門は、密命のターゲットである長州藩士と刃を交えた刹那、落雷により気を失う。眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。行く先々で騒ぎを起こしながら、江戸幕府が140年前に滅んだと知り愕然となる新左衛門。一度は死を覚悟したものの、やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と、磨き上げた剣の腕だけを頼りに撮影所の門を叩く
ホテルに荷物を預けたあとは、行きたかった場所へ‼京都駅で市バスと地下鉄の1日乗車券を買ったので、1日目はフル活用することに。まずは、市バスで四条烏丸から東山安井へ。インバウンドの人で混むと聞いていたのですが、午前中だったからかそれほどは混んでおらず。行きたかったのは、霊山護国神社と霊山歴史館。漫画がきっかけで、親子で幕末の歴史にハマっているので、関連するところに行きたくて。[新品]だんドーン(1-4巻最新刊)全巻セット楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEX
幕末リーダーに学ぶリーダーシップは、やはり不合格でしたまあ、中途半端に合格になるよりは良かった。再度勉強し直して、合格したいと思います。ミッション私たちは何のために働くのか[岩田松雄]楽天市場1,694円${EVENT_LABEL_01_TEXT}最近、読みました。こちらも通じるお話で、私的には頭の中で思い描けるのでわかりやすかったです。歴史的なものだと、どうもうまく描けず。。。ただ、ボディーショップ、スタバとも購入経験はあるけど、ここ何年も足が遠のいている場
赤池集落に駐屯し薩摩藩からの連絡を待っていた見廻組でしたが、一方の薩摩藩は既に赤池を包囲するように陣を布いていました。この所、味方の地理十分の場所なれば二三軒百姓家を借り入れ、陣所を定め、大砲隊、六番隊等談合し、城南宮社前に前後左右へ手配し、街道正面へは大砲一門、左脇に五番隊そのまた左に横打ちに大砲三門、城南宮うしろの油小路にかけ加世田隊、高岡隊、伊集院隊を立ちつける。右の方、川原竹山中へ六番隊横矢を打ちわけにて隠れ伏す。~『薩藩本府五番隊長野津鎮雄日記』街道へは御城下五
さて、「~じゃないかと思う」という妄想話ばかり続けていても仕方ないので、そろそろ事実関係の検証を出来るかぎりやってみようと思います。藤堂平助は自ら「藤堂和泉守(高猷)の落胤」であると名乗っていたわけですが、津藩32万石の太守・藤堂高猷の子であると名乗る事は、当然ながら同時にその嫡子藤堂左近衛権少将高潔の弟であると名乗る事であり、その弟で筑前福岡藩47万石のお世継ぎ黒田長知の弟と名乗る事でもあり、同じく弟で播磨龍野藩5万石の太守脇坂淡路守安斐の弟と名乗る事でもあり、同じく末弟(平助より年下)
今や知る人ぞ知る年末の風物詩なのだけど、その昔、年末になると時代劇スペシャルっていうのが日本テレビで放送されていました。これがなかなかの大作で、後々語り継がれるような名作の数々が生まれています。その中でも評価が高いものの一つ、白虎隊。リアタイで家族でテレビを見た記憶がありますが、何せ子供だったもので、よくわからないところも多かった。もう一度見てみたいなーと思ったのですが、残念ながら配信とかはしてないらしい・・・?(時代劇専門チャンネルとかではたまに放送してるのかしら??)かくなるう
2024年08月07日(水)20時03分48秒の記事を復刻これはワロタwww是非ポストのリンク先を見てくださいよw自分の頭で妄想や嘘を考える人ってversionが2.0になるとスゴイんですね!アプデしたらバグだらけになっちゃってるんですか?明子さんネタ(人''▽`)ありがとう☆ほー、戦前の日本人は天ぷらとか食べなかったのか。へー。で、突っ込まれたら「江戸時代は近代!(ー`дー´)キリッ」って言ってるけど、なんかそれさらに突っ込まれるでwww👇ツッコんどいたけどw
2024年夏のコミックマーケットで発行した同人誌『歴史企画研究叢書11輯幕末期の学問』の通信販売開始のおしらせです。本書は、当初サークル「歴史企画研究」を主宰されていた研究家あさくらゆう先生の元で作成され、2023年に発行される予定でした。しかし、あさくら先生が急性骨髄性白血病を発病されて長期入院を余儀なくされ、ついに去年9月に他界されてしまわれます。生前、故あさくら先生より「原稿を托すから世に出して欲しい」と依頼されていた私が本書の製作を引き継ぎ、この度の夏コミケの新刊として、サーク
ども。TreeFieldです。今回は新しく刀掛を購入しました。今まではamazonで2000円程度で購入した間に合わせを使っていましたが、徐々に刀が増えていき、複数掛ける事のできるものを探していました。実際に刀を購入して気づいた事・・・本歌拵えと白鞘では太さが違う為、白鞘では刀掛に掛けにくい。。居合刀は白鞘がないので気にも留めていませんでしたが、真剣は大抵白鞘で保管するので本歌拵えよりもかなり太いです。その為、刀掛に嵌りません。なので、今回は白鞘でもきちんと嵌る
新撰組は幕末に活躍した侍集団です。10年前、私は彼らと出会いました。新撰組といったら、この旗!こう書くとロマンチックですが、ひらたくいうと取り憑かれただけです取り憑かれている間は、口を開けば新撰組のことしか話せない状態。新撰組内部の抗争のこと。隊士のこと。どんな思いで京都にやってきたのか。当時は自分でもひくくらい本を読みあさり、新撰組のことを語っていました話につきあわせた友人達よ、スマン戊辰戦争を描いた大河ドラマ『八重の桜』で
紹介が前後しましたが、鞘カバーが完成して届きました。今回はかなりキツくてぴちぴちです。きつくて着脱に少し手間がかかります。同封の手紙に、きついですが使っているうちに伸びて緩んでくると思いますと書かれていました。ただ、前回の大刀の時は少し緩かったのですが、使っている間に革が締まってきてちょうどよくなると思いますとか書かれていたような気もします・・・まあ、どちらもキツかった時と緩かった時の言い訳の定型文なのかもしれません(笑)細部は多少気になる所がないわけでもあ
↑幕末期の拳銃今日は、東中野にある酒場「14」で、火縄銃に関するイベントが開催されたので参加して参りました。お店の公式サイトはこちら14へさて、君が辿り着いたのは木製の木の扉の前だ。古びた釘で「14」と記されている。とある死んだガンマンがやっているという、曰くつきの酒場だ......。扉の下にはボロボロの紙束が落ちている。一番上の紙には「14簡易案内書」とだけ文字が書かれている。勇気を出して扉を開ける急いでいるので(まさか怖気づいたのではあるまいな?)簡易案内書に目を通
後醍醐天皇が倒幕の軍を起こした時、鎌倉幕府は「天皇、御謀叛」と言った、といいます。謀叛というのは、下の者が植えに対して逆らうことを言うわけだから。つまり、幕府の執権ほうが、天皇よりも偉かった、ってことなのか?違います。天皇が「御謀反」したのは、執権に対してでも幕府に対してでもありません、「日本国」に対して、です。後醍醐は国家秩序を脅かしたんです。どんな帝王でも、従わなければならない「天の節理」ってものがあります。ときの天皇個人よりも、日本国が長年の間に築き上げてきた国家秩序のほうが、
前回の記事『沖田要氏』の最後に書きましたとおり、沖田要さんの写真をもとに沖田総司のコラージュ写真を作成してみました。あれ?イケメンじゃね?(笑)どうでしょう。『新選組一番組長沖田総司の生涯』掲載の沖田要さんの写真の顔部分を切り取り、ドラマ『新選組血風録』の1シーンから島田順司さん演じる沖田総司の顔に貼り付けてみました。本当は著作権のない古写真を使用したかったのですが、文庫本の写真はドット(点)で出来ているので貼り合わせるとどうしても不自然になってしまうため、色味が
2024年7月21日(日)、滋賀県守山市古高町の福寿院にて、古髙俊太郎さまの160周忌を迎えるにあたり、第160回俊太郎祭『古髙俊太郎先生没後160年祭』が神式にて執り行われましたことをご報告申し上げます。5年に1度執り行われる俊太郎さまの慰霊祭ですが、今年も快晴で(過去、私が参加してきた回は毎回晴天に恵まれており)俊太郎さまのご加護とご人徳とを感じ、より一層強い思いで、俊太郎さまを偲んでおりました。近年の異常気象で、本当に……本当に暑くて……駅から徒歩で向かったのですが、辿り着く前に
8月に受けた幕末リーダーシップの成績は、Bでした。修得済み単位112残りの単位12✃やはり。Bを取ると下がる。受けずにそっととじるも、下がる??2.73⇒2.7です✃停滞してますね〜モチベーションもね〜1年後以降は大学ネタも減るからなあ〜✃
先日テレビをみていて気になった写真があったので少し検索してみたら面白い写真をみつけました。↑幕末のフランスで撮られた写真。文久遣欧使節団の一員の写真です。テレビにこの写真が映ったのを見た時に「柄巻きが片手巻きだ」と思って、もう少しみてみようと思い検索してみました。なんとなく、幕府のエリート官僚がこういう刀装なのが気になったのです。検索すると、随員が全員パリで個人写真を撮ったようで画質の良い武士の写真がたくさんありました。それらを見ていると、私のイメージとは少