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はぃどーもこんばんわぁぁ。いやーお暑うございます♪とは言いながら、アタシは暑いのが好きなんですけどね。暑くてもアイスコーヒーはNG。さて。先週はいつの間にか三連休だったんですね。気がついたら連休3日目でした(ノω・、)でだ。お買い物ついでに小一時間ほどかけて、お隣の気仙沼市まで足を伸ばしてみました。久しぶりの国道45号線の旧道レポです(*^ー^)ノ気仙沼市、っというか、旧・唐桑町と旧・気仙沼市の境にある「唐桑トンネル」。今まさに「三陸縦貫道路」の一部と
■オホーツクじみりんデータ集■【金八峠鴻之舞ルート】=出入口=・道道307号沿い(金八トンネル紋別側入口より約1.5km手前左)看板無し・道道307号沿い(金八トンネル丸瀬布側入口の左手)看板無し※伐採現場があるためか、現在2021/5月時点、ロープで進入路を塞いでいる=支線=あり=交通量=ほぼなし=動物=熊糞ありシカキツネ=じみりん度=C=MEMO=このデータ集は紋別の鴻之舞からのルートです丸瀬布側からのルートは別途デー
水抜きされた五十里ダムの湖底から現れた旧会津西街道の遺構です。2017年11月13日撮影2017年12月現在栃木県日光市の男鹿川(利根川水系)に作られた五十里(いかり)ダムはダム堤体に穴をあけ新たな放水路を作る工事を行っているそうです。五十里ダム堰堤改良事業http://www.ktr.mlit.go.jp/kinudamu/kinudamu_index051.htmlその改良事業のためにダムの水位が下げられ普段では眺めることが出来ない光景が広がっています。男鹿
【23年9月3日探索・24年4月27日公開】現在地はこの辺国道400号線としては旧旧道になる、回顧トンネルの旧道は車が入れないようになっていたが時折歩行者がいるのか、それほど荒れてもいなかった。先の方に何か石碑があるが・・・立松和平氏の文学碑だった。その先、遠くには国道400号線旧道が見える位置まで来たんだが、その手前側が怪しい事になっているのが見て取れた。この橋近辺だけ廃オーラがすごいことになっていた。親柱を確認したが、銘板などは
今日は午後から仕事だったんですが午前中は休み・・・貴重な半日休を有効利用しようと早朝から早起きして福島県道6号線の山森峠旧道の散策に出かけてました場所はここ郡山盆地と猪苗代湖を結ぶ峠。すなわち太平洋と日本海の分水嶺に当たります。この前の日曜日にとりあえず行ってみましたが・・・想定外の廃道振りに驚きまして途中で引き返しました。今回は準備を整えて再チャレンジです現在の三森峠は長大な三森トンネルによって結ばれていますが・・・それでも郡山側にはヘアピンカーブがあっ
2020年9月22日、謹慎明け東濃~中濃徘徊の2日目。この日のネタで記事にしているのは、二つのメインターゲットである朝イチの白川付知林道シデノキ旧廃道とその周辺と、午後の飛水峡の飛騨川右岸歩道。今宵と明日に分けてご紹介するのは、飛水峡の飛騨川右岸歩道探索の直前に訪ねたところ。業界(謎)ではかなりの有名物件なので、すでに多くの訪問レポートが存在するが、近いうちに(というか既に)この一帯に「大きな動き」があるという情報を得たので、ならばわたくしも今のうちに、と急遽記事にしておく。
本題の前にこれは、まだマシ?だった昨夜の高岡市内(渋滞中)広い道路の真ん中にこんもりと積もった雪の場所は万葉線少し真ん中の雪の量が少ないのは除雪車が通ったから?この区間は複線で対向車側の雪の山の部分も軌道です昨日、今日と、ここに列車がやってくることはありませんでした...保線の方が雪かきやポイントの確認をされている光景は見ましたが....趣味の時間だったら写真パチパチな光景なのですが余裕なしですそして本日、ついに富山は積雪100cmを突破し、126cm高岡115
【23年9月3日探索・24年4月26日公開】現在地はこの辺栃木県那須塩原市関谷国道400号線旧道だ。ほとんどの車は2011年に開通した新道のがま石トンネルを通りこの区間を通過している。そんな旧道なんだが、この左側には・・・旧旧道があった。前の画像に写っていた橋は石安土橋、昭和47年(1972)架橋なのでこちらはそれ以前の道路という事になる。ちなみに国道400号線になったのは昭和57年(1982)なので旧旧道は国道であった期間は無いようだ。旧旧道の橋だ。橋梁名
国道257号、かおれトンネルの旧道部分に静かに佇む「老谷(おいたに)橋」。場所はここ。Q地図様によると、・完成年(度)1966年(S41年)・延長58.6m・幅員4.5m東側からのファーストコンタクトがこれ。鉄骨が少しサビているのも味のうち。元国道とはいえ、この幅員はせまっ!!看板「老谷橋OitaniBridge」が誇らしげ!!そして正対。親柱は石のパネル??みたいな。お名前は、「老谷橋」。河川名は、馬瀬川。(
9月初めに武庫川中流の気になる橋を見に行ってきた。この時行ったところはココとココを参照。H14に新トンネルが出来て放棄された昭和の鐘ヶ坂トンネルへ行ってみた。ちなみに明治の鐘ヶ坂トンネルはだいぶ前に訪問済。場所はココ↓峠のトンネルを書き込んでみた。丹波市側の標高が低いので、そっち側の線形不良が目立つ。鐘ヶ坂峠は登坂車線も整備され、快適に走れる道となっている。かつては狭い2車線道路やったのにな~。峠の途中でト字分岐。それが旧道の入口。なお、この旧道分岐のトコ
【福井市側】より続く。鯖江市側に回る際に、当然のごとく新トンネルを通ることになったがこーんな快走路(笑)。遠くに見える新トンネル、旧トンネルはあの直上奥あたりに開口していた。で、これが新トンネル。さすがに立派ですな。銘板によると、2013年10月完成となっている。通常、完成して即供用ってわけではないことを考えれば、旧道はまだ一線を退いて一年も経ってなかったと思う。ところで、「戸口」かあ。戸「の」口じゃないのね。
2日目(1/4)より続くスピードおとせサイフおとすなナイスな標語。[和歌山県海南市]「山橋」。これもトラス橋。[和歌山県海南市]貴志川南岸の県道を東へ。10時半頃紀美野町に入った。[和歌山県海南市]国道に戻って東へ。30キロちょっと、この国道を走ることになるのかぁ。[和歌山県海草郡紀美野町]引っかかった丸太のように見えるが、これは沈下橋。水害で壊れて放置状態。[和歌山県海草郡紀美野町]貴志川北岸の国道旧道を走ってたら、酒の廃自販機が
皆様、おはようございます。今日は多屋祭礼初日から、多屋町5丁目交差点(セントレアライン側道との交差点)横断編をお送りします。この日私は朝10時近くに近所のベイシアへ買い物に行きましたが、途中我が地元多屋の山車海椙車が石神道路を出て常滑街道の一本東の旧道に入って行くのを目にしました。その後、多屋公民館の玄関前を通ると・・・。海椙車は曳き廻しの最中は、後部に追幕を飾りません。そして公民館に隣接する海椙車の鞘蔵の中には、トコタンのデコ山車が納められていました。
【21年11月21日探索・22年4月22日公開】明智第二トンネルの歩道を歩く。920mの間、特筆すべき事もなく・・・約10分で反対側に抜けた。すぐ、右側に分岐がある。これこそが旧道だ。右側に渡る前にこの先に建っている看板を見ておこう。以前は明智平まで対面通行だったのが、全区間一方通行になったという案内だった。今でも逆に走行する人はいるのだろうか?現在地はここ1枚前の画像の場所から道路を渡り、来た方向を振り返った。右が現道、左が旧道である
【旧廃道篇】より続く。現れましたる、素掘りの洞内をモルタルで巻いた、シンプルな廃隧道。扁額も銘板もないが、お名前は「柿ヶ野隧道」という。坑口脇には、このような旧々道とおぼしき平場があるのだが、5~6mほどでスパッと切れ落ちてしまっていた。路盤が崩落してしまったか、あるいは桟橋でクリアしていたのか。後者だとしたらかなりのファイト一発系(古ぅ)だったに違いない。かつて立ち塞がっていたはずのフェンスは、今やこの状
【11】より続く。13時2分。わたくしをさらに奥地へと誘い込む新たなる罠、登場。町道の新旧付け替えポイント。もちろん先人の記事で見たことはあった。地理院地図リンクはコチラ。ちなみに、四度目登場のこれで見ていただくと、こう。青色が現在地だが、赤色、すなわち先ほどまで見てきた未成道の終端との至近っぷりが伝わると思う。これはやはり、ひと続きの道として建設されたうちの戸入側は供用され、門入側は何らかの事情で放棄された、という流れだと思いたくなる。放
【23年11月4日探索・24年4月15日公開】現在地はこの辺国道413号線現道を横切るように旧道が両側にある。私は右側のバリケード脇から出てきた。手前には観音沢橋がある。左側は・・・バリケードは旧道ではなく(バリケード側の一部も旧道であったっぽいが)何かの施設になっていた。旧道は壊れたA型バリケードのある左側のようだ。道幅はもっと広かったんだろうが、残された旧道は続いているようだ。右に回り込むとガードレールの支柱が見えた。その先
2011年12月14日、初めての掛川探索。この日のネタで記事にしているのは、竜脇川橋梁、百合切隧道、牛渕隧道、大城隧道、檜坂隧道、岩谷隧道。今宵ご紹介するのは、時系列では大城隧道と檜坂隧道の間に訪ねた物件…というか道。本来なら「道路トンネル/隧道」テーマでやるような内容だが、ここ最近道ネタをやってなかったので…。まずはこれ。静岡県道249号掛川大東大須賀線、同じ掛川市内ではあるが字名が入山瀬から岩井寺に変わるあたりに、この立派な碑が建っている。台座には
与那の高ひらや汗はてどぅぬぶる無蔵にうみなしば車とぅばる無蔵と二人なりば一足なから与那の高い坂は大変だけど、好きなあなたと一緒なら車も通れる平らな道みたいなものでへっちゃらよ、な感じでしょうか。あまり難所越えするぞーな悲壮感はない・・・そんな与那節の碑が国道58号の与那集落の入り口にある。ここで歌われている高坂は与那と伊地の間の海に迫る小山のことで、昔から往来の難所だったという。大正時代に中坂と呼ばれる新道が開削されたのだが、荷馬車がやっとさ通れる程度のもの
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!この日の最後の調査地になります。富山県の辺境の地、利賀村へ入るのに、今でこそ新山の神トンネルを通ってR156から利賀村最深部まで容易にアクセスすることができるようになりました。新トンネルがなかった頃は山の神旧隧道を通ってこの地に入ることなど、選択の余地はなかったということです。そう、その昔からも生活道路として活用されなかった道路、それが山の神峠旧道の実態のようで
先日ミツバ製ドラレコ取付け作業して、作りも使い勝手も良さそうだったので、お客さんの作業終わって深夜にうちのデモ車なBuellにも装備しました😉👍ていうか前と後の車両で走行動画撮り合いっこ出来る方が楽しみかも(笑)で翌日早速試運転へエエ感じですねぇ♪さすが日本製❗猿谷ダム到着168から旧道に入ってすぐのとこでバイクが事故して救急車きてました危ないですね~😱その後は、のんびりコーナー楽しみながら?帰ってきました😁
皆さんこんにちは!さて、ここのところハマっている旧街道あるき。今回は山梨県に入って「旧甲州街道」を西に進みます。甲州街道は、東京・日本橋と長野県・下諏訪を結ぶ街道。古くから多くの旅人があるき、歴史の舞台となりました。そんな歴史の舞台となった場所を実際に歩いて旅することは、現代の「聖地巡礼」にも通じるものがあると思っています。ところで、甲州街道は、去年歩いた東海道と違ってアップダウンの多い道。距離はそれほどでなくても、なかなかハードな道のりが予想されます。特に今回歩く予定の「笹子峠
【21年11月21日探索・22年4月24日公開】現在地はここ15分ほど斜面を下って行ったら前方左側にコンクリート構造物、そしてその右、つまり私の目の前はとても下りられない急な崖があった。白雲トンネルの東側坑口の場所に辿り着いたようだ。トンネルの上に移動する。問題はどこから旧道に下りて行けるのか、だ。足下には「日本道路公団」の境界柱があった。トンネル坑口の右側に、旧道に下りて行けそうなスロープのようなものがあった。落ち葉が積もっていたので慎重に下り
【21年3月27日探索・5月7日公開】もうひとつ小屋が建っていた。現場事務所的なものか。それにしても、法面の年季がなかなかのモノになっている。小屋の少し先にA型バリケードが設置されていた。道路のテイをなしているのはここまでという事か。この「タワー」からはワイヤーが延びている。工事区間への資材運搬用と思われる。現在地はこの辺(中心地点)まだこの先はこれから工事といった感じだった。行けるようならそのまま反対側に抜けようと思っていたんだが、やめておこう
今回の全駅間歩きは中央線です。前回(3回目)で笹子駅に到達し、今回はいよいよ笹子峠を越えます。笹子峠はちょうど紅葉の季節、どのような景色が広がっているか楽しみです。<そのほかの中央線全駅間歩きシリーズはこちら>episode.0(東京-新宿)1回目(新宿-高尾)2回目(高尾-上野原)3回目(上野原-笹子)5回目(塩山-韮崎)6回目(韮崎-小淵沢)7回目(小淵沢-塩尻)11月16日(土)歩行区間:笹子~塩山天気:晴れ笹子(8:40発)-旧道分岐(9:15頃)-矢
【21年12月4日探索・22年2月18日公開】静岡県掛川市吉岡茶畑を抜けて進んで行くと・・・現在地はこのこの先100m位先にあるものが今回の目的地だ。元々通行量はあまり多くない道のようだが、その中でも正面に進む道がどう見ても怪しそうだ。ただ、正面は行けないような表記もないようなので進む。暗闇のような場所に突入するとすぐに現れるのがこの隧道だ。というか、この道、一応轍はあるようだが、大丈夫なのか?隧道1つ目、素掘りではなく巻立てられ
さて。久々の旧廃道ネタ。といっても、10年近く前の「没ネタ」です。写真を整理したら当時の写真がまだ残っていて。せっかくだから記憶をたどりながらまた乗せようかな、と。したがって、今現地がどうなっているかはまたおって・・・今回のエリアはここ。国道281号線を久慈市方面から盛岡方面に向かい、平庭峠に向うちょっと手前です。旧道、というには短い区間です。ショートカット、とは逆に、崖をよけて登坂車線と道路の線形改良がおこなわれた区間です(レポートは盛岡側→久慈市側の順です)。
【19年5月25日探索・9月9日公開】現在地はここ東京都八王子市戸吹町国道411号線上戸吹西という交差点だ。まずは今昔マップonthewebを見て頂きたい。昭和22年発行の地形図には国道の現道は描かれていない。ちなみに昭和27年発行の版では描かれていたので、少なくとも旧道落ちはその頃という事になろう。その、昭和22年の旧版に書かれていた「七曲り」の区間を辿ろうというのが今回の目的だ(注:都道176号楢原あきる野線の七曲り峠とは別モノだ)。国道411号現道は右カーブの道だが
今日は高強度の日何処でやろうか考えて、久しぶりに日本平でメニュ-をやる事にした。アップで一本上って、日本平ホテル側の上りでメニュ-をやる事にした。ラウンドアバウトがあるので、そこを起点にする事にしたが、1分走だともっと下から走らないと、距離が足りないので、調整しながらメニュ-をこなす。途中から、旧道にコースを変更。こっちの方が良かったかな。ロ-ラ-で行うよりも、実走はパワ-の管理が難しい。メニュ-こなして、
【19年10月20日探索・12月14日公開】現在地はこの辺旧道落ちしてから半世紀の道はずっとこんな感じで続いているが、路肩側1m程は明らかに下がっている場所が何か所かあった。道はこの先で左急カーブになる。急カーブの先は行き止まりだ。あれ、おかしいな?とりあえず、振り返って見る。ゴミ捨てを戒める壊れかけの看板と・・・旧・中川根町の壊れかけカントリーサインがあった。もう一度正面に向き合った。やっぱりそうか、ここには隧