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浜田光夫さんと松原智恵子さんお二人が出演した「徹子の部屋」は、いろいろ出てくる話には「ウン!ウン!」と頷きながら、楽しく笑いながら見ていました。テンポの良い、歯切れの良い話をされてる浜田さんは、やはりお歳のせいなのでしょうか、なんとも言えない話の間があり、少し心配になるほどでした。松原智恵子さんは、3年前にお見かけした時に、ずいぶんやつれて、お瘦せになったと思っていましたが、その時はご主人が亡くなられて一週間ほどの時でした。浜田さんに対しては、やはり先輩なので、浜田さんの話を立てておられる
【コメント】長くkpop界を見てきたけぽこさんに聞いてみたかったので…まず、私のKポペンとしての原点は超新星やF.CUZでした。彼らはもう二十代後半~三十代。メンバーが続々と兵役に行く中、不完全体で、ほぼ日活のみ。正直、アイドルとしての適齢期は終わりかけてるし、離れていくファンもいます。ですが、毎回イベントに駆けつけてくれるファンの方々は確実にいて、F.CUZはリリイベに一度行ったっきりですが、ファンもアイドルも顔見知りのような、暖かい空間で和んじゃいました。theunitの話題が出るたびに
"Reminiscence"KeiichiroAkagi-Movie"RedHandgun"-InsertSong(1961)「追憶」赤木圭一郎-映画「紅の拳銃」挿入歌(昭和36年)作詞水木かおる作曲・編曲藤原秀行KeiichiroAkagi-TheFoghornisCallingMe「霧笛が俺を呼んでいる」(セリフ入り)-赤木圭一郎作詞水木かおる作曲・藤原秀行(昭和35年同名の映画主題歌赤木圭一郎(1939年5月8日-1961年
昭和31(1956)年8月の夕刊の下のほう。右側、信用ある日活映画――。銭形平次でおなじみの野村胡堂原作『甲武信嶽傳奇(こぶしだけでんき)黄金地獄篇、人肌地獄篇』。ほぼ悪役という印象しかない名和宏が主人公というだけで貴重だ。しかし、真ん中の『アメリカン・プロレス名勝負激斗肉弾戦』というのも妙に気になる。動くアルプスことプリモ・カルネラや鳥人と謳われたアントニオ・ロッコ(ロッカ)の動く姿を大きな銀幕で拝めるというのも魅力的だ。力道山のプロレスもまだまだ黎明期。無骨なプロレスし
★新しい本を出すことを告知したのだが、あまり反応がない。秀樹の本のときと大違い。まあ、世間てこんなものなのだろう。★一人、浜田光夫についての質問があった。吉永小百合との共演でひと時代をつくった日活の俳優さんである。昭和38年の人気がこれ。それが昭和39年には第一位になっている。こういうことです。39年に吉永さんと共演した『愛と死をみつめて』が大ヒット、いちやく、青春スターの第1位になった。これが若いころの浜田光夫さん。浜田さんは悲劇の俳優といってよく、この後、昭和
記事を更新しました。ちょっと大作になったので、それなりの価格をつけています。記事の冒頭部分は無料公開しています。辛口記事です。ジェジュン日活8年目の鍵を握るアーティストとしての本質的弱点|久道りょう今回の記事は、日本活動8年目を迎えたジェジュンという歌手が今後、日本で生き残っていけるのか、また、活躍できるかどうかについて、評論家としての視点から、日本の音楽業界の現状なども踏まえた上でのシビアな見解について書いています。記事は一万文字を超えるものになりました。また、評論家と
前の日に…お友達から…明日の「徹子の部屋」は…松原智恵子さんですね❗️と…連絡いただきました…仕事だったので…録画して…見せていただきました❗️来年1/6に…80歳になられるという…松原智恵子さん!そのあまりの美しさに…魅了されてしまいました大好きな…宮古島で購入されたというお洋服で…今までの出演時の和服姿…和服の数は?と尋ねられ…12345…と…まさか…5枚⁉️和服は…タンス5棹分あるのだそう…美しい宮古島の洋服と…その姿勢❗️若さの秘訣は…「歩くこと」と「日本舞
のもう既に10年前になるが、日活のスター俳優さん達と一緒に、お茶を飲む機会を得た。川地民夫、浜田光夫、和泉雅子、西尾三枝子、西恵子と言った方々だった。そんな機会が持てるとは思わなかったが、お会い出来たらサインを頂きたいと思っていた。そして皆さんからサインを頂く事が出来た。雅子ちゃんからは、沢山のサインを頂いた中で、やはり「絶唱」と「友を送る歌」の舟木さんの出演ポスターにサインを頂けのが嬉しい。舟木さんのサインが加われば最高なのだが。浜田さんには、大好きだ
昔、日活で女優をしていた私の姉三崎奈美が出勤してます熟女ラウンジにならないかな報告が遅くなりすみません昨日、急に決まりました皆様のご来店をお待ちしております
お疲れさまです。山中翔です。今回、映画好きのあなたにお届けします。日本の映画史を彩ってきた映画スタジオ、日活調布撮影所。数多くの名作映画が生まれた、日本映画製作の神聖な場所です。広大な敷地内には、映画制作に必要な設備がすべてそろっています。ぜひ、一度訪れて、映画の歴史と魅力を体感してみてはいかがでしょうか?調布市桜堤通りに位置する日活調布撮影所は、映画制作に欠かせない施設を備えています。8つのスタジオと、撮影後の作業を行うための設備が整っています。日活の名を冠した映画スタジオは、
舟木一夫出演映画全リスト【31作品】大映1963.11高校三年生舟田高田美和・倉石功・姿三千子・高橋昌也日活1963.12学園広場船田一夫山内賢・松原智恵子・田代みどり・阿部徹東宝1964.2ジャイアンツ勝利の旗舟木一夫ゲスト出演長嶋英雄・王貞治
昭和14(1939)年3月。テイチク専属にして日活スターの杉狂児(『うちの女房にゃ髭がある』でおなじみ)が歌う若いチャイナさん(テイチクレコード)の新聞広告。いったい、どういうコンセプトの歌なのか?戦前モノだけによく分からないが、右上に記されている「国際都市上海風景描寫漫唱」ってので、なんとなく理解できそう。コミックソングなんだろうな?と想像していたら、なんとYoutubeに音源を発見。冒頭からドラの音が鳴り響く、異国情緒溢れる一曲になっている。
前回に続き映画の話です。1960年にスクリーンデビューし、わずか5年の活動で引退された、日活の女優さんである笹森礼子さん。私が生まれた時にはすでに銀幕の世界にはおらず、もちろんリアルタイムでの活動は知る由もありませんが、その後彼女の出演作を観てその容姿とキュートな演技に魅きつけられました。個人的にはこの時代の女優さんの中ではイチ押しです。当時の女優さんとしては、20歳でのスクリーンデビューは遅いほうではないかと思います。共演もあった吉永小百合さん(写真右から2番目)のちょっと上の世代にな
皆さん、心配し過ぎないでおきましょう。ファンには言えない事情が、、ありそうな、、、気がします。今年の手帳&カレンダーに、K-ダッシュの名前があります。去年までは、コレだったのに↓今年は↓太くハッキリした文字で、「KDASH」と書かれています。(購入した時に、直ぐに目に飛び込んできました!)カレンダーにも↓K-ダッシュが、契約を解除したのは、ごく最
電撃❗️ストラダ5(朝日ソノラマソノラマレコードASR-5005)1974年テレビ朝日系放送の昭和特撮。ストラダ5と悪の組織ピックノバとの死闘を描いた作品。Wikipediaによれば、実写版ワイルド7の続編として製作されたらしい。全13話。ワイルド7、飛葉役の小野進也、地井武男、アンドロメガの山科ゆりなどなど。リーダーは今は亡き、宍戸錠。日活系の俳優さんを中心に。
北国の旅情舟木一夫2月6日朝6時~チャンネルNECO「北国の旅情」明日2月6日チャンネルNECOでは、舟木さんの日活9作目となる「北国の旅情」が放送されます。それを見て頂く前に、舟木さんの「撮影日記」を載せておきますので、お読みいただいた後にご覧頂くと、また一層楽しくご覧いただけると思います。
3カ月連続のチャンネルNECO「舟木一夫特集」は今月で終わりとなります。新しく放送されるのが「東京は恋する」と「北国の旅情」です。「東京は恋する」では、ヒロインとなるのが伊藤るり子さんで、和泉雅子さんや松原智恵子さんとは、また違った新鮮な若さを感じる作品です。堺正章さんとの共演は、父親の堺駿二さんばりのコメディーチックな演技で楽しませてくれます。出来たばかりの車の少ない首都高速道路も出てきます。「北国の旅情」でのヒロインは、既にNHK「バス通り裏」にも出演し、テレビでもお
日本老友新聞日活の歌う映画スターといえば、なんてったって、裕ちゃん(石原裕次郎さん)だよねえ。『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』『錆びたナイフ』『赤いハンカチ』『夜霧よ今夜も有難う』『銀座の恋の物語』。さて、何曲歌えましたか。『口ずさんでいると、映画のワンシーンまで浮かんできて、主題歌って、ほんとに楽しい。そして、なんてったって、サー姉ちゃん(吉永小百合さん)『寒い朝』『いつでも夢を』『伊豆の踊子』…クッと空を見上げて、小さなお口を精一杯あけて歌う姿は、まさしく、清純スターそのもの。サー
東京は恋する舟木一夫2月7日朝6時~チャンネルNECO「東京は恋する」
1964年1月24日日記日活の衣装合わせ。その後東急ホテルで会合中の「大正会」にご挨拶に行く。地元代議士の江崎真澄先生にお目にかかり、今後のご指導をお願いする。「夢の青春コンビショー」のゲストは和泉雅子さんをお招きする。決定版舟木一夫の青春賛歌全記録公式本Amazon(アマゾン)
1964年1月30日日記急いで帰ったが日活の撮影は中止。こんな事ならもう少し京都でゆっくりするべきだった。「夢の青春コンビショー」の音どり。決定版舟木一夫の青春賛歌全記録公式本Amazon(アマゾン)
ランクBの上幼馴染の男女が性の目覚めに戸惑いながら心を通わせていく映画です。何といっても、ラストシーンでの新人だった丘みつ子の体当たり演技に驚かされました。(まさか、まさかの・・・映画を観てね!)今から、50年以上前の映画です。日本人の性の価値観に対する考え方が大きく揺らぎ始めた時代でした。(深夜の日本TV、読売TV番組「11PM」で性解放が堂々と語られ始めていたなあ・・・。親に隠れ
吉永小百合と言う女優さんは、大女優と呼ばれるにふさわしい女優さんなのに、さすらいの中では大女優と言う意識がない。何故なんだろう考えると、中学生の頃から、小百合ちゃんと呼び、未だに失礼ながら小百合ちゃんだからなのであろう。10代から現在のお歳まで、出演した映画は110作品を越え、その殆どが主演映画だ。出演ペースは若い頃から比べれば落ちてはいるが、常に話題作に出演している。庶民派の女優さんである小百合ちゃんは、どんな女優さんよりも別格に思っていた。それは大好きだからでもあり、サユリストとい
歌手としてもヒット曲をだした吉永小百合が、ヒット曲を主題歌につかって映画化したのが、『赤い蕾と白い花』『いつでも夢を』『青春の海』です。『赤い蕾と白い花』(1962年・日活/監督:西河克己)は、親同士の交際をめぐって繰り広げる若い二人の恋物語。吉永小百合はこの映画の主題歌「寒い朝」でレコードデビュー。三輪重雄(浜田光夫)と岩淵とみ子(吉永小百合)は高校三年の仲の良いクラスメート。とみ子には父がおらず、重雄には母がいません。二人は親が再婚しなかったのは自分たちのためだという考えが一致し、親たち
日活の二枚目スター葉山良二(1932~1993)は、日本大学経済学部在学中の53年、ミスター平凡に選ばれたことがきっかけとなり、翌年卒業と同時に日活へ事務系社員として入社するが、まもなく俳優に転向。デビュー作は大女優田中絹代による監督作品『乳房よ永遠なれ』(55)月丘夢路の恋人役。その後もメロドラマに数多く出演。主演作品には、『死の壁の脱出』(58)『傷だらけの掟』(59)『コルトが背中を狙っている』(60)『姿なき拳銃魔』(64)『女浮世風呂』(68)などがあるも、風貌の
西尾三枝子さんとの出会いは、中学生時代に見た、デビュー映画「美しい十代」だった。三田明さんのヒット曲の映画化。続いて作られた「若い港」には、和泉雅子さん、伊藤アイコさんと共に出演。この映画のロケが、さすらいの母校で行われた事から、授業をさぼったりしながら興奮してロケを見ていたものだった。(どこかにさすらいも映っているはずだが確認できていない笑)今から20年ほど前に、西尾さんの掲示板(当時はまだブログやSNSは頻繁に行われていない頃)を見つけて恐る恐る書き込みをしたのが最初だった。「プ
松原智恵子さんは、今年1月6日にお誕生日を迎えられ79歳になられました。松原さんは、日活に入社するとともに、撮影所の近く調布市に一軒家を建てて貰います。1965年の二十歳の誕生日には、ご自宅に沢山の俳優仲間の方達が集まりました。前列左から浜田光夫さん、山内賢さん、松原智恵子さん、姿三千子さん、浅丘ルリ子さん中列左から高橋英樹さん、和田浩治さん、山本陽子さん、進千賀子さん後列左から杉山元さん、杉山俊夫さん、西尾三枝子さんそして松原さんのお母様松原さんは既にデビュ
『誘惑』1956年作品『狂った果実』の【中平康】監督の作品。この作品は、基本、軽妙洒脱なラブコメデイーなんですが。。ある中年男やもめの願望が現実となる奇跡の、サクセスストーリー(笑)夢なら覚めないで!、、みたいな物語。。やはり、一捻りも二捻りもあり、、一筋縄では行かない作品でした❗◇1957年作品(日活)監督:中平康原作:伊藤整脚本:大橋参吉音楽:黛敏郎出演:千田是也、左幸子、渡辺美佐子、芦川いづみ、轟夕起子、安井昌二、葉山良
女優・加山麗子ファンです。今月(2023年3月)日活から映画「ハワイアン・ラブ危険なハネムーン」が初DVD化されました。<「ハワイアン・ラブ危険なハネムーン」DVDジャケット><加山麗子「ハワイアン・ラブ危険なハネムーン」より>日活ロマンポルノ初のハワイ・オールロケーション。ハワイに新婚旅行に来たカップルが巻き込まれる殺人事件をコメディタッチで描いています。加山麗子、竹田かほり、日活20年ぶりの出演となるフランキー堺、ガッツ石松などの豪華共演。脚本は「帰らざる日々」の
松原智恵子という女優㊤granpapaグランパパプロダクション舟木一夫さんは1944年12月12日、愛知県一宮市萩原町の生まれ。松原智恵子さんは、名古屋大空襲を避けるため母親が疎開していた父方の故郷・岐阜県揖斐郡池田町で1945年1月6日に4人姉兄の末っ子として生まれ、戦後に実家のある愛知県名古屋市に戻りそこで育っています。舟木さんも松原さんも高校時代の活動の中心は名古屋市内でした。2人は全く同世代で、同じ名古屋の空気を吸っていた“同郷”と言っていいと思います。2人と