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『赤い夕陽の渡り鳥』(1960年・日活/監督:斎藤武市)会津磐梯山の麓を、ギターを背負い、馬に乗って渡り鳥・滝伸次(小林旭)が現れます。滝は崖から足を滑らせて途中で引っかかった少年・信夫(島津雅彦)を救いますが、どこからともなく現れたハジキの政(宍戸錠)が滝の馬を盗んで遁ズラ。情婦あけみ(楠侑子)と一緒だった信夫の父・越谷(大坂志郎)は滝に感謝。政を追った滝は、二宮牧場で放火の疑いでマキ(白木マリ)に猟銃をつきつけられている政を救います。二宮牧場は持主が不審火で死んでおり、越谷はあけみがマダム
『ギターを持った渡り鳥』(1959年・日活/監督:斎藤武市)は、小林旭の代名詞となった人気シリーズの第1作目。ギターを背中に函館にやってきた滝伸次(小林旭)は、流しのサブ(野呂啓介)を救ったことから親分の秋津(金子信雄)にひきあわされます。秋津に滝は雇われますが、秋津は自分の娯楽センター建設のため、親切ごかしに金を貸し、期限切れを名目に暴力的に土地を立ち退かせる悪い奴。丸庄(木浦佑三)の土地を奪うために滝を使いにやりますが、丸庄の妻・澄子(中原早苗)が秋津の実妹と知って仕事を断ります。秋津の娘
山内賢さんのお兄さんは俳優の久保明さんです。玉川学園では、浜田光夫さんとは同級生でした。日活の舟木映画では、学園広場、あゝ青春の胸の血は、花咲く乙女たち、北国の街、高原のお嬢さん、友を送る歌。北国の旅情と一番多く共演をしています。そんな山内さんは、日活映画に出演する前1955年には、子役としてデビューをしています。日活に入社する前に9本の映画に「久保賢」の芸名で出ているのです。そして日活に入社する前の最後の作品が東京映画(東宝)の「喜劇駅前団地」でした。浜田光夫さんも子役から
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今、日活の映画が見放題。特に裕次郎の映画が数多く見られるのはたまらない。以前、記事にも書いたけれど、私は小学生のころ、うちの隣の隣が映画館で日活の映画を専門にやっていて、それも只で観られたこともあって、実におびただしいほどの日活映画を見せてもらった。SNSの時代に入って、過去の情報が手軽に手に入るのが誠に嬉しく、感謝に堪えない。今回、お勧めしたいのはYouTubeにての日活映画のアンコール無料配信。実に有難いではありませんか。もう一度見たいと思っていた懐かしの日活映画が茶の間で観られる
本町館が閉館したけど学生の頃、日本の映画監督に凝っていて本町館に〇〇監督の作品だと新東宝のピンク映画を見に行ったことがあった。千本日活、西陣大映やみなみ会館(昔の)でも監督作品目当てで日活やにっかつロッポニカ大蔵とかの映画を追っていた。千本日活だけになったね。
花咲く乙女たち1965年日活映画舟木さんと堺正章さんは、デビュー当時から同じホリプロに所蔵していて、多くの映画で共演しています。それらの映画をまとめてみました。高校三年生1963年大映映画続高校三年生1964年大映映画君たちがいて僕がいた1964年東映映画学園広場1963年日活映画仲間たち1964年日活映画高原のお嬢さん1965年日活映画東京は恋する1965年日活映画夢のハワイで盆踊
こんばんわん最近、見た古い映画。BS12かな、で放映されたものを録画してありました。小林旭の渡り鳥シリーズを初めて見ました。「南国土佐を後にして」は見ているんだが。小林旭が若い。痩せていてカッコイイ。宍戸錠も。まあ、1960年の映画なので、私の生まれる前。私がTVで見る頃にはみんな、アラフォーで太っていたからね。石原裕次郎もデブのオッサン、いや、貫禄のある管理職、のイメージしかない。映画は、小林旭がギターを背負って馬で登場。西部劇っぽいお話も西部劇のプログラムピクチ
2025年11月11日なんとなく1並びの日なので、何の日と調べたら「ポッキー&プリッツの日」なのだそうだ。よき日と思っていただけに残念です。そんな日に行われた「舟木一夫コンサート2025カルッツかわさき」に行ってきました。川崎の様子もすっかりと変わって、川崎駅西口が開発され、明治製菓の工場も無くなって複合ビルが建ち、アトレ川崎は立派で、地下のアゼリアは昔の活気を感じませんでした。もう既に近くが職場だった頃から35年も経っていますから、変わっる方が当たり前なのでしょう。
11月9日新入荷情報につき、現在の状況についてはこちらをご参照ください。⇒https://t.co/0w2iJ5yYS1?amp=1または、お電話にて御確認いただければ確実です。お手数をおかけいたしますが、宜しくお願いいたします。映画パンフレットRAMPO奥山監督版監=奥山和由少汚れ¥500映画パンフレットゴジラ監=橋本幸治少傷み少汚れスレ¥500映画パンフレットスター・ウォーズジェダイの復讐監=ジョージ・ルーカス少傷み少汚れスレ¥500日活
20251108夜鈴木清順監督の名作映画「河内カルメン」をめぐってhttps://youtube.com/watch?v=N9AoVKHVtZg&si=ExuZ5i7KNjVodHPs藤谷蓮次郎2025年11月8日
賭博師シリーズの後半3作“黒い賭博師”は、主人公は同じ氷室浩次ですが、“さすらいの賭博師”をバージョン・アップして、戦う相手が国際的賭博団になります。『黒い賭博師』(1965年・日活/中平康)日本一のギャンブラーを目指す犬丸(小池朝雄)は、天才ギャンブラーの氷室浩次(小林旭)にブリッジの勝負に負けて、氷室の秘密を探るために玲子(富士真奈美)に氷室を誘惑するように命令。玲子は父親(益田喜頓)が犬丸に敗けて借金があり、犬丸に従わざるを得なかったんですな。玲子が偶然を装ってホテルで氷室を誘惑してい
『さすらいの賭博師(ギャンブラー)』(1964年・日活/監督:牛原陽一)ダイスの天才的ギャンブラー氷室浩次(小林旭)は、兄を殺したヤクザの賭場へ殴り込みますが、アパートへ帰ってみると恋人(松尾嘉代)が殺されています。失意の旅を続ける氷室は、ダイスを捨てて横浜へ。バーテンとして働きはじめたバーのマダム・早苗(長内美那子)が、兄の事業を奪った浅野(山形勲)から資産を取り返そうとしているのを知ります。ヤクザの河村(小池朝雄)は早苗を利用して資産を横取りしようと計画。バーの隣りの美容院は浅野の娘・倫子
カラオケで石原裕次郎氏や渡哲也氏の歌を選ぶと、日活時代の映画がそのまま使用されている。特筆すべきはグッと引いた『引きの画』の多さ。テレビドラマの様なUPは非常に少ない。今の映画は『寄り過ぎ』で窮屈なUPが多過ぎる。空間を上手く使った昔の映画。今の監督は勉強し直すべき。
舟木一夫全曲集2026-舟木一夫Amazon(アマゾン)3,500円平凡1962年4月号小林旭1938年(昭和13年)11月3日生まれ1956年日活デビュー浜田光夫1943年(昭和18年)10月1日生まれ1960年日活デビュー高橋英樹1944年(昭和19年)2月10日生まれ1961年日活デビュー吉永小百合1945年(昭和20年)3月13日生まれ1960年日活デビュー松原智恵子1945年(昭和20年)1月6日生
北極点到達の和泉雅子は学校嫌い(^_^)(^_^)(^_^)#女優、#冒険旅行家の#和泉雅子は、極端に勉強ができなかったそうである。学校に行くのが嫌で嫌で、児童劇団に応募したら受かったのだという。その後、何を思ったか喜劇役者を目指して柳家金語楼に弟子入り、水の江滝子の目に留まって日活入りする。そして、主役の座を射止めて、セリフ棒読み、大根演技の『#不良少女』が外国映画祭で絶賛されてスターになる。和泉雅子のエピソードには本当に不思議なものが多い。なぜ、北極点を目指して、2度
<第18回>――橋田先生と言えば、2013(平成25)年2月と3月に相次いで亡くなられた光本幸子さん、坂口良子さんと一緒にやったお芝居があります。1997年10月に名古屋の名鉄ホールで上演した「おんなの家」。この公演については前にも話しましたように、いろんな方が出て何回も演じられている作品です。光本さんは初代尾上辰之助さんとNHKでやられた時代劇「大岡政談池田大助捕物帳」(1966年4月から1967年3月)に出られていた時から、いい女優さんだなあと思っていました。その光本さんが何か忙
<第17回>――私が日活を退社したのは1971(昭和46)年、24歳の時です。テレビが急速に普及して映画が衰退していくんですが、そんな時に日活は過剰な不動産投資をするなどの放漫経営を続け、まず1967年に江守(清樹郎)専務はじめ中枢部門の方が退社されました。2年後に撮影所の売却、翌年には東京・日比谷の本社ビルも手放すことになって、1971年に堀(久作)社長が退陣されたんです。私と会社との関係は両親が全部やっていたので、当時、私はそんなことは全然知らなかったんです。(山本)陽子ちゃんなん
1960年代と言うのは、戦後20年が過ぎて、世の中が大きく変わった時代でした。生活は豊かになり、住宅難も食糧難もない時代になり、ベビーブームが起こり、私を含め団塊の世代と呼ばれた若者が文化を変えて行った時代だったと思います。芸能界では、親時代の俳優や歌手から、団塊の世代の同世代の俳優や歌手たちが活躍していきます。その筆頭と言えるのが、歌手の世界では舟木一夫であり西郷輝彦であり三田明と言った人達を発端にスター歌手になって行った人達でした。映画界では、往年の俳優たちの後ろには、吉永小百合
↑↑↑今回のブログテ-マは、コレ十月ももう中旬かぁじゃあさ、秋もずんずん深まっていくだろうね。3連休に明石市大久保の2号線の1つ北の道で東に延びる道を通ったら、祭りの山車を出して人が多く居たよ。南大阪と違って、神戸・明石は秋祭り(渋滞)が無いと思ってたけど、違った~w---------------------------------ヤンマーでしたっけ?トラクター。昭和54年のCMソングだね('◇')ゞじっくり聴くと本当イイ曲だね。旭さんの甲高い高音もクセになるよ。作詩:能勢
母も加わりNY時代の方とランチ母も日活にいて映画やテレビに出ていましたが、みんなでランチ今日も楽しくみんなでお蕎麦をいただいております。同じ時代を生き一緒に笑う😄またねっ!NAGISA
女学生の友1962年松原智恵子さんの実家は名古屋のお風呂屋さんで、父上は不動産の仕事もされていました。そんなチーちゃんの実家が紹介された記事があります。二人のお姉さまも、名古屋では有名な美人姉妹で、ミスコンの優勝者。チーちゃんも負けずと応募したのが日活が行った「ミス16歳コンテスト」で、見事入賞し、副賞の日活撮影所見学をきっかけに日活に入社します。1961年には既に20本近くの映画に出演しています。名古屋のお父様は、東京に出て来る可愛い末娘の為に、日活撮影所の側
こんばんは🤗寝る前にもうひとネタ(≧∇≦)ノ✨✨太陽にほえろ!の最終回この回が石原裕次郎さん最後のドラマ出演となりました(´・ω・`)ショボーン(太陽にほえろ!が石原裕次郎さんの初めてのテレビドラマ出演であり、最後の出演したドラマでした)同じ日活出身で先に逝去してしまった後輩の沖雅也さん(スコッチ刑事)の事を悲しみ、このシーンで思いをこめてアドリブのセリフを言っています。役者魂を最後まで貫いたエンターティナーだと私は思っています(≧∇≦)b💞💞💞
スカパー!衛星劇場で日活「太陽西から昇る」(1964年・江崎実生監督)を見ました。主演は浅丘ルリ子と長谷川明男。マジメで学業優秀、美しい女子大生(浅丘ルリ子)が、訳ありヤサグレ男(長谷川明男)を更正?させようというところから始まります。※ネタバレしません。👇️主演の長谷川明男。何度か水着姿で登場しますが、お腹のあたりが若干…🙄👇️女子大生ルリ子嬢。👇️大金持ちの建設会社社長(芦田伸介)。👇️黒板のいたずら書きに時代感が。👇️庭にプールがある豪邸が舞台。石原裕次郎の自宅でロケしたとか
舟木一夫と仲間たちその4この本が書かれたのが昭和61年(1986年)今から40年近くも前の事です。近代映画が発刊されてから、80年が経っているという事です。歌手生活15周年の事が書かれていますが、それはこの本の出る10年も前の話。それ以降のこの本の発刊までの年月の事は書かれていません。きっと、寒い時期に入った舟木さんの復活は、ありえないとでも思っていたような書きっぷりです。本格的な復活は1992年の芸能生活30周年ですから、誰もが、舟木一夫を忘れかけていた頃になるのでしょう
1965年日活新春映画1965年の正月映画。さすらいが通い詰める3本立ての3番館の映画館。封切から2カ月3か月経ってやっと来る映画館でした。当時入場料は150円。それでも月の小遣いは、500円だったか1000円だったか。余計なお金はしっかりくれる事のない母親でした。(笑)昼は、購買部でパンと牛乳を買って昼食。これは小遣いとは別に貰いますから、我慢してそのお金を貯めて映画に行きます。母がたまに、バターロールにウインナーを挟んだホットドックを作って持たせて貰いました。そしてある時
昨夜、トミちゃんだけが、日本のバラエティー番組に出演しました。丁度、観れました!ひさしぶりのバラエティ番組出演です!ぜひご覧ください🙋🏻♂️🎶https://t.co/CgZ9ktf5cM—本田仁美HondaHitomi(@hnd_htm__1006)September25,2025上田と女が吠える夜🐺ご覧いただきありがとうございました✨見逃し配信はこちらから🙋🏻♂️🎶https://t.co/XBc4SuydV4#上田と女が吠える
所属しているミニベログループによるライドに参加しました。輪行でスタートします。途中駅で小田急に乗り換え。藤子・F・不二雄ミュージアムでお馴染みの登戸駅に到着。ドラえもんがお迎え。そして輪行解除。ブロンプトンがずらりと並びます。秋の空気を感じながら、多摩川沿いをのんびりスタートです。川風が心地よくて、ペダルも軽やか。調布といえば映画のまち。日活調布撮影所の前で小休止。すぐ近くには角川大映スタジオ。映画の歴史を感じる場所です。記念写真を撮らせてもらいました!近くの公園には、かつての
YouTubeの公式チャンネル日活フィルムアーカイブにて配信中の「嵐を呼ぶ男」(’57年日活)を視聴しました。主演は石原裕次郎氏。アクション物かと思ったら母子の確執を描いた物語。とはいえ娯楽作品として楽しく視聴できました。私のイメージでは裕次郎氏といえば警察の管理職…って感じ。映画全盛期の国民的スターだった…というのは後から知りました。なのに国民栄誉賞を受賞どころか受勲もしてないんですねぇ。部下…ともいえる石原軍団の渡哲也氏や館ひろし氏は旭日小授賞を受勲してる
BSで放映してました小林旭さん主演1959年日活おっかさん、小学生の頃にほのかな恋心をませた子供だわ〜今はかなりのお年だけど、でもしっかりしてるしカッコいいおじいちゃんだよね共演者は浅丘ルリ子さん美しい〜中原早苗さんきれいですね旦那さんは有名な深作欣二監督でしたそして宍戸錠さんよく悪役で活躍してました痩せてましたねこの頃の俳優さんは、整ってますねすべてにおいて60年以上前の作品なのに、キレイな画像でしたよ懐かしい方々ばっかりだったにゃー太くん今日もお付き合