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【コメント】長くkpop界を見てきたけぽこさんに聞いてみたかったので…まず、私のKポペンとしての原点は超新星やF.CUZでした。彼らはもう二十代後半~三十代。メンバーが続々と兵役に行く中、不完全体で、ほぼ日活のみ。正直、アイドルとしての適齢期は終わりかけてるし、離れていくファンもいます。ですが、毎回イベントに駆けつけてくれるファンの方々は確実にいて、F.CUZはリリイベに一度行ったっきりですが、ファンもアイドルも顔見知りのような、暖かい空間で和んじゃいました。theunitの話題が出るたびに
88絶唱1966年日活主演/舟木一夫・和泉雅子監督・構成/西河克己脚本/八住利雄主題歌/舟木一夫「絶唱」作詞/西條八十作曲/市川昭介絶唱|映画|日活歌謡界のプリンス舟木一夫が絶対のコンビ和泉雅子と組んで贈る悲恋超大作。古い因襲と迫害に傷つき耐えながら、ただ一筋の愛に生き殉じた、大地主の息子と山番の娘との美しくも悲しい物語。www.nikkatsu.com
夕笛1967年日活主演/舟木一夫・松原智恵子監督/西河克己脚本/星川清司・智頭好夫主題歌/舟木一夫「夕笛」作詞/西條八十作曲/船村徹夕笛|映画|日活芸術祭参加作品。「絶唱」で大ヒットを呼んだ舟木一夫が高校生に扮し、旧家の令嬢松原智恵子との淡くはかない悲恋を描いた純愛珠玉巨篇。www.nikkatsu.com
残雪1968年日活主演/舟木一夫・松原智恵子監督/西河克己脚本/智頭好夫音楽/池田正義残雪|映画|日活絶唱、夕笛に続いて舟木が贈る悲恋三部作。雪国で愛し合った二人は実は兄妹である事を知り、愛の結びつきを天国でなしとげる悲恋物語。www.nikkatsu.com
西尾三枝子さんとの出会いは、中学生時代に見た、デビュー映画「美しい十代」だった。三田明さんのヒット曲の映画化。続いて作られた「若い港」には、和泉雅子さん、伊藤アイコさんと共に出演。この映画のロケが、さすらいの母校で行われた事から、授業をさぼったりしながら興奮してロケを見ていたものだった。(どこかにさすらいも映っているはずだが確認できていない笑)今から20年ほど前に、西尾さんの掲示板(当時はまだブログやSNSは頻繁に行われていない頃)を見つけて恐る恐る書き込みをしたのが最初だった。「プ
懐かしき怪獣映画をアマゾンプライムビデオにて観賞。東宝のゴジラ、大映のガメラの影に沈みがちです。大怪獣ガッパ昔、日曜日の夕方によくやってたような気もします。しかも、ガッパってカラー作品だったのね〜、シロクロとばかり思ってました。と、記憶が定かでないので観てみると、いきなりの美女の日光浴での登場に、おこちゃま映画気分もぶっ飛ぶ冒頭シーンでございます。かの大女優、魔性の女とも呼ばれた山本陽子さんの若かりし頃と知りびっくり!おっちゃんが物心がついた頃にはすっかりアダルトな感じだったので、
昭和30年代の邦画界には歌謡映画というジャンルがありました。ヒット歌謡曲をモチーフにして映画化したものです。メロドラマ的なものが多かったのですが、日活が得意としたのが歌謡アクション。『赤いグラス』(1966年/監督:中平康)航海から帰ってきた速水弘志(渡哲也)は、恋人・典子(小林哲子)から弘志の育ての親である東洋海運の速水社長が2ヶ月前に殺されたことを知らされます。速水社長が死んで一番得をするのが副社長の神崎(神田隆)。弘志は神崎が黒幕と考えますが、証拠がありません。典子の兄(六本木真)が何
日活の二枚目スター葉山良二(1932~1993)は、日本大学経済学部在学中の53年、ミスター平凡に選ばれたことがきっかけとなり、翌年卒業と同時に日活へ事務系社員として入社するが、まもなく俳優に転向。デビュー作は大女優田中絹代による監督作品『乳房よ永遠なれ』(55)月丘夢路の恋人役。その後もメロドラマに数多く出演。主演作品には、『死の壁の脱出』(58)『傷だらけの掟』(59)『コルトが背中を狙っている』(60)『姿なき拳銃魔』(64)『女浮世風呂』(68)などがあるも、風貌の
下の左から沢本忠雄・芦川いづみ・宍戸錠・田代みどり・浅丘ルリ子・松原智恵子・山内賢・進千賀子・宮下順子星野昌子・森みどり上の左から斎藤武一・川地民夫・渡哲也・伊藤るり子・井上梅次・舛田利雄・鈴木清順・片桐夕子・寺島まゆみ秘蔵写真と言うのはおこがましいが、大好きな日活の俳優さんの写真は沢山ファイル倉庫に入っている。何となく集めていたらかなりの数になってきた。そんな写真も随時載せて行こう。もう10年位前の日活の「旧友会」の写真だ。現役で活躍しておられる方も居るが、亡くなられた方
サンデー毎日のロッキー青木伝もいよいよ最終回――。〈今朝目を閉じました〉私のスマホにショートメールが届いたのは、4月10日朝だった。前日の夕刻、京子夫人から意識がないと連絡を受け、東京・虎の門病院を見舞った。その翌朝の訃報である。「これが私にとって最後の仕事になります。単行本ができあがるまでは、何とか命をつなぎたいものです」昨年来、会うたびにそう言い続けてきた中根和夫が、旅立ってしまった。奇(く)しくも85回目の誕生日を迎えた翌日である。最後に病室に見舞ったときの中根は、痩せ細
絶唱1958年日活主演/浅丘ルリ子・小林旭監督/滝沢英輔脚本/八住利雄音楽/牧野由多可絶唱|映画|日活香り高く、豊かな抒情性とヒューマニティをおりまぜて、美しくも哀しい悲恋物語を描く芸術祭参加の文芸珠玉篇。www.nikkatsu.com
記事について書く事が出来なかったの、追記です。この記事を読んでいて気が付かれた方も多いでしょうが、最初に和泉雅子さんが出演出来なかった事を謝っておられます。当初、この大阪新歌舞伎座の公演には、「絶唱」で共演した雅子ちゃんの出演が予定れれていました。ところが、雅子ちゃんの主演映画が決まっていた事もあり、どうしても日活は、雅子ちゃんを公演には出しませんでした。怒った舟木さんは、「もい日活には出ない」と発言した事から、日活も慌ててしまい、西河克己監督が新歌舞伎座に向かう事になります。西河監督
松原智恵子・津川雅彦伊藤るり子・西尾三枝子小高雄二・新克利進千賀子・横山道代藤村有弘・殿山泰司小橋玲子・松山マモル中村是好・菅井きん吉田毅・根岸一正「山のかなたに」の放送が始まり、毎朝舟木さんの歌声を聴いている。舟木さんの登場は最終回だけという事で、少し寂しいが、さすらいは今回初めて見たので楽しい。いやぁ~何と言っても津川雅彦さんと松原智恵子さんの美男美女の取り合わせは眼を見張る。何しろ二人ともきれい。光っているとう表現がぴったりかも知れな
1960年代後半に、唐草模様の風呂敷包を背負った田舎者スタイルでテレビに登場し、「夢もチボーもない」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気のあったコメディアンに東京ぼん太がいます。小林旭が東京ぼん太を相棒役にシリーズ化したのが“あいつ”シリーズです。『不敵なあいつ』(1966年・日活/監督:西村昭吾郎)式場組幹部が殺し屋・龍(中谷一郎)に殺され、式場(内田朝雄)は都築浩介(小林旭)の弟分・清二(藤竜也)に復讐を命じます。清二は足を洗おうとして殺され、浩介は組の無惨な仕打ちに
サンデー毎日のロッキー青木伝14回目ーー。ヤマノビューティメイト社長の山野彰英は1970年代末に株式を買い占め、老舗繊維メーカー「日本レース」の経営に乗り出した。昨今でいえば、企業再生ファンドによるTOB(株式公開買い付け)のようなイメージだ。もっとも当時の企業買収は、株式市場外の水面下で株を取得し、突如、大株主として躍り出るパターンがもっぱらだった。山野美容学院創業家に生まれた山野は当初、化粧品の流通ルート拡大のため、日本屈指の繊維メーカーに目を付けたとされる。その企業買収に相乗
皆さん、心配し過ぎないでおきましょう。ファンには言えない事情が、、ありそうな、、、気がします。今年の手帳&カレンダーに、K-ダッシュの名前があります。去年までは、コレだったのに↓今年は↓太くハッキリした文字で、「KDASH」と書かれています。(購入した時に、直ぐに目に飛び込んできました!)カレンダーにも↓K-ダッシュが、契約を解除したのは、ごく最
今回2回目の出店でしたHappySunday【MORNINGMARCHE】用意しましたフルーツサンド🥝🍓今回も完売できました~~前回、早々と完売してしまいご購入いただけない方もいたので、前回より多目に準備いたしましたが、今回もあっという間に完売してしまいましたわざわざ町外から買いに来てくださった方、いつもフルーツサンドの販売を楽しみにしてくださっている方、早い時間にも関わらずお越しいただいた方、皆さん、ありがとうございました来月もこのHappy
今日から5月17日まで、アマプラで「ゴジラ-1.0」と同映画をモノクロ化した「ゴジラ-1.0/C」が見放題になった。また、他のゴジラ映画も同様に見放題で公開されとる。アカデミー視覚効果賞をアジア映画として初めて受賞、しかもスタンリー・キューブリック以来となる監督が視覚効果賞を受賞者するという記念ずくめの本作、未見の方には、その恐怖も含めて、是非観てほしいなと思う。なのでワイも習ってアマプラで「大巨獣ガッパ」を視聴した。「大巨獣ガッパ」は1967年に日活配給で公開された特撮映画。東宝のゴ
ランクBの上幼馴染の男女が性の目覚めに戸惑いながら心を通わせていく映画です。何といっても、ラストシーンでの新人だった丘みつ子の体当たり演技に驚かされました。(まさか、まさかの・・・映画を観てね!)今から、50年以上前の映画です。日本人の性の価値観に対する考え方が大きく揺らぎ始めた時代でした。(深夜の日本TV、読売TV番組「11PM」で性解放が堂々と語られ始めていたなあ・・・。親に隠れ
前回に続き映画の話です。1960年にスクリーンデビューし、わずか5年の活動で引退された、日活の女優さんである笹森礼子さん。私が生まれた時にはすでに銀幕の世界にはおらず、もちろんリアルタイムでの活動は知る由もありませんが、その後彼女の出演作を観てその容姿とキュートな演技に魅きつけられました。個人的にはこの時代の女優さんの中ではイチ押しです。当時の女優さんとしては、20歳でのスクリーンデビューは遅いほうではないかと思います。共演もあった吉永小百合さん(写真右から2番目)のちょっと上の世代にな
ちょいと、ヨロシいでしょうか?【第2弾】どうも。yoroshiです。#2マッチラベル『北海道旭川市日活ボウリングセンター』◎1970年代ブックマッチ型このレトロな色合いがヨロシんでないでしょうか。おtっつ。エースのジョー!☆おまけ旭川平和通り『買い物公園』オーシャンウィスキーバー『グランド木馬』かつては、カラオケスナックで自分の歌声をレコードにできたっけなぁ。では、
本日(7/17)は、昭和の大スター、石原裕次郎の命日である。石原裕次郎は、1987(昭和62)年7月17日、享年52歳という若さで、この世を去った。国民的大スターの、あまりにも早すぎる逝去に対し、日本中の裕次郎ファンが、彼との別れを惜しんで涙を流したが、それから、32年の月日が流れた。なお、上の写真は、石原裕次郎の葬儀でのものであり、マイクを持ち、参列者に挨拶しているのが、裕次郎の兄の石原慎太郎、位牌を持ち、涙を流しているのが、裕次郎の妻のまき子夫人(元女優の北原三枝)、