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前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
今回は「市寸島比売」についてお話をしていきたいと思います。宗像三女神としては何度か取り上げましたが一柱としては書いていませんでしたので改めて書くことにしました。かなりメジャーな神様ですし知らない方のほうが珍しい神様ですよね。色々と語られつくされている神では有りますが、一般的なお話と違うお話をしていきたいと思います。宗像大社~市寸島比売とは~宗像三女神の一柱であり、宗像大社で祀られている祭神の一柱です。また厳島神社でも祀られていますし、弁財天としても祀られています。面白い話では、この神様
ご訪問ありがとうございます。今回から垂仁天皇の巻に入ります。とりあえず読んでみましょう。活目入彦五十狹茅イクメイリヒコイサチ天皇(垂仁天皇)は、御間城入彦五十瓊殖ミマキイリヒコイニエ天皇(崇神天皇)の、第三子である。母の皇后曰御間城ミマキ姫は、大彦命の娘である。天皇は、崇神天皇29年壬子ミズノエネの年春正月1日瑞籬宮に生まれ、生まれながらに秀でた容姿で、壮年になってからは度量も広く、人となりは真理に叶い、歪めたり飾ったりしなかった。(崇神)天皇はたいそう可愛がって、お側にお置きになっ
【内面の美しさを持つ延命長寿の女神イワナガヒメ】@art.mochida.daisukeイワナガヒメは『古事記』によると、絶世の美女コノハナサクヤヒメの姉で、ニニギに姉妹一緒に嫁いだ女神です。しかし、絶世の美女だった妹コノハナサクヤヒメと違い、容姿が醜かったイワナガヒメは、ニニギから恐れられ、ひとり実家に帰されてしまいます。コノハナサクヤヒメは桜の様に華やで美しいですが、桜のように咲き、桜のように散る。その命は短命で儚く限りあるものでした。反対にイワナガヒメの容姿
高千穂神社、槵髑神社を見た後は古事記や日本書紀にも書かれている天岩戸神社あまのいわとじんじゃ歴史の本に出てくる天照大神あまてらすおおみかみ太陽を神格化した神。その天照大神がお隠れになった天岩戸も、社務所にて申請すれば無料で案内頂けるとの事で、申請してみる。5人くらい集まった所で案内開始、約20分の間に神社の説明とお祓いを受け天岩戸(撮影厳禁)を遠目に見ることが出来た。更にそこから歩いて10分天安河原あまのやすかわら天照大神が天岩戸に隠れ天地暗黒
こんにちは😃当ブログにようこそいらっしゃいました⭐️先日、茨城県日立市にあります大甕神社へ参拝に参りました。⛩国道6号沿いの風神山の麓にひっそりとありました。今回ここを訪れたわけは、映画「君の名は。」のスピンオフ小説で、宮水神社の御祭神の倭文神武葉槌命(シトリノカミタケハヅチノミコト)と同じ神様が祀られていると知ったためです。小説では、宮水神社と同じ御祭神を祀っている神社として、大甕神社の名前がチラッと出てきました。県内なので、行ってみようぜ!と言うわけです🚗御祭神:武葉槌命(たけ
よろぶん、アニョハセヨ今日、2回目の投稿です。一日で2回は、久しぶりですが・・・・・前の記事で、「ロウンマジック」脱却を試みた私ですが、あえなく挫折しました。何故かって?どういう訳か、私がロウンから離れようとすると、ロウンのコンテンツが配信されるという不思議・・・・・これを見て下さい。↓맨노블레스onInstagram:"#제작지원신비로운.오랜세월사람의손길이닿지않은비밀스러운고택에서계절과성별을초월한보테가베네타2
今回は「天児屋命」についてお話していきます。記紀両方に同じ神名で漢字も同じで読みも同じで出てくる神様です。大抵の神様は、古事記と日本書紀の漢字使いが違います。ある意味珍しい神様ですよね。記紀を読まれた事の無い方は、ちょっと馴染みのない神様かもしれませんが重要な役目が有る神様です。天児屋根命神社~天児屋命とは~記紀に於いて『天の岩戸』『天孫降臨』の時に登場する神様ですが、詳しい物語は書かれていません。いわゆるサブキャラ!?的な神様で『ちょっと手伝いました!』的な感じで登場します。
そういえば、戦争で「伊勢神宮が燃えた」とか読んだことがないと思い、調べてみました!伊勢神宮は、「日本人の精神的な支柱」ということでやはりアメリカから狙われたようです。昭和20年1月14日の外宮への空襲に始まり、主に計6回空襲が行われました。昭和20年1月14日の空襲では、爆弾が投下されたものの、五丈殿・九丈殿・神楽殿・斎館といういわば「付随する建物」に、「軽微な損傷」があった程度でした。7月28日、29日に一番規模が大きい空襲がありました。外宮の御正
瀬織津姫とは知る人ぞ知る謎の神様です。数多くある祝詞の中でもっとも大切な祝詞の一つ大祓詞に登場するのですが、古事記にも日本書紀にも一切登場しない不思議な存在です。私の知り合いにも瀬織津姫の大ファンの方がいて、瀬織津姫を追って全国を飛び回っています。伊勢神道を伝える神道五部書の中には別宮の荒祭宮にお祀りされている「天照大御神荒御魂」が瀬織津姫と書かれています。他には、内宮の摂社に蚊野(かの)神社があるのですが、この神社にお祀りされている
大阪歴史博物館の次は、隣の法円坂ほうえんざか遺跡前公園に立ち寄り。高床式倉庫の前に案内板があり、建物群について説明がありました。以下、その内容です。瀬戸内海の水運により大陸と結び、淀川や大和川をさかのぼって古代の政治の中心である大和や河内に直結する難波なにわは、交通の要地でした。その中心地である上町台地の北端に当たるこの地から、昭和62年(1987)に行われた発掘調査で、5世紀後半頃の巨大な建物群が発見されました。16棟以上の高床建物が整然と建てられており
先日、急に思い立って千葉県芝山町の埴輪博物館に行ってきました。こちらの博物館には、3~6世紀に造成された多数の古墳から発掘された埴輪が展示してあります。その中に、どう見てもユダヤ人としか思えない埴輪がいくつかあります。以下、ユダヤ人と思われる埴輪の写真です。↑こちらは、ユダヤ教徒の方の写真以前から実物を見たいと思っていました。ここの博物館は、埴輪の展示物が豊富にあるだけで無く、緻密になされた遺跡や古墳発掘調査結果の資料、考古学的な考察を
昨日のご祈祷中、ふと気づくと…。白い光の中で微笑む、着物の女性が立っていました。「あなたは誰ですか?」びっくりして尋ねると、女性は「瀬織津姫」と名乗ります。こういう姿で描かれることが多い…かな?キタ━━━(゚∀゚)━━━!!ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが…瀬織津姫は、未だその実在がはっきりと分かっていない神様です日本の神様は、一部例外を除き(アラハバキ神など)記紀神話に登場します。しかし、瀬織津
【前書き】前回は、豊璋(ほうしょう)と翹岐(ぎょうき)が、軍事の実権を主に担っていた蘇我入鹿を惨殺し、「乙巳の変」という軍事クーデターを起すことで、大和政権の実権を握ったところまでお話ししました。これからその続きをお話ししていきたいと思います。645年、乙巳の変の後に、第36代孝徳天皇が即位します。それ以降、以下のような出来事が起こります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(655年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)③斉明天皇の死(661年)④「白村江
今回は「鹿屋野比売神」についてお話していきます。この神様を祀っている神社は、少ないですが存在します。有名どころだと「伊勢神宮の外宮摂社の清野井庭神社」で祀られています。鎮座地近隣の灌漑用水の神とのことです。白笹稲荷神社・東末社草木の精霊を祀る鹿屋野比売神と思われます~鹿屋野比売神とは~記紀共に、国生み・神生みの部分で登場する神様です。夫婦(男女神)で誕生したのではなく単独で伊弉諾命・伊邪那美命により生まれています。この神様、祀られている神社により、かなり違った神格・ご利益が
ご訪問ありがとうございます。さて誉津別命ホムツワケノミコト(誉津別王ホムツワケノミコとも)は生まれてまもなく母の狭穂姫を失いますが、即位してすぐの后妃と皇子女を記載したところには、生アれまして天皇愛メグみたまひて、常に左右モトトに在オきたまふ。壮ヒトトナりなりたまふまでに言マコトトはさず。とあり、父の垂仁天皇の側近くで、可愛がられて育つのですが、大きくなっても言葉を発することができないのでした。23年秋9月2日、天皇は群臣に対して「譽津別王ホムツワケノミコは今年30歳となり、胸まで
前回までの記事で、4世紀末から5世紀末までの歴代天皇の御陵を比定しました。順に以下のようになりました。【仲哀天皇】津堂城山古墳【応神天皇】上石津ミサンザイ古墳【菟道稚郎子皇子】誉田御廟山古墳【隼別皇子】御廟山古墳【仁徳天皇】大仙陵古墳【履中天皇】ニサンザイ古墳【反正天皇】田出井山古墳【允恭天皇】市野山古墳【安康天皇】白鳥陵古墳?(木梨軽皇子の可能性あり)【雄略天皇】岡ミサンザイ古墳まとめると図表1のようになります。■図表1歴代天皇陵(筆者の見解による)
今回は、不比等が作った幻想の国「日本」(その8)として、「国史編纂編」をお話しします。下記、①から⑩項目のうちの⑦天武天皇の改革、国史編纂を命じる(681年)から⑩古事記完成(712年)、日本書紀完成(720年)までののお話しとなります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(654年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)、斉明天皇の死(661年)③「白村江(はくすきのえ)の戦い」と百済の滅亡(663年)④近江へ遷都(667年)し、中大兄皇子(豊璋)が天智天皇とし
訪問いただきありがとうございますあなたに素敵なHAPPYが訪れますようにSmileLoveJoy今日も素敵なHappyDay~椿大神社に行ってから~前から気になってた高台から不敵に見下ろすようなこのリアルな鶏の像これは一体何って事で前々から気になっていた「コケコッコー共和国」(笑)に行って来ましたここは鶏を平飼いにしていて、有精卵が売りの様でした。中に卵や卵製品など販売所があって、食事出来るところもあってね~卵かけご
【オカミノカミ/血から生まれた水の神】@art.mochida.daisukeオカミノカミ(淤加美神)を描いてみました。この神様は、『古事記』のおいて、イザナギとイザナミの神産みで生まれた神様であると記載されています。二柱の夫婦神は愛し合い多くの神々を産み成しましたが、イザナミが火の神ヒノカグツチを産んだ時に、大やけどを負って死んでしまいます。愛する妻を亡くしたイザナギの怒りはヒノカグツチに向けられ、我が子を斬りつけてしまいました。その時に剣の
私は、独自の「原日本紀」仮説というものを用いて、日本書紀の紀年復元を行っています。そして、そこから見えてきた数々の新説を著書や本ブログなどで公表してきました。昨年からはYouTubeでも動画にまとめて配信を始めました。すると、「原日本紀年表」の全体はどのようになっているか?というお問い合わせをいただきました。確かに、都度都度、新説の周辺の復元紀年のみによって解説していてはわかりにくいかと自覚しましたので、先日、復元紀年の全体を動画にまとめて公表いたしました。「原日本紀年
【ハヤサスラヒメ/祓いの女神】@art.mochida.daisuke『大祓詞(おおはらいのりと/おおはらえのことば)』に出てくる祓いの女神ハヤサスラヒメを描いてみました。ハヤサスラヒメは『古事記』や『日本書紀』には記載のない神名ですが、全国の神社で奏上される『大祓詞』において、様々な罪穢れを清めてくれる神様である「祓戸四神(はらえどよんしん)」の内の一柱です。6月末に「夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)」12月末に「年越しの大祓(おおはらえ)」として、
先週、奈良県桜井市三輪に鎮座する大神神社のご由緒について途中まで書きました。今日はそのつづきです時は移り…、第10代・崇神天皇の御代、人民が死に絶えてしまいそうなほどに疫病が大流行した時期がありました。それを憂いた天皇は、神々を招いて神託を伺ったところ、大神神社のご祭神・大物主大神が夢に現れてこう告げられました。「この疫病はわたしの意思である。意富多多泥古命(おほたたねこ)に命じてわたしを祀らせるならば、疫病はおさまるであろう。」なんと、大国主命とともに国
明治14年の政変を受け、ええかっこしいの大隈重信と板垣退助は明治政府から追放されます。そして、明治政府は国会開設の勅諭を行うことを約束します。これは10年以内に国会を開設するということです。明治天皇の命令ですから、日本国民は誰も文句が言えません。ここで、スタンドプレーの大隈重信と、政権与党に返り咲きたい板垣退助はそれぞれ、政党を作ります。大隈重信は立憲改進党。板垣退助は自由党です。自由民権運動が生まれ、活発化していきます。立憲改進党の支持母体は都市の知識人。自由党の支持母体は田舎の地主です。こ
ご訪問ありがとうございます。今回も東征の物語を「王」表記に気をつけて見ていきたいと思います。文中、「王」を赤字、「日本武尊」を緑で表示します。ここで日本武尊は、上総(千葉県房総半島)より転じて陸奥国へお入りになった。その時に大きい鏡を王船に掲げて、海路から葦浦に回った。横の方へ行って玉浦を渡って、蝦夷エミシの境に至った。蝦夷の賊の首領、嶋津神・国津神らは竹水門タカノミナトに駐屯して防ごうとした。けれども遥かに王船を見ると、その前にその威徳のある様子に怖じけづき、心中勝てないことがわかっ
内海聡FBより転載2024年03月29日「日本の真の歴史」は真の歴史?https://www.facebook.com/kitigaii/posts/pfbid0DK8XWzqRTcYyUoHiuZTcZLRfuVWZMPKeSbvko6dsKB5jryBEdQH9G1qr3u1omqoClーーー転載開始ーーー日本人のほとんどが建国記念日や建国の歴史、建国の神話さえ知らないわけですが、その歴史や神話が本当か疑う人となれば、日本人に10人もいないだろうというのが正直なところで
古事記と日本書紀の大きな違いは、編者と私は思っています。そんなの当たり前??そうなんですけど、なんというかですね猿人類VS新人類、んー、現地人VS渡来人的な感じの違いなんです。作られた趣旨、目的も違うのはもちろんですがやはり古事記の最大の魅力は、太安萬侶が稗田阿礼の口伝を書にした、というアナログ感と、物語要素が強い所。口伝だからこそ、ドラマチックな展開も入り込みますし、その先は特に聞いてない。みたいになれば、当然にぶつ切りにもなる。このお二人に託されたのは、単に文字がかけるとか、
ご訪問ありがとうございます。さて、前々回の「古事記」に、雄略天皇が安康天皇殺害の折に「童男」であったと語られていたのですが、201607.27ヤマトヲグナ考その1で紹介いたしましたとおり、吉井巌氏は「古事記」「日本書紀」において「童」の字は神性を帯びた子供にしか用いられない字であることを指摘されました。今度は見方を変えて雄略天皇の神がかった面を探してみたいと思います。前回、雄略天皇の皇妃が掠奪された女性が多いことを指摘いたしましたが、4人目の妃はそういった話はなく、かわりに次のような
矢野竹(田)神社福岡県朝倉市矢野竹984googleマップで検索しても、入り口が分かりにくかった。↑の所の道を進んで右側から入った。そうするとこんな感じの、裏口って雰囲気の場所。小ぶりながらも高床式って感じの社殿。階段が新しくて、つい最近置かれたであろうちょっとしたお供え物もあった。矢野竹(田)神社の由来御祭神神功皇后、植安命(土の神)、大山祇命(山の神)御祭例御願立て(七月の最初の丑の日)御願成就(九月の第一日曜日)田神祭(十二月の
福岡市西区壱岐団地長崎県壱岐島おはようございます。昨日のYouTube、不都合によりアップ出来なかったのでこちらに、福岡の壱岐と長崎の壱岐島の繋がりを書いておきます。福岡市西区には、「壱岐団地」や「壱岐小学校」「壱岐中学校」「壱岐交番」「壱岐農協」など、壱岐と呼ばれる地区がある。これは古代、壱岐国造(地方官)に任命され、壱岐国(壱岐島)を治めていた壱岐直(壱岐氏)の祖とされる壱岐直祖真根子(いきのあたいがおやのまねこ)に由来すると言われています。壱岐真根子いきの-