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幕末に戻ります150年前の本日は、慶応4年1月14日。この日、富士山丸が横浜に入港致し、負傷者を横浜病院に入院させました十四日夕横浜に着す。即夜傷人直に上陸し医学所に行く。此時吾其他両三人、介抱世話役命せられ病館に行く。(島田魁日記)拾四日夕、横浜に着し、仏語学校を直し、負傷病院に宛、幕臣、会藩、新撰組等混淆して仏人の治療を受け…(新撰組往時実戦談書)…われわれ負傷者を戸板へのせて上陸させ、外国人のいる病院へ入れてくれました。これは外国語学校と
150年前の本日、元治元年6月20日でございます。この日、歳様は義兄の佐藤彦五郎さんに書状を書いております内容は「池田屋での手柄により、幕府から禄位の内示があった」というものですそれだけ見ると平和な感じなのですが…「歳さん」屯所の副長部屋に、総司がそっと忍び入る。書を認めていた手を休め、歳三がちらりと総司を見た。「ん?まだ起きていたのか?」「そりゃ昼間でも『寝てろ』ってうるさいんですもの。そんなに寝てばかりいられませんよ」ちょっと口をとがらす総司に、歳三は苦笑する。
150年前の本日、元治元年6月21日でございます。この頃の長州藩は前年「八・一八の政変」で京を追われて以来、ずっと上京を請願してきました。でも、それはいっこうに、ききいれられませんでした。そこに池田屋事件の報が入り、一気に反幕感情が爆発したのです。藩内では色々な意見が交わされましたが、結局は武装した諸隊が上訴に上京することとなりました。藩主父子と、長州に落ちた七卿のうちの生存者五卿の赦免の嘆願のためです。戦国武士の再来といわれる来島又兵衛、七卿とともに長州に落ちてきて
昨年11月末に、初の「海外船」でのクルーズに行ってきました日程的にはこんな感じ。1日目夜東京出航2日目洋上3日目洋上4日目台湾(基隆)5日目石垣島6日目朝那覇入港夕方那覇空港~羽田日本船でのクルーズは、ほぼ横浜発が多かったのですが今回は初めての東京国際クルーズターミナル。ちょっとビックリした飾りつけ(笑)クルーズレポは、こまめがバッチリと記事にしてくれているので私は書かなくてもいいかな~とは思ったので
昨日は日野新選組同好会・オンライン例会講演にご参加の皆さまありがとうございました延期になっている「新選組検定」がいつ実施されるかわかりませんが、受験される方の参考になればと思います。(なったかどうかは不明だけど)さて、阿部書状に戻りますね。この日付が、「八日」なのか「六日」なのか「一日」なのか、はたまたコメントを頂きましたように「朔日」なのか。ツイッターでは、「同」という字にも似ているとのつぶやきも頂きました。確かにかなり当時に書かれた略字の「同」に、似てます。
幕末続きます150年前の本日は、慶応4年9月5日。この日、如来堂が新政府軍に攻撃されました。然るに無程如来堂の本営え敵兵不意に押寄せ、直様接戦相始り、何分味方二十余人の小勢故外防禦の術なく尽く討死す。(島田魁日記)敵不意に五百余人攻来る雖ども、戦い更たに利なく、これに於て遂に尽く戦死す。(立川主税戦争日記)仝五日、南軍若松城に向ひ、小田山より眼下に城中を射撃し、諸口より大砲を放発し攻進し、怱転じ如来堂、高久村に向ひて襲来す。我戌兵深霧に隔てられ敵の
こんにちはひやしあめです中学生のときに買って、いっそ保存しておこうかと思っていたジャンプがあります。結局処分したと思うのですが。1991年の夏の号で『ー幕末人斬り伝ー壬生の狼』というものすごい萌えな読み切りがあったのです。新選組沖田総司が主人公で、本来の新選組とは毛色が異なるのですが、初めて沖田萌えになったお話です。絵柄が好みなのもありますが、なんとカッコいい沖田なのだろうと。単行本にはなっていないので、買えない。でも読みたい。実はまた読むのは簡単で、国会
こんばんは。今日で、9月もおしまい。企業にお勤めの方は、上半期が終わった!というところでしょうかさて、150年前の本日は文久3年8月18日そう、世に言う“8・18の政変”でございます「蛤御門の変」つまり「禁門の変」とは、違いますからね(^^;;結構、ごっちゃになったりしません私も初めの頃は、混乱しました!?(・_・;?え、私だけともあれ今日の政変は、非情に重要な日でありまして、初めての出動命令があったという事とともにその働きによって「新選組」という隊
お正月も早3日でございます。昨夜は十六夜の満月でしたが、ご覧になりましたでしょうかさて、記事は引き続きの幕末でございます150年前の本日は、慶応3年12月9日。この日、王政復古が発令されました。巳の刻頃、具視、摂政以下退朝の報に接し、(中略)乃ち天皇、御学問に出御あらせられ、親王及び諸臣を引見し、勅論を賜ひ、王政復古の大号令を発したまふ。(明治天皇紀)「王政復古の大号令」っていうと、前日の朝廷会議(慶喜さんらは欠席)でいきなり決められて、発せら
2022.10.17.今回は、新選組隊士『安富才助のお墓(夫婦墓)』へ。谷三十郎など岡山出身の隊士は、結構居たようですが、やはり!有名なのは、安富才助でしょうか新選組隊士として戊辰戦争を生き抜いた1人です新選組好きなら!「おぉ〜」と思う隊士ですねお墓は、生まれ故郷の足守藩の陣屋近くのお寺の墓地にひっそりと有ります。(普通車不可)『安富才助(才輔、才介)は、父の正之進と出身の足守藩を離れ江戸藩邸に詰めます。元治元年10月、江戸にて新選組隊士募集に応じて入隊した。斎藤一の四番