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令和七年十一月二十五日、帰宅して郵便箱を開くと、数通の喪中の葉書が届いていました。その中に、菊地明さんの奥様からのご逝去のお知らせが入っておりました。十一月三日、七十四歳で永眠され、家族葬で済まされたとのことでした。また、次号の『碧血碑』最終号は発行日未定ながら準備中と記されていました。菊地明さんが運営する「碧血碑」の会員や、賀状のやり取りをされていた方々に送られたもののようです。実は、十一月十五日に「碧血碑」の集まりがあるはずでした。しかし、どなたにも連絡がつかず、私は十一月十七日に現状
歴史研究家の菊地明先生が亡くなられたことを他の方々の記事で知りました。菊地先生は新選組を中心に幕末に関する書籍を多数執筆された方で、僕を幕末史研究に導いてくれた心の恩人です。時に大胆な推測を交えたそのスタイルに異を唱える向きもありましたが、「こういう見方も出来るんじゃないか」「これはこう考えても良いのではないか」と考える“気づき“のきっかけを与えて下さったと思います。それに何より菊地先生の本は読んでいて楽しかった。ついつい読み続けてしまう面白さがありました。菊地先生の登場
師走になりました、本年最後の月ですね。一年一年、本当に早く過ぎ去っていくようです。さて、慶応2年の近藤らが再西下した時の、近藤の帰京日の事の続きです。前回の記事は『慶応2年近藤勇帰京日について1谷三十郎日記』前回の記事にも書きましたが書こう書こうとずっと思ってて、延び延びになっていたことがあります。それが慶応2年の、近藤らが再西下した時の近藤の帰京日です。(慶応元…ameblo.jpこの「谷三十郎京都日記(手扣)」により、近藤の帰京日が3月12日ではなく、4
とりあえず山田裕貴くん以外は誰が出るのかまだ噂止まりだけど噂通りの「ちるらん」の実写は解禁しました新選組をヤンキー風に描いた作風らしいのですが私の時代はミニスカにルーズソックスが主流だった為ヤンキーについては無知であります(そりゃ見た事はあるけどね)情報小出しなのね次の解禁は18日って長いやっぱり静岡でも撮影してるねー4月から撮影してたって凄いね焦らされ過ぎーまさか次のペンライト刀銃と刀の危険ライブ行きたい今日、職場の廉担さんに「週間ケントありがとう」って言われ
斎藤一、近藤勇に続いて、今度は土方歳三をAIで再現してみました。ただ、先に言ってしまいますが、今回はあまり思ったようにはなりませんでした。前回の近藤勇が超絶濃い顔だったのに対して、土方はアクの少ない“薄い顔“。そのせいか、うまく反映されないケースが多く、反映されたとしても目鼻が妙に大きくなったりします。想像するに古写真(白黒写真)特有の陰影の、影が黒く映るのが影響してしまい、その影の部分が目鼻の大きさに加算されてしまうのかも知れません。なので、今回はうまくいかなかった中で
今回は新選組の藤堂平助をAIで再現してみました。藤堂平助については、その出自に諸説あります。なかでも有名なのが「藤堂和泉守の落胤」とする説で、たとえば『新選組始末記』(子母澤寛)に「伊勢津藩主藤堂和泉守の落胤で、北辰一刀流千葉周作門人、目録者」と紹介されていますが、これは当時から言われていたことで、同志の永倉新八も「関東浪士、藤堂和泉守落胤」と書き残しているほか、当時の噂話にも「藤堂和泉守の浪人にて、壬生組に入り候由。実は和泉守妾腹の末子とやらの噂の者に御座候。至って美男子の
学生時代、よく時代劇を見ていた。コミカルな近衛十四郎さんも好きだったが、一番好きだったのは、新選組副長土方歳三役の栗塚旭さんである。「新選組血風録」や「燃えよ剣」での栗塚さんは、言葉少なでも存在感があった。黒っぽい着物を着て、ニヒルな表情は子供ながらにかっこいいと思った。後に司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んだ時、無意識に土方歳三に栗塚さんの面影を投影していた。そして、沖田総司は島田順司さん。私の年代は多分そのように刷り込まれている。そして栗塚さんは声が良かった。落ち着いた声で抑えた艶があった。
尊王の反対語は佐幕ではなく、攘夷の反対語は開国ではありません。勤皇ー佐幕鎖国ー開国が、敢えていえば正しい反対語概念です。尊王(君主を尊ぶという思想)と勤皇(天皇に政治の実権を取り替えすために幕府を倒そうとする行動)は全然別物であり、攘夷(外国に負けるなという思想)と鎖国(外国と付き合わないという政策)は全然別物です。「攘夷」の反対語は「開国」ではなく「屈服」「隷属」です。「尊王攘夷」というのは、いつのまにか、これを唱えることで「外国と仲良く付き合う」という第三の選択肢を意図的に隠すこと
とうとう…本当に終わっちゃいました…第3部前半は家族で夕ご飯時間だったので20:00頃から最後までじっくり試聴しました✨✨明日以降前半もじっくり見ます!!まずはこの終わったばかりの熱量をこのブログに残しておきたいと書いています桶狭間ありささんの音楽が随所に印象的にこのイベントを彩ってくれていました君ゆきのみんながこうしてこの衣装を着てこの髪型をして勢揃いするのはこれが本当に最後今日はそんな若いキャストの皆さんの卒業式でもあったのかなひとりひとりの挨拶
その昔、ケーブルテレビを繋いでいた頃。頻繁に見ていたのが時代劇専門チャンネル。そして、私が幕末ものを好きになったのは司馬遼太郎さん原作の『新撰組血風録』(1965年〜66年NET/東映京都)を観たからなのだ。そこで、土方歳三を演じていたのが、栗塚旭さん!大きな目に凛とした雰囲気、大袈裟な感情を出さない男臭い演技(普段はお姉言葉をよく使っていたそうだが)。もうぴったりのハマり役であった。(写真はネットからお借りしました)その後、ほぼ同じキャストで作られた『燃えよ剣」(1970年NET
今回のブログはコチラの続きから。『新選組斎藤一の墓(阿弥陀寺)』阿弥陀寺は戊辰戦争で亡くなった戦死者の遺骸が埋葬された場所。その数は1300名にものぼります。まずは阿弥陀寺のご紹介。「梵鐘と鐘楼」墳墓の横に、この梵鐘…ameblo.jp斎藤一の墓の次に向かったのは、新選組局長「近藤勇の墓」です。近藤勇の墓があるのは天寧寺。そう思っていたんですが、カーナビには別のお寺「正法寺」へと案内されてしまいました。一応そちらでも探す&ググったりしてみたんですけれど、よくわからず💧正法
菊地明主宰「碧血碑」会報の8月号で、体調を崩されて入院することになった、との記載を拝読。その時に、10月号はお休みするとのことでした。ご入院中は通信ができないとのことでしたのでご連絡することもなく、お見舞いにうかがうこともなく次の会報を心待ちにしていた矢先…飛び込んできた、11月3日ご逝去の報。本当に言葉もなく、ただただ悲しみがこみあげてきます。私が大河ドラマ「新選組!」で、新選組を知ってから当時多くの新選組関連の本を書かれていた菊地先生に本当にたくさんのことを教
昨日の11月29日(土)、行ってきました。声優さん達による音楽朗読劇です。場所は小田急線相模大野駅にある、グリーンホール。電車で行くの超久しぶりで、あまりの変りぶりに迷いそうになった(-_-;)グリーンホール、伊勢丹が無くなってから、出入りが裏側になって非常に不便になったと思う。以前は真っすぐ伊勢丹の中を突っ切って入って楽だったのに。リーディングハイは、今年は2回目。一回目は歌舞伎町タワーで、石田彰さんが参加されててアゲアゲだった。今回は
前回の記事にも書きましたが書こう書こうとずっと思ってて、延び延びになっていたことがあります。それが慶応2年の、近藤らが再西下した時の近藤の帰京日です。(慶応元年11月に長州尋問使に随行して、近藤勇らが西下。翌年1月に再び長州処分通達使に随行する形で、広島へ。その時の帰京した日、ということになります)一般には近藤の帰京日は、3月12日と認識されています。が、実は4月14日だったらしい。(個人的には4月12日~14日の間と思っていますが、これは追々)「ちょうど150年前の本
刀剣乱舞・薄桜鬼・大河ドラマなどで、新選組の沖田総司が使用していた事で有名な加州清光の脇差(54.0cm)を入荷し出品しました!!【加州清光古刀脇差54.0cm白鞘・打刀拵付き...-Yahoo!オークション詳細な時代は不明ですが、銘の形が六代目非人清光(乞食清光)に見える脇差になります。新選組の沖田総司が池田屋事件で清光を仕様していた事はあまりにも有名です。動乱の時代を沖田総司と共に潜り抜けた清光と同名の脇差をコレクションに加えてみてはいかがでしょうか。細身でauctions.y
聖天山の演武準備で朝早く前日まで浸けていた巻藁14本を聖天山境内の脇に試斬台と共に置き、午前10時からお祭り広場の舞台造り、観客席を配置する手伝いに出かけ午前中いっぱい会場の設営に協力してきました。聖天山の縁結びキャラと撮影演武前に記念撮影新聞折込チラシ市内に配布祭りの広場で午前中はお手伝い聖天山公式行事名物聖天寿司演武開始は午後15時30分理合いの説明しながら「真」の形を見せます膝の悪い形を座技・立技で立体的に見せ説明
RERISEproject03図南鵬翼祭宴/燎原之緋こちらはお申し込み、ご来場に関する項目を記載しております。お申し込み・ご来場の際は必要項目のご一読をお願い致します。※現在、Gmailアドレスをご利用頂いた際に自動返信メールが届かなくなっております。恐れ入りますが、お申込みの際はGmail以外のメールアドレスのご利用をお願い致します。▼目次▼①-A【当日精算券】について①-B【最前列指定券】【事前振込券(パンフレット付/チケットのみ)】【若手隊士券】について
皆さんこんにちは京都悉皆屋おばさんです。今日は昼からお客さんがこられなかったのでパートさんからお茶会のお誘いをしてもらったので紅葉も兼ねて金戒光明寺へ行ってきました。このお寺は意外にご存知ない方が多いのですがなかなかの穴場ですよ。金戒光明寺の四季水野克比古写真集(京・古社寺巡礼)[水野克比古]楽天市場息子と一緒に行ってきました。時間がギリギリだったのでお茶を頂きお庭を拝見させて頂きました。丁度パートさんにお茶を頂きました。お隣はご主
幕府への忠義に殉じた新選組局長靡他今日復何言(他になびき今日また何をか言はん)取義捨生吾所尊(義を取り生を捨つるは吾尊ぶ所)快受電光三尺剣(快く受けん電光三尺の剣)只將一死報君恩(只まさに一死をもって君恩に報いん)近藤勇は、新選組局長でした。武蔵国多摩の農民の子として生まれた彼は、天然理心流剣術を修め、その三代目である近藤周斎の養子となった。1861年には正式に点飲ん理心流四代目となっている。1863年、清川八郎の献策で浪士組が結成されると、近藤はこれに参
2019年9月24日のブログ今ハマっている人の動画連休初日だったかな?twitterで見始めた山本太郎の街頭トークがすごくわかりやすいし面白いので食い入るように見てました。山本太郎の小学生の通学エピソード(面白い!)からメロリンキュー、バトルロワイヤル(深作監督とのこと)、大河ドラマ新選組の時のこととか丁寧に追っていて、その時々のエピソードトークしてくれてますが、いちいち面白い!どの話でもわかりやすいのがすごい。俳優時代の山本太郎さんは、藤原竜也くんと同じ作品に出たことも
「新選組(1969)」「新選組(1969)」予告編1969年12月5日公開。三船プロダクション制作の新選組。脚本:松浦健郎監督:沢島忠キャスト:近藤勇:三船敏郎土方歳三:小林桂樹沖田総司:北大路欣也芹沢鴨:三國連太郎伊東甲子太郎:田村高廣河合喜三郎:中村賀津雄山南敬助:中村梅之助つね:司葉子お雪:池内淳子お孝:星由里子お梅:野川由美子香織:北川美佳清河八郎:御木本伸介谷守部
大ファンの映画俳優、栗塚旭さんの訃報を2025年9月13日の朝日新聞で知り、驚きました。<2025年9月13日(土)朝日新聞・朝刊より>昭和40年、私が高校生の頃、東映京都テレビプロダクション・NET(現テレビ朝日)制作のTV映画「新選組血風録」の大ファンで、全26話をリアルタイムで観ていました。「新選組血風録」はモノクロ作品のためか再放送もされず、やっと東映からβⅡ(ベータ・マックス)のビデオテープが発売されました。SONYのβⅡご存知でしょうか?2話分収録で9800円と高価でした
神田川紀行②は水道橋駅から出発です途中ちょっと横道(歴史散歩)にそれますがまた神田川に戻りますので長いですがお茶の水まで🚟よろしくお願いします窓に映るのは、遊園地のアトラクション水道橋駅付近の、神田川この辺りって、大学がいっぱいあるんですね💡人通りも多く、学生も大勢いて賑やかでした水道橋駅の周辺から少し歩くと元町公園ここは、JIN−仁−(ドラマ)のラストで現代に戻った仁が、咲の手紙を読んだ公園ですこの場面、何度観ても泣いてしまいます…公園は現在工事中で、中に入れませんで
【東京】新選組の前身浪士組が結成された『傳通院』でステキな【コラボ御朱印】がいただけます傳通院×JR東海コラボ御朱印【傳通院コラボ御朱印】EX旅先予約から事前予約が必要です【対応時間】9:30~16:00【傳通院御朱印】御朱印は観音堂でいただきます。【山門】【本堂】【宗派】浄土宗【山号】無量山【院号】伝通院【寺号】寿経寺【御本尊】阿弥陀如来像1415
2クールに渡る新選組の異章。夕方作品だけに、かなりしっかり作られていて、2クールに渡り見ごたえがあった。終盤の京都大火エピソードと、それにつながる前章はやっぱり見ごたえ十分、シリーズ構成の妙・巧があったかな。ただ、雨月夜的には新選組の描き方としてはやっぱり異質だったかなーと思う。雨月夜が思い入れがあるからだけど。異章、IFストーリーだと分かっていても、どうしてもミブロの描き方に引っかかっる部分が多かった。最終話、髪を切っていよいよミブロの剣士となったにおくん、なかなか凛々しかった
「幕末には、将軍職を巡って、家茂派と慶喜派が対立したんですか?」まあ、大づかみに言えば、そうですが。その言い方だと「幕府のリーダーには、家茂が相応しいか、慶喜が相応しいかの争い」みたいな話に聞こえますけど、全然、そんなことではありません。幕末の「将軍継嗣問題」は、「南紀派対一橋派」と呼ばれます。当時、将軍家定に跡継ぎの男子がないため、従兄弟から紀伊徳川家の養子となっていた紀州藩主徳川慶福(よしとみ)と、水戸藩主の息子で一橋家の養子になっていた一橋慶喜(よしのぶ)、どっちを将軍の跡継ぎにする
先日の都内お散歩の記録。6月中旬にして最高気温30℃超えの青天の中。まずは、幕末の史跡、こちらに訪れました。伝・沖田総司逝去の地。JR千駄ヶ谷駅から歩いて8分ほど。周辺には遺構もなく、道沿いに説明板が建てられているのみです。沖田総司が亡くなった場所には、いくつか説がありますが。こちらは、「植木屋平五郎宅の離れでなくなった」説の地なんですね。→沖田総司終焉の地碑のある、今戸神社沖田さんは、松本良順宅のあった
>なりたいから武士になるなんて、あり得ない事でした。普通に御家人株売買されてたし仙台藩なんか価格相場表すらあった。勝海舟の曽祖父米山検校も金で武士の身分を買った人で、渋沢栄一も百姓から幕臣になった。https://t.co/pExsNzhPhy—月见炒饭主席(公式)(@Izuminnaga10)December1,2025やはり幕府は滅びるべくして滅びたとしか。だいたい百姓上がりの士分として慶喜の腹心渋沢栄一を知らないとか慶喜の子孫を掲げるならありえん
昨日は「新選組史再考第41回近藤・土方の書簡&川島報告書&松山惨殺」のオンライン講座でした。ご参加の皆さま、ありがとうございましたさて先日「霊山歴史館」が、山﨑亟の「取調日記」の寄贈を受けたことが6/26の京都新聞デジタルにて発表されました。京都市東山区の霊山歴史館に「幻の新選組史料」が寄贈あの主要隊士がつづった内容は|京都新聞デジタル京都・滋賀のニュースサイト新選組の主要隊士だった山﨑丞(すすむ)が慶応元(1865)年に書いたとみられる日記が、幕末・明治維新専門
昨夜、NHK「歴史探偵新選組エピソード・ゼロ」をなんとなくつけていたら、ある言葉をわが耳がキャッチし、思わず画面へ目を転じました。その言葉とは・・「しえいかん」。漢字では、「試衛館」。以前ブログに書いたとおり、近藤勇の道場です。私がこの道場に注目したきっかけは、新選組つながりではなく、樋口一葉つながりでした!「樋口一葉赤貧日記」の中にこんな風に書かれていたのです:一葉の父・則義は、武士になる日に備えて剣術を習うことを決意。近藤勇の養父に弟子入りし、試衛館(道場)に通い