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今日は、母の命日。朝6時35分かっきり二分近く合掌。昨年この時、丁度訪問看護師が来て痰の吸引をし終わった時に母は息を引き取った。苦しい表情もまったく見せず、本当に静かにそうっと旅立った。僕も不思議なくらい、悲しくはなかった。前日夕方、看護師から、もう間もなくね、と言われて、僕もその晩、心の準備をした。朝方、イチゴとキュウイをごくわずか口にし、かすかに「うまい」とささやいてから意識も失って、顎を大きく動かして肩呼吸をしたかと思うと、息が止まったかのように喉もピクリともしなくなるのを一晩中波のごと
○2022年2月3日に、上賀茂神社へお参りした。上賀茂神社の楼門横に、小さいながら、派手な社が建っているのを見付けた。それが片山御子神社だった。片山御子神社は、賀茂別雷神社の第一摂社であると言う。その片山御子神社については、前回、詳しく触れたので、そちらを参照されたい。・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『片山御子神社』片山御子神社|古代文化研究所(ameblo.jp)○その中で、「紫式部と片岡社」と言う案内があって、興味深く読ませていただいた。和歌を勉強している者にとって、甚だ
式子内親王の悲運な生涯を辿る前回では、それまでの仮住まいから、やっと大炊殿に身を落ち着けることができたまでをお話ししました。前回引用した、『源家長日記』の御殿の庭の記述からは、内親王が、平安な暮らしをようやくにして得たことがうかがえます。しかし、それは長くは続きませんでした。重い病が内親王を襲うことになるのです。それが、明らかになるのは、定家が『明月記』正治元年(1199)五月一日の次の記事からです。「大炊殿ノ女房告ゲ送リテ云ハク雑熱ノ事御ハス之間、医師等ヲ召スト云々」2018年に評
今日取り上げる、桜を詠んだ歌は、A百首(式子内親王の和歌の研究者にとって、これが通称ですが、どうも味気ないと感じる方、『前斎院御百首』という名称もあります)の中で、新古今和歌集に入集されている、一番若い番号のものです。はかなくて過ぎにし方をかぞふれば花に物思ふ春ぞへにける春下一〇一《歌意》はかなく過ぎてしまったこれまでをあれこれ思って数えると、花についていろいろ物思いをする春を幾度も経てきたことよ和歌にあまり接したことのない方でも、名歌と思わせる和歌ではないでしょう
日本自然保護協会青柳昌宏①詩的に自然を見る芳賀徹氏(『自然の思想』研究社1974)の表現を借りると、日本人は少し小さい枠だが度の強い眼鏡をかけて自然を見ているという。そのフィルターというのは、千何百年かにわたって、日本の詩人たちがつくってきたさまざまなイメージ、ボキャブラリーだというのである。つまり、『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』芭蕉、せいぜい「もののあはれ」の本居宣長まででプラトン、トンアトといった哲学者を生まなかった日本の風土は、これらの詩人をと
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m今年も仙台城ガイドボランティア会および当会のブログ、「ガイドが教える仙台城を10倍楽しむ方法!」をよろしくお願い致します。さて、新年最初のブログは1月7日(日)からスタートします今年の大河ドラマ「光る君へ」にまつわる話からしていくことにしましょう。「え、なんで?仙台城と紫式部や源氏物語は関係ないのでは?」そうお思いの方もいるかもしれません。確かに仙台城や伊達政宗とは関係がないかもしれ
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》821後朱雀院かくれ給ひて、源三位(げんさんみ)がもとに遣はしける弁乳母(べんのめのと)あはれ君いかなる野べの煙(けぶり)にてむなしき空の雲となりけん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆後朱雀院が亡くなられて、源三位のもとに詠み贈った歌弁乳母ああ、帝は、どういう野辺の火葬の煙で、虚空の雲となられたのでしょうか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第二・春歌下》159百首歌奉りし時皇太后宮大夫俊成駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井出(ゐで)の玉川(たまがは)☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆百首の歌をさしあげた時皇太后宮大夫俊成馬をとどめて、もっと水を飲ませよう。山吹の花の露がこぼれ加わる井出の玉川よ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎
【最終更新日:2022-09-25】平安時代の歌人、藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)と式子内親王(しきし/しょくし/のりこないしんのう)には、恋愛関係があったという話が伝えられている。両方ともwikipediaより。歌の家「御子左家(みこひだりけ)」の藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい/としなり)・定家父子は、後白河院の第三皇女、式子内親王と和歌を通して交流があった。式子は俊成から和歌を学んでいたが、次第に息子の定家も、式子の屋敷を訪れるようになったことが、定家の日記『
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》190題知らず柿本人丸鳴く声をえやは忍ばぬ郭公(ほととぎす)初卯(はつう)の花の陰に隠れて☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず柿本人丸鳴く声をがまんすることができないのか、早くも声をもらしているよ、ほととぎすは。初めて咲いた卯の花の陰に隠れて。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎
《新古今和歌集・巻第一・春歌上》81亭子院(ていじのゐん)歌合歌紀貫之わが心春の山べにあくがれてながながし日を今日も暮しつ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆亭子院の歌合の歌紀貫之わたしの心は、桜の花の咲く春の山のあたりにうばわれて、落ち着かないまま、長い長い日を、今日もまた暮らしてしまった。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》816小式部内侍身まかりて後(のち)、常に持ちて侍りける手箱(てばこ)を誦経(ずきやう)にせさすとてよみ侍りける和泉式部恋ひわぶと聞きにだに聞け鐘(かね)の音(おと)にうち忘らるる時の間(ま)ぞなき☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆小式部内侍が亡くなってのち、いつも持っていました手箱を誦経の布施にさせるというので詠みました歌和泉式部恋い悩
*:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろしLINE@始めました・*:.。おみくじ、占い感覚でどうぞ執筆、講義のご依頼はお気軽に・*:.。→★(執筆関係)→★(講義関係)*:..。o○○o。..:*恋歌とてよめる帰るさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月藤原定家新古今和歌集恋三、1206【口語訳】有明の月よ。あなたはほかの女性と睦み合い、その帰りに別れてきたその人を想ってこの月をしみじみ眺めているのか。
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》822返し源三位(げんさんみ)思へ君燃(も)えし煙にまがひなで立ちおくれたる春の霞(かすみ)を☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆返し源三位お思いください、君よ。帝のお燃えになった煙にまぎれて立ちのぼってしまうことなく、立ち遅れている春霞と同じように、おあとに残っているわたしのことを。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》814後一条中宮、かくれ給ひて後(のち)、人の夢に故郷(ふるさと)にゆく人もがな告げやらん知らぬ山路(やまぢ)にひとりまどふと☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆後一条院の中宮がお隠れになってのち、人の夢の中で故郷である現世に帰って行く人がいたらいいなあ。いたら、告げてやろう。見知らぬ死出の山道で、わたしひとり迷っていると。☆☆☆☆☆☆☆☆
大河ドラマ「光る君へ」も大分ストーリーが佳境に入ってきて、第17話「うつろい」では、藤原道長の兄で、ときの関白道隆が亡くなるところまで話が進んだ。死の床で、道隆は妻の貴子に対して「そなたに初めて会ったのは、内裏の内侍処であった。つんとすました女子であった。」これに対し、貴子は、「道隆さまは、お背が高く、きらきらと輝く、殿御でございました」と答え、これに道隆は、かすれるような声で「忘しの(わすれじの)行末まてはかたけれはけふ(今日)をかきり(限り)の命
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》823大江嘉言(おほえのよしとき)、対馬守(つしまのかみ)になりて下(くだ)るとて、「難波堀江(なにはほりえ)の蘆(あし)のうら葉に」とよみて下り侍りけるほどに、国にてなくなりにけりと聞きて能因法師あはれ人今日(けふ)の命(いのち)を知らませば難波の蘆(あし)に契(ちぎ)らざらまし☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆大江嘉言が対馬守になって下る
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》794同行(どうぎやう)なりける人、うち続きはかなくなりにければ、思い出(い)でてよめる前大僧正慈円故郷(ふるさと)を恋ふる涙やひとりゆく友なき山の道芝(みちしば)の露☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆仏道修行の同行であった人が、続いて亡くなってしまったので、思い出して詠んだ歌前大僧正慈円故郷を恋しく思う涙が、一人行く、友のいない山の、
明日ご紹介する→→次の記事→→の詞書に登場する歌を先に訳しておきます。大江嘉言(おほえのよしとき)は対馬守(つしまのかみ)として遠く長崎に船で旅立つ際、「また帰ってきますよ〜」とこの歌を詠みましたが任国で亡くなってしまいます。この歌と明日掲載する歌『新古今和歌集823番』をセットでご鑑賞ください。《後拾遺和和歌集・476》命あらばいま帰り来む津の国の難波堀江の蘆のうら葉に大江嘉言☆☆☆☆☆☆☆☆【直訳】☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》824題知らず大江匡衡(おほえのまさひら)朝臣夜(よ)もすがら昔のことを見つるかな語るやうつつありし世や夢☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず大江匡衡朝臣夜どおし、昔のことを夢に見ていたことよ。その夢の中で人と語り合っていたことが、現実であるのか、それとも、その人の生きていた世が夢であったのか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》820世のはかなきことを嘆くころ、陸奥国(みちのくに)に名ある所々(ところどころ)かきたる絵を見て紫式部見し人の煙(けぶり)となりし夕(ゆふ)べより名ぞむつましき塩竈(しほがま)の浦(うら)☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆世のはかないことを嘆いているころ、陸奥国で有名な所々を描いてある絵を見て紫式部親しくしていた人が亡くなり、火葬の煙と
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《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》775小式部内侍(こしきぶのないし)、露(つゆ)置きたる萩(はぎ)織りたる唐衣(からぎぬ)を着て侍りけるを、身まかりて後(のち)、上東門院より尋ねさせ給ひけるに奉るとて和泉式部置くと見し露もありけりはかなくて消えにし人をなににたとへん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆小式部内侍が、露の置いた萩を織り出した唐衣を着ていましたが、それを、