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目隠しフェンスと同時進行くらいで、玄関前の工事もありました。玄関前は、立派な門柱を立てるお金なんてないし、イメージを写真で伝えただけで、どんな感じになるのかはハッキリ分からず…て感じでした。話していた内容は、枕木風の柱をいくつか立てて、あとは植栽なんかで、玄関が丸見えにならないように、家と道路の境目を作る感じで…地面は敷石と周りは砂利で…みたいなやり取りだけしてました。簡単過ぎますよね敷石はどれにするのか事前に決めてました。色選びはホント難しかったです。今でも合ってるのかイマイ
ノスウェスダー。こんばんは。義父母がホリデーで不在中は、私と主人が交代で仕事を休み、JJ🐶やウサギ🐰、魚🐟や鳥たち🦆🐓🦜の世話をしてます。そして、主人はこの休暇を利用して、庭にキャンパバン用のドライブ(小道)を完成させるとのこと。(雨の日は芝でスリップしてしまうため)先日、砂利を購入したとは聞いてましたが…帰宅したら、山盛りに届いててビックリ庭へ行ってみると…想像以上の大掛かりな作業をしてました。冬に砂利を敷いただけじゃ、ダメだったので、今回はしっかり掘り起こして、砂利で地固めも
4か所目の羽黒神社は栃木県じゃぁ真岡市に来ていますすぐ隣ちょっと走ると下館市おっと出ると真岡市よっと戻ると下館市あれ?っと思うと真岡市遊んでいる間に着いた昭和33年に台風の被害にあい再建されたようど~んと羽黒神社境内は敷石で整っていて整備されています七羽黒が刻まれているこういうのカッコいいよなぁ~鬼
改修前のひらかた京町家の数寄屋門は、こんな感じでした。門の右手前に植わっている桜の根が、敷石や敷石の間を埋めているモルタルなどを持ち上げて、ガタガタになっていました。更に、強烈なのは、門の引き戸の敷居に当たる部分の長い石が、中央を根に持ち上げられ、両端は門の荷重で押し下げられ、ちょうど真ん中で二つに折れていました。その他、屋根(棟)も曲がっているし、屋根を支える垂木の一部が腐っていたりして、直すのが大変なので新しくしましょうといわれましたが、我が儘をいって、なんとか使える状態にし
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*♡ご訪問ありがとうございます♡よかったらフォローしてくださいね♪★アメトピ掲載記事→こちら★*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*ランキングに参加しています♪ポチッとして頂けたら嬉しいです♡にほんブログ村٩(*´︶`*)۶おはようございます♬だんだんキッチンのニオイが気になる季節魚を焼くと…やっぱり魚臭いのが部屋に充満これ、かなり気になる使ったら洗えばいいんだろうけど
重満家は江戸末期から明治初期の建物で、酒造業を家業として営んでいたそうです。そのため、表にある跳ね上げの大戸から、かつて敷地の後方にあった酒蔵に通じる土間は、三和土になっており、運搬用の馬車の車輪にあわせて敷石が埋め込まれているそうです。道路と家の間に唾留め(割り竹を並べて造った低い柵)がありました。蔵のような造りで、2階の窓には鉄格子が入っていました。
はい🤗皆様💐こんにちは😊週末に購入したガーデニング資材や植物達🪴待ちきれずに日曜日☔雨の中少しだけ作業しました😊えっちら💦⛏️おっちら💦⛑️と人工芝と防草シートを剥がし土を平らにし敷石を敷きました一人で頑張りました🤗ブルー系の敷石とても清々しく綺麗でお洒落れ✨🤩✨ここで事件が❗地植えをしょうと思っていたのに我が家の土は粘度土でした😱これじゃー水捌けが悪く植物の根っこが腐ってしまう😭考えた末仕方なく薔薇🌹の地植えは自信がないので諦めました😞そして🤗本
お彼岸ですねくぅが亡くなって26日で半年になりますそろそろくぅのお骨をお庭に埋葬しようかと…レオくん(13年前に亡くなったラブラドールレトリーバー)の隣へでもいざとなると寂しくてこのままずっと側に置いておきたいと思ったけれど…お父しゃんが作ってくれた墓石の下で眠りたいよね隣でレオ兄ちゃんも眠っているから寂しくないねお外行くよと言うと玄関まで走ってきて外に出すと真っ先に行った場所毛の色と一緒真っ白な石の下でくぅ………眠ってますやっぱり寂しい……
京都市西京区にある桂離宮。その歴史は、江戸幕府の成立後から12年後の、元和元年(1615年)から桂山荘としてスタートしたようだ。その後、荒廃の時期もあったが、現在の形になったのは寛文二年(1662年)頃だと記されている。この桂離宮を設計して、陣頭指揮をとったのは、ここのオーナーでもあった”二代智忠親王”だったようだ。この時期になると、幕府の締め付けも厳しく、どこから建設費を捻出したのかが不思議であった。それについては、パンフレットに前田家の姫と結婚したことによる、財政援助と書かれていた。