ブログ記事2,953件
全く招かざる者1日目の夜にERからICUに移されたライアン。本当に私のブログはERとICUの写真が多いわ私は夜の12時過ぎに一旦家に戻って、翌朝8時頃に病院へ戻った。↑夜の病院の駐車場からは爪先のように細く茶色の月が見えた。でね・・・8時半ごろからICUドクターの回診が始まって、ライアンの病室にもドクターと看護師が2人入って来たのね。そしてドクターが話し始めたと同時くらいに、こんなのが病室に入ってきた
関東は台風の直撃を受けています💦今日は仕事後の予定はキャンセルしました;(;᷇࿀᷆;);医師の説明とは裏腹にコロナ病棟での父は元気だった。当時父は89歳…年齢の割には体力があった様だ。「広い個室でテレビも見放題、ベッドで電話も出来るし快適に過ごしてる。」と母に電話で話していた。コロナ病棟への差し入れは更に厄介で、病院の交換に電話➜コロナ病棟に連絡して貰う➜指定の時間まで駐車場で待機➜外にあるコロナ病棟まで行き看護師さんに渡すのだ。その後父の状態も一進一退…コロナ病棟から一般
2021年9月・day6お昼頃、突然、『寒い、寒い…』と、訴えてきました。布団を何枚もかけても、寒さと震えが治まらず、湯たんぽ2つでやっと落ち着きました。前日の採血では、白血球は0.1未満CRPも2.24に上がっていたところでした。体温は39度あり、すぐに、培養検査が入りました。熱は下がっても38度。アセリオで一時的に解熱するも、また熱は高くなる様子でした。・day7WBC0.1未満好中球0HGB7.8PLT80AST
入院直後から主治医や看護師さんがずっと「感染しないように感染させないように」と気にしているので当時はなんでそんなに神経質なのかなぁと感じておりましたが私も気になって(下肢骨折感染水ぶくれ)等検索して出来るだけ感染させないように気を遣いました↑検索するとかなりグロテスクな画像出てきます。退院直前になって雑談の中で明らかになっていきましたが…なんと私が入院していた同時期に足首骨折して入院4回手術10回ほどしていた大先輩?が居たそうです何度も手術してはるから左右の足の長さも
2022.12月に娘が急性脳症を発症しました。当時はどんな文献よりも、病気を抱えながらも色んなものを乗り越えて生きていくブログを見て救われました。個人差も大きく、症例報告も少ない病気ですので少しでも情報を残して誰かのお役に立てれば幸いです。後は、自分用に娘との楽しい日常も残したいと思ってます娘は1歳1ヶ月でつかまり立ちまで出来ました病前まで健診等での指摘はありませんでした5日目で病気がわかりました。診断:二相性急性脳症(AESD)併発:敗血症、腸炎原因:風邪ウイルス(退院時に色
◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問・いいね・フォローありがとうございます・‥…━━━☆・‥…━━━☆『現場からは以上です①』◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問…ameblo.jp↑続き「病院でたらLINEしといて」と妹に
※過去の振り返りになります。後期流産の記録です。あくまでも私の場合の記録にはなりますが辛く悲しい出来事なので読んで辛い気持ちになる方もいらっしゃるかもしれませんのでご注意ください。◾️お産後赤ちゃんは外の世界に出れたけど、胎盤が出ない。麻酔で眠って胎盤を出す事になった。※ここから私の記憶が断片的にしかなく夫から聞いた話やメモを元に記録しています。麻酔で眠ってもらいますね、と言われたところまでしか記憶にない。目が覚めたらバタバタと輸血をされていた。胎盤を
昨日はバタバタで、ブログを書けなかった発熱が原因で、一昨日、入院した妻一昨日の段階では膀胱炎とか腎盂腎炎の診立てだったけれど…違ったCVポートからの感染症だった血液にブドウ糖菌が入ってしまったみたいで数日前の脇腹の激痛もそれが原因かもしれないとのことけっこう、やっかいな菌らしいそしてその菌が”耐性菌”(抗生剤、薬剤に耐性を持った菌)だと、さらにやっかいらしいんだけどその検査結果は、また明日昨日から抗生剤を点滴して熱と痛みが治まって
旦那は40度の熱が2日続き、コロナ検査をするも陰性。治療が必要と判断したようで、「入院させます」と電話がありましたが、なんせ面会や直接医者に会う機会を奪われているこのご時世ですので、どんな検査するのか?どんな治療をするのか?全て電話の事後報告でした。入院後担当医師より電話で若いから死ぬ事はないけど、どこまで治療しますか??とがんや脳出血などの場合は手術はしない。突然何かあっても延命措置は必要ない。併設病院以外の搬送もしなくていい。がっ併設病院での治療で済むのならお
昨日16時5分に次男が息を引き取りました。最後の最後まで本当によく頑張りました。次男とのいろいろなことを忘れたくなくてブログにしているのですが、ここ最近はなかなかブログと向き合う時間も気持ちもなく。。。9月9日の出来事をちょこちょこと書いては保存し、さっきやっと投稿しました。それから約1か月、短い間ですが本当にたくさんの思い出を作れました。忘れないうちに記していきたいです。あまりにも辛くて、悲しくて、次男との思い出を頭で反芻したいけど、それも辛くて、でも考えなかったら忘れそうでそれ
昨日、産科医療補償制度の運営組織日本医療機能評価機構から審査結果が届きました。補償対象と認定されました。昨年11月末にお産したクリニックに書類を持って行き12月末に書類の追加提出を言われ機構から書類が舞い戻り今年1月下旬に追加分も加えて再度お産したクリニックに書類を提出2月中旬?だったかな?に申請書類を受理しましたと通知が届き昨日(3/4)審査結果の通知。私原因分析+審査結果が出るのに半年くらいかかるのかと思ってましたなので思いがけず早い審査結果に驚き。必要書類を集めて
昨年の11月22日~いい夫婦の日~念願の「真珠婚おかげ参り」に当選し、夫婦で参加しました。SNSにあげたところ、皆さまから「おめでとう」のお言葉をたくさんいただきました。ありがとうございました。でも、本当の真珠婚式は本日2月11日です。(挙式日)そういえば20周年のときも、伊勢に行ったんだった。10周年はハワイで10周年Anniversary挙式をしました。30周年は前倒しでお祝いしたようなものなのでいいんですが、せめて毎年恒例のキャンドル点火は
昨日4月21日(日)はぴすしらおかにて、初めての脳卒中当事者会りぼんず交流会を開催しましたもしも誰も参加者がいなくても根気よく続けようねなんて声かけあったりして誰か来てくださるかしらとわくわくドキドキ準備の様子はこちらの過去記事↓『くも膜下出血後11年目の夫との暮らし』3月にサラリーマン生活卒業した夫どうかな?急に支えがなくなってしょんぼりしないかしら?なんて思っておりましたがもうほんとにありがたいことにたくさんのご縁に恵…ameblo.jpところがですよ
先日不注意から指に穴を開けてしまったわが夫(英国人)はこのたびかかりつけ医の診療を受け予後順調、経過に懸念なし、のお墨付きを頂きました。「なんかお医者に対して申し訳ないというか、こんな些細な事柄でお忙しいところお邪魔してすみません、みたいな罪悪感を抱いてしまうくらいあっさりした診察でしたよ」「まあでもお医者様からそう言っていただけたら安心だよ。えーと、あれは大丈夫だったのか、怪我から血が悪くなっちゃうやつ」「ええ、敗血症(Sepsis)の心配もなし、だそう
次男闘病中…いついかなるときに連絡がきてもいいように!と細心の注意を払っていた携帯電話、次男がいなくなってしまったあとではそんな緊急性の高い連絡があるわけもなく…でも、もしかしたら病院から電話が…なんてスマホを確認してしまう自分の癖がなんか悲しかったです10月12日に亡くなり、11月から職場復帰、そんなとき、いつもの癖でもしかしたら…とスマホを見ると、もうかかってくることはないと思っていた病院からの着信ホントにびっくりしました何故連絡がきたのか見当もつかないし、ビビりな私は、ブログ
◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も...◇訪問・いいね・フォローありがとうございます・‥…━━━☆・‥…━━━☆今朝、ブログあげてその後仕事へ行きあと30分ぐらいで仕事終わるという頃妹から電話(気付かず。笑)まだ仕事だった?とLINEきてて「朝の話しから急激に悪化して」ときてた。夕方、高熱が出て「敗血症」とのこと。夕方、病院から連絡があって来週の◯曜日に転院&タクシーの手配が出来た
殿方が無事運ばれてゆきその事を息子さんにも連絡、そして誰かに話を聞いてほしいと、いつもお世話になっている訪看さんにも連絡をした私だった。誰もいなくなった我が家には、我が愛しの坊ちゃん(ミニチュアダックス17歳♂)の鳴き声だけが響いていた。程なくして息子さんから連絡があった。父のことありがとうございますと。そして、仕事なので直ぐに駆け付けるのは無理なこと、仕事の調整をしてなるべく早く病院に行くということを伝えてきた。最近は殿方とは全然連絡を取ってなかったらしく、殿方の普段の様子が全然分か
今日は、「魔法の草」とも呼ばれるメディカルハーブ、Calenカレンデュラについてです。クリームとして用いられることも多いですね。それでは、ご覧ください。植物。マリーゴールド。キンセンカ。キク科(Arn.アル二カと同じ急性マヤズム)。特に関係の深い部位(レメディは、全身に関係するものです)軟部組織・結合組織・皮膚・筋肉・脊髄・肝臓・免疫系・血管主な精神的特徴引き裂かれた心や体の傷を癒す。精神的、感情的
エンハーツ副作用は13日目で抜けましたやはりエンハーツ何度やっても副作用長め最近左腕がリンパ浮腫になってて、、、もともと両腕とも二の腕は浮腫でパンパンだけど前腕が1週間前くらいから少しずつ浮腫んできて今日は手まで浮腫んでる二の腕から手にかけてパンパンに浮腫になったのは敗血症が原因で血栓ができたとき(左腕)腋下リンパ節転移が増大したとき(右腕)なので不安になっています腎臓の機能低下や甲状腺や心臓などが原因なら全身や下半身が浮腫むだろうし尿はいつもより出てるか
ICU。私の一番の問題は血圧だった。普段から低血圧ではあるのだけどこの時私の血圧は36とかだったらしい。「あと10ほど下がると危険です」と言われていたそうだ。血圧を下げないために足を高くしていた。そんな感覚ないくらい、私の全身はただそこに”ある”だけだった。そして腎臓が機能していない。よくわからないけど、尿が出せないので尿管には管を、そけい部からカテーテルを入れ人工透析をした。この透析の機械が一台では追い付かず異例の2台使って透析していたらし
旦那が敗血症で入院した時は、24歳。入院保険に入ってなかった。実費での入院費はきつかったなーその時、保険に入らなきゃって思った。あと、同じくらいの時期に昔の同僚が保険屋さんをスタートさせたので、がん保険にたまたま加入した。最低限のがん保険。10年更新の掛け捨てで、めっちゃ安いやつ。よく内容も見ずに契約したけど、それから10数年後、本当に助かった現在も加入しているそのがん保険はがんになっても保険料は払わなくちゃいけないんだけど、10年更新でがんになってても更新は出来るから、入っ
市民病院に入院して何日後かして、ようやく熱が下がりました。どんなウイルスかはわからないけど、体に入ってたウイルスが、肝臓から全身に回って高熱が出たって先生から説明を受けました。病名は敗血症幼児やお年寄り、病気で免疫が低下してる人がなりやすいんですって。その時の旦那、24歳でしたけど…?かかりやすい人と旦那がかけ離れてて??ってなった。治療は菌を殺すような処置をしたって言ってました。先生熱を下げてくれてありがとうって思って結局終わってしまったがんになるまでそういう繰り返し。今思
「膿瘍」との診断で抗菌剤であるタゾピペ45静注を受けています。調べたら最強のお薬。しかも、一日4回の静注なので量も最大量だったり。ちょうど先ほど、担当医による夕方の処置をしてもらった時に説明を受けました。血液に菌は入ってなかったので敗血症には至っていない。菌の種類が明日くらいには特定できるだろうから、菌にあわせて薬を変えることができると思う。もし、飲み薬で良いとなれば退院して自宅での療養に切り替えることができる。ただし、この「膿瘍」の完治には1ヶ月から2ヶ月はかかるので薬での治療はその程度の期
今から18年くらい前の話なのでうる覚え結婚式の3週間くらい前かなぁ旦那は微熱が続いていた。1週間以上37度台の熱が続いて下がらなかった。一般的な風邪だと思って個人病院にかかって薬をもらって安静にしてた。2週間くらい微熱が続いたある日、いきなり40度の高熱がでた慌てて、市民病院に行ったら、即入院でも、先生から高熱の原因は不明って言われてしまって…本当心配したなぁ
ブログを始めて6ヶ月目になったのでそろそろこの件について少しお話しを(^-^;59年、生きてますとまぁいろいろとありますね私はよくまわりからアグレッシブ、ポジティブ、元気とか言われます自分ではそんな事ナイと思ってます多分、そういう風に見られるのは過去のこれらが起因していると思っているんです6月私にとって転機な月なんですよねひとつの転機は最初の結婚が26才の6月仕事から両親から逃げる為の浅い考えの結婚でした。(^-^;12年間で離婚に至りました。理由は浮気や金銭問題ではないただ
ゆっくり過ごせた里帰りも、あとわずか。そんなとき、赤ちゃんがうなる。ネットで調べると、新生児うなりがあるから、それだと思っていた。夜中じゅううなるので、朝方熱いな、、、と思って熱をはかると39度。父がいたので、病院にすぐ連れて行ってもらった。髄膜炎かもしれないと、痛い注射や、尿検査、血液検査と、小さい体にたくさんの注射。ごめんね、ごめんね、、、と心の中でいいながら不安に検査結果を待つ。結果は尿路感染症。尿が逆流して、菌が入り、熱をだすとのこと。敗血症になると困るので、点滴から投薬治
◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問・いいね・フォローありがとうございます・‥…━━━☆・‥…━━━☆今日は昼出勤。夕方妹から数回着信あり。夜、仕事終えて気付く。もう母兄の緊急な連絡はないから今日、不携帯で仕事してた。帰り道でかけ直すか...と、駐車場に向かってるとまた妹から着信要件言われ「そういえばね...」母姉の旦那さんから電話が
娘の生まれた5月25日私と娘の命日になる可能性が高かった日でした産院の院長先生に私の体調が戻ってから、当日のことについて説明を聞きに行ったとき、しみじみ言われました2人とも助かったのは奇跡だと。助産師さんからはあなたに生きて会えるなんて本当に良かったと。私は敗血症でした熱は40度近く緊急帝王切開の出血が止まらず血圧は60代まで低下痙攣発作を起こし意識消失大学病院へ救急搬送されました娘が搬送されると説明を受けて、運ばれるのを朦朧とする意識の中で見送り、その後の記憶はほ
2022.4/15(金)~4/16(土)23:00頃に救急に着いて名前を伝えて待合室で待つまだ処置が続いてるとかでかなり待ちました待ってる間にダンナの病歴とか色んな質問の紙を書いたんだけど、分からないことが多すぎた聞いてもごまかして話してくれないダンナなので知らないんです高血圧か?とか糖尿病か?とかすら分からない特に食事を気にしてる様子もなかったし…その紙をくれた看護師さんには入院になるか帰れるかまだ分からないって言われたんだけどやっと案内されたのがEICU(救急集中治療室)で、
◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問・いいね・フォローありがとうございます・‥…━━━☆・‥…━━━☆母兄が危ないとなってからナースステーション脇の処置室に移動。心電図モニターを見ながら波形が不定期に間隔が長くなりそのたび、ドキッとするのを繰り返す妹状況説明に医師が来て話しをしてる途中で「あれ!?◯◯さん、心臓止まってる!?◯◯さん!!」