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こんにちは(」・ω・)今日2回目のUPです。母方の祖父が亡くなったのは(胃がん)5月15日でした。お母さんの弟が亡くなったのも(肺がん)5月15日です。そしてこの日は下の弟の誕生日でもあります。(実家にいてあたしを苦しめるのは長男の方ね)こんな偶然ほんとにあるんですよ。すごく怖いんだよね、5月15日。今のお母さんはのどの気管が塞がれていて何も食べられない状態が続いていましたがもう薬💊も飲めなくなってしまったと。当然話すこともできない。医師が言うに
(ᴗ͈ᴗ͈ꢏ[こんにちは]今日3回目のUPです。失礼します|ू•ω•)チラッ連続投稿です。今日は暖かくて暑いくらいです。良い天気母のお見舞いへ行ってきたよ。少し目を開けてくれた!手を握ると握り返そうとしてくれるのが分かって嬉しかった(pq´v`*)♪でもしばらくすると手を払い除ける仕草をする。(それでも今日は調子良いのかもしれない全然手も動かない日もあるから)話せないし字を書く力もないからコミニュケーションがなかなか取れずにかわいそうだけど
はじめまして、もなゆずの息子の次男になります、。この度4月6日、14時17分に母が敗血症でお亡くなりになりました。母に変わってお伝えします。皆さんの応援ありがとうございました
救急外来でごねにごねて帰宅。でもよく考えたらあと数時間(5.6時間)後に外来に行かないといけない…でもシャワー浴びてゆっくりしたいわけです。で、朝正直ね「外来に何時に来ようがこの人にはわかんないわけで…だから別にきっちり時間守らなくても(遅れて来たって)いいんじゃないのか?」と悪魔の囁きだから妹にも家のことやってからでいいよ慌てなくていいよと伝えていたのだけど…予定より20分遅れで我が家にお迎え…気も足取りも重く車に乗り込み…こういう時に限ってねー渋滞もせずすいすい
義理母5月11日早朝静かに旅立ちました。あんなに、わがままに奔放な人生だったのにねあっけない別れになりました亡くなる3日前にお見舞いに行ったあと持ち直したと思ったんですなので、先週土曜日にお見舞いにと、面会予約してたら訃報の知らせが夫から関東に住む、夫の弟である、義理弟が金曜日晩に病院に到着した翌朝でした正直、まだピンときてませんここ数ヶ月、食べれなくなってきてて連休前に一時的に胃瘻をすることになりそこからガタガタと急変今週あたり退院予定だったけど急変しました。
今日午前中に一般病棟から緩和ケア病棟に移動しました。昨日の話比較的調子も良く〝意識がボーッとしてベットで一点を見つめて過ごす〟という事が少なかったんです。看護師さんが『今日なら気分転換に外行けるんじゃない?』と言って下さり久しぶりに外の空気を吸いに行く事が出来ました3人でパシャリ大好きな看護師さんと3人で実は1年前に検査入院をした時に担当してくれた看護師さんなんです今回の件で入院した翌日に駆け寄って私の元に来てくれて、『実は1年前に○○くんの検査入院の時担当してて、その時は
とにかく貧血の数値があり得ない。と、後からみんなが口を揃えて言う。内診でも、触れると出血したため更に貧血がすすむ可能性もあると。「今はとりあえず止血の為ガーゼ入れてますこのあとの事はF(大学病院)で処置をしてもらうように手配します」と早急に紹介状を準備するだのFの救急外来に連絡して、更に婦人科の医者に待機してもらうよう連絡してると急に先生もナースもバタバタしだす。とりあえず受付で待つよう言われたので妹にLINEしながら待機してるとナースがやってきてそっと耳打ち「今、出
どうした私?夫がICU行きになった例の敗血症がどこから始まったのかを調べるため、今日は朝からライアンを泌尿器科に連れて行った。朝9時からのアポだったので、私は7時半くらいに起きてシャワーをして身支度を整え、クリニックまで運転🚗泌尿器科なので・・・説明用の模型も↑こんなの9時のアポなのに、45分くらい待たされてしまって、なんか待っている間に私はす〜っごく眠くなって、なんかパワー切れになってしまった。まだ朝食も食べて無かっ
再手術が終わり、小児外科の先生たちが戻ってきました。前回の手術のときと先生たちの表情が全く違うことに気が付き、嫌な予感に胸騒ぎがしました。前回は疲労感の中にも、やり遂げた達成感のある満足気な表情でしたが、今回は苦渋に満ちていたのです。術後の説明を受けたときの衝撃と絶望感は一生忘れません。「前回温存した小腸が壊死して穿孔を起こしてしまいました。非常に残念ながら小腸を全摘せざるを得ませんでした。」※息子は十二指腸と大腸は残りましたが、栄養を吸収する主役の小腸(空腸、回腸)を全て失いました
術後7日目、ようやく点滴が抜けて自由の身になったわたし夜の検温では37.5℃。やっぱり少し熱が上がります。数時間後、日付が変わったころなんか息苦しくて眠れないたんが詰まっているような感じ・・巡回に来た看護師さんに言ってみます「あの、たんが絡んでいるのか息苦しいです」看護師さん「たんの吸引もできるけど、それはそれで苦しいから、自分で出せそうだったら出してみてください。あと、頭少しあげてみましょうか。少し楽になると思います」ベットを調整してみると少し楽になりました。「ありがとうご
穴あき再発が悔しいので振り返る。過去を振り返って何になるの?とも一瞬思ったが、自らの反省と膵癌闘病中の人へ、こんなこともあるよ、的なもの。1年前に書いた記事です。<br>昨年2月に急かつ激烈な腹痛で予約外で受診したときのことです。1月末にタール便で1週間入院し、胃カメラ、大腸カメラ異常なしという状況でした。この2月に、播種再発した腸のどこかが穿孔したらしい。2月14日
(4/4回目)AnnualCollectionofTopVitaminDPublicationsWilliamB.Grant,PhD(ビタミンDに関するトップ出版物の年間コレクション)OMNS(2024年2月27日)換算:50nmol/L=20ng/mL;1mcgビタミンD=40IU(125mcg=5,000IU);1mmolカルシウム=40mg;1mmolリン=30mgビタミンDの推奨「ポーランド/国際的な8つ
これまでの経緯2021年5月上旬:単身赴任先の札幌で、食道がん(腺がん)・進行がんの診断2021年5月中旬:自宅のある大阪の大阪国際がんセンターで受診ステージⅡの診断2021年5月下旬:抗がん剤治療(シスプラチン、ドキタキセル、5-FU)2021年6月中旬:抗がん剤治療(シスプラチン、ドキタキセル、5-FU)2021年7月下旬:食道の亜全摘出、3領域リンパ節郭清、胃管再建手術(胃の一部、リンパ節の摘出手術)摘出したリンパ節の顕微鏡検査によ
コメントが返せていなくてごめんなさい皆さんからの応援本当に励みになっています。いつも寄り添って頂きありがとうございます緩和ケア病棟3日目朝シーツや下着を汚してしまいました。今までも何度かあります。ぼんやりしていましたが、トイレに行った後からはベット上で座って意識もはっきり保たれていましたポータブルを使うのを拒否してトイレまで歩きます!と言う夫の意見を尊重して頂きトイレに行っている間に看護師さんたちが素早くシーツなど交換してくれて…その間に夫は下痢と排尿もあったようでスッキ
前記事、コメント返せずすみません。コメントはとてもありがたく読ませていただいてます。読みながら心の中ではその場でお返事してますありがとうございます6年前の今日の夕飯は肉じゃがでした。すでに体調が悪くなってきていた私はほとんど食べてないのですが…私は上位破水でした。なので破水に気づけず。たまーにちょびちょび何か出る感じはあるものの、前日の内診で子宮口をひろげる処置をされてた私は出血もしてて、見た目もにおいも出血なのか羊水なのかおりものなのか全く判断できませんでした。この時すでに微熱
月曜日。出来上がったコチラを受け取りに。さえの予防接種があったので、そのついでに。書類は中が見られる状態なので、予防接種の待ち時間に熟読。まぁ病院でなんて読むものではなかった分かってたけど。いろーーーんな辛いこともカムバック。何度も書いてますがさえを産んだあと、私も出血止まらず→血圧低下→意識消失→痙攣発作→搬送となり、ICU(一般の)1週間ICU(母子周産期専門)3週間の入院。なので、NICUにいた時のさえのこと生まれてすぐのさえの状態や治療ほぼ知りません。
◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問・いいね・フォローありがとうございます・‥…━━━☆・‥…━━━☆内容が前後してしまいます。昨夜、仕事を終え葬儀ホールに、母兄を安置その際に、今後の打ち合わせとなる。母兄のことに関してはほぼ全て妹(&旦那)がやってくれているので喪主をわたしではなく妹に受けてもらうことにした。(諸々の管理などほぼ妹夫婦だ
◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問・いいね・フォローありがとうございます・‥…━━━☆・‥…━━━☆母兄が危ないとは知らず(携帯不携帯のまま担当の仕事中)病院から危ないかもと連絡をもらった妹はわたしに鬼電をしながら「オジキトクレンラクマツ」とLINEしてきていた(休憩になって見たけど見るより先に電話だった)...電報のつもりか?今は
もう正直言って先のことがよく分からない。長くないような気はしてる。今日はさきほど、今回の執刀医の回診のあと、膵頭十二指腸切除してくれた執刀医(部長教授)の回診があった。要約すると、まあ、再発はこんなもんだと。小さいのがパラパラあると造影でも分からないことはよくあると。PETやっても写らなかったかもしれないし。癌は取りきれないので、薬のメニューを変えてやるしかない。効くか効かないかは分からないが。穿孔は珍しいけど、白血球がどんどん下がって命の危機もあったわけだから、最短の時間で効果
訪問ありがとうございます。2023年8月2日深夜歯が噛み合わない程の全身の震えと40.3℃の高熱が出たかかりつけの総合病院の夜間診療を受診しました。夫と娘が深夜に関わらず付き添いしてくれましたこの時点で0時半病院内に入る前に高熱があるのでインフルエンザとPCR検査を受け陰性を確認してから受診へこの頃には先程飲んだケフラール、カロナールが効いて震えは止まってました。採血、採尿してバイタルチェックして生理用食塩水を点滴しながら検査結果を待つ。血液検査の
全く招かざる者1日目の夜にERからICUに移されたライアン。本当に私のブログはERとICUの写真が多いわ私は夜の12時過ぎに一旦家に戻って、翌朝8時頃に病院へ戻った。↑夜の病院の駐車場からは爪先のように細く茶色の月が見えた。でね・・・8時半ごろからICUドクターの回診が始まって、ライアンの病室にもドクターと看護師が2人入って来たのね。そしてドクターが話し始めたと同時くらいに、こんなのが病室に入ってきた
関東は台風の直撃を受けています💦今日は仕事後の予定はキャンセルしました;(;᷇࿀᷆;);医師の説明とは裏腹にコロナ病棟での父は元気だった。当時父は89歳…年齢の割には体力があった様だ。「広い個室でテレビも見放題、ベッドで電話も出来るし快適に過ごしてる。」と母に電話で話していた。コロナ病棟への差し入れは更に厄介で、病院の交換に電話➜コロナ病棟に連絡して貰う➜指定の時間まで駐車場で待機➜外にあるコロナ病棟まで行き看護師さんに渡すのだ。その後父の状態も一進一退…コロナ病棟から一般
2021年9月・day6お昼頃、突然、『寒い、寒い…』と、訴えてきました。布団を何枚もかけても、寒さと震えが治まらず、湯たんぽ2つでやっと落ち着きました。前日の採血では、白血球は0.1未満CRPも2.24に上がっていたところでした。体温は39度あり、すぐに、培養検査が入りました。熱は下がっても38度。アセリオで一時的に解熱するも、また熱は高くなる様子でした。・day7WBC0.1未満好中球0HGB7.8PLT80AST
入院直後から主治医や看護師さんがずっと「感染しないように感染させないように」と気にしているので当時はなんでそんなに神経質なのかなぁと感じておりましたが私も気になって(下肢骨折感染水ぶくれ)等検索して出来るだけ感染させないように気を遣いました↑検索するとかなりグロテスクな画像出てきます。退院直前になって雑談の中で明らかになっていきましたが…なんと私が入院していた同時期に足首骨折して入院4回手術10回ほどしていた大先輩?が居たそうです何度も手術してはるから左右の足の長さも
2022.12月に娘が急性脳症を発症しました。当時はどんな文献よりも、病気を抱えながらも色んなものを乗り越えて生きていくブログを見て救われました。個人差も大きく、症例報告も少ない病気ですので少しでも情報を残して誰かのお役に立てれば幸いです。後は、自分用に娘との楽しい日常も残したいと思ってます娘は1歳1ヶ月でつかまり立ちまで出来ました病前まで健診等での指摘はありませんでした5日目で病気がわかりました。診断:二相性急性脳症(AESD)併発:敗血症、腸炎原因:風邪ウイルス(退院時に色
◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問・いいね・フォローありがとうございます・‥…━━━☆・‥…━━━☆『現場からは以上です①』◇肝転移を伴う進行胃がん・ステージⅣの余命宣告を受けた母のことを書いてましたが...母兄も胃ガン・ステージⅢで手術術後約1年で再発◇訪問…ameblo.jp↑続き「病院でたらLINEしといて」と妹に
※過去の振り返りになります。後期流産の記録です。あくまでも私の場合の記録にはなりますが辛く悲しい出来事なので読んで辛い気持ちになる方もいらっしゃるかもしれませんのでご注意ください。◾️お産後赤ちゃんは外の世界に出れたけど、胎盤が出ない。麻酔で眠って胎盤を出す事になった。※ここから私の記憶が断片的にしかなく夫から聞いた話やメモを元に記録しています。麻酔で眠ってもらいますね、と言われたところまでしか記憶にない。目が覚めたらバタバタと輸血をされていた。胎盤を
昨日はバタバタで、ブログを書けなかった発熱が原因で、一昨日、入院した妻一昨日の段階では膀胱炎とか腎盂腎炎の診立てだったけれど…違ったCVポートからの感染症だった血液にブドウ糖菌が入ってしまったみたいで数日前の脇腹の激痛もそれが原因かもしれないとのことけっこう、やっかいな菌らしいそしてその菌が”耐性菌”(抗生剤、薬剤に耐性を持った菌)だと、さらにやっかいらしいんだけどその検査結果は、また明日昨日から抗生剤を点滴して熱と痛みが治まって
旦那は40度の熱が2日続き、コロナ検査をするも陰性。治療が必要と判断したようで、「入院させます」と電話がありましたが、なんせ面会や直接医者に会う機会を奪われているこのご時世ですので、どんな検査するのか?どんな治療をするのか?全て電話の事後報告でした。入院後担当医師より電話で若いから死ぬ事はないけど、どこまで治療しますか??とがんや脳出血などの場合は手術はしない。突然何かあっても延命措置は必要ない。併設病院以外の搬送もしなくていい。がっ併設病院での治療で済むのならお
昨日16時5分に次男が息を引き取りました。最後の最後まで本当によく頑張りました。次男とのいろいろなことを忘れたくなくてブログにしているのですが、ここ最近はなかなかブログと向き合う時間も気持ちもなく。。。9月9日の出来事をちょこちょこと書いては保存し、さっきやっと投稿しました。それから約1か月、短い間ですが本当にたくさんの思い出を作れました。忘れないうちに記していきたいです。あまりにも辛くて、悲しくて、次男との思い出を頭で反芻したいけど、それも辛くて、でも考えなかったら忘れそうでそれ