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5月19日(日)朝7時前に嫁ちゃんは従兄の四十九日法要へ出かけました仕事が休みだった妹が私を呼びに来て「母ちゃんがおかしい」との事部屋に行ってみるとババ様がベッドの横の畳に座り込んでぐったりしていました問いかけにもほとんど応えられず、かろうじて意識はある状態でしたこれはまさか脳梗塞と思い、急いで救急車を呼びましたよ救急指定がイオン松山近くの南松山病院なので、取り急ぎ妹に乗って行ってもらいましたババ様はすこ~し痴呆症の手前なので、毎回保険証や診察券の場
こんにちは昨日夕方病棟は移りましたがバタバタして夜はゆっくり眠れると思っていたけどあまり眠れず朝方から寝ましたなんかめちゃくちゃ寒い起きたけどなんだかイマイチです外は雨だしなんとなく憂鬱になってきたそこに眼科呼ばれましたよってなので行って来た午前中いっぱいかかって特にも話題はないそうですそこから巻き返しましたご飯は朝も昼もあまり食べられなかったお昼のフルーツ美味しかったオレンジ🍊それから急に洗髪台を探しに部屋を出たみーつけた髪の毛を洗ってタオルを
公園の木々を観ながら・・・お父さん「紅葉と青空も良く似合うなぁ~💛」今日の『枯葉』♪は、日本の素敵な二人の女性歌手の歌声でお聴きください💛歌唱力は折り紙付きなので、安心してお聴き頂けると思います(^^♪『枯葉』と代表曲、もう一曲をお聴き下さい♪①岸洋子(1934-1992):シャンソン歌手、カンツォーネ歌手。②阿川泰子(1951-現在71歳):ジャズシンガー。まずは、岸洋子さんから♪①岸洋子(1934-1992):シャンソン歌手、カンツォーネ歌手。
はじめまして、もなゆずの息子の次男になります、。この度4月6日、14時17分に母が敗血症でお亡くなりになりました。母に変わってお伝えします。皆さんの応援ありがとうございました
2022.12月に娘が急性脳症を発症しました。当時はどんな文献よりも、病気を抱えながらも色んなものを乗り越えて生きていくブログを見て救われました。個人差も大きく、症例報告も少ない病気ですので少しでも情報を残して誰かのお役に立てれば幸いです。後は、自分用に娘との楽しい日常も残したいと思ってます娘は1歳1ヶ月でつかまり立ちまで出来ました病前まで健診等での指摘はありませんでした5日目で病気がわかりました。診断:二相性急性脳症(AESD)併発:敗血症、腸炎原因:風邪ウイルス(退院時に色
10/24(月)緊急再入院病名腎盂腎炎敗血症性ショックICU(集中治療室)入室「キラキラちゃんお願いだから寝ないで、起きてて」モニターと睨めっこの看護師さん私の隣にずっといる看護師さん「寝てないよ」と言うけれどその声が届く事はなく何かに操作されてるかのように目が勝手に閉じていく(私はひとり別の世界へ出かける)陽が沈む薄暗いその場所は周りに何もなく遠くに水平線と一定の方向に進んで行く動物が見えた(こんな風景色だった)(私はこの真ん中に座っていた)たくさん
お立ち寄り頂きありがとうございます♪取り留めない話がほとんどです。たまに病気の話や、更にたまに仕事の話だったりします。貧乏なひとり暮らし熱なんて滅多に出ないのが、ずーっと続いてて。寒気がし、しばらくすると熱くなって(熱が上がり切って)、ロキソニンを飲む、それの繰り返し。私はこのまま敗血症で死ぬんかな、と思ってしまいました。とにかく辛かったけど、家族は病院まで車で1時間はかかったので、そうしょっちゅうは来ない。心細かったですね。体がしんどいので、テレビ見る気にもならない、ケイタイ
続きです。電話かかってきた時、ムスメは学校の課題をやってました。ババ、死にそうなんやって。呼吸が乱れて心拍弱くなってるって。母さん行かなあかんけど、(以下、ムスメの呼称これでいきます)どうする?一緒に行こうや。母さん帰って来れんかったら、一人でご飯食べて、バス乗ってババの病院こなあかんで?それは無理、と言ってから、でも、課題、どうすんの?塾は?と言いながら、ぼーぜんとして動かないムスメ。ムスメすごくババのこと好きで可愛がってもらってた。だけどババが倒れてからは、一度も面会に
義両親と主治医の話を聞きに行ってきました。今起きているのは敗血症とのこと。敗血症になった原因はおそらく胆管炎。胆管炎から菌が繁殖し、血液の中に入っていったのだろうと。血液の培養をしたら菌がいて、その種類はまだ確定していない肝臓に空洞が見える。これは膿のようなものが肝臓にあるのだと思うとのこと。幸いにも尿も出ていて、腎機能と肝機能はまだ保たれているようです。ただ急に何が起こるかわからない状況に変わりなく、慎重に診ていく必要があると。治療としては、抗生剤と輸血(血小板)をしています
全く招かざる者1日目の夜にERからICUに移されたライアン。本当に私のブログはERとICUの写真が多いわ私は夜の12時過ぎに一旦家に戻って、翌朝8時頃に病院へ戻った。↑夜の病院の駐車場からは爪先のように細く茶色の月が見えた。でね・・・8時半ごろからICUドクターの回診が始まって、ライアンの病室にもドクターと看護師が2人入って来たのね。そしてドクターが話し始めたと同時くらいに、こんなのが病室に入ってきた
息子は8月2日にストマ閉鎖と同時に中心静脈(CV)カテーテルを造設しました。CVカテーテルの合併症として最も注意すべきことはカテーテル感染です。栄養たっぷりの高カロリー輸液(IVH)をカテーテルから直接血管に入れているので、何らかの要因で細菌が入り込み感染すると、発熱するだけでなく、細菌が血流に乗って全身を回って、菌血症、敗血症など命に関わる事態を引き起こしてしまいます。輸液やカテーテル周りの衛生管理を徹底していても、腸内細菌が血管に入り込んで血流に乗ってカテーテルに付着することもあります
義理母5月11日早朝静かに旅立ちました。あんなに、わがままに奔放な人生だったのにねあっけない別れになりました亡くなる3日前にお見舞いに行ったあと持ち直したと思ったんですなので、先週土曜日にお見舞いにと、面会予約してたら訃報の知らせが夫から関東に住む、夫の弟である、義理弟が金曜日晩に病院に到着した翌朝でした正直、まだピンときてませんここ数ヶ月、食べれなくなってきてて連休前に一時的に胃瘻をすることになりそこからガタガタと急変今週あたり退院予定だったけど急変しました。
恋愛とは関係ない話です。。いつも恋愛相談に乗ってくれていた母が、先月、突然天国へ旅立ってしまいました。コロナでずっと帰省を控えていたので、がんで闘病していたなんて知らなくて。母が倒れたと妹から連絡があり、初めて闘病を知ったのですが、、死因はがんではなく、感染症にかかり、敗血症であっという間に亡くなってしまったのでした。緊急搬送された時には、もう手の施しようがなかったそう…父と妹が看取ったのですが、為す術もなく弱っていく母を見送るのは、どんなに辛かっただろうと思います。私なら耐えら
娘の生まれた5月25日私と娘の命日になる可能性が高かった日でした産院の院長先生に私の体調が戻ってから、当日のことについて説明を聞きに行ったとき、しみじみ言われました2人とも助かったのは奇跡だと。助産師さんからはあなたに生きて会えるなんて本当に良かったと。私は敗血症でした熱は40度近く緊急帝王切開の出血が止まらず血圧は60代まで低下痙攣発作を起こし意識消失大学病院へ救急搬送されました娘が搬送されると説明を受けて、運ばれるのを朦朧とする意識の中で見送り、その後の記憶はほ
2022年12月5日父が膵頭十二指腸切除術を経て、退院してから10日目。今朝は父の発熱が収まっていた。やれやれ、良かった。私はいつも通り出勤した。父は、昼ごろ、便秘で苦しくなり、坐薬で便を出したそうだ。昼食もおかゆで養生していたのに、午後3時ごろには38℃に。そのことを母からのLINEで知った私は「何日も熱が続くのはおかしいよ。病院で見てもらわなくちゃ。」と返事したんだけど、父が「病院には行かない」と言い張ってるという。急いでネットで膵頭十二指腸切除術後に発熱す
もう正直言って先のことがよく分からない。長くないような気はしてる。今日はさきほど、今回の執刀医の回診のあと、膵頭十二指腸切除してくれた執刀医(部長教授)の回診があった。要約すると、まあ、再発はこんなもんだと。小さいのがパラパラあると造影でも分からないことはよくあると。PETやっても写らなかったかもしれないし。癌は取りきれないので、薬のメニューを変えてやるしかない。効くか効かないかは分からないが。穿孔は珍しいけど、白血球がどんどん下がって命の危機もあったわけだから、最短の時間で効果
救急外来でごねにごねて帰宅。でもよく考えたらあと数時間(5.6時間)後に外来に行かないといけない…でもシャワー浴びてゆっくりしたいわけです。で、朝正直ね「外来に何時に来ようがこの人にはわかんないわけで…だから別にきっちり時間守らなくても(遅れて来たって)いいんじゃないのか?」と悪魔の囁きだから妹にも家のことやってからでいいよ慌てなくていいよと伝えていたのだけど…予定より20分遅れで我が家にお迎え…気も足取りも重く車に乗り込み…こういう時に限ってねー渋滞もせずすいすい
またまた、病院から電話あり。母が、敗血症かも知れない。肺炎と敗血症。抗菌剤と、抗生物質投与中とのこと。危ないのでご連絡とのこと。今日、窓越しで見せてもらった。いつものお母さんじゃなかった。辛そう。顔も赤い。頑張って!頑張って!
自然とは自分の身体を拘束する事なく無理のないよう気ままにする事です。例えば熱があって大儀な時は、寝ろという命令を身体がすると思えば、寝ればいいのです。また寝たくない起きたいと思うのは、起きるべしと命令されたと思い、起きればいいのです。歩きたければ歩き、駆け出したければ駆け出し、大きな声で唄いたければ唄うのがいいのです。というように何でも心の命じるままにするのが本当です。気が向かない、心に満たない事は止す事です。要するにどこまでも自然です。これが結核に限らず、
訪問ありがとうございます。8月3日未明に抗生剤投与治療で入院した私部屋が空いてないととりあえず男部屋に入れられたが無事(笑)に朝を迎え朝食も出て(深夜入院からわずか4時間後だ。すごいぞ!病院スタッフ)女子部屋に移動になりました。あ〜一安心(笑)【病名】は尿路感染症尿管ステント留置あるあるなのですが、敗血症になる一歩手前でちょいとヤバかったのです。🅱️先生に「良い機会だからしっかり耐性菌をやっつけようね」と言われました。「良い機会かぁ…いきなり過ぎだ
今週は退院して来ると思い、寝たきりになっている義母の在宅介護頑張らないといけないな〜と思いながら今週を迎えていました。ちょっと気が重たく、夜勤も退職願いを出していたけど、すぐには辞められないから、寝たきり義母の介護をしながら夜勤を頑張り、それがいつぐらいまで続くのか不安だったのは確かです。話が変わったのは、水曜日の夜病院に呼ばれた所から始まりました。👨🏻🔬やっと、腎臓の腫れもなくなりかけて、一度自宅に戻り生活してみたら、、、、という医院長先生からのお話があったのが先週末ぐらいだったかな
昨年の11月22日~いい夫婦の日~念願の「真珠婚おかげ参り」に当選し、夫婦で参加しました。SNSにあげたところ、皆さまから「おめでとう」のお言葉をたくさんいただきました。ありがとうございました。でも、本当の真珠婚式は本日2月11日です。(挙式日)そういえば20周年のときも、伊勢に行ったんだった。10周年はハワイで10周年Anniversary挙式をしました。30周年は前倒しでお祝いしたようなものなのでいいんですが、せめて毎年恒例のキャンドル点火は
池田厚子さんは故・昭和天皇の第4皇女で順宮厚子内親王、そして旧岡山藩主池田家の当主であった故・隆政氏の夫人です。現在の上皇陛下の姉、今上天皇の伯母にあたります。池田厚子池田厚子-Wikipediaja.m.wikipedia.org結婚式は高輪の『光輪閣』にて執り行われた。池田隆政池田隆政-Wikipediaja.m.wikipedia.org池田隆政池田隆政gochagocha.cool.coocan.jp■伊勢神宮祭主に。■大病を患われた事も(主治医訃報より)
コメントが返せていなくてごめんなさい皆さんからの応援本当に励みになっています。いつも寄り添って頂きありがとうございます緩和ケア病棟3日目朝シーツや下着を汚してしまいました。今までも何度かあります。ぼんやりしていましたが、トイレに行った後からはベット上で座って意識もはっきり保たれていましたポータブルを使うのを拒否してトイレまで歩きます!と言う夫の意見を尊重して頂きトイレに行っている間に看護師さんたちが素早くシーツなど交換してくれて…その間に夫は下痢と排尿もあったようでスッキ
鉄の女は、鉄です。私の仲のいい同僚が泣いていた話。コロナ禍の時、もう対面の対応をし始めていたけど、同僚は、朝の7時からの電話の当番にあたっていた。ところが!ご高齢のお父様が敗血症になり、ICUに入られました。生か死の状態だったので、休みたいと言ったら…貴方が行ったところで、何もできないじゃない。だから、だめです。と、言われた。何もできないやなんて…。微笑んだりできるやん…。同僚は、たまたま翌日に、有給をとっていたから良かったものの。(10日後ぐらいに退院された。)この話を皆で聞いた
今日午前中に一般病棟から緩和ケア病棟に移動しました。昨日の話比較的調子も良く〝意識がボーッとしてベットで一点を見つめて過ごす〟という事が少なかったんです。看護師さんが『今日なら気分転換に外行けるんじゃない?』と言って下さり久しぶりに外の空気を吸いに行く事が出来ました3人でパシャリ大好きな看護師さんと3人で実は1年前に検査入院をした時に担当してくれた看護師さんなんです今回の件で入院した翌日に駆け寄って私の元に来てくれて、『実は1年前に○○くんの検査入院の時担当してて、その時は
訪問ありがとうございます。2023年8月2日深夜歯が噛み合わない程の全身の震えと40.3℃の高熱が出たかかりつけの総合病院の夜間診療を受診しました。夫と娘が深夜に関わらず付き添いしてくれましたこの時点で0時半病院内に入る前に高熱があるのでインフルエンザとPCR検査を受け陰性を確認してから受診へこの頃には先程飲んだケフラール、カロナールが効いて震えは止まってました。採血、採尿してバイタルチェックして生理用食塩水を点滴しながら検査結果を待つ。血液検査の
何回読み返しても息子のこと①②どっちもほとんど息子のことじゃない。。。今度こそ息子のこと書きます!息子は37週0日で帝王切開で生まれました。二日前の深夜陣痛が来て病院🏥行ったら👨⚕️「陣痛だね〜で、今ちいちゃい赤ちゃんが生まれたばかりで、小児科バタバタしてるから、点滴(張り止め)して止まるなら止めよう!」私「え?止まるんですか?」👨⚕️「まあやってみてダメなら出そう!」私自宅安静で
吻合部付近の腫瘍が再度穿孔→下血、吐血、激痛→腹膜炎→敗血症大網経由の或いは既穿孔による腹膜播種→腸管圧迫、浸潤からの腸閉塞や穿孔→激痛腹膜播種→腹水→苦痛その他、浮腫やら意識障害やら予想もしないことがいろいろあるんだろうな。飲食できなくなって、立ち上がりも困難になったら、オムツもつけるんだろうな。オムツつけたくないな…今回の術後のオムツも嫌だった…大便はでなかったけど…下のお世話してもらうは嫌だな…ふき残しとかあってヒリヒリしそうだし…いろいろ考えると、緩和ケア病棟で最後
夕方にはまだ熱が上がり、血圧は低めを継続中ですが…仕事の段取りもしていないし、スタッフの源泉税や住民税も払わなきゃならない。どうせこの先に転院、結石破砕が待っているのなら、一旦帰って次のステップの予定を立てたい❕とこちらのDr.にお願いし、明日一時帰宅となりました。正直、始めから向こうの病院に行っていたら二度手間にならなかったのですが、定期検診をすっぽかして三年位経ってますから(涙)こちらの病院。まあ毎日点滴を入れて貰うのが大変な事。田舎町の総合病院ですからね、多くを望まない…けど、😢