ブログ記事4,220件
今は死語となった差別・蔑視的な言葉に、パンパン、パン助というものがあります。これは、戦後、主として進駐軍相手に、自らの身体を売っていた女性を指す言葉です。当時の時代背景から考えれば、現在の歓楽街で売春行為を行なっている女性とは比べ物にならない、その裏に隠された悲劇や哀れみを感じます。我が国のある年齢以上の人ならば、女性の愛称に、◯◯パンという言葉を付けることは、違和感ないし悪意を覚えるはずです。フジテレビ、メディア・芸能関係の人々は、一般人としての常識がないあるいは感覚が麻痺しているの
お越しくださりありがとうございます!!目からうろこの情報!からだって、「体」「身体」って書くじゃないですか・・・。1945年までは、體という漢字が使われていたそう!骨+豊!!!でからだ!!ええ~~~~~~~~~~~~~~わかってるやんんんん~~~~~~~~~~~~~~うれしいいいいいい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~骨が豊でこの!カラダ!!!(;V;)「體」は本字として「各部分が連なってまとまりをなした人体」を意味し、広くからだや姿を表す漢字
ちょっと、、、こちらは?俺にとっては?因縁の相手?ちょっと少し?あれこれ、、、複雑な気持ち!それでも名勝負?まあ手痛い?手痛い敗戦の?敗戦の数多いが。だけど、、、それでも、、、雪辱晴らしたいが。やっぱり、、、……敗戦だった。【Xリーグ】https://xleague.jp/スポーツブル(スポブル)https://sportsbull.jp/
労働組合結成を思い立った岡藤三郎は、8月21日に同志であった野瀬身延に会って、労組組織の決意を固めました。この頃から戦前の労働運動の経験者のつながりが急激に動き始めます。8月29日は、6人が集まり、早く組合を作ること、極秘で動き他の動きを誘発しないこと、往年の同志を糾合することなどを話し合いました。9月24日には野瀬の家で会合を持ち、岡の発案で次のようなことを誓います。戦前の幹部がダラ幹の集まりと評され、組合を足場に出世したり議員になったりすることへの一般の工員の警戒心が根強く、また弾圧への恐
1大藪春彦は二度敗戦を経験した。一度は日本の敗戦であり、二度はアメリカのくれた戦後日本に敗戦したことだ。私は小説が書けなくなった。つらつらと考えてみると、私の根源にある恨みがしみ抜き液で漂白されてしまうのである。真黒な布巾が真っ白になってしまう。純真な気持ちになってしまう。あのどす黒い人間を描こうとするのだが、嫌らしい人間が出てこないのだ。私を騙し苦しめた悪党たちの顔が出てこない。小説家としては最悪な状態になった。