ブログ記事3,990件
戸田城聖全集第一巻池田大作編和光社刊(昭和30年11月東京国際空港ロピー)序先に、初代会長牧口常三郎先生の全集を世に贈り出し、つづいて玆(ここ)に、恩師戸田城聖先生の遺された思想を、「戸田城聖全集」として、刊行し得たことは、重ね重ね、私の歓びとするところである。戸田城聖先生は、末法今日における、折伏の大指導者であった。故に、東洋哲学の真髄たる日蓮大聖人の仏法、すなわち色心不二の大生命哲学を、論文に、質問会に、指導会にその他、様々な機会に、わかり易く現代的に、指導されたの
学会には信心がある!会長講演といっても、めんどうな話は別にない。ただ、御本尊様を信じて拝め!それで終わり。私にはそれ以上教えることはありません。最近は新聞記者があきちゃって、今は、雑誌記者がいろいろなことを書いている。あれを書けば、必ず売れると思って書いているらしい。君らが買うから書くのです。うるさくてしょうがないから、あんまり買うことはない。それで、その書きかたが、皆おもしろい。今度は、大白蓮華の巻頭言にも書いておいたけれども、佐木先生あたりは、共産党の考えかたで学会
青年訓新しき世紀をつくるものは、青年の熱と力である。吾人らは、政治を論じ、教育を勘うる者ではないが、世界の大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教の力によって、人間革命を行ない、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。釈迦教団の中心人物たる舎利弗にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒
昭和三十年の辞悟り、仏の悟りは、深秘にして、とうてい、われわれのうかがい知るべきところではない。ただひたすらに、仏を信じまいらせて、そのおことばを遵奉するときこそ、仏のさずけたもう大利益をえるものであり、しかも教主である仏の悟りを等しうすることのできるものである。されば、過往をかえりみるに、久成の本果仏…釈迦如来と生誕して三十成道の悟りは、いかなるものであったろうか。かの釈迦如来は、この深秘の悟りを、四十二年が間、秘しかくされて、後の八年にようやくこれをあかされたのである。しかも
〔三座〕南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身.三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲・宗祖日蓮大聖人・御威光倍増、御利益広大、御報恩謝徳の御為に。これは、日蓮大聖人にたいして、おほめの言葉を申し上げてお礼を申し上げるのであります。なぜ本因妙の教主と申し上げるかといいますならば、釈尊は本果妙の教主なのであります。末法の仏は本因妙の教主になるのであります。教主とは、仏という意味であります。本因妙の仏法の中で、もし本因本果を立てれば、日蓮大聖人が本果妙の仏で、日興上人が本因
私は毎朝毎夕、勤行(※)をするときに人生の師匠である池田大作先生と心で対話しています。本日はその池田先生の三回忌という特別な日を迎えました。これまで創価学園や筑波大学での学恩の師の訃報に接するたびに、その御恩を忘れず報いる誓いを込めて、ささやかな追悼文を記してまいりました(学恩を胸に抱きて)。とりわけ母校創価学園の創立者である池田大作先生は、学園入学前に始まり卒業後の今日に至るまで大きな影響を与えてくださった人生の師ですから、2年前のこの日ご訃報に接したときから、どうにかして先生の御恩と感
堀日亨上人と創価学会との関係牧口先生と意気投合小平牧口先生が始めて堀猊下にお会いなされたのは、歓喜寮(中野教会)でもって、堀猊下の身延離山史のお話があったときでしょうか。戸田そうそう。小平このとき、聞きに行がれた方は……。戸田それは、はっきり記憶していないな。そのころの幹部が、いっしょだったと思う。小平堀猊下が畑毛に行かれたのはいつだったですか。石田それは昭和十四年です。小平堀猊下が畑毛に行かれた、そのあとの建物を、そのまま買われて理境坊の建増しをしたわ
弁膜症がまだなおらない【問】子供は、何万人にひとりというカリエスでしたが、入信してなおりました。しかしまだ心臓弁膜症の方はなおっていません。最初は歩けなかったのですが、いまでは少し歩けるようになりました。しかし遠道はできません。学校へ行くまえに、なんとかしてやりたいと思うのですが。【答】なおしてくれというのでしょう。これは親の情としてとうぜんです。しかし、よく反省してみなさい。御本尊様のために何をしましたか。お経をあげるといっても、口で上げるのですから、少しも減りません。朝上