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佐藤優氏による「AERA」連載「池田大作研究-世界宗教への道を追う」は2020年10月に連載43回をもって完結し、単行本として発刊されました。本ブログにはこれまでに連載第1回~第15回(単行本の第1章~第3章に相当)と単行本第4章~第7章の読後記を掲載しました。山岡政紀個人サイトでは整理して体裁を整えて掲載しております。読後記『池田大作研究世界宗教への道を追う』佐藤優著今回は第八章への読後記を掲載してまいります。第八章「宗門との訣別――日蓮正宗宗門というくびき」(連載第39~42回)
第三節日蓮宗勝劣派この宗派は本門法華宗(八品派)・顕本法華宗(什門派)・法華宗(陣門派)・法華宗(真門派)・本門宗等であり法華経の本迹は勝劣があると立てた系統である。しかしせっかく本迹の勝劣を立てても、文上の脱益に執着して、文底下種法門を知らないから、結局は大聖人の御法門とは相反するのである。一、本門法華宗(旧八品派)及び佛立宗等観心本尊抄(御書二四八頁)に「但八品に限る」と仰せられている所から、宗祖大聖人の御正意は八品(法華経の湧出品から嘱累品にいたる八品)である
前回、創価学会と統一教会は兄弟のような関係と書いたのでその説明をしてみようかな創価学会創設者の牧口常三郎、創価学会2代目の戸田城聖は大日本皇道立教会のメンバー。児玉誉士夫もそのメンバー。統一教会の顧問の笹川良一と牧口常三郎、戸田城聖は親族。笹川と牧口常三郎は腹違いの兄弟。戸田城聖は牧口常三郎の兄の子。参考ながら笹川良一には父母が同じの弟がいて畑中理(朝鮮名:金策)。今の北朝鮮のデブのおじいさん。前に書いた記事というわけで統一教
〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉創立の精神2023年10月31日一切の矢面に立つそれが誉れの道いよいよ「創立の月」を迎えます。創価学会の創立記念日であり、初代会長・牧口先生の殉教の日である「11月18日」。今回の連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、「11・18」の意義と精神について、珠玉の指導・激励を紹介します。21世紀最初の「創価学会創立記念日」を祝賀する本部幹部会。池田先生は、「きょうの集いを、創立の崇高な師弟であられた、牧口、戸田両先生の肖像が、微笑み、見守っ
(『新・人間革命』第5巻より編集)96〈勝利〉30伸一は、婦人部の来賓席にいた、かって女子部長を務め、現在、婦人部の幹部になっている石川英子に、視線を注ぎながら言った。「特に、女子部出身の人は、後輩に優しくしてね。女子部を頼むよ」石川は、女子部の後輩たちに対して、甚だしく傲慢であった。そのために、いやな思いをしてきた女子部員も、少なくなかったのである。昭和三十四年、戸田城聖の逝去の悲しみから立ち上がった女子
戸田城聖全集質問会編37方便品の十如是を三回読むわけ〔質問〕方便品のあとで十如是を三回読むわけを教えてください。それはかんたんなので、こういうことはめんどうではありません。十如是は方便品にあるのです。これを迹門といいます。これを三べん唱える意味は空・仮・中の三諦(さんたい)に唱えるのです。空仮中の三諦などというと、ちょっとわからないでしょうが、これは空諦、中諦、仮諦と、仏法哲学において、この世の中の実相がどういうものか、われわれの命がどういうものであるか、ということを考
第二節日蓮宗一致派日蓮大聖人御入滅後、法華経の本門と迹門に勝劣があるかないかで諍論(じようろん)がおこり、本迹一致を主張した系統が、身延山を総本山とした日蓮宗(単称)である。その主な寺と系統は、身延山久遠寺日向、十一世日朝池上本門寺日朗中山法華経寺(中山妙宗)富木日常京都妙顕寺日像京部本国寺日朗不受不施派日奥不受不施講門派日講日蓮大聖人の仏法は五重の相対で明らかなごとく、迹
第二節諸宗派の批判一、天台宗(発生と歴史)天台大師(西紀五三八~五九七年)は陳朝(西紀五四七~五八〇年)の天嘉元年、二十三歳の時、光州の大蘇山で慧思(南岳大師)に師事し、四安楽行を授けられ法華三昧を行じた。その後大いに「法華経」の深義を究め、金陵(今の南京)の瓦官寺に八年間住して「大智度論」等を講説して高名をはせた。大建七年九月、三十八歳の時天台山に入り修行すること十数年、詔(みことのり)によって再び金陵に帰り「大智度論」「仁王経」を講じた。その後五十歳の時「法華文句」、五十
(『新・人間革命』第6巻より編集)111〈若鷲〉2男子部は、前年の十一月五日の、「国士十万」の集いとなった第十回総会をもって、未来への堅固な基盤を築き上げたと、彼は思っていた。また、女子部も、その一週間後の、八万五千人が集った第九回総会で、大発展の盤石な礎を整えたといえる。二十一世紀の広宣流布の構築は、”人材の山脈”を築き上げることから始まる。その新たな未来への陣列をつくるために、今度は、学生部を全力で育成しなけれ
(『人間革命』第11巻より編集)32〈波瀾〉6四月三十日は、四月度の本部幹部会の日であった。しかし、戸田城聖は、この日、欠席しなければならなかった。彼が、本部幹部会を欠席したのは、この時が、彼の生涯で初めてのことである。もともと病身で、結核の既往症があり、糖尿病から肝臓も侵されるといった病歴をもっていたが、彼の日常の生命力は、人びとに、それを少しも気づかせないほど旺盛な健康人としての振る舞いであった。
第三章人生の扉を開く鍵人間としてあるべき七つの条件〈多宝の塔〉第三章人生の扉を開く鍵人間としてあるべき七つの条件〈多宝の塔〉「七宝の塔」は、仏界の尊さを説いたもの法華経が壮大な生命のドラマであることは前にも触れましたが、このドラマの展開のなかには、数多くの不可思議な出来事が起こります。ここで述べる「宝塔品」の儀式についても、法華経の精神を理解しないで読んでいると、まるで空想小説になってしまいます。宝塔品は、法華経二十八品あるうちで、第十一番目の経文ですが、法華
(『人間革命』第11巻より編集)31〈波瀾〉5「何を言うか。伸一、戦いというものは、勝ったり、負けたりする。それが戦じゃないか。また戦うんだ。どこまでも戦うんだ」伸一は、瞬間、戸田の険しい気迫を感じた。そして、強く決意を固め、戸田の目を見ながら言った。「先生、申し訳ありません。いつの日か、どの政党にも負けず、世間を”あっ”と言わせるような戦いを、必ずいたします。先生、どうか今晩は、ゆっくりお休みになってください」
勤行に関する質問戸田城聖全集質問会編34題目三唱について〔質問〕題目を三度ずつ唱える理由を教えてください。日本で、題目を三度唱えることは、叡山から起こっているのです。これは、中国の天台宗からであり、方便品の十如是を三回くり返すのは、空仮中の三諦を意味するのです。また自我偈は、本式には三度あげるのです。それは法報応の三身に読むのです。五度の場合は妙法蓮華経の五字、七度は七文字になぞらえるのです。題目を三度唱えるのも同じように考えていいでしょう。
戸田城聖全集質問会編36方便品・寿量品の意味〔質問〕方便品と寿量品と自我偈は、どういう意味のお経ですか。方便品と寿量品の相違を申し上げますれば、方便品は、迹門を代表したものでありまして、「諸法実相、所謂(しょい)諸法(しょほう)、如是相、如是性、如是体……」とありますが、あれは御本尊の姿をあらわしたものであります。それから寿量品は、同じく御本尊をあらわしておりますが、あの「御義(おんぎ)口伝書(くでんしょ)」をお読みくださればわかりますように、あれは南無妙法蓮華経如来
戸田城聖全集第二巻質問会編2質問会のあり方このような大衆の質問会には、質問する人を大きく分けると二色あるのです。すなわち真実に求めて聞こうとする味方と、やっつけてやろうという敵側とあるのです。また質問を受けるほうにも、受ける場所によって覚悟があります。やっつけてやろうという連中ばかりいるところへ行く場合には、それだけの腹がまえがいるのです。行って、めちゃめちゃにやられては、たまったものではありません。ところが、仏法のうちでは、たいてい味方で、自分のわからんことを聞きたいと願っ
信心したからといっても、人生に平坦な道などありません。むしろ、苦楽の起伏があり、波浪も逆巻くのが、人間社会の実相です。苦しいこと、辛いこと、悲しいことがあって当然です。その時こそ、ただひたすら、題目を唱え抜いていくんです。そうすれば、仏法の法理に照らして、必ずや打開できることは間違いない。それを生涯にわたって繰り返し、広宣流布のために戦い続けていくなかに、人間革命があり、絶対的幸福境涯を築き上げていくことができる。それが信仰の道です。だから、何があっても、信心から離れるようなこと
戸田城聖全集質問会編16仏滅後二千二百三十余年と二十余年〔質問〕仏滅後、二千二百三十余年というのと、二千二百二十余年と二通りありますが、どういうわけでしょうか。諸御書ならびに御本尊脇書に「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」とあり、弘安四年が二千二百三十年になりますが、弘安元年以後すでに「二千二百三十余年」とおおせられています。弘安元年七月の千日尼御前御返事には「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり」(御書全集一三一○㌻)とあり、同じく弘安元年九月の本尊問答抄には
贈呈された聖教新聞に池田大作の顔の認知をし始めた頃、瓶底丸眼鏡のシャツヨレヨレの明らかに「戦時中!」って感じの干からびたオッサンの写真を見た。戸田城聖である。実際は1957年頃、戦後の写真だったが私には1945〜6年頃にしか見えなかった。しかも会長だった。確か中高生くらいの私はこんな感じの落書きをしてた気がする。戦時中の渦中、師匠の牧口さんと共に、戦後は池田大作の師匠として活躍。「原水爆禁止宣言」をした凄い人だと思ってた。入会して楽しかった時は。私は歴史が割と好きなのだが
私は創価学会時代に古い学会員から『昔は不思議な功徳があった』という事を度々耳にしていましたその都度、「なんで今は功徳がないのか?」と思ってましたそして、とある壮年部の方にそのことを聞いた時に「時代が違うからね」と言われました時代が違う・・・御本尊は一緒なのに...?【現在の創価学会の本尊はニセ物だった!】①猊下様しか書写出来ない理由②創価改ざんコピー本尊の証拠③創価にある本物の御本尊はどうなる?④創価は顕正会と同じニセ本尊ばら
●18戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用このページは☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、P18,戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用です。ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。■戸田城聖の師弟不二戸田城聖は1900年2月11日石川県生まれ、1918年、夕張の真谷
第八章日蓮正宗と日蓮宗各派の批判お題目を唱える宗教にはたくさんの宗派があって、教義も儀式も全く別々のことをやっている。その中で唯一つ正しく日蓮大聖人の教通りに信心修行しているのは、日蓮正宗(総本山富士大石寺)だけである。以下これらの各宗派を次のように分類して日蓮正宗との比較をし、善悪・邪正を朗らかにする。一、日蓮正宗二、日蓮宗一致派(1)、身延離山及び当時の情勢(2)、身延の教義と本尊(3)、池上と中山(4)、京都の一致派(5)、不受不施派、同講門
『日蓮仏法は、「挑戦」の宗教である。妙法とともに、月月(つきづき)・日日(ひび)に蘇生した生命力で、たゆまず新たな価値を創造する挑戦だ。御書とともに、人生のいかなる試練、なかんずく自他共の生老病死の苦悩を打開する挑戦だ。同志とともに、現実社会の課題に立ち向かって、幸と平和の連帯を広げゆく挑戦なのである。御本仏・日蓮大聖人は、熱原の法難の渦中、21歳の南条時光に烈々と呼び掛けられた。「願わくは我が弟子等・大願ををこせ」(1561㌻)そして、法華経の一文(いちもん)「願わく