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[ガ島/ツラギ]①切通他※2019.10月訪問、数日間ガイドを雇い探索※加筆・修正中昭和17年8月7日に生起したガダルカナル攻防戦開戦以来、連戦連勝だった日本海軍と日本陸軍が、同年6月のミッドウェー海戦と共に敗北を喫し、大東亜戦争での攻守の転換点となった戦闘と位置付けられている。ガ島攻防戦に勝利した連合国は、計画通り南太平洋の増強が可能になった。ツラギ島ツラギ島はガダルカナル島ホニアラから北へ約40km、高速ボートで1時間。フロリダ諸島の1つで島名と同じ名称の町ツラギには、明
[タラワ/ベティオ島]第3特別根拠地隊司令部地区①司令部建屋キリバス最高裁・モルモン教会周辺*後日、加筆しますタラワ(現在のキリバス共和国)は、日本海軍の重要拠点トラック諸島(ミクロネシア連邦/チューク)から南東約2,000kmの所にあるギルバード諸島にあるタラワ環礁を指す。ギルバート諸島にはタラワ環礁の他、マキン環礁、アベママ環礁の3つの環礁がある。明治25年(1895年)より英保護領になり大正5年(1916年)から植民地になっていた。大東亜戦争開戦直後の昭和16年(1941年
東京芝浦電機栃木県芳賀郡茂木町真岡線(真岡鉄道)茂木駅のすぐ西側の岩山に、東京芝浦電機の川崎工場(の疎開工場(地下壕)がある。国鉄真岡線茂木駅から坑道入り口まで引き込み線を敷き、貨物車両が直接疎開工場(茂木工場)に入れるような工場の建設を開始した。赤枠:疎開工場、黄枠:茂木駅出典:国土地理院1948/09/27(昭23年)USA-R1820-34、抜粋・加筆ここでは高射砲の砲身の製造を行う予定だったとされる。川崎工場からは金属加工用の旋盤機を持ち込んだ、という話もある
[広島湾要塞]鷹ノ巣高砲台③低観測所(補助観測所)鷹ノ巣高砲台(厳島/宮島)起工:明治31年7月21日竣工:明治33年3月31日備砲:28センチ榴弾砲×6門(1座2門)備砲:143メートル目的:大那沙美島砲台(大奈佐美島)、鶴原山砲台(西能美島)、三高山堡塁(西能美島)と協力して、海峡の前方一帯の海面を射撃し、海峡封鎖を破らんとする敵艦の動作を妨害するを主とし、尚、厳島北東部に設ける諸建築物を掩護す。廃止:大正15年6月(大正15年8月陸軍第5師団経理部に移管)※明治34年に
S特先日千葉県の大房岬に行って陸軍・海軍の戦跡を訪ねてきましたとこのブログに書きました。『戦跡訪問:大房岬後編』(大房岬前編から続く)火薬庫弁天洞窟から出て、ひーひー言いながら階段を登り、遊歩道へ戻ります。そして大滝不動の方向にゆるやかな下り坂の道を歩いていきますと。…ameblo.jp大房岬の崖は、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎率いる日本連合艦隊が艦砲射撃の練習をした場所で、その砲弾跡が残っていますと書きました。この大房岬の崖。実はもう一つの秘められた
[民間防空壕]屋敷余り特殊地下壕(赤猫洞)大分県臼杵市大字福良字屋敷余り標高18mの福良天満宮の真下、収容人数は300人以上の巨大な民間防空壕。しかも2層構造の素掘り、出入口は6ヶ所で爆風避け構造。内部に上下を行き来するためのS状スロープがある。現在に至るまで崩落は出入口の一箇所のみ、壕内の落盤は無い。下層:各部屋10畳程度の部屋が7室、厠・烹炊所等臼杵川の対岸の平坦地(市浜地区・平清水地区)居住者向け、隣保班単位(規模は10戸内外)で利用したと伝える。上層:大部屋の周囲に相
伝説の紫電改部隊零戦の後継戦闘機、紫電改。源田実司令率いる三四三空で、太平洋戦争の末期、光芒を放った紫電改部隊。鴛淵孝大尉が率いる七○一隊(通称が維新隊)菅野直大尉が率いる三〇一隊(通称新選組)そして、林喜重大尉が四〇七隊(通称天誅組)を率いていました。林大尉についてはこのブログでも「大変な部下思い:四〇七隊長林喜直大尉」で紹介しております。『大変な部下思い:四〇七隊長林喜重大尉』林大尉の紫電改引き揚げプロジェクト進行中!以前「よみがえる紫電改」で、鹿児島県阿久根市折口海
[日露戦争]203高地中華人民共和国、遼寧省大連市旅順口区(中日友好櫻花林)2025年8月27日〜9月11日迄、南洋戦線に出征中!コメントや質問など、滞ります東アジアの日本、李氏朝鮮(朝鮮半島)、清国江戸時代末期に西から列強諸国が押し寄せてくると、各国はそれぞれのリアクションをおこした結果、朝鮮半島を巡って日清戦争を勃発し、日本は李氏朝鮮を影響下に置き、清国は欧米列強諸国の半植民地となっていく。日清戦争直後、北から帝政ロシアという新しいプレーヤーが現れる。南下政策を進
[厚木防空監視隊本部]川和防空監視哨神奈川県相模原市緑区中野字中村神奈川県の防空監視隊本部は、横浜、小田原、厚木に置かれた。津久井郡(当時)は厚木防空監視隊本部の所属で防空監視哨は3ヶ所。・青根(現・相模原市緑区青根)・與瀬(現・相模原市緑区与瀬)・川和(現・相模原市緑区中野)いづれも昭和16年以降に設置された、とのこと。防空法ソ連軍の脅威を背景に昭和12年4月5日に防空法が公布された。軍部の介入はなかったが、軍部が策定した地域に防空監視隊本部と防空監視隊が編成され、警察署
軍都、佐倉鹿児島戦跡ツアーはまだ続く・・・ということで、次は鹿児島県護国神社について書こうとしていた・・・のですが。この鹿児島県護国神社。もともとはミッドウェー海戦で沈んだ空母加賀の慰霊碑を訪ねようと思っていたのですが、他にも貴重な慰霊碑があることを発見。それらの碑についていろいろ参考図書を読んで調べている途中でして、もう少し時間がかかりそうなので。先に、先日訪問してきた千葉県の佐倉連隊跡をご紹介したいと思います。佐倉にもレアな戦跡があると聞いていたのですが、訪ねてみたら、本当に「え!?
以前、修学旅行で韓国へ行き、慰安婦像の前で土下座させられた高校生の修学旅行のことを。智弁学園や広島の世羅高校が有名ですが、そのほかにもたくさんの高校の修学旅行で韓国訪問を行っていました。しかし2014年のセウォル号事件の後に安全性がとりだたされ、保護者からの反発もあり、韓国への修学旅行が減り、台湾などに変わっていったようです。そして今回の同志社国際高校の辺野古への研修旅行が始まったのが2015年ごろ。なんか変な繋がりがあるように思えてなりません。高校の修学旅行の
多磨霊園再訪猛暑が続く東京ですが。暑さが厳しくなる前の6月に、厚木航空隊事件で自決した山田九七郎少佐のお墓参りをしようと再訪した多磨霊園。例によって迷う・・・。「歴史が眠る多磨霊園」によると山田少佐の墓所番地は3-1-1だそうなのですが、見つからない・・・(もともと私は方向音痴ではある)。どうも、多磨霊園のお墓のナンバリング方法がわからないのだなあ、私・・・。そのうち雨が土砂降りになってきて、心折れる・・・。しかし。もうお一人、お墓参りをしたかった方のお墓はさ迷っているうちに発見。
金峰神社:91式戦闘機のプロペラ青森県青森市新城山田御祭神:廣国押武金日尊・倉稲魂命地元出身の陸軍大佐の佐藤一郎氏が、昭和16年に「91式戦闘機のプロペラ」を奉納したもの。長さ約3mで、胡桃の木に金網を張り、特殊な塗料を施したもの。昭和9年3月に製造されたもの、とのこと。*青森市羽白沢田(青森市油川)にあった青森飛行場(油川飛行場)の所属機だったようだ。金峰神社はまあまあ近いところに位置している。青森飛行場(油川飛行場)竣工式:昭和8年6月滑走路:780m×78
[東京湾要塞]夏島砲台神奈川県横須賀市追浜*横須賀シティガイド協会主催の夏島ツアーで見学可能東京湾要塞は明治13年以降、海軍と協同しながら東京湾に侵入する敵艦艇を防圧し、帝都と横須賀軍港を掩護する目的で建設された。仮想敵は幕末〜明治初期の欧米列強、清国(北洋艦隊)、ロシア帝国(太平洋艦隊)、連合軍(主に米軍)等、変化していく。東京湾要塞は三浦半島と房総半島に設置された32の砲台群、三浦半島と房総半島の間の3つの海堡で構成され、東京湾口全域を射程に入れたもの。東京湾要塞における近代
[三川地区]観測所観測所、全景*****▼観測窓からの景色・・・観測所、出入口潜ります(・∀・)▼前室コンクリートの面が美しい・・・観測窓支柱は元々ない。竹?竹の伝声管?退出( ̄^ ̄)ゞ次トーチカは2〜3基あるらしいが、これはそのうちの1基*▼表にまわってみる***山を下ります・・・この山、色々あるなぁ・・・坑道の真上に興味深い塹壕があるが、今回は割愛。*時間切れにつき、サクッと退散( ̄^