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人生ボンバイエのトピックス★これまでのトピックはこちら------メールはこちらから↓arita013@yahoo.co.jp--------------2026年10月14日【将棋動画】[道をゆずれ&縦非常口に縦飛車/5手詰将棋の原理・原則]|人生ボンバイエ2026年10月13日【脳トレ動画】ヒントまでしかないクイズ024「マックvsモス」|人生ボンバイエ2026年10月12日【将棋動画】[縦非常口に縦飛車&席ゆずり/5手詰将棋の原理・原則]|人
[東清鉄道東線]綏芬河①鉄道関連黒龍江省綏芬河市*後日、加筆します満洲鉄道駅名一覧(1940年~1945年)出典:満洲鉄道駅名一覧1940年~1945年、一部抜粋東清鉄道本線(東線)の最東にある国境の駅がポグラニチナヤナ(Пограничная)駅で、帝政ロシアは1897年開通のウスリー鉄道(ウラジオストク〜ハバロフスク)と、東清鉄道を接続させた。ウラジオストク駅から数えて5番目の駅になる。・1897年(明治30年)8月16日:東清鉄道、起工式(清国との合弁会社「東清鉄
[沖縄戦]独混第15連隊(美田部隊)監視哨沖縄県南城市玉城糸数156(玉城構造改善センター/糸数体育館)沖縄戦での第32軍司令部は、連合国軍の上陸予想地点を小禄、牧港、嘉手納のいずれかと想定。それぞれ1個師団ずつを配置し、作戦を考え、機動の猛訓練を行わせたのが昭和19年8月頃。だが、11月に第9師団の台湾抽出が決定され、第32軍は大幅な作戦変更(現兵力をもって最善を尽くす)を行うことになった。機動決戦方針を断念して、本島南部での持久戦を行う作戦、すなわち、沖縄本島南部島尻地区に主防
僕も関わっている「(一社)普久原未来のための事業団」。戦争や平和を語り継ぐ活動」の一つとして「戦跡の声を聴くビデオ」の作成をしています。------------------大分県大分市元町の大臣塚古墳を訪ねました。こんもりとした小さな丘の古墳です。大分県立芸実文化短期大学に隣接する場所です。ここに、元町地区の戦没者の忠霊碑があります。昭和28年、元町町内会による建立です。この地区から、若者が散っていった戦争。その戦争の記憶をとどめる、貴重な戦跡です。----------------(一
軍都、佐倉鹿児島戦跡ツアーはまだ続く・・・ということで、次は鹿児島県護国神社について書こうとしていた・・・のですが。この鹿児島県護国神社。もともとはミッドウェー海戦で沈んだ空母加賀の慰霊碑を訪ねようと思っていたのですが、他にも貴重な慰霊碑があることを発見。それらの碑についていろいろ参考図書を読んで調べている途中でして、もう少し時間がかかりそうなので。先に、先日訪問してきた千葉県の佐倉連隊跡をご紹介したいと思います。佐倉にもレアな戦跡があると聞いていたのですが、訪ねてみたら、本当に「え!?
[沖縄戦]国頭支隊本部壕・野戦病院跡沖縄県国頭郡本部町字並里国頭(くにがみ)地区の防禦は、独立混成第44旅団第2歩兵隊(隊長宇土武彦大佐)を中心とす国頭支隊。清末隊と蔦井隊は独混44旅の第2歩兵砲中隊に所属している。昭和19年7月、沖縄北部(国頭地区)守備の為、独混44旅団第2歩兵隊を基幹として国頭支隊(球7071/支隊長宇土大佐)を派出。当初、名護付近に本部を置いた。同年11月、独混44旅団第2歩兵隊第1大隊(井川正少佐)が伊江島の防衛に転出したため、国頭支隊は防衛陣地を縮
[タラワ]ブアリキ島ブアリキ島*後日、加筆します最後の守備隊日本軍兵は西端のベティオ島以外に、ブオタ島Buota(現在の空港があるボンリキ島Bonrikiの北西)、ブアリキ島Buarikiに見張所があり、総勢約60名が駐屯していた。ベティオ島で戦闘が起きる前後、島民の案内で島伝いに北に転進した。だが程なく、やはり島民の案内で追ってきた米軍兵とブアリキ島Buarikiで白兵戦を繰り広げ、これも28日に鎮圧された。谷浦英男著「タラワ、マキンの戦い:海軍陸戦隊ギルバ
僕も関わっている「(一社)普久原未来のための事業団」。戦争や平和を語り継ぐ活動」の一つとして「戦跡の声を聴くビデオ」の作成をしています。------------------私たちは、いろいろな角度から戦争を考えたいと思っています。その中からある人物に焦点を当てたものです。プロレスラー「力道山」が、戦後の復興に果たした役割を考えました。今回は、その2です。力道山が力士を辞めるまでを追います。----------------(一社)普久原未来のための事業団(大分県別府市)は戦跡を訪れ、
[土浦海軍航空隊]陸自武器学校茨城県稲敷郡阿見町青宿121-1(陸上自衛隊武器学校→後方支援学校武器科部)*後日、加筆します昭和12年:安中水上機着陸場、完成昭和13年:安中水上基地、完成。昭和15年5月11日:霞ヶ浦航空隊安中水上隊、開隊。昭和15年12月15日:鹿島海軍航空隊と改称昭和15年11月15日:海軍初の予科練生教育専門の練習航空隊として、土浦海軍航空隊が開隊した。霞ヶ浦海軍航空隊から独立した土浦海軍航空隊なので、初代司令は青木泰次郎大佐が続投している。昭和14