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こんにちは。岩間靖子です。最近は、暖かい日が続き、カエルや色々な虫が動き始めていて、観察が楽しみな毎日です。今まで時々、ブログで自作曲やコンサートのご案内などをご紹介させて頂きましたが、この度、音楽活動のホームページを立ち上げました。もし宜しければご覧いただきましたら幸いです。以下のホームページアドレス、または、絵から入ることができます。https://seiko-composition-piano.hp.peraichi.com/pianistこれ
〈師子の光彩大願を果たさん〉第6回5・3「創価学会の日」2024年5月1日「日本晴れだ。創価学会の前途は万々歳だ!」――1960年5月3日の会長就任式。池田先生が、2万人の同志が集った日大講堂で、掲げられた恩師の遺影を仰ぐ。“広宣流布の一歩前進”を師子吼した生死を超え、今世の一生の法戦始む前日までの雨はやみ、同志の喜びを映すかのように、“5月の青空”が広がった。1960年(昭和35年)5月3日、東京・墨田区の日大講堂で、創価学会の第3代会長就任式となる第22回春季総会が盛大に行われた
私がSeikoで働きはじめた時に課長だったのが、島崎さんです。島崎さんは、作家島崎藤村さんの孫です。ヨーデルが得意で、驚きました!とてもお世話になりありがとうございました。参考元島崎五美雄島崎五美雄さんはFacebookを利用しています。Facebookに登録して、島崎五美雄さんや他の知り合いと交流しましょう。Facebookは、人々が簡単に情報をシェアできる、オープンでつながりのある世界の構築をお手伝いします。www.facebook.com
名字の言努力を続ける姿勢2024年5月1日「石の上にも五年」。大学時代の恩師が「石の上にも三年」をもじって語っていた言葉が、心に強く刻まれている▼かつて話題になった「一万時間の法則」。作家のマルコム・グラッドウェルさんが心理学者の調査を踏まえ、著書『天才!成功する人々の法則』(講談社)で唱えたもの。どんな才能や技量も1万時間、練習を続ければ本物になるとの主張だ。例えば1日6時間、毎日、休まず努力した場合、1万時間に達するには5年ほどかかる▼「石の上にも五年」も「一万時間の法則」も、“やみ
【師し子しの光こう彩さい――大願を果はたさん】第1回青年部の室長就しゅう任にん70周年㊤2024年1月1日誓ちかいを果はたす人生ほど美しいものはない。池田先生のご生しょう涯がいは、戸田先生の構想を、自みずからの大願として成じょう就じゅする歩みでもあった。新連れん載さい「師し子しの光こう彩さい――大願を果たさん」では、AI(人工知能)でカラー化された写真とともに、師弟の大願のドラマを紹介する。第1回北海道体育大会「若人の祭典」での戸田先生と池田先生(1957年8月、札幌・美香保グラウンド〈
〈御書と未来へ〉36平和を築く師子吼を共々に〈御文〉元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり。「疑いなきを信と曰う」の釈、これを思うべし云々。〈御義口伝、新1047・全751〉〈通解〉元品の無明という生命の根源的迷いを対治する利剣は「信」の一字なのである。「無疑曰信(疑い無きを信と曰う)」(『法華文句』)という釈を、よくよく思うべきである。〈池田先生が贈る指針〉人類の生存の権利を守り抜け――恩師の宣言から65年。生命尊厳の哲理の連帯は地球規模に広がった。師弟の挑戦
【師子の光彩――大願を果たさん】第2回青年部の室長就任70周年㊦2024年1月9日1961年11月5日に行われた、歴史的な第10回男子部総会(東京・国立競技場で)。恩師への誓いを実現し、10万人が一堂に会した同総会について、池田先生は「私の青年部の室長としての最後の仕事」と。この総会が、11・5「男子部の日」の淵源となった必ず10万の青年を結集いたします!さわやかな秋晴れが、国立競技場の空に広がった。1961年(昭和36年)11月5日、全国の代表10万人が集い、同競技場で「第10回男子
〈師子の光彩大願を果たさん〉第6回5・3「創価学会の日」2024年5月1日「日本晴れだ。創価学会の前途は万々歳だ!」――1960年5月3日の会長就任式。池田先生が、2万人の同志が集った日大講堂で、掲げられた恩師の遺影を仰ぐ。“広宣流布の一歩前進”を師子吼した生死を超こえ、今世の一生の法戦始はじむ前日までの雨はやみ、同志の喜びを映うつすかのように、“5月の青空”が広がった。1960年(昭和35年)5月3日、東京・墨田区の日大講堂で、創価学会の第3代会長就しゅう任にん式となる第22回春季
名字の言信心の大先輩が語る「確信の言葉」2022年9月7日多宝会のリーダーが担当した座談会。広布と人生の大先輩の「確信の言葉」に、参加者は清新な息吹で下半期を出発した▼「今年3月、夫が入会しました。夫は毎日、きちんと勤行・唱題するのですが、実は私にはできる時とそうでない時があります」。こう話すヤング白ゆり世代の友に、多宝会のリーダーは「あなたが夫のまねをしてください」と笑顔で語りかけ、「『真剣』が一番得です。御本尊に祈ったことは全部、自分に返ってくるからです」と▼夫の転職や母の病気を乗り越
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me来月初旬、代々の皇后に受け継がれてきた、皇居内での御養蚕が始まる。令和になって雅子さまは熱心に御養蚕に取り組まれ、毎年、春にはふ化したばかりの数ミリの蚕を、鳥の羽で掃いて桑の葉に移す「掃立て」と言う作業を行うという。今年もまた両陛下と愛子さまは、ご家族で仲睦まじく、小さな蚕のお世話をされるのだろう。この御養蚕について、去年、両陛下と話したのが、雅子さまにとって田園調布
こんにちは。インフィニティ英語教育研究所の岩間靖子です。本日は、私が賛助出演させていただくコンサートのご案内を申し上げます。このコンサートは、恩師の『大貫忠次先生85才記念コンサート』です。先生には4歳からピアノを教えて頂き、心から尊敬している先生です。先生の魂に響く演奏を、ぜひ、多くの方にお聴きいただきたく、ご多忙のことと思いますが、ぜひ、ご来場いただきたく心よりご案内申し上げます。大貫忠次先生85才記念コンサート大貫忠次先生曲目・変奏曲つきの
私には生涯、剣の師匠と仰ぐ先生がいます。私が小学生の頃、先生は高校の教員として、高校の部活動の指導をしながら、私が通う地元道場(剣道教室)の指導員として、道場に来られていました。私が中学生になると、別の指導員の先生と交代して、直接指導を受けることはなくなりましたが、高校受験を控えたある日、久しぶりに先生がお越しになって、先生が指導する高校に誘われました。その当時、先生は40代前半で教士七段でした。当時、高校教師でその年齢で教士七段の先生は、あまりいなかったように記憶して
今日本の一時帰国に向けて長女の進学先について悩みに悩んでいます。本人が。。。本帰国までは予定では残り3年ですが、この2年もあっという間だったし貴重な一時帰国気になる学校には見学に行きたいと思っています。今3つ候補があって、1つは私のいとこが通っていた高校、もう1つは長女が弓道部に入りたい!というので見つけた高校、最後は、長女の性格などを考えて私の昔の恩師から勧められた高校の3つがあります。どこも、帰国子女枠、さらには高2でも受け入れてくれるところです。私としては、悩まずひとまず3
やった、、ゴールデンのウィークだ、、何処を通っても渋滞の筈だから、、モンキーで活動開始だ、、幹線道路に出ると、やっぱり渋滞、、さぁ~どうしましょうかと思っていたら、、この界隈だけでした、、例年の渋滞は無く、ここをやり過ごすとスムーズだった、、先ずはカフェに行きましょうと、、店内に入ったら、、げげげげ、、は??昔若い頃にお世話になった現在は経済産業省管轄の某研究所の所長が飯を食っていた、、偉大な先生なんで、最敬礼でご挨拶、、カフェマスター
今年のGWの5月3日〜6日、私の恩師でありますチャック・スペザーノ博士が久しぶりに来日セミナーを開催されるのであります。2020年から新型コロナが流行したため、2019年5月の私の60歳の還暦セミナーに特別ゲストとして参加いただいたときを最後にずっと来日しておられなかったのであります。その還暦セミナーの際、「来年はお礼奉公として、博士のセミナーに馳せ参じます!」とお約束していたのでありますが、それも長い間、果たせずにおりました。博士との出会いは37年前。私がいまのように
【師子の光彩――大願を果たさん】第5回御書の発刊2024年4月10日学生部の代表に「御義口伝」を講義する池田先生(1962年8月31日、旧・聖教新聞本社で)。受講生たちは、事前に、経文などはすべて原典にあたり、講義の前に集っては発表し合い、研さんを重ねた。講義を通しての師弟の触発が、学生部の発展の大きな起爆剤となった「大経典」の精神をアジア中、世界中へ世界中で高まる御書研さんの息吹。池田先生は、御書新版の「序」に、その喜びを書きつづっている。「文明も国籍も、人種も民族も、文化も言語
月々日々に――池田先生の折々の言葉2024年5月3日五ご月がつ三みっ日かは、師し弟てい共きょう戦せんの誓ちかいの記き念ねん日びだ。広こう布ふの前ぜん進しんは、瞬しゅん時じも立たち止どまらない。大だい生せい命めい力りょくを湧わき立たせ、勢いきおいよく前進だ!※『随筆平和への大道』を基にしています。名字の言万ばん代だいの広こう布ふの計けいは「五月三日」に2024年5月3日中国の言葉に、「一年の計けいは春に在あり」とある。「春」は年としの初はじめを指さすので、日本の「一年の計は元がん
この方は天地創造の大ガミからのメッセージを、大ガミと一体となりお伝えされるわしおすえよしさんです普通の人は経験しないような数々の困難や魔の攻撃を乗り越えて来られたとてつもなく強く大きい方です時には厳しく、あたたかく…我が恩師であり、導き下さる存在でありますわしおさんは面談に行く私にたくさんのことを教えて下さいました「人間は体内にカミ宿るカミ人」なのだそうです命=カミである大昔の人々は、カミガミのメッセージを受取りながら誰もが嬉しく楽しく過ごしていた
今日、本当に偶然たまたま娘ちゃんが見ていたTVでわんわんと母校とのコラボ映像が流れていてえ〜〜すごい!この高校がお母さんの通ってた高校だよ〜と昔と比べたら、校舎も、グランドもすっかりキレイになってて私の後輩たちも出てきて懐かしいな〜先生とか、元気かな〜と言っていた2時間後にその恩師が今いま亡くなったと連絡がありました。2年前から闘病をされていた先生私の人生レールの基盤を作ってくれた恩師です私が中学生の時に先生が、胸に日の丸をつけて
【師子の光彩――大願を果たさん】第4回3・16「広宣流布記念の日」2024年3月13日「行こう!ついていらっしゃい」――池田先生は指揮杖を振りながら、音楽隊の行進の先頭に立つ(1958年3月16日、静岡で)。“広宣流布の記念式典”の終了後、参加者の見送りなど一切を終えた先生は、恩師のいる場所に向けて音楽隊に演奏を依頼。「星落秋風五丈原」が奏でられた。先生は心で恩師に叫んだ――“お聴きください。青年部は、弟子たちは意気軒高です。ご安心ください!”先生、広宣流布は必ず弟子の手で成就します
【師子の光彩――大願を果たさん】第1回青年部の室長就任70周年㊤2024年1月1日誓いを果たす人生ほど美しいものはない。池田先生のご生涯は、戸田先生の構想を、自らの大願として成就する歩みでもあった。新連載「師子の光彩――大願を果たさん」では、AI(人工知能)でカラー化された写真とともに、師弟の大願のドラマを紹介する。第1回北海道体育大会「若人の祭典」での戸田先生と池田先生(1957年8月、札幌・美香保グラウンド〈当時〉で)。師弟の眼は、若人が躍動する広布の未来を見つめて勝利の方程式を全
そもそもシーズン6の話の始まりは大地くんからでしたね。ブログにはやり取りの全てを書ききれるわけではありませんでしたが実際はこの何倍も何十倍も大地くんと話をしてきた中で大地くんは幾度となく泣きながらお母さん(みどりさん)が心配するから言わないでねと私に話していたことがあります。それは大地くんの進路、つまり「将来の夢」です。当時将来の夢を話しながら泣いていたのは今にも壊れてしまいそうな母を想いどうやったらお母さ
昨日は、私の恩師主催のベリーダンスショーを見に行きました✨✨✨私の発表会を毎年見に来てくれていたお友達と行って来ました✨✨✨昨日のショーは他団体のダンサーさんが大勢踊るショーで、私は他団体のベリーダンスはあまり見たことがないのでとても楽しみにしていました。お友達はいつも発表会に来てくれていた関係で、プロの踊りはほとんど見たことがなかったと思うので、プロの踊りを見せてあげられることも楽しみにしていました。ショー、とても素晴らしかったです✨✨✨色々なジャンルのベリーがあって、衣装もそれぞれ
多くの総合病院の耳鼻科では1週間(土日は休みとし)のうち外来診療は3日、手術日は2日ととなっていることが多いです外来診療は研修医の間は上級医について診断技術を学び、独り立ちしていくというのが一般的な流れです研修医の時は知識もあやふやで経験も少ないものですが、徐々に上級医の監視下に外来を任されることが多くなります私もご多分にもれず、ある日上級医の監視下に外来診療をおこなっていると患者さんに説明を行っているとき、隣の診察台で診察を行っていた上司に診察を止められ奥の医師控室によばれました
昨日恩師の発表会に出演させていただきました1番上は本番舞台裏での出待ちの1枚猫背なおさなきゃですね先生とは毎年お写真撮らせていただいていて三輪車でレッスンに通っていた時もあったのにいつしか大分背も伸びました今、172㎝です幼い頃より本番を重ねてきたホールはやはり思い出深いものですね本当に懐かしく、門下生の演奏を聴きながら、あの時、僕もあの曲弾いてたなぁなんて、昔を思い出したりしていました。今回用意していた2曲はどちらも難曲でとても不安だったので、本番前にゲネのお時間もいただいて、ゲ
3・16「広宣流布記念の日」65周年――戸田先生の魂の叫び「戦おうじゃないか!」2023年3月16日弟子の誓願果たし抜く人生を恩師・戸田城聖先生と語らう池田大作先生(1958年3月1日)◆「宗教界の王者」の誇りで勇敢に進め◆池田大作先生は、長編詩「青は藍よりも青し」で詠んだ。「時は巡り来り/ここに迎えた広宣流布記念の日/この日こそ我が愛する門下の/新たな空気を吸いゆく/希望の朝だ」きょう、3・16「広宣流布記念の日」65周年の佳節を迎えた。1958年(昭和33年)のその日、恩師
一週間ぶりかな?に呑んべいさんがお家に戻りまして。今回の移動はドイツを三角に電車で。時間もですが、距離も結構な長旅。前日のメッセージで、15時頃に帰ると聞いていたので、翌日14時頃電話が鳴った時はてっきり「間も無く着きますコール?」なんて思ったら。「全然まだまだ着きませんからコールっ。」でございました。「もしもしっ。。。」(相変わらず抑揚の少ない、暗ら〜い。。。ではなく。電車の中だから、いつもの静かすぎる小声っ。笑っ。)『は〜ぁ〜いっ♪』(家の中なので、元気いっぱいの
第24回「75万世帯の成就」“進まざるは退転”が仏の遺言2022年12月23日〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉イラスト・間瀬健治【同志への指針】一、自らが地涌の勇者の「一人」と立ち上がり、壁を破って成長しよう!一、自らが大切な「一人」の友を見つけ、心から励ましていこう!(『随筆輝く民衆の大城』から)「二月闘争」のドラマを刻んだ東京・大田を訪れ、同志にエールを送る池田先生と香峯子夫人(1991年11月、大田池田文化会館で)学会の“発迹顕本”戸田先生の生涯の願業であった「
〜恩師に会いに行ってきました〜私の原点小日向エンジェルスさんへ監督の高橋さんは恩師でもあり師匠でもあります元八ドリームズがスタートできたのも高橋監督のおかげです7年前、練習中押しかけて「新しくチームを立ち上げたいんです」と相談したところ「やめとけー大変だぞー」とそれでも色んなことを教えてくださり親身にアドバイスをくださったおかげで私自身覚悟が決まりそこから家族を巻き込み仲間を巻き込みスタートしましたそして今回小日向エンジェルスさんに遠征することができ温かく
男女学生部が拡大月間6・30結成記念日へ先駆2024年5月3日女子学生部の友が、御書研さんを原動力に対話の花を咲かせゆく(4月27日、東京・新宿区の金舞会館で)6・30「学生部結成記念日」に向け、男女学生部の「勇気と誓いを胸に!希望の連帯拡大月間」が、きょう3日にスタートした(6月30日まで)。1957年6月30日、学生部の結成大会が東京・麻布公会堂(当時)で開催。第2代会長・戸田城聖先生が出席し、池田先生は祝電を寄せた。以来、学生部は民衆厳護のリーダーを輩出してきた。池田先生はつ