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私は19歳で上京し、ラジオパーソナリティからキャリアをスタートしました。映画デビューすることが出来たのは、それから2年後のことです。演技力という数値化できない才能や実力は簡単には、証明出来ない。最初の役を掴むのが一番難しいです。ほとんどの俳優の卵たちは、デビューすることが出来ずに諦め去っていく。チャンスが来る瞬間とは不思議なもので私は、アルバイト先だったバーで、皿洗いをしているところをプロデューサーで制作会社社長のW.M氏と、デビュー作の映画監督にスカウトされました。顔は、まぁまぁ
大切な人が性被害に遭う。こんな悪夢はなかった。ちょうど文春で榊英雄が告発される直前でした。年齢が離れていても全く感じないくらいに落ち着いていて、賢くて、親想いで。妹みたいな、家族みたいな。抱きしめてくしゃくしゃにしたくなるくらいに、可愛くて可愛くて...大好きな子。知り合ってすぐに意気投合して、2人で一晩中おしゃべりして。彼女に私はなんでも話せたし、彼女の話を聞くのが大好きで。ご飯を食べて、一緒に眠って。私が実名告発に踏み切るきっかけ、私が性被害者支援をするきっかけは自分の受
まず最初に。私自身は、幼少期に従兄弟から性被害を受けました。芸能界に入ってからも、エランドール賞の受賞経歴もある、一時は日本アカデミー賞の常連作品を手掛けていた映画制作会社の社長でプロデューサーのW.M氏から「自分のものになれ、ならないならば君のキャリアは終わり」と脅されたり、オーディション会場だと偽られた高級ホテルの一室で、無理矢理にキスをされ服を脱がされそうになりました。灰皿でぶん殴ってやりました。注)正当防衛です。荷物をかき集め、震える足を励ましながら走って逃げ出した。男と
私はシングルマザーで、親とも縁を切り、友人とお金を頼りに生きています。いざという時、自分を助けてくれるのは息子を守れるのはお金家族に恵まれた人には、悲しく聞こえる人かも知れません。私と同じように、家族に恵まれなかった人にはきっとよく分かるでしょう。何かあった時、逃げる場所も、頼れる親もいない...育児のアドバイスもない、息子にジイジ、ばあばは居ない。親と縁を切るに至ったいきさつはたくさんありますが、まず、従兄弟の存在をなくしては語れません。中学1年生のある日、突然気付いた。あ
性被害、性犯罪の犠牲者は、思考停止させられることによって抵抗できなる。私が幼少期、10歳以上歳上の従兄弟からの性被害、性的虐待に合った事は書かせていただきました。その時、抵抗できなかったのは私の幼さゆえ、理解力、思考力さえない幼さゆえです。それに気づいた中学1年生の二学期から1ヶ月近くの記憶がありません。血が出るまで爪を齧ったこと、男子、男性を殺したい衝動に駆られていた事、深夜に徘徊して幼馴染のベッドで眠ったり、森に隠れて出ようとしなかったこと、ついには包丁で手首を切ったことを、後に幼なじ
私はシングルマザーです。もちろん、まさかシングルマザーになるなんて想像もしていませんでしたがw。女優として憑依型だった私は、息子に安心と安定を与えたい、役の影響を息子に与えたくないその想いから、女優業を引退しました。もちろん、経済的に安定するため、でもあります。私は養育費をもらっていません。女優業という不安感な仕事を続ける事は現実的ではありませんでした。表現という情熱を、今はファッションデザイナー、スタイリストとして。第二の人生として楽しんでいます。日本人はブランド品が好き。私