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九州には、国鉄からJRに変わりました際に多くのキハ58系気動車が移譲しておりましたが、これまでも当ブログでもご紹介しておりました、残念ながら平成30年に最後まで残されておりました上の画像の「あそ1962」が廃車となりまして、これによりまして九州からキハ58系気動車のオリジナルスタイルの車両は全廃となっている事はご覧の皆様もご存知の方もいらっしゃるのではないかと思います。この「あそ1962」は、キハ58-139の製造年であります1962年(昭和37年)を表しておりまして、日本車輌にお
平成6年3月の週末、金沢行き夜行急行「能登」は、上野駅16番線を23時58分に発車した。上野駅の古びて煤けた通路を乗り場に急いだことや、「能登」が構内を抜けないうちに日付が変わったことなど、奇妙な既視感を覚えながら、僕は、漆黒の闇に包まれた車窓を茫然と見つめていた。母がいる長野市の実家に寄ってから、金沢市に住む弟を訪ねる用件が急に持ち上がったので、慌ただしい旅支度に、くたくたになっていた。それだけではなく、10年前の昭和59年の夏、全く同じ時刻に上野駅を発つ夜行急行「妙高」に乗った
現在、東京~静岡間を鉄道でダイレクトに利用するとなりますと、最も考えられるのが東海道新幹線ではないかと思います。東海道新幹線では、「ひかり」・「こだま」が停車を行っておりまして、「ひかり」は約1時間、「こだま」は約1時間25分で東京~静岡間で運行されておりまして、一部を除きまして上の画像のN700系新幹線電車で運行されております。運行間隔は、「ひかり」は1時間に1本、「こだま」は1時間に2本が日中運行されておりまして、最も多く運行されております、静岡県内を通過します「のぞみ
明日は1月7日です.本日はKATOから発売されたオシ17を紹介します.1960年代までの特別急行・普通急行列車には欠かせない車両でした.10-14226号車当初は「かもめ」などの特別急行列車用の食堂車として使用されていました.筆者は持っていませんが,青大将の製品にも入っています.10-13018号車1960年代には普通急行列車に使用されるようになりました.この時期が最も輝いていた時期かもしれません.50652018号車過去に単品売りされていたものです.非常口はなくなってい
お早ようございます、ご機嫌いかがですか。鉄道写真愛好家の「なまでこ」です。尾張地方は朝から快晴になりました、台風が未だ南西方向にあるのに、台風一過のような雲一つない空になりました。大井川線を行くSL急行列車です。レールだけが光っていました。SLの形式は全く不明です、SLなのに煙が全く出ていませんでした。この日は旧形客車の4両編成でした。左側には大井川の川面が光っていました。撮影地大井川鐡道大井川線神尾駅付
本日は10系寝台車の思い出ということで、しばし、お付き合いいただきたいと思います。10系客車も分類上は、旧型客車に属する車両であり、改造を含めて以下の車両を一般的には10系客車と呼称しているようです。座席車3等座席車(後の2等座席車)ナハ10日本初の軽量客車ナハ10ナハ112等座席車室内灯を蛍光灯化するなど改良が施された、ナハ11(後の1等座席車)ナロ10その後冷房化されて、オロ10となった食堂車普通食堂車オシ17外観は近代的ですが、レンジは旧型と同じで石炭レンジでした
仙台駅にて、仙台・米沢-秋田・青森間を陸羽東線経由で運行されていた急行千秋です。3~5号車からなる、普通車のみの3両編成。米沢発の方は2両編成で出発、山形-新庄間は5両編成。合流後は5両編成で青森に向かいました。こちらはその「千秋」に新庄まで併結された後、陸羽西線から羽越本線経由で羽後本荘まで運行されていた、急行もがみです。1、2号車からなる、普通車のみの2両編成。米沢発の方も2両編成、計4両編成となります。
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。本日(2020年10月1日)は新快速列車運行開始から50年の節目の日であります。ということで、前回に引き続き、今年50周年の新快速についての投稿です。今回は歴代新快速車両をご紹介します。前回は新快速50年の資料などを紹介しました。そちらも併せてご覧ください。京都鉄道博物館新快速50周年記念イベントに行ってきました。前回のおさらいです。新快速とは京都〜大阪〜神戸間は戦前から国鉄(現在のJR)と私鉄は競合しておりサービスの向上・技術開発が進みまし
長崎県佐世保市の玄関口でありますJR九州・松浦鉄道(MR)佐世保駅は、明治31年(1898年)1月の開業から126年になろうとしておりまして、そんな現在の駅舎は画像1のように平成13年12月に完成しました高架駅でありまして、多くの方々がこの駅を利用されております。現在は、JR九州に関しましては783系電車・885系電車で運行されております特急「みどり」、817系電車で運行されております佐世保線の普通列車、そして大村線に直通します画像2のYC1系気動車がそれぞれ発着しておりまして、多
直流区間の至るところで見られた165系列も次第に活躍の場を狭め、急行「赤倉」が165系最後の定期運用の急行でした。(1997.3新潟駅)急行といえど僅か3両編成の都落ち車両でしたが、この頃になると湘南色の大目玉ライトは稀少でした。急行「赤倉」は、1997年10月の北陸新幹線長野暫定開業を機に廃止、併せて上沼垂運転区の165系も消えました。(1997.3新潟駅)JRで最後に湘南色の165系を見たのが2003年6月です。新前橋電車区の165系を使い関東各地でイベント運転を実施し、最後
信越本線経由直江津行き夜行急行「妙高」が、上野駅を発車する時刻は、23時58分だった。当時、多客期に運転されていた上野発長野行き急行「信州」9号が上野発0時22分、というように、臨時列車では日付が変わってから始発駅を発車することはあっても、僕が知る限り、定期の夜行列車では最も遅い発車時刻ではなかったか。「信州」9号は普通指定席とグリーン車、自由席だけで運転される電車であったが、このようなダイヤの場合、前もって指定席を購入する際には注意を要する、と聞いたことがある。おそらく、世の
今回は京阪神を走る歴代新快速車両をご紹介します。●京阪神の新快速とは現在は東海道本線の京阪神区間(琵琶湖線・京都線・神戸線)・山陽線・湖西線・北陸線などで活躍している快速列車であります。普通列車種別の1つなので一部有料座席を除き乗車券のみで利用することができます。現在、最長の新快速は福井県の敦賀駅から兵庫県の播州赤穂駅まで275.5kmをつないでおりこれは2021年現在、普通列車種別として日本で一番長い区間を走る列車となっています。両数は京阪神エリアのほとんどが12両編成で最高時速は13
仙台-青森間の東北本線で運行されていた急行「くりこま」です。寝台急行「新星」で早朝仙台駅に着き、ようやく対面しました。これは仙台7:00発の「1号」。何と全席指定。しかも盛岡までの所要時間が2時間20分程、青森までが4時間50分程と、当時の特急並みの速さ。日本全国探してもちょっと類を見ない急行でした。使用されていたのは定番だった455系電車。6両編成、うちグリーン車が1両。東北新幹線開業に伴い、この年の11
花たびそうや急行「花たびそうや」は、5月中旬~6月上旬にかけて、JR北海道の宗谷本線旭川~稚内間で運行された観光列車。車両は、キハ40「山紫水明」の間に「道北流氷の恵み」を連結した3両編成で、全車指定席の急行列車として運転されました。車両自体に大きな特徴はないのですが、途中停車駅での停車時間が長めにとられているのがポイント。停車駅でのおもてなしや物産販売を楽しみながら、全行程259.4kmを6時間ほどかけて楽しむ列車なのです🤗車両外観まずは旭川方2号車は緑色のカ
仙台駅にて、仙台・盛岡-秋田間を田沢湖線経由で運行されていた急行たざわです。型は当然ながらキハ58系気動車。写真は仙台7:25発の「1号」。秋田到着は12:55でした。でもグリーン車は無し。そして先頭車両の号車番号は"10"。しかし「たざわ」は4両編成でした。では、1号車から6号車までは何だったのかというと・・・1号車~3号車は、大船渡線の盛と仙台を結んでいた、急行むろねでした。仙台と
どの駅にも、昼と夜が移り変わる時間帯がある。帰宅ラッシュの潮が引く時間帯に相当することが多く、ホームやコンコースを歩く人々の姿が目に見えて減り、大量の乗降客を捌き終えた駅員や売店の店員がホッと緊張感を緩めて、構内全体がまったりした表情を見せる。夜行列車が発着する駅ならば、大きな荷物を抱えた長距離客の姿が目立つようになる。ところが、新宿駅は、昼と夜の境が判然としない。日付が変わる頃合いを迎えても、なお膨大な数の乗降客が駅の隅々までひしめき合い、駅の外の繁華街へ出ていく人も、駅に
急行[高千穂]完乗ルポ、最終回。前記事の夜行区間に続いてVol.3はいよいよ最終回、九州区間である。例によって門司~西鹿児島間の停車駅は以下の通り。門司→西鹿児島間の停車駅門司4:51小倉4:57行橋5:20宇島5:39中津5:47宇佐6:11杵築6:35別府6:56大分7:11-7:18臼杵7:56津久見8:08海崎8:25佐伯8:30北川9:30日向長井9:39延岡9:50南延岡9:57日向市10:15南日向
人里離れた秘境の地に、何故か鉄道の駅がある。まともな道路も接続していなくて、駅に辿り着くには山道を歩かなくてはなりません。誰が利用するのか知らないけれど、毎日列車が到着し、密かに出発していくのです。そんな秘境駅が連なって存在するJR飯田線を「急行列車秘境号」が走ります。この日ばかりは、秘境駅も昔の賑わいを取り戻すようですね。秘境号の停車する駅は、秘境駅ランキング3位の小和田駅をはじめ、6位の田本駅、7位の金野駅、13位の中井侍駅、16位の為栗駅、25位の千代駅、79位の
青森行きの夜行急行列車「八甲田」は、定刻21時18分に上野駅15番ホームを後にした。14系客車を9両に荷物車を最後尾に繋ぎ、電気機関車に牽引される編成であるから、電車に比べれば行き足は鈍い。がたん、がたがた、と客車が動き出す音が前方から順々に伝わってきて、ごとり、と自分が乗る車両が動き出すまでに瞬時の間が生じているような感触、というのは若干大袈裟な表現かもしれず、実際は全車両がほぼ一斉に動き出しているのだろうが、それでも動力が分散している電車や気動車とは大いに異なる独特の感覚である。
2020年10月16日に劇場版「鬼滅の刃無限列車編」が公開され、社会現象級のブームとなっている「鬼滅の刃」ですが、同作は大正時代の日本を舞台としています。劇場版「鬼滅の刃無限列車編」は第44回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞しました。映画では、「無限列車」という名の架空の列車が登場しますが、大正時代の日本の鉄道は、実際にはどのような姿だったのでしょうか。日本では1872年(明治5年)、東京の新橋駅(現在の汐留地区にあった旧駅)と横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ鉄道が開業
YouTube(「大都会」:昔のヒット曲)で見つけた画像だけど、これはおそらく大昔の上野駅だろうね。上野駅まで来た乗客が、東京駅や新宿駅などから出る各線の乗車券と急行券を買うための窓口かもしれない。(房総方面は総武快速ができるまで両国始発だった)同じ上野駅から出る常磐線があるのは、ちょっと不思議だが、まあ別に急行券が必要だからオマケにあるのだろう。準急の文字はないので、準急が廃止されたあと昭和40年代後半かと思われる。もっとも、私もこの時代の上野駅は知らない。急行列車が特急に押され始め
2021.7.23朝春日山駅近くのネットカフェで休んでいましたが、4連休ということもあってほぼ満席でした。リクライニングシートブースだったので、あまり寝れず疲れがなかなか取れませんでした。5時ごろに起床して、北陸新幹線開業前以来に訪れる高田方面の撮影地に向かって歩きます。運転開始して間もない413系急行列車を撮る予定で、連休中なので撮影待機組が大勢いると予想していましたが、誰もいませんでした。えちごトキめき鉄道春日山〜高田特急しらゆき1号送込み回送E653系1100番台H201普通
世の中はブルトレブームの真っ最中の頃でした。大学3年になった私は、学校に朝早く行かないといけない日が出来て、最寄駅でゲタ電を待っていると福知山線ホームを決まって「だいせん8号」が通過して行きます。堂々12両編成の20系客車をDD51が単機で牽引する姿は幾ら軟弱鉄な私でも其の姿には魅かれます。日の長い時期に、いつか走行写真を撮ってやろう!と考えるのは至極当然のことです。旧尼崎駅を通過して行く「だいせん8号」1979年6月夏休みに入れば福知山線まで撮りに行こう!そう決めたのは19
おはようございます!突然ですが、遜色急行という言葉をご存知でしょうか?遜色急行とは、急行列車で使用することを想定していない車両を用いて運転されることで、普通の急行と比べて見劣りするので、そのように名付けられたようです。これはサロ165ですが、見慣れないスカ色です。急行かいじを115系で運用する際に、連結するサロ165をスカ色に塗り替えたものです。車両はマイクロ製で、急行かいじの増結セットについているものです。車体を外しました。真っ赤なので塗り直すとして、流石はマイクロです、簡易運転台
平成23年から翌平成24年頃まで、下関駅に隣接します下関総合車両所下関車両管理室(←運用検修センター)には、キハ181系気動車が留置されておりました。このキハ181系気動車は、前年平成22年まで運行されておりました、大阪~(播但線)~香住・鳥取間を運行されておりました、特急「はまかぜ」の専用車両として、旧京都総合車両所(現・吹田総合車両所京都支所)所属車として存在していた車両たちでもありました。しかし、この年キハ189系気動車に「はまかぜ」は変わりまして、それからは翌平成2
本日は「東京~名古屋間の列車所要時間を調べてみた」第3回目として1964年10月の東京駅にスポットを当ててみたいと思います。いよいよ東海道新幹線が開通し,高速大量輸送時代の幕開けとなりました。これに伴い,東海道本線では山陽・九州方面直通の昼行特急は廃止されました。それでは,午前中に東京駅を出発する名古屋方面直通の列車を各種別ごとに見ていきましょう。・普通列車列車番号:321M05:20発名古屋行き(川崎通過)【主要駅発着時刻】横浜05:48着05:49発小田原0
皆さんこんばんは、昨日は「急行白兎」のお話にお付き合いいただきありがとうございました。今日は、ちょっとユニークな列車、急行大社を取り上げてみたいと思います。この列車元々名古屋から鳥取方面への利用客を呼び起こそうと計画された列車で旅客流動などを全く無視したような列車設定でした。昭和41年10月のダイヤ改正で誕生した列車だそうで、当時の時刻表を【昭和42年10月改正】をみますと、名古屋駅9:00に出発し、米原から北陸本線を経由して敦賀へ、敦賀で金沢からくる急行あさしおと併結して小浜線を走って西
リバイバルカラーの6000系急行電車。久しぶりに撮影しました。緑の渓谷がとても綺麗☘️2024年5月19日秩父鉄道