ブログ記事976件
こんばんは。今日はNゲージ鉄道模型、国鉄時代に夜行急行列車として走っていた表題の編成について、その1です。あまり馴染みが無いのにこの模型を導入した経緯と、初めて室内灯に高密度の120LED/mタイプを使った話です。オロネ10(左)と、オハネフ12の連結面です。こういう姿、よく見られました..と言いたいところなのですが、記憶がおぼろげなんです(汗)。私は基本よく見たとか、乗ったとか、馴染みの深い模型車両を導入するようにしているので、珍しいパターンです。こちらはスハネ16(左)とスロ
信越本線経由直江津行き夜行急行「妙高」が、上野駅を発車する時刻は、23時58分だった。当時、多客期に運転されていた上野発長野行き急行「信州」9号が上野発0時22分、というように、臨時列車では日付が変わってから始発駅を発車することはあっても、僕が知る限り、定期の夜行列車では最も遅い発車時刻ではなかったか。「信州」9号は普通指定席とグリーン車、自由席だけで運転される電車であったが、このようなダイヤの場合、前もって指定席を購入する際には注意を要する、と聞いたことがある。おそらく、世の
平成23年から翌平成24年頃まで、下関駅に隣接します下関総合車両所下関車両管理室(←運用検修センター)には、キハ181系気動車が留置されておりました。このキハ181系気動車は、前年平成22年まで運行されておりました、大阪~(播但線)~香住・鳥取間を運行されておりました、特急「はまかぜ」の専用車両として、旧京都総合車両所(現・吹田総合車両所京都支所)所属車として存在していた車両たちでもありました。しかし、この年キハ189系気動車に「はまかぜ」は変わりまして、それからは翌平成2
青森行きの夜行急行列車「八甲田」は、定刻21時18分に上野駅15番ホームを後にした。14系客車を9両に荷物車を最後尾に繋ぎ、電気機関車に牽引される編成であるから、電車に比べれば行き足は鈍い。がたん、がたがた、と客車が動き出す音が前方から順々に伝わってきて、ごとり、と自分が乗る車両が動き出すまでに瞬時の間が生じているような感触、というのは若干大袈裟な表現かもしれず、実際は全車両がほぼ一斉に動き出しているのだろうが、それでも動力が分散している電車や気動車とは大いに異なる独特の感覚である。
現在、東京~静岡間を鉄道でダイレクトに利用するとなりますと、最も考えられるのが東海道新幹線ではないかと思います。東海道新幹線では、「ひかり」・「こだま」が停車を行っておりまして、「ひかり」は約1時間、「こだま」は約1時間25分で東京~静岡間で運行されておりまして、一部を除きまして上の画像のN700系新幹線電車で運行されております。運行間隔は、「ひかり」は1時間に1本、「こだま」は1時間に2本が日中運行されておりまして、最も多く運行されております、静岡県内を通過します「のぞみ
花たびそうや急行「花たびそうや」は、5月中旬~6月上旬にかけて、JR北海道の宗谷本線旭川~稚内間で運行された観光列車。車両は、キハ40「山紫水明」の間に「道北流氷の恵み」を連結した3両編成で、全車指定席の急行列車として運転されました。車両自体に大きな特徴はないのですが、途中停車駅での停車時間が長めにとられているのがポイント。停車駅でのおもてなしや物産販売を楽しみながら、全行程259.4kmを6時間ほどかけて楽しむ列車なのです🤗車両外観まずは旭川方2号車は緑色のカ
平成6年3月の週末、金沢行き夜行急行「能登」は、上野駅16番線を23時58分に発車した。上野駅の古びて煤けた通路を乗り場に急いだことや、「能登」が構内を抜けないうちに日付が変わったことなど、奇妙な既視感を覚えながら、僕は、漆黒の闇に包まれた車窓を茫然と見つめていた。母がいる長野市の実家に寄ってから、金沢市に住む弟を訪ねる用件が急に持ち上がったので、慌ただしい旅支度に、くたくたになっていた。それだけではなく、10年前の昭和59年の夏、全く同じ時刻に上野駅を発つ夜行急行「妙高」に乗った
仙台駅にて、仙台・盛岡-秋田間を田沢湖線経由で運行されていた急行たざわです。型は当然ながらキハ58系気動車。写真は仙台7:25発の「1号」。秋田到着は12:55でした。でもグリーン車は無し。そして先頭車両の号車番号は"10"。しかし「たざわ」は4両編成でした。では、1号車から6号車までは何だったのかというと・・・1号車~3号車は、大船渡線の盛と仙台を結んでいた、急行むろねでした。仙台と
現在、福岡~熊本間で「ひのくに」と言う愛称と言いますと、ご覧の皆様にとりましては、上の画像の西鉄バス・九州産交バスが運行します高速路線バス「ひのくに号」が一番考えられるのではないかと思いますし、ピンと来られる方も多いのではないかと思います。この「ひのくに号」も、最も所要時間が速い「スーパーノンストップ」系統、高速基山・広川・植木インターなどに停車します系統、そして福岡空港発着で運行されております各停系統と、最盛期よりは少ない本数ではありますが現在も多い本数で運行されておりまして、ド
本日は10系寝台車の思い出ということで、しばし、お付き合いいただきたいと思います。10系客車も分類上は、旧型客車に属する車両であり、改造を含めて以下の車両を一般的には10系客車と呼称しているようです。座席車3等座席車(後の2等座席車)ナハ10日本初の軽量客車ナハ10ナハ112等座席車室内灯を蛍光灯化するなど改良が施された、ナハ11(後の1等座席車)ナロ10その後冷房化されて、オロ10となった食堂車普通食堂車オシ17外観は近代的ですが、レンジは旧型と同じで石炭レンジでした
トロッコ列車代走の急行が走っていますが、GW後半のこの日は、キハ405+キハ402の編成で、『奥房総』のヘッドマークが掲出されました。『さと山』から始まった急行列車は、この代走で前回は『かずさ』でしたが、どんどんバリエーションを増やしていますね。図柄のセンスがとても良くて楽しめます。平板ではない重厚なヘッドマークを作って欲しいところです。東北色の車両の方が似合っているかも知れません。5月1日から10日まで使用されて、そのあとは北海道ヘッドマークシリーズになります。20
雨が相変わらず降り続きますね…何となく、寒い。梅雨にしては、まだ早いです。東京地方は明日も雨模様…5月らしい五月晴れ?を期待しています。昨日、TOMIXより新製品の発表がありました。その中で、JR東海165系急行『東海』の製品化がアナウンスされました。他にも製品化はありましたが、当ブログに関係するのはこれ↓ということで、便乗して、ゴソゴソと取り出しました。JR東海静岡運転所165系K-3編成今回、製品化がアナウンスされたのはK-1編成。編成表はこちら→JR東海静シス165
明日は1月7日です.本日はKATOから発売されたオシ17を紹介します.1960年代までの特別急行・普通急行列車には欠かせない車両でした.10-14226号車当初は「かもめ」などの特別急行列車用の食堂車として使用されていました.筆者は持っていませんが,青大将の製品にも入っています.10-13018号車1960年代には普通急行列車に使用されるようになりました.この時期が最も輝いていた時期かもしれません.50652018号車過去に単品売りされていたものです.非常口はなくなってい
九州には、国鉄からJRに変わりました際に多くのキハ58系気動車が移譲しておりましたが、これまでも当ブログでもご紹介しておりました、残念ながら平成30年に最後まで残されておりました上の画像の「あそ1962」が廃車となりまして、これによりまして九州からキハ58系気動車のオリジナルスタイルの車両は全廃となっている事はご覧の皆様もご存知の方もいらっしゃるのではないかと思います。この「あそ1962」は、キハ58-139の製造年であります1962年(昭和37年)を表しておりまして、日本車輌にお
直流区間の至るところで見られた165系列も次第に活躍の場を狭め、急行「赤倉」が165系最後の定期運用の急行でした。(1997.3新潟駅)急行といえど僅か3両編成の都落ち車両でしたが、この頃になると湘南色の大目玉ライトは稀少でした。急行「赤倉」は、1997年10月の北陸新幹線長野暫定開業を機に廃止、併せて上沼垂運転区の165系も消えました。(1997.3新潟駅)JRで最後に湘南色の165系を見たのが2003年6月です。新前橋電車区の165系を使い関東各地でイベント運転を実施し、最後
仙台駅にて、仙台・米沢-秋田・青森間を陸羽東線経由で運行されていた急行千秋です。3~5号車からなる、普通車のみの3両編成。米沢発の方は2両編成で出発、山形-新庄間は5両編成。合流後は5両編成で青森に向かいました。こちらはその「千秋」に新庄まで併結された後、陸羽西線から羽越本線経由で羽後本荘まで運行されていた、急行もがみです。1、2号車からなる、普通車のみの2両編成。米沢発の方も2両編成、計4両編成となります。
急行[高千穂]完乗ルポ、最終回。前記事の夜行区間に続いてVol.3はいよいよ最終回、九州区間である。例によって門司~西鹿児島間の停車駅は以下の通り。門司→西鹿児島間の停車駅門司4:51小倉4:57行橋5:20宇島5:39中津5:47宇佐6:11杵築6:35別府6:56大分7:11-7:18臼杵7:56津久見8:08海崎8:25佐伯8:30北川9:30日向長井9:39延岡9:50南延岡9:57日向市10:15南日向
宮崎区のC57が「日南3号」の定期急行運用に返り咲いて盛り上がった昭和48年秋の改正があったほんの数か月前の出来事です。昭和48年(1973年)の夏休み宮崎駅で上り普通列車532レの発車を待っていた時です。向かいホームに「日南1号」が到着する旨のアナウンスがありどんな列車が来るのかな?とカメラを持って列車の到着を待っているとなんと!C57が「日南1号」を牽いて宮崎駅に入ってきました。まさに青天の霹靂!現在のようにリアルな情報が全くない時代での出来事です。急行のサボも
皆さんこんばんは、昨日は「急行白兎」のお話にお付き合いいただきありがとうございました。今日は、ちょっとユニークな列車、急行大社を取り上げてみたいと思います。この列車元々名古屋から鳥取方面への利用客を呼び起こそうと計画された列車で旅客流動などを全く無視したような列車設定でした。昭和41年10月のダイヤ改正で誕生した列車だそうで、当時の時刻表を【昭和42年10月改正】をみますと、名古屋駅9:00に出発し、米原から北陸本線を経由して敦賀へ、敦賀で金沢からくる急行あさしおと併結して小浜線を走って西
続きです。本記事は旅のまとめ記事になります☝本編は以下になります↓↓↓週末パスで行く!信越乗り鉄の旅①〜新潟散策と名物カレー〜『週末パスで行く!信越乗り鉄の旅①〜新潟散策と名物カレー〜』皆さま、こんばんは🌟今回は週末パスを使って日帰り旅をしてきました😁今回の目的地は新潟・長野です。信越エリアの旅になります😊旅の出発点は上野駅いつ見てもカッコ…ameblo.jp②〜特急しらゆき号で信越本線〜『週末パスで行く!信越乗り鉄の旅②〜特急しらゆき号で信越本線〜』前記事はこちら↓
今回は京阪神を走る歴代新快速車両をご紹介します。●京阪神の新快速とは現在は東海道本線の京阪神区間(琵琶湖線・京都線・神戸線)・山陽線・湖西線・北陸線などで活躍している快速列車であります。普通列車種別の1つなので一部有料座席を除き乗車券のみで利用することができます。現在、最長の新快速は福井県の敦賀駅から兵庫県の播州赤穂駅まで275.5kmをつないでおりこれは2021年現在、普通列車種別として日本で一番長い区間を走る列車となっています。両数は京阪神エリアのほとんどが12両編成で最高時速は13
人里離れた秘境の地に、何故か鉄道の駅がある。まともな道路も接続していなくて、駅に辿り着くには山道を歩かなくてはなりません。誰が利用するのか知らないけれど、毎日列車が到着し、密かに出発していくのです。そんな秘境駅が連なって存在するJR飯田線を「急行列車秘境号」が走ります。この日ばかりは、秘境駅も昔の賑わいを取り戻すようですね。秘境号の停車する駅は、秘境駅ランキング3位の小和田駅をはじめ、6位の田本駅、7位の金野駅、13位の中井侍駅、16位の為栗駅、25位の千代駅、79位の
たった2両で益田を朝8時30分に発った《だいせん1号》が浜田でキロ(グリーン車)を含む3両を増結し海沿いの石見路を快走します。出雲市駅では大社線より724Dの4両(キロ1両を含む)を増結豊岡からは更に2両を加えた堂々の11両編成となり大阪を目指します。山陰本線田儀-小田1973年8月キハ55系気動車急行911D《しんじ1号》(たぶん)普通列車の248D(後追い)撮影当時、普通列車の殆どは客車列車で運行されていたにも関わらず全くと言って良いほ
線区名を冠した貨物列車セットも再登場!本日5/8は「第62回静岡ホビーショー」の業者招待日初日です.「静岡ホビーショー」では模型業界各社がこぞって目玉の新製品の発表・試作品の展示などを行なっていますが,トミーテックでは,その業者招待日初日の開場と同時に,主に2024年11月に発売する予定のTOMIXブランド製品(および,2024年9〜10月に発売する予定のジオコレ製品;かなり気合の入った製品が発表されていますが全て省略します)を発表・受注開始しました.早速見ていきましょう.なお,202
どの駅にも、昼と夜が移り変わる時間帯がある。帰宅ラッシュの潮が引く時間帯に相当することが多く、ホームやコンコースを歩く人々の姿が目に見えて減り、大量の乗降客を捌き終えた駅員や売店の店員がホッと緊張感を緩めて、構内全体がまったりした表情を見せる。夜行列車が発着する駅ならば、大きな荷物を抱えた長距離客の姿が目立つようになる。ところが、新宿駅は、昼と夜の境が判然としない。日付が変わる頃合いを迎えても、なお膨大な数の乗降客が駅の隅々までひしめき合い、駅の外の繁華街へ出ていく人も、駅に
2021.7.23朝春日山駅近くのネットカフェで休んでいましたが、4連休ということもあってほぼ満席でした。リクライニングシートブースだったので、あまり寝れず疲れがなかなか取れませんでした。5時ごろに起床して、北陸新幹線開業前以来に訪れる高田方面の撮影地に向かって歩きます。運転開始して間もない413系急行列車を撮る予定で、連休中なので撮影待機組が大勢いると予想していましたが、誰もいませんでした。えちごトキめき鉄道春日山〜高田特急しらゆき1号送込み回送E653系1100番台H201普通
世の中はブルトレブームの真っ最中の頃でした。大学3年になった私は、学校に朝早く行かないといけない日が出来て、最寄駅でゲタ電を待っていると福知山線ホームを決まって「だいせん8号」が通過して行きます。堂々12両編成の20系客車をDD51が単機で牽引する姿は幾ら軟弱鉄な私でも其の姿には魅かれます。日の長い時期に、いつか走行写真を撮ってやろう!と考えるのは至極当然のことです。旧尼崎駅を通過して行く「だいせん8号」1979年6月夏休みに入れば福知山線まで撮りに行こう!そう決めたのは19
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。本日(2020年10月1日)は新快速列車運行開始から50年の節目の日であります。ということで、前回に引き続き、今年50周年の新快速についての投稿です。今回は歴代新快速車両をご紹介します。前回は新快速50年の資料などを紹介しました。そちらも併せてご覧ください。京都鉄道博物館新快速50周年記念イベントに行ってきました。前回のおさらいです。新快速とは京都〜大阪〜神戸間は戦前から国鉄(現在のJR)と私鉄は競合しておりサービスの向上・技術開発が進みまし
↓この日の「SL大樹」では往復ともC11207が単独牽引。東武鉄道の公式ページにあるDE10の後部補機は付きませんでした。復路「6号」では下今市寄り3号車の座席を確保しました。往路の1号車では床下の発電機の音がうるさかったけど、こちらにはそれがないので客車らしい静かさ。その14系座席車の様子。往年の国鉄特急・急行列車の雰囲気を強く残しています。乗っていたのは他に2‐3組。これなら12系のボックス席でも良かったかも?発車前に、中間に連結されている、12系を改造