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【主な乗り物:夜行急行「アルプス」、夜行急行「ちくま」】どの駅にも、昼と夜が移り変わる時間帯がある。帰宅ラッシュの潮が引く時間帯に相当することが多く、ホームやコンコースを歩く人々の姿が目に見えて減り、大量の乗降客を捌き終えた駅員や売店の店員がホッと緊張感を緩めて、構内全体がまったりした表情を見せる。夜行列車が発着する駅ならば、大きな荷物を抱えた長距離客の姿が目立つようになる。ところが、新宿駅は、昼と夜の境が判然としない。日付が変わる頃合いを迎えても、なお膨大な数の乗降客が駅
急行「加賀」は、北陸本線が金沢まで電化された1963年にデビューしました。その後、わずか5年で急行「ゆのくに」に統合されて急行「加賀」の名称は一旦消滅しました。その後、急行「加賀」は多客時のみの季節列車として、大阪-金沢間で運転を再開しました。使用車両は12系や14系が使用されていました。今回は、14系座席車を使用した急行「加賀」の画像をアップします。1981.5.48513レ東海道本線・大阪駅OLIMPUSTRIP351981.5.4851
現在、JR日田彦山線には、画像のキハ40系(キハ47形・キハ40形・キハ147形・キハ140形)気動車が運行されている路線でありまして、もっぱらワンマンの普通列車が運行されている路線でもありますが、かつては快速列車、さらには急行列車もこの区間で運行されておりました。実際に、かつて日田彦山線自体が小倉方面から日田・由布院方面への最短ルートでもあった事もありまして、昭和30年代後半からは門司港・小倉方面から日田彦山線を経由しまして、観光地でもあります日田・天ヶ瀬・由布院各駅まで準急列車
青森行きの夜行急行列車「八甲田」は、定刻21時18分に上野駅15番ホームを後にした。14系客車を9両に荷物車を最後尾に繋ぎ、電気機関車に牽引される編成であるから、電車に比べれば行き足は鈍い。がたん、がたがた、と客車が動き出す音が前方から順々に伝わってきて、ごとり、と自分が乗る車両が動き出すまでに瞬時の間が生じているような感触、というのは若干大袈裟な表現かもしれず、実際は全車両がほぼ一斉に動き出しているのだろうが、それでも動力が分散している電車や気動車とは大いに異なる独特の感覚である。
おはようございます。寝台急行まりもと言えば、多くの方は札幌~釧路間・348.5kmを走破した夜行列車をご想像されるでしょう。小生もその一人です。しかし、1988年11月に、すごい寝台急行まりも号が運転されたのです。それが、新得・帯広経由の釧路行ではなく、旭川・網走経由の釧路行です。大雨の影響で根室本線の帯広~釧路間が不通となったため、この「超大回り」運転が実現しました。札幌22:50発の急行大雪の後続として23:00に発車し、網走には朝7時前、終着の釧路にはお昼前に到着しました。
土日と出勤していたので、今日は半日休暇をとりました。今日は暖かかったですね。自転車を走らせていても気持ちの良い風を浴びながら…でした。ただ、同時に花粉を大量に吸い込んだと思います。さて、土日に『砂丘』の整備を進めましたので、紹介をします。1号車:キハ58-7209岡山寄りの先頭車に設定しています。砂丘用のキハ58形は7200番台を付与されています。模型ではM車になっていますが、それでも床下の造形はさすがといった所です。2号車:キロハ28-103半室グリーン車の中間車です。右側
平成23年から翌平成24年頃まで、下関駅に隣接します下関総合車両所下関車両管理室(←運用検修センター)には、キハ181系気動車が留置されておりました。このキハ181系気動車は、前年平成22年まで運行されておりました、大阪~(播但線)~香住・鳥取間を運行されておりました、特急「はまかぜ」の専用車両として、旧京都総合車両所(現・吹田総合車両所京都支所)所属車として存在していた車両たちでもありました。しかし、この年キハ189系気動車に「はまかぜ」は変わりまして、それからは翌平成2
現在、東京~静岡間を鉄道でダイレクトに利用するとなりますと、最も考えられるのが東海道新幹線ではないかと思います。東海道新幹線では、「ひかり」・「こだま」が停車を行っておりまして、「ひかり」は約1時間、「こだま」は約1時間25分で東京~静岡間で運行されておりまして、一部を除きまして上の画像のN700系新幹線電車で運行されております。運行間隔は、「ひかり」は1時間に1本、「こだま」は1時間に2本が日中運行されておりまして、最も多く運行されております、静岡県内を通過します「のぞみ
こんばんは。今日はNゲージ鉄道模型、国鉄時代に夜行急行列車として走っていた表題の編成について、その1です。あまり馴染みが無いのにこの模型を導入した経緯と、初めて室内灯に高密度の120LED/mタイプを使った話です。オロネ10(左)と、オハネフ12の連結面です。こういう姿、よく見られました..と言いたいところなのですが、記憶がおぼろげなんです(汗)。私は基本よく見たとか、乗ったとか、馴染みの深い模型車両を導入するようにしているので、珍しいパターンです。こちらはスハネ16(左)とスロ
短命シリーズ、2年弱ぶりに復活しました。国鉄、JRの名称付き列車で、短命でおわった列車名を取り上げる企画。46回目は、国鉄最後のダイヤ改正と命名された1986年11月実施のダイヤ改正で誕生した、長野県を縦断する急行列車かもしか号を取り上げます。なお、かもしか号の名称は、JRなら東北地区の特急列車として十数年活躍していたり、はたまた私鉄まで遡れば昭和30年代の近畿日本鉄道の優等列車名で使用された形跡も確認できます。この急行列車の短命ぶりを簡単に振り替えておくと、下記の通り。JR最後
明日は1月7日です.本日はKATOから発売されたオシ17を紹介します.1960年代までの特別急行・普通急行列車には欠かせない車両でした.10-14226号車当初は「かもめ」などの特別急行列車用の食堂車として使用されていました.筆者は持っていませんが,青大将の製品にも入っています.10-13018号車1960年代には普通急行列車に使用されるようになりました.この時期が最も輝いていた時期かもしれません.50652018号車過去に単品売りされていたものです.非常口はなくなってい
本日は10系寝台車の思い出ということで、しばし、お付き合いいただきたいと思います。10系客車も分類上は、旧型客車に属する車両であり、改造を含めて以下の車両を一般的には10系客車と呼称しているようです。座席車3等座席車(後の2等座席車)ナハ10日本初の軽量客車ナハ10ナハ112等座席車室内灯を蛍光灯化するなど改良が施された、ナハ11(後の1等座席車)ナロ10その後冷房化されて、オロ10となった食堂車普通食堂車オシ17外観は近代的ですが、レンジは旧型と同じで石炭レンジでした
花たびそうや急行「花たびそうや」は、5月中旬~6月上旬にかけて、JR北海道の宗谷本線旭川~稚内間で運行された観光列車。車両は、キハ40「山紫水明」の間に「道北流氷の恵み」を連結した3両編成で、全車指定席の急行列車として運転されました。車両自体に大きな特徴はないのですが、途中停車駅での停車時間が長めにとられているのがポイント。停車駅でのおもてなしや物産販売を楽しみながら、全行程259.4kmを6時間ほどかけて楽しむ列車なのです🤗車両外観まずは旭川方2号車は緑色のカ
信越本線経由直江津行き夜行急行「妙高」が、上野駅を発車する時刻は、23時58分だった。当時、多客期に運転されていた上野発長野行き急行「信州」9号が上野発0時22分、というように、臨時列車では日付が変わってから始発駅を発車することはあっても、僕が知る限り、定期の夜行列車では最も遅い発車時刻ではなかったか。「信州」9号は普通指定席とグリーン車、自由席だけで運転される電車であったが、このようなダイヤの場合、前もって指定席を購入する際には注意を要する、と聞いたことがある。おそらく、世の
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「165系飯田線急行「こまがね」4両セット」その❷(品番10-1334)※ブログ容量の関係で、2回(その➊・その❷)に分けて掲載します。急行「こまがね」は昭和43年に登場、中央本線・飯田線経由で新宿~飯田間等で運行された列車です。中央本線の新宿~辰野間は急行「アルプス」に併結、165系による12両の長大編成が見られました。165系は昭和38年から登場した勾配線区向けの急行形電車で、従来の153系をベースに出力増強等を行った形式
たまたま家に残っている時刻表を基に、無い知識を駆使したド素人の考察なのでかなり曖昧な事柄ですが、その辺は御容赦下さい。大田市駅に進入する「さんべ1号」1972年8月8日撮影この「さんべ1号」は米子発、小倉行です。上り線には西舞鶴行き546レのC57と560レ鳥取行き普通貨物のD51が待っています。通常ダイヤですとC57が牽く546レと801D「さんべ1号」は久手駅ですれ違う筈ですが先の豪雨災害でダイヤが乱れていたようです。↓の時刻表は昭和37年7月号です。益
2020年10月16日に劇場版「鬼滅の刃無限列車編」が公開され、社会現象級のブームとなっている「鬼滅の刃」ですが、同作は大正時代の日本を舞台としています。劇場版「鬼滅の刃無限列車編」は第44回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞しました。映画では、「無限列車」という名の架空の列車が登場しますが、大正時代の日本の鉄道は、実際にはどのような姿だったのでしょうか。日本では1872年(明治5年)、東京の新橋駅(現在の汐留地区にあった旧駅)と横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ鉄道が開業
え?もうこれだけになっていたんですか?と思うのがキハ28・58の急行列車。幼少の頃から見慣れ、そして乗っていた身からすると今もそこら辺で走っているような気がしていたが、2007年に入るとJR西日本芸備線広島~三次間の「みよし」だけになっていた。え?芸備線急行って「ちどり」「たいしゃく」じゃなかったんですか?という私には「みよし」なる愛称すら新鮮に響くが、22年前に命名されたらしい。要は私が乗っていない証しで、事実私が芸備線に乗ったのは1980年が最後。またJRの昼間の急行列車にも近
【主な乗り物:夜行急行「津軽」・特急バス新潟-山形線・高速バス新潟-長野線】『皆様、おばんでございます。この列車は仙山線、奥羽線回りの青森行き急行「津軽」号でございます。上野駅を22時37分、定刻に発車しています』平成3年の師走も押し迫った日のこと、夜行急行「津軽」は、夜が深まる上野駅の13番線を後にした。「鉄道唱歌」のチャイムに続く車掌の案内放送で、慌ただしく駅に駆けつけて列車に飛び乗ってからなかなか落ち着かなかった気分が、一気にみちのくへ羽ばたくような心持ちになった。
宮崎区のC57が「日南3号」の定期急行運用に返り咲いて盛り上がった昭和48年秋の改正があったほんの数か月前の出来事です。昭和48年(1973年)の夏休み宮崎駅で上り普通列車532レの発車を待っていた時です。向かいホームに「日南1号」が到着する旨のアナウンスがありどんな列車が来るのかな?とカメラを持って列車の到着を待っているとなんと!C57が「日南1号」を牽いて宮崎駅に入ってきました。まさに青天の霹靂!現在のようにリアルな情報が全くない時代での出来事です。急行のサボも
こんばんは、渋谷くずはです。……前回の更新より、少し間隔が開いてしまいました。仕事の他にもプライベートな事情で最近はバタバタしており、記事を書く時間はおろか模型を弄る暇すらも確保出来なくなっています。記事の更新がない間にも様々な車両が入線していますが、今回はその中からこちらの車両を紹介します。マイクロエース製、小田急5000形・5200形です。世間一般で小田急5000形と言えば川崎重工で製造されたばかりの最新型車両でしょうが、私の中では小田急の5000形と言えばこっち
平成6年3月の週末、金沢行き夜行急行「能登」は、上野駅16番線を23時58分に発車した。上野駅の古びて煤けた通路を乗り場に急いだことや、「能登」が構内を抜けないうちに日付が変わったことなど、奇妙な既視感を覚えながら、僕は、漆黒の闇に包まれた車窓を茫然と見つめていた。母がいる長野市の実家に寄ってから、金沢市に住む弟を訪ねる用件が急に持ち上がったので、慌ただしい旅支度に、くたくたになっていた。それだけではなく、10年前の昭和59年の夏、全く同じ時刻に上野駅を発つ夜行急行「妙高」に乗った
山口線のC57が続いたので、そのC57繋がりで本日は播但線で会ったスタイルの良いC57113の写真でも(^^このC57113は播但線に残った最後のC57の一両で、1972年10月に播但線が無煙化された後"人吉"に移り、その後"宮崎"に転じたタイミングで宮崎-都城間に突如復活した奇跡の蒸機牽引急行列車《日南3号》を牽く幸運に恵まれた機関車の一両でもあります。また後に知ったことですが、戦後すぐには御召し列車を牽くという栄誉にも浴した機関車でもあるようです。636レを牽いて甘地駅を出てきま
おはようございます。本日も、昨日に続き、砂の器の読書感想文を投稿させて頂きます。昨日も申し上げましたが、この作品は小説版では昭和36年、映画版では昭和43年が、それぞれ時代として設定されているようです。昭和36年と言えば、東海道新幹線が開通する3年前が設定されています。本作品には、実に昔懐かしい列車名が数多く登場します。小説版では、今西刑事と若手の吉村弘刑事が東北方面を目指す際、最初に乗り込んだ夜行列車は急行羽黒でした。当時上野~秋田間を羽越本線で結んでいた客車夜
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。本日(2020年10月1日)は新快速列車運行開始から50年の節目の日であります。ということで、前回に引き続き、今年50周年の新快速についての投稿です。今回は歴代新快速車両をご紹介します。前回は新快速50年の資料などを紹介しました。そちらも併せてご覧ください。京都鉄道博物館新快速50周年記念イベントに行ってきました。前回のおさらいです。新快速とは京都〜大阪〜神戸間は戦前から国鉄(現在のJR)と私鉄は競合しておりサービスの向上・技術開発が進みまし
ミーナクシアンマン寺院から、市の中心部の商業地区を歩いて、衣料品店が集まる通りを抜けると、ナーヤカ宮殿。宮殿の前に市内バスのバス停が有って学生が無理やり乗り込んでいる。ティルマライ・ナーヤカ宮殿入り口内部の中庭、遺っているのはこの部分だけで、往時はこの背後や周囲に庭や付属の建築物が在った。太い列柱現在は修復中で細部の装飾には彩色の跡も見える。タンジャヴールのマラーター宮殿もそうだったし、以前訪れたマイソールの宮殿はもっと保存状態が良いが、いずれにせよイギリス植民地になる前のインドの地方
上野駅にて、急行わたらせです。この写真の3年後、1985年3月13日をもって廃止されました。車両は、165系電車。11号車、ということは1~10号車の日光1号と併結されていたもののようです。このわたらせは11~13号車の3両編成、全車普通車自由席でした。小山で切り離され、そこから普通列車となり両毛線経由で高崎に向かっていたのです。当時ももちろん、東京から栃木・佐野・桐生・伊勢崎に向かうには、東武鉄道を使った方が安くて快適で速いのです。
本日は「東京~名古屋間の列車所要時間を調べてみた」第3回目として1964年10月の東京駅にスポットを当ててみたいと思います。いよいよ東海道新幹線が開通し,高速大量輸送時代の幕開けとなりました。これに伴い,東海道本線では山陽・九州方面直通の昼行特急は廃止されました。それでは,午前中に東京駅を出発する名古屋方面直通の列車を各種別ごとに見ていきましょう。・普通列車列車番号:321M05:20発名古屋行き(川崎通過)【主要駅発着時刻】横浜05:48着05:49発小田原0
人里離れた秘境の地に、何故か鉄道の駅がある。まともな道路も接続していなくて、駅に辿り着くには山道を歩かなくてはなりません。誰が利用するのか知らないけれど、毎日列車が到着し、密かに出発していくのです。そんな秘境駅が連なって存在するJR飯田線を「急行列車秘境号」が走ります。この日ばかりは、秘境駅も昔の賑わいを取り戻すようですね。秘境号の停車する駅は、秘境駅ランキング3位の小和田駅をはじめ、6位の田本駅、7位の金野駅、13位の中井侍駅、16位の為栗駅、25位の千代駅、79位の