ブログ記事28,270件
初めての入院生活での出来事や思ったこと。息子の入院している病院の血液腫瘍内科では、病棟自体がクリーンルームと同等くらいの綺麗な環境に整えられていて、そこに入院している子たちはみんな何かしらの小児がんの子供たちです。部屋は大部屋が数部屋と個室が2部屋、特に空気の綺麗ないわゆる無菌室(バイオクリーンルーム)があり、その中に4床あります。ここに入院しているほとんど子たちは、治療の過程で血球が著しく下がります。(特に白血病が一番多い。)入院前の私のイメージは、抗がん剤治療って聞いただけで辛いだろ
こんばんは。いつも皆さんブログ読んで下さりありがとうございます。何故こんな書き出し?と思われる方いらっしゃると思いますが、僕に何かあったというわけではなく、本当にブログを読んでくれて、温かいコメントやたくさんの助言を頂いて本当にありがたいなぁと思ったから書かせてもらいました。今日、昨日のブログにも書いた通り、僕実家に行ってきました。やはり心ボロボロになりまして、戦闘能力が0になってしまい、もうだめだ‥と思った時、コメント通知が来ていて、読みながら号泣してしまったんです。見ず知らずの方々
12月14日(月)~15日(火)関西は冬将軍到来、外は真冬の寒さだそうで。クリーンルームで過ごしていると、そのあたりの季節感が全くなくなります。さて、週初めには採血がありました。そうそう、一部の熱心な読者の方(笑)が気にされていてはいけないので、この血液検査の結果を持ってきてくれた、研修医の先生にも触れておきましょう。H先生が声を弾ませて「好青年ですよ!」と言ったので、私が勝手に「好青年⇒イケメン」に脳内変換して出会いを待ったわけですが。最初の「若先生」が長身
今まで言えなかったことを今年のうちにと思って…今年の夏までこのブログでたまに家族のことを書いてきましたその家族は2年前の8月始めにほぼ白血病状態の骨髄異形成症候群と診断され1年持たないかもしれないと余命宣告を受けましたその約半年後に急性骨髄性白血病へ移行抗がん剤治療が始まりました抗がん剤治療が奏効していたと思いますが今年3月に肝臓近くの下大静脈に平滑筋肉腫が見つかり手術を希望しなかった家族は抗がん剤治療が中止されましたその後は週一回の輸血で何とか凌
2019年10月1日ようやく今朝から体調も回復気味。本日は元々予定されていた外来でした。が、前回の記事に書いたように採血もなく。風邪が回復したことを確認にして、後は次の入院の段取りをしただけです前回の記事に書き忘れましたが、2回目の退院時の骨髄検査(マルク)の結果は出ていました。結果は、PML-RARαは「検出セズ」です!ありがたや、ありがたや。分子学的完全寛解を維持しております。ちなみに、先生にPCの画面を見せてもらうのですが、私の病院はSRLという
2017年骨髄移植について急性骨髄性白血病(M2)罹患造血幹細胞移植(骨髄移植)を行いました【無菌室】部屋に入ってすぐ右手にベットがあり奥側に頭上がくるように寝ます頭側の壁には空気循環できるようにフィルターがついていて、頭側から足元側にすごい風が吹く仕組みです。面会で夫や両親が来た時はベットの足元の椅子に座ってもらい話をしていました。そうすることで外からの菌を少しでも患者に届かないようにするためですベットの頭側に座ると背中からのすごい風で声が聞こえないことも
前回の投稿ではまだまだ病気の存在に気づくことはありませんでした。9月5日に初めて痣のようなものに気づき、9月7日にそれが右足にも出てくるという異変を経て、9月9日、これはいよいよ普通ではないということに気づきます。なんとなくぼやっとした痣だったもの以外に、明らかに紫色の斑点のようなものが増え始めてきました。写真がわかりづらいのですが、ひざ裏あたりに親指大の紫色の斑点ができてます。また、お見苦しいので写真は割愛しますが、腰からおしりにかけてかなり大きな紫斑もできていました。
2022年10月11日、クリーンルームから退室。入室からピッタリ1ヶ月でした。そしてその2日後、移植後初めての骨髄検査。息子の身体の中の細胞が、ちゃんとドナーさんから頂いた細胞に変わって造血を始めているか、どんな状態なのか、かなり緊張しました。検査が終わってから検体を、今回は入院中に特別に大学病院で検査して頂けるように依頼して頂いたので、提出するために大学病院へ。生着してから数日は血圧がやや高くなる日が続いたりして、利尿剤や降圧剤を内服する日もありました。膀胱炎の症状もしばらく続きま
こんばんは。今日も暑かったですね汗コメント下さった皆さん、ありがとうございます。昨晩、ブログ書きながら寝てしまいました汗昨日は朝7時過ぎに出発、子の運転で僕の出生から亡くなる迄の戸籍謄本を集めに行って来ました。当初は郵送でお願いする予定でしたが、現在の役所で説明を聞いた感じでなんとなく行った方がスムーズだと感じたので、直接行ってきました(あくまでも私の感想です)僕は、現在の僕宅の他に隣県で2ヶ所移動があります。役所に行き、出生から死亡迄の戸籍を取りに来ましたと伝え、現在の戸籍謄本を見
今日はオンラインで友人と話をしたり、楽しい時間を過ごせました。沢山の人が僕の為に時間を作ってくれて、本当ありがたいですね。今日はそれ以外どこにも出かけずで僕宅でいろんな話をしました。その中で私は僕にひどいことを言いました。自分の余命宣告や死を受け入れられない僕に対して、そこをきっちり認めてと言いました。漢方薬もそうなんですけど、いろいろ中途半端なんです。考えも行動も。。生粋の3日坊主体質なんだと思います。良いと聞けば目にすればすぐに食いつきますが、いろい
2019年4月6日~16日泌尿器科に定期的に通っていた。人間、40歳を超えると色々体が痛んでくる。私は尿酸値が比較的高く、腎臓に小さな石があるそうだ。日常的な生活は極端には変えず、少しずつ改善していき、薬を飲みながら定点観測。痛風とか大きな病気になる前に、言わば予防的に治療している。京都には私の実家があり、孫の顔を見せがてら、定期的に通院するのは都合がよかった。4月6日は約2ヶ月ぶりに泌尿器科で治療の効果を見る日だった。診察。「非常に順調ですね。この調子だと石もなくなっていきま
2022年11月15日。臍帯血移植後、血球も回復してきていたので、次の治療(アザシチジン・ベネトクラクス療法)を開始するため入院しました。しかし、順調に安定してきていたはずの血球に異変が。血小板が前回よりも低くなっていました。血小板がある程度なければ(息子の病院では50000以上)、次の投薬を検討した方がいいと言われ、数日採血をみながら様子観察することに。治療が始められないので、週末は外泊したりして、10日間ほど2日に1回のペースで採血をして頂きましたが、どんどん下がっていく血小板。
昨日、ブロ友さんの日記でチキンタツタやってるの知って朝マックでチキンタツタ食べたんですよベーコンポテトパイも復活してるやーん!2つ共もともとレギュラーやったのになー久しぶりに食べた2つはとてもおいしくて相変わらずだいすきなおはようポテトは塩辛い昔あんなに美味しかったのになんでこんな辛いの!マクドナルド食べると、もう1日何も食べられへんマクドナルドて、お腹空かんのよね何入ってんやろこの間購入したダイニングこたつ開封してる時、ハサミで切ってしまってごめん!間違えて切ってしも
記録。在宅内科受診。レントゲンを撮る。心臓肥大(心不全になる事がある)少し胸水が溜まっている(抜く場合は主病院で)肺炎の影も見られるっぽい。液体タイプの麻薬処方イノラス?栄養補助をもらう。僕宅から車、病院入口で車椅子借りる病院から車で帰宅、玄関まで10メートル弱歩いて移動。玄関に座り込み息切れで休憩(5分ほど)してから部屋に入る。なんとか動けるの限界がきているのかな‥病院で頂いたコメントを読んで泣ける涙朝から子と大喧嘩。みんないっぱいいっぱい。僕は変わらず何も発して
こんばんは、コメントやメッセージ下さった方々ありがとうございます。僕が旅立ってから早いもので1週間が経ちました。今日の昼過ぎに母と子が帰宅したので、僕宅での1人暮らしが始まりました。僕は生前、僕宅に帰ってくる!と言っていたので、心は一緒と思いながら、やはり目の前に僕がいないのは寂しいですね‥この1週間はあっという間で、あまり悲しみに浸る余裕もなく過ぎていきました。葬儀迄の日々、翌日から今日まで、本当に慌ただしかったです。母と子が私達がいる間にやれる事をやりな!
こんばんは、いつも温かいコメントありがとうございます。ただいま、下書きに入れてあった「僕が旅立ってから1日目。彼女の日記」をアップしました。亡くなった時の状況やその日の事を書きとめたものなので、話が前後してしまいますが、記録として残したいのでアップさせて頂きます。それともう1本、手直しを少しして、葬儀の日の事を詳しく書いた記事をアップさせて頂く予定です。なんだかいろいろある度に下書きに入れてますが、ややこしくなるので、もう1本だけ追加させて頂きますね。今日はまた1日掃除してました。明
2023年2月妹が急性骨髄性白血病になりました姉の視点で治療の経過を綴っていきます2023年2月初旬妹が急性骨髄性白血病で入院寛解導入療法で寛解地固め療法で入退院(3回)繰り返す7月末血縁フルマッチの造血幹細胞移植9月初旬退院10/30急性GVHDと肝中心静脈閉塞症で緊急入院12/9
2021年7月22日5時半頃、僕が亡くなりました。前日から意識が朦朧とすることがありましたが、亡くなる10分程前まで会話してました。なかなか眠れず、大好きなアーティストの音楽やハイキュー!!を流しっぱなしにして過ごしました。5時過ぎ、明るくなってきたので、暑くなる前にわんこの散歩行こうかなと言うと、待ってるよと言うので、すぐに帰るよ、酸素は外しちゃダメよ!と言うと、はい!とめちゃくちゃ良い返事をしたので、クスッと笑って散歩へ行きました。近所をぐるっと1周、10分弱だったと思います。戻っ
治療の記録としてこれから、移植を、受ける方は不安になるかもしれませんアップしようか迷ったのですが一応、記録として残して置きたいので不快な思いをする方もいるかも知れません今回のさい帯血移植後の症状移植後1、2、日目から下痢が始まりました。ベットに座る事ができないとドーナツ座布団を差し入れこの頃はまだベッドに座ったりしていました。口内炎の症状がひどくなり6日目、喉が痛いと飲み込むのも辛くなり7日目、鼻からカテーテルを挿管この日、ずっと懸念だったクレアチニン値が1.0
6月18日(火)体調変わらず。比較的眠れた方かなぁ、という朝です。今日は私の急性前骨髄球性白血病(APL)の第1ラウンド、「寛解導入療法」のヤマ場、骨髄検査です。例によって、先輩ブロガーさん達には釈迦に説法ですが・・・このブログでも何度か触れてきたように、白血病患者は最初に「寛解」をめざします。この寛解は「悪い白血病細胞は見当たりませんよ、治療の結果ちゃんと悪い白血病細胞を抑えていますよ」という意味です。手術という概念のない白血病独特の言葉ですね。実際には寛解にも色んな
ごめんなさい、今回は少し長い話です…私が、MDS(骨髄異形成症候群)に罹患した後、今後、移植をすることを見据えて大学病院での治療が始まりました移植するとなると、私とHLA検査(遺伝子座)がなるべく近いドナーさんを探さないといけません1度目(過去)造血幹細胞移植の時は、骨髄バンクで転院する前の主治医に適合(1ミスマッチ)の方を見つけてもらい骨髄移植を行いました(急性骨髄性白血病→完治)当時、親子で必ず半分(母親)はHLAがあっているという親子間のパプロ移植
5月9日(木)15日目あっという間に本日から3週間目突入。「週」って誰が考えたんだろう?節目。節目には事件が起こる。2週目に入るときには発熱し、抗生剤の点滴をし、発疹対策の薬が1錠増えた。さて、3週目は・・・。朝、採血。ちなみに朝の採血は6時です。若先生がデータを持って回診に来てくれる。大体8:30に来てくれるが、データが間に合わないときは10時頃に改めて来てくれるか、先生にバトンタッチされる。先生は結構不規則です。外来があったりするので午後からの時もあります。本日は若先生が改め
今日は僕の母に、彼女が訪問診療の事を話してきてくれました。詳しくは彼女が書いてくれると思います。余命宣告を受け自宅療養になって、漢方などの費用がかなり掛かる事になり、僕と彼女ではやっていけなくなり少しサポートしてくれないかと相談しました。僕母はサポートはすると言いながら、うちもやりくりしていくのは大変なんだよとか、大学まで出させてやって終わったと思ったけどまだお金が掛かるんだね、だったら働けばいいのにとか要らぬイヤミを言ってきます。僕も言うのは辛いんですが、僕がそれをやっていかないと、早
こんにちは、いつもコメントありがとうございます。最近、皆さんから頂いたコメントを遡ったりして何度も読んでます。特に落ち込んだ時、空回りした時、悲しくなった時など、その度読ませて頂いて、元気をもらったり、勇気づけてもらったり、いろいろ参考にさせて頂いたりしています。生前、僕ともよく話していたんです。見ず知らずの私達にこんなにエールを下さる方々がいて、本当ありがたいねと。骨髄移植、臍帯血移植、輸血に使用する献血もそうですが、僕はいつも日本中の皆さんに助けられて生かされると言っていました。
4月26日(金)14:00~入院時には先生から病気のことやこれから行う処置や治療のことについて説明を受けます。で、いくつかの書類に署名をします。"初めての白血病"なんてものは緊急入院がほとんどで、心の準備もできず、冷静に説明が頭に入る人は、ほとんどいないんじゃないだろか、と個人的には思います。私は高校生の頃、初めての入院を経験して、それから何度か入院をしています。一番大きなものは交通事故でしたが、基本的には”ケガ”でした。昔の入院では、採血や点滴の度に針を刺されていた
今日で入院6日目です。再発がわかってから今日まで振り返るとこんなに経ってる?と、、この1週間弱いろんなことがあり過ぎて記憶が所々ありません。僕の入院生活、自分自身の生活、僕の家のこと、ご両親とのこと、私の家族とのこと、全てにおいて気持ちの整理も要領良くも出来ていない中での日々。正直、、、辛いです。新しい病院は以前とは違いバスや電車でのアクセスになるので、慣れるまでが大変で。初発の時もそうでしたが、再発時も白血病は待ったなしで生活が一変する病です。闘
2009年7月10日午前9時京都府立医科大学附属病院血液内科受診血液内科診察の後、病室へ。そして、直ぐにちゃおは人生初のマルク(骨髄穿刺)を告げられる。なんで骨髄液なんか採るん⁉︎背骨に針なんて刺したら赤ちゃん、どうなるん?と、ちゃおはお腹の中の赤ちゃんを心配している。マルクが済み、処置室へ入ると処置台に涙を流して横たわっているちゃお。痛かった~死ぬかと思った。赤ちゃん、大丈夫かな⁉︎えらい‼︎えらいよ、ちゃお。痛かったやろうに、怖かったや
2017年骨髄移植について骨髄移植後、血小板減少症や赤血球が減少してしまう赤芽球癆(せきがきゅうろう)と症状が出たので、通常はしない検査も行いましたすると…私の骨髄はドナーさんに90%以上入れ替わっているでも、血液一部に、もともと移植する以前の私の血液があるという結果でした血液は骨髄で作られると言われているのに?骨髄はドナーさん血液は私のもの????そんなことある主治医や、他の先生もこの状態がどういったことなのか分からないとのことでしたいわゆるキメラ
だいぶご無沙汰しています。4月に再発と言われ、、、さすがに落ち込みました。それでもその頃はまだ、身体のほうもきついけど、今ほどではなく、身体も動くので、4月末からのゴールデンウィークをしっかり楽しむことができました。4月末は、中学からの友達えみちゃんちにお泊まり。なっちゃん親子も一緒に。子どもたちは喧嘩したり、仲良く遊んだり、賑やかな中、私はゆっくり寝かせてもらったり、美味しいお肉や湯豆腐をマイペースに食べさせてもらったり。旦那さんがドライブに連れて行ってくれたり。近くにたまたま住ん
前処置2022年9月12日〜16日ブスルフェクス2022年9月16日〜17日アルケラン移植日2022年9月20日1人でのお泊まりもなんとか泣かずに出来ているようすの息子。クリーンルーム入室翌日から、いよいよ前処置の抗がん剤投与が始まりました。と言っても投薬中にすぐ血球が下がったり、副作用が出る訳ではないので、いつもどおり色んなことをして過ごします。保育士さんが新品スライムを持って来てくれたり、うんちカードゲームで遊んだり、大好きなペタグーグミのキャラを粘土で作ったりと…