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『雪柳光の王冠』より池田大作「光」が噴き上がっていた。「命」が噴き上がっていた。「咲きほとばしる」と言うべきか、抑えても抑えても、抑えきれない春のエネルギーが、真っ白な「光の噴水」となって、勢いよく湧き出していた。雪柳は「雪」であり「花」だった。「冬」であり「春」だった。光の中に、春と冬が溶け込んでいた。まるで、希望と苦悩が渾然一体になっている青春時代のように。青春は、苦しい。悩みばかりだ。しかし、悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸
俳句で「花」といえば「桜」を指す。「花を待つ」と詠めば「桜の開花を待つ」ことを意味するという。「待つ花や藤三郎が吉野山」と松尾芭蕉が詠んだのは、奈良の桜の名所のことだった。紀行文『奥の細道』で知られる俳聖の足跡は、東北だけでなく京都や奈良、滋賀から兵庫まで関西各地にも及ぶ。春を待ち、開花を喜ぶ歌が少なくない。京都は特に“桜の都”ともいうべき様相だったようで、芭蕉もその光景を愛でる俳諧を残している。吹きさらしの裸木を眺めると、春をただ待っているだけのように見
不安や恐れといった“マイナスの感情”は、生活のあらゆる場面で生まれるもの。では、どう対応すればいいか。映画「ツレがうつになりまして。」の原作者・細川貂々さんは、「水たまり」に例えて説明する。心にマイナスの感情という「水たまり」ができた時は、感情を外に流す「川」をつくる必要がある。その「川」に当たるのが“身近な誰かに話を聞いてもらうこと”という。(『わたしの主人公はわたし』平凡社)コロナ禍で、誰かと話をするのも控えがちになる。しかし、意思疎通の機会が減れば、“心の水た
どこに注目していきるか朝そんなことを思って起きてみましたたとえばダイエットをしてる人は一日中カロリーのこと気にして生きてて何食べようかなと、太らないように意識してるカロリーが少ないプロテインを選択して太らないようにする人もいるけどそこに入っている粉物の中には訳のわからないカタカナのものが一杯入ってる。。。まずうちで、乳化剤とかスクラロースとか入ってたらほぼ買わない(笑)これ腸内のバランス全部壊して下痢するやつガンの元つまり農薬ですねこんなもの自ら食べたいんですかね、スプー
アートマカラカこれはVedicのバースチャート(出生図)においてラーフ・ケートゥを除く7惑星のうち一番度数が高い惑星のことを言います。*Vedicでは天王星・海王星・冥王星といった土星外惑星は使いません*ラーフ・ケートゥを入れるという説もありますアートマカラカアートマとは魂のことそしてカラカとは指標(目印)のことを言います。アートマカラカから魂の指標を見ることができるわけですね。魂それは今私たちは
6月の第3日曜日は「父の日」。今年は17日である。埼玉のある地域で行われた学会の集いでは、青年部の友が“いつもお世話になっている壮年部の皆さまへ”と題し、「おうごんばしら(黄金柱)」の言葉に掛けて、壮年メンバーをたたえるメッセージを贈っていた。いわく、「お」お(大)らかな人柄、「う」るわ(麗)しい団結、「ごん」ぎょう(勤行)欠かさない真面目さ、「ばし」っと決めて頼れる存在、「ら」くるい(落涙)して友に寄り添う励まし。読み上げられるたびに、盛大な拍手と歓声が。壮年の参加者たち
【教学】兵衛志殿御返事(三障四魔事)研さんのために大きな苦難は大きく変わるチャンス――日蓮大聖人は、三障四魔を勝ち越える「賢者の信心」を教えられています。ここでは3月度座談会拝読御書である「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」の研さんのために、池田先生の指導と解説を掲載します。(「大白蓮華」3月号も参考にしてください)拝読御文しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよ
都内の新年勤行会で目を引く光景があった。妙音会(聴覚障がい者の集い)の友に寄り添い、手話通訳を行う「ピースハンズグループ」のメンバーの姿である。唱題が始まると、右手を自らの顔の高さまで掲げてから、下へ向かって宙をたたくようにトン、トン、トン、トン、トン、トンと、リズムを刻んでいく。妙音会の友の口元も「なん、みょう、ほう、れん、げ、きょう」と動く。導師が鈴を鳴らして唱題を終えるまで、それは続いた。妙音会の友いわく、「唱題の声がハッキリ聞こえなくても、皆さ
1ヶ月も前のことだが水彩人の小品展を丸善本店のギャラリーで開かせてもらった。担当の方々の尽力もあり、今までの小品展の中で一番に充実した展覧会だったと思う。私の絵は相変わらずだが、他の同人会員の方々の作品は秋の本展よりも各々が自分らしい力を発揮していたと感じた。水彩人にはこんなにも多様な作品を描く人が集まっていたのかと改めて気がつくほどの小品展だった。透明水彩だけではなくグァッシュ(不透明水彩)を使った絵心ある作品から和紙やドーサを駆使した意欲作まであった。しかしこう
これは面白かった。幼稚園の成り立ち。創立者の思い。時代背景(戦前、戦後の混乱期)に、子供の教育についてきちんとした基盤を提唱できる過去の偉人達。我が息子の幼稚園はフレーベル教育をいまだに取り入れている部分があり、フレーベル反対派の私にはなんとももどかしい話で聞き入ってしまった。今の自体は、フレーベルの恩賜教育を主体とする現場はほぼないのに、教材の全てがフレーベル館が幼稚園と取引している…まあ、最近は、フレーベル館とは名ばかりで、フレーベルの思想は
英語の「infant」は「乳児」「未成年」などを意味する。語源はラテン語の「infans」。「in」は否定、「fans」は「話す」を表す。言葉を用いて考え、他者とコミュニケーションをとれるかが、大人と子どもの違いということだろう。人間の世界は、言葉によって成立しているといっても過言ではない。情報技術の発達により、私たちの日常には、以前にも増して、さまざまな言葉があふれるようになった。▼御書に「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563ページ)と仰
「あの“雨の文化祭”が私の原点です。生涯、忘れません」――35年が過ぎた今も、沖縄の多くの同志がそう語る。1983年、池田先生が出席して開催された「沖縄平和文化祭」である。約3カ月の練習期間は「雨との戦い」だった。週末の度に雨が降り、前日のリハーサルも雨で中止。当日の本番直前、夜来の雨は上がったものの、会場の沖縄市立陸上競技場には西から厚い雲が近づいていた。「開始時間を早めてはどうか」――提案したのは池田先生だった。10分早く開幕。未来部の演技が終了した直後、宮古島の友が
おはよぉ🥚✨️みほみほですぅごきげんいかが🦑❓こちらで自己紹介をしております『自己紹介いたします。』稲穂美穂と申します🙇♀️💞じこしょうかいと、言っても、、書きたい事全部書いたら、多分、何冊か本が書けるま、さらっといっときま〜す生まれも育ちも東京です。…ameblo.jpポチッとな昨日のブログで『自然治癒力』おはよぉ🥚✨️みほみほですぅごきげんいかが🦑❓こちらで自己紹介をしております『自己紹介いたします。』稲穂美穂と申します🙇♀️💞じこしょうかいと、言っても、、…ameblo.
下半期が始まり、各地で座談会が活発に行われている。先日、参加した地区では、皆が夏の思い出をにぎやかに語りつつ、それぞれ“今後の目標”で爽やかに締めくくっていたのが印象的だった。「目標」というと、法華経に説かれる「化城宝処の譬え」が思い浮かぶ。宝のある場所(宝処)を目指して隊商が進む。しかし、皆が疲れ果ててしまったため、導師は目の前に幻の城(化城)を現す。皆は気力を取り戻し、そこにとどまることなく、再び前進を開始する。化城とは人生途上の目標、宝処とは一仏乗、すなわち最高の
池田大作先生の講義「蘇生の義」は、一切を活かす働き__大百蓮華17'4月号P36「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」法華経題目抄御書P947「法華経題目抄」で、大聖人は「妙」の一字が持つ意義について、「妙の三義」と示されています。いわゆる「開の義」「具足・円満の義」「蘇生の義」です。それぞれを簡潔に確認しておくと、「開の義」とは、法華経こそが一切衆生の成仏の道を開くということです。「具足・円満の義」とは、妙法にはあらゆ
【教学】〈御書池田大学運動のために池田華陽会御書30編に学ぶ〉御文「妙一尼御前御消息」信心を貫き、“勝利の春”へ池田先生は、本抄を拝してつづっています。「厳冬のような逆縁も耐え抜いて、強盛に信心を奮い起こして戦い抜いていけば、勝利の花を爛漫と咲かせゆくことは絶対に間違いない。決まっていることなのです。だからこそ信心は貫き通すことです。途中で歩みを止めたり、疑いを起こして退いては何にもならない。歓喜の春を大確信して、地道に、弛みなく、朗らかに前
人生を「航海」に例えた名言は多い。松下幸之助氏もこんな言葉を残している。「風が吹けば波が立ち、波が激しければしぶきを受ける。波を受け、しぶきをかぶっても、舵取りさえ確かなら目的の港に入ることができる」(『松翁論語』PHP研究所)ある壮年部員の話。彼を襲ったのは烈風と言ってもいいだろう。コロナ禍により業績が悪化した勤務先で、200人の希望退職者を募る発表があった。59歳の彼は該当者にされた。“40年間、真面目に働いた結果がこれか”と落胆した。だが彼は、どうなろうとも最
おはようございます^_^無事に名古屋に帰って来ておりますこの4名が全国大会に出場する方々ですContest…ミズノブレスジャパンコンテストさまざまな社会問題を直視し、環境や生命を大切に思う”こころ”を育み、問題や課題の学習から実行へと繋げていくチームの一員となる方を募集します。エリア大会のグランプリ受賞者に、その地域での活動時にチームリーダー、準グランプリ受賞者にサブリーダーを委任します。日本大会でのグランプリ受賞者には、Ms.NoblesseJapanとして活動
元々ブログを書かれているのですが、最近アメブロでも書きはじめられました。私が敬愛する備前長船助光(森光秀)刀匠。まあ、この記事とか他の記事を読んで頂ければわかると思いますが、かなり危ない思想の人です。まさに令和の危険人物。狂気の刀匠です。そして、そんな刀匠が作る刀も相当ヤバいわけです。こんな時代に、美しい刀より頑丈な刀、斬れる刀、人間を殺すための刀を作るために心血を注ぐ刀匠です。かつて玉砂利を切って石斬丸と呼ばれた刀がありますが、刀匠の刀は玉砂利どころ
\やる?やらない?答えはYesorはい!/作家、ライターの佐藤友美さんのエッセイ講座に参加しています。講師さとゆみさんとの出会いは、昨年春に発売された『ママはキミと一緒にオトナになる』でした。この作中の息子さんの眼を通して見る世界は、読者の私が見ていた「世の中これが普通でしょ?」の見方とちょっと違う。でも、そもそも私の見方はどうなのだろう?と振り返るきっかけとなった作品です。さて講座の話に戻ります。習うまではエッセイは「短めの文章で読みやすい、だから書きやすそうだな」というイメー
かつて、「ロンパールーム」という子ども向けのテレビ番組が長く放映されていた。最後のコーナーでは、進行役の“お姉さん”が手鏡を持って、こう言う。「鏡よ、鏡よ、鏡さん。みんなに会わせてくださいな……」そして、お姉さんがテレビを見ているであろう子どもたちに笑顔で呼び掛ける。「○○君、〇〇ちゃん、元気かな?」。思いがけず自分の名前を呼ばれた子は、驚きながらも、きっと笑みを浮かべたことだろう。ある会合で、飽きてしまった子どもがぐずりだした。居合わせた女子部員は、その子の隣に座り、「
~教学~男子部LIVE講義西方男子部長(要旨)「四条金吾殿御返事」(八風抄)本日は「四条金吾殿御返事(八風抄)」を学びます。この御書を送られた四条金吾は、大きな悩みを抱えていました。主君の江間氏を折伏したのですが、結果として主君から疎まれてしまったのです。主従関係が厳しい時代であり、生活でも仕事でも主君との強固な人間関係の中で生きています。主君から遠ざけられることは大変な困難をもたらすわけです。~同僚からのデマ~江間氏から疎まれたことには、大きく二つの背景が
埼玉で開かれた座談会の「一人一言コーナー」。地区部長が手作りの大きな“マイク”を取り出すと、会場が一気になごむ。参加者は順番に回し、近況を語った。これは、アルミホイルやラップの芯で、地区部長が未来部員と一緒に作ったもので、名付けて「幸せのマイク」。いつもは発言を遠慮する人も、マイクを手に、笑顔で話していたのが印象的だった。体験発表、御書講義、学会歌の合唱、未来部や青年部のコーナー――充実した座談会のために準備すべきことは多い。内容や進め方など工夫したいことや改善した
「法華経題目抄」日蓮大聖人御書1173ページ13行目~16行目人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし~通解~人間として生を受けることはまれであり、爪
〽右手に血刀左手に手綱馬上ゆたかな美少年……。西南戦争の激戦地であった熊本・田原坂での激闘を歌った民謡「田原坂」の一節である▼。田原坂の戦いで、官軍の兵士は、1日に32万発もの大量の弾丸を使用したとされ、そのため銃弾同士が空中でぶつかり合うことも多かったという。戦争から1世紀以上が経過した今も、現地では当時の銃弾が発見されることがある。1968年(昭和43年)、池田先生は田原坂を訪問。西南戦争で犠牲となった人々に追善の祈りをささげ、弾痕が残る建物に足を運んだ
武家思想・武士道精神を通史で考察することを目的とする。最新研究の反映や内容見直しなどによって、内容は随時変更する予定。↑源頼朝像(鎌倉)武士道論もくじ「序」幕末ヤ撃団版の武士道論を再構築すべく、同人誌『武士道の明治維新』の反省を踏まえた上で、再度武士道論を最新の研究と照らし合わせながら論じてみたいと思い、ブログテーマに武士道論を加えた。昭和初期から現代に至るまで、武士道に関する書籍は多い。しかし、その多くが形而上学の理想論であったり、単なる空疎な精神論と化していることも事実
韓非子の死因!死亡エピソード、最後姚賈、秦逐客令、吃音生涯も解説韓非子は優れた法家思想を持っていたために...history-ancient.com
2017.12.26に、再投稿したもので、名字の言>2017.12.14です。誠実に生きていても、人は時に、不運としか言いようのない環境に翻弄され、悩む。そんな時に有効な処方は「目薬」である、と精神科医の帚木蓬生氏は説く。(『ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力』朝日新聞出版)点眼薬ではない。「あなたが苦しむ姿は、私がこの目で、しかと見ています」と、当事者が立ち上がるまで寄り添い、共に耐え続ける、周りの人々の慈悲の心と姿勢のこと
ある未来部員が中学校生活を終える際に語った言葉が、今も心に残る。「野球部員でした。一度もレギュラーになれませんでした。でも3年間、辞めませんでした。」攻守に優れた後輩がレギュラーを獲得し、悔しく思ったこともある。それでも走り込みや素振りなど、地道な練習に明け暮れた。“起用する選手を決めるのは監督ですが、野球を頑張り続けるか、諦めるかを決めるのは自分です”と努力を重ねた。現在、彼は地域の青年部リーダーとして、後継の友を育む。ある女子部員は体調不良による不安感に苦しめられ
荒波に立つ大樹のように風に揺れども根は深く言葉少なきその姿には心の奥に秘めた力飾らぬ言葉誇らぬ意志静かに語りし者の瞳は真理を映し己を磨き流れる時にただ任せ剛毅に歩むその背中無言の優しさが漂い木訥に語るその唇真心を包む大地のようやがて人々は気づくだろう言葉にあらずとも伝わるものその静けさにこそ宿るもの仁の光内に秘めて剛毅な姿は揺るがぬ山孤独を知りて強さを得ん言葉は刃にあらずとも沈黙の中に真が響く遠くの空を見上げる瞳何を語らずとも伝わりぬその眼差しは