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#令話6年能登半島地震に被災された皆さんにお見舞い申し上げます。にほんブログ村志波彦神社・鹽竈神社公式サイト志波彦神社・鹽竈神社は、宮城県塩竈市にある神社です。当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。www.shiogamajinja.jp陸中一宮駒形神社komagata.iwate.jpランキングに参加しています。どっちもポチっとして頂けると非常に嬉しいです。にほんブログ村
宮原誠一の神社見聞牒(085)平成30年(2018年)12月09日No.85福岡県朝倉市杷木志波の宝満宮と志波彦⑪1.朝倉市杷木の志波朝倉宮志波説の小田和利氏(九州歴史資料館)によって「朝倉広庭宮は志波地区です」と言われた福岡県旧朝倉郡杷木町の志波(しわ)地区に入ります。志波地区は筑後川に面し、廻りを山に囲まれた防衛堅固な地で、兵站基地ではなかったのか、あるいは、志波地区が本当の朝倉橘広庭宮の所在地ではないかといわれています。筑後川に接し、志波地区の入り口の丘に鎮座するのが、志波
5月3日(金)に撮影した志波彦神社鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)境内のフジ(藤),ツツジ(躑躅),イチハツ(一初),ヒメシャガ(姫射干),シャガ(射干)です。藤です。躑躅です。一初です。姫射干です。射干です。同日撮影した旧亀井邸(塩竈市宮町)です。鹽竈神社東参道(裏坂)を上り始めて直ぐ左にあります。セッコク(石斛)です。開花直前のもの,開花したばかりのもの
4月28日(日)に撮影した志波彦神社鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)第2駐車場から第3駐車場へ上がる道路左側(中華力(ちゅうかりき,塩竈市みのが丘)の反対側)にあるウワミズザクラ(上溝桜)です。公益財団法人日本花の会の「桜図鑑」には,「ウワミズザクラ亜属。北海道西南部から九州の山地に自生しています。花穂につく花は小さく,ぶどうの房のような感じです。若い花穂や果実を塩漬けにして食用としている地方もあります。」とあります。サクラ(桜)は「バラ科スモモ属(サクラ属)サクラ亜属」とのことですので,普通に
「龍つなぎの旅」10日目。宮城県鹽竈神社(塩釜神社)。【鹽竈神社までのアクセス】JR本塩釜駅から、東参道までは徒歩7分。七曲坂(旧参道)までは徒歩10分。表参道までは徒歩13分。お勧めは七曲坂です(舗装されていない急な坂です)。【天気】雨時々曇り、時々天気雨。お参り中は、ほぼ天気雨でした。(予報は雨)【混雑状況】水曜日11時頃。空いている。人影はまばら。【ご祭神】・志波彦神社(しわひこじんじゃ)志波彦大神(謎に包まれている神様)・本宮左宮武甕槌神(た
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)宮城県塩竈市に鎮座する一宮同じ境内には志波彦神社(しわひこじんじゃ)も鎮座主祭神別宮:塩土老翁神(しおつちおじ)左宮:武甕槌神(たけみかづちのかみ)右宮:経津主神(ふつぬしのかみ)志波彦神社志波彦大神(しわひこのおおかみ)山幸彦が釣り針を無くして悲しんでいると塩土老翁神が現れ竹籠に山幸彦を乗せ海流に任せて海神の宮に行ったとか・・の爺・・3月末に仙台に用事があって用が済んだ後にせっかくだから松島観光でも行こうと思い
東日本大震災の津波で被災したかつての闇市(宮城県塩竈市海岸通2番)は,「直会(なおらい)横丁」になっています。直会横丁は食を中心とした商業施設で,そのコンセプト(基本構想)は「結ぶ・繋ぐ・広がる」だそうです。私は,闇市と呼ばれていた頃,この地区にあった居酒屋に通っていました。
前編では、宮城県塩竈市にある鹽竈神社へ行くことを決めた経緯などをご紹介させていただきました。1つ別のブログをはさんだのには、訳がありまして。鹽竈神社へ向かうにあたって、今回ぼくが身につけて行ったのが鹿島神宮のお守りである、神威顕現身守だったんです。鹽竈神社は塩土老翁(シオツチオジ)が主祭神なのですが、鹿島神宮の主祭神タケミカヅチと、香取神宮の主祭神フツヌシも同時にお祭りしている神社なんです。このお守り、地球の守り人のブログを始めるきっかけになったお守りなのですが、一旦は鹿島神宮へお返しし
行きたい❣️行きたい❣️と思ってた塩竈神社⛩️初参拝まず最初にこちらにご挨拶別宮拝殿祭神しおつちおぢの神左右宮拝殿左宮たけみかつちの神右宮ふつめしの神樹齢500年多羅葉御神木杉樹齢800年ビリケンさんに似ている😅狛犬さん🌸ちなみに私も夫も丑年🐮『よだれ(唾液)をいっぱい出そうね』😆と、言い撫でてきた🤭志波彦神社上を見やる狛犬さん遠くに金華山がうっすらと見える。見える時にきた人はお金が貯まるのだとか🤭友祐くん(夫)へ連れていってくれてあ
2024年1月13日大人の修学旅行と洒落込んで仙台旅に来ています昨日は、震災遺構荒浜小学校を見学しましたが、今日は塩浜の街をぶらり旅です。仙台駅から千石線に乗ってきて本塩釜駅で下車しました。駅前には波のモニュメントがありました、もしや、あの時の・・・・・やっぱりそうでした、この石碑を呑むほどの津波がここにも押し寄せたのですね。開港場の説明文です塩竈は、江戸時代に四代藩主伊達綱村の恩典で賑わったが、明治維新で藩の保護を失い、次第に寂れていった。そこで