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「御三家」である尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家の各お城であります「名古屋城」「和歌山城」「水戸城」と、御三家の付家老であった成瀬家、竹腰家、水野家、安藤家、中山家の居城だった「犬山城」「今尾陣屋」「新宮城」「田辺城(こちらは、未だ訪問していませんのでお話はしていません)」「松岡城」について、お話をしてきました。更に、八代将軍である徳川吉宗が始祖となった「御三卿」については、お城はなく江戸城内に居住地である御殿が与えられていたので、現存している門や門の櫓台について紹介してきました。
加賀藩は外様大名ではあるが、百万石の大藩だけあって歴代藩主の正室も大物ぞろいであった。今回は、そんな歴代藩主の正室たちの出自にスポットを当てて簡単に紹介したい。まずは藩祖・前田利家の正室、おまつの方。上は尾山神社にあるおまつの方の石碑。おまつの方は織田家家臣・篠原一計の娘。母は前田利家の母・長齢院の姉妹。よって、おまつの方は前田利家とは母方の従兄妹の関係となる。さらに、おまつの方は実母の再婚を契機に叔母の嫁ぎ先であった前田家の養女となっていた。もともと前田家にゆかりある女性だったのだ。
世界遺産二条城の正門「東大手門」は堀川通に面し、堂々たる佇まいで来城者を迎えてくれます。3年前、大政奉還150年を記念して、門の修復が行われ、江戸時代の華やかさが蘇りました。修復後、初めてこの門を見てびっくりしたのが、飾り金具の美しさ。通常、お城の門に金が施されることは少なく、ここからも徳川将軍家の権威が感じられます。ここで最近人気になっているのが、飾り金具のなかに一羽だけ隠れてる(?)「千鳥」。修復によってその存在が明らかになり、これがテレビなどで照会されたこともあって、千鳥を探す人
金沢城は加賀百万石を治めた前田家の居城であり、金沢市の中でも主要な観光地の一つとなっている。この金沢城、規模は東西約700メートル、南北約700メートルに及び、明治時代初期までは壮大な二の丸御殿をはじめ多くの櫓や長屋が立ち並んで、百万石の威容を誇っていた。ところが、明治維新後に兵部省に接収された金沢城は、陸軍の司令部や兵舎に転用され、明治十四年(1881)に火災で石川門・三十間長屋などのごく一部を除いて、ほとんどの建物が焼失してしまった。そこで、平成十一年(1999)から石川県による櫓・長
『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していく、その間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズは、今回で最終となります。「旧幕府軍」が「薩摩軍」に追撃されて「大坂城」に戻る前には、既に総大将「徳川慶喜」は戦闘放棄で、重臣を引き連れて「大阪湾」上に待機させていた軍艦「開陽丸」で江戸へ逃げ帰った後でした。その向かう先はお江戸で、徳川将軍家の別邸「浜御殿」(東京都中央区浜