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こんばんは10/4(金)、戌の日主人&義母と増上寺(ぞうじょうじ)へ安産祈願に行ってきました!増上寺は東京タワーの目の前にあるお寺で、外国人観光客の方が非常に多かったです。安産祈願で有名な水天宮はかなり混むことが予想されることと、義母の行きやすさを考えて、増上寺にしました。ご祈願の時間は10:30と13:30しかなく、10:30のほうにしました。同じ時間の人は私たち含め8人ぐらいだけで、安産祈願の人はもう一組のご夫婦だけでした。こんなところ↓でご祈願したのですが、妊婦の私には正座は
....③から続きまして
変わりゆくのは世の常でござんす😰上野寛永寺のすぐ近く、谷中霊園内にあった徳川将軍家御裏方(歴代将軍御台所や将軍生母の墓碑群)墓所も整地されて、一般墓地に様変わり。ここで眠っていた皆さまは寛永寺内の巌有院(四代家綱)、常憲院(五代綱吉)の両霊廟内に移されたらしい(非公開。常憲院霊廟は通年ならば秋に開催される「上野の山文化フェスティバル」で抽選申込の上、当選すれば拝観できるイベントはあるが、尤も拝観できるのは綱吉の墓所だけで相殿している八代吉宗、十代家治の嫡男家基、十三代家定と天璋院篤
吾輩の別ブログをリブログ(何故?自分のなのに😰)2016年正月元旦🎍の当時恒例だった七福神巡りの、これは小石川七福神巡拝時のブログ内容。七福神の一つに「極楽水」があるので初詣がてら小石川伝通院に立ち寄った時のモノ。ここに整地され失われつつある徳川家所縁の墓碑群の近況が載っている☝️😒
金沢城は加賀百万石を治めた前田家の居城であり、金沢市の中でも主要な観光地の一つとなっている。この金沢城、規模は東西約700メートル、南北約700メートルに及び、明治時代初期までは壮大な二の丸御殿をはじめ多くの櫓や長屋が立ち並んで、百万石の威容を誇っていた。ところが、明治維新後に兵部省に接収された金沢城は、陸軍の司令部や兵舎に転用され、明治十四年(1881)に火災で石川門・三十間長屋などのごく一部を除いて、ほとんどの建物が焼失してしまった。そこで、平成十一年(1999)から石川県による櫓・長
加賀藩は外様大名ではあるが、百万石の大藩だけあって歴代藩主の正室も大物ぞろいであった。今回は、そんな歴代藩主の正室たちの出自にスポットを当てて簡単に紹介したい。まずは藩祖・前田利家の正室、おまつの方。上は尾山神社にあるおまつの方の石碑。おまつの方は織田家家臣・篠原一計の娘。母は前田利家の母・長齢院の姉妹。よって、おまつの方は前田利家とは母方の従兄妹の関係となる。さらに、おまつの方は実母の再婚を契機に叔母の嫁ぎ先であった前田家の養女となっていた。もともと前田家にゆかりある女性だったのだ。