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こんばんは10/4(金)、戌の日主人&義母と増上寺(ぞうじょうじ)へ安産祈願に行ってきました!増上寺は東京タワーの目の前にあるお寺で、外国人観光客の方が非常に多かったです。安産祈願で有名な水天宮はかなり混むことが予想されることと、義母の行きやすさを考えて、増上寺にしました。ご祈願の時間は10:30と13:30しかなく、10:30のほうにしました。同じ時間の人は私たち含め8人ぐらいだけで、安産祈願の人はもう一組のご夫婦だけでした。こんなところ↓でご祈願したのですが、妊婦の私には正座は
●山王権現(さんのうごんげん)(※画像は文化遺産オンラインより)(東京国立博物館所蔵『日吉(ひえ)山王本地仏曼荼羅図』)日枝山(比叡山)の山岳信仰による神で、最澄が比叡山に延暦寺を開いた際に、この山王権現を祀って鎮守神としたことで、神道および仏教と習合される。応神天皇の頃に比叡山の頂から麓にある日吉大社へ降ろし、その本尊としたことから「日吉権現(ひえごんげん/ひよしごんげん)」とも称する。また、江戸城の鎮守神としても祀られており、徳川将軍家の産土神として崇敬を受けた。
以前は毎月のように買っていた日本橋「長門」の「久寿もち」だが、このところご無沙汰していた。「江戸風御菓子司長門」は、将軍徳川吉宗の頃から菓子商を営んでいたということだから300年の歴史があることになる。当時はいまの場所ではなく神田新石町(いまの神田須田町)の通り沿いにあった。後に水菓子の「万惣」(古典落語「千両蜜柑」のモデルになった店。日本で最初にマスクメロンを販売。2012年に本店およびフルーツパーラーを閉店、いまは跡地に神田MSビルが建っている)が出来た場所の界隈だ。「長門
金沢城は加賀百万石を治めた前田家の居城であり、金沢市の中でも主要な観光地の一つとなっている。この金沢城、規模は東西約700メートル、南北約700メートルに及び、明治時代初期までは壮大な二の丸御殿をはじめ多くの櫓や長屋が立ち並んで、百万石の威容を誇っていた。ところが、明治維新後に兵部省に接収された金沢城は、陸軍の司令部や兵舎に転用され、明治十四年(1881)に火災で石川門・三十間長屋などのごく一部を除いて、ほとんどの建物が焼失してしまった。そこで、平成十一年(1999)から石川県による櫓・長