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高台院と徳川家康朗読劇の稽古です。稽古を重ねていく度、新しい発見があります。演出家の演技指導が舞台を生き生きとさせてくれます。本番公演まで、後…三日。頑張ります。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第17回、「小谷落城」の感想です。(第16回のラスト。)(この回の前半で歴史がバタバタと進みましたね。)<甲斐>武田信玄を幕閣・三渕が訪れた。三渕は公方(義昭)の意思を伝えた。信玄は織田と戦うことを固辞していた。途中から、三渕のお供の従者が義昭であることを明かして、直接、義昭&信玄での話になった。義昭:「さすがは甲斐源氏の嫡流。」と源氏の再興をほのめかすような話で始めた。
豊臣政権サミット2026を見ました。「豊臣政権はなぜ崩壊したか?」がテーマでした。ここからは番組での専門家の意見を踏まえた持論になります。豊臣政権崩壊の原因は朝鮮出兵だと思います。1590年に全国平定した豊臣秀吉。1591年に千利休を切腹に追い込んでいます。1592年~1593年文禄の役1595年関白豊臣秀次切腹1597年~1598年慶長の役豊臣秀次は無能ではありません。英才教育を受けたむしろ有能側の人です。有能な人が戦争前に切腹している点が怪しい。止めよ
今回は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人を、肖像画をもとにAIを使って再現してみました。まずは織田信長です。素材としたのは宣教師が描いたといわれているこちらの肖像画です。こちら。冷徹そうな視線がいかにもという感じです。ただ、結構優しそうでもあるような。もう一枚作ってみました。大河ドラマ『太閤記』で信長を演じた高橋幸治さんにかなり似ていると思いますが、どうでしょう。続いては豊臣秀吉です。元に
前回のつづき御社殿の奥に向かい廟門を抜けると石塔が並ぶ参道に出ます。石段を登り鳥居をくぐるとよりピンと張り詰めた空気を感じて言葉を失います。石の鳥居石をくみ入れて作られた精巧な鳥居この鳥居から来た方を見ると御社殿や廟門が見渡せますそして鳥居をくぐると突き当たる壁壁に沿って行くと右側に広がる中心に神廟(しんびょう)徳川家康公の遺体が納められた廟があります最初は小さな祠が建て
司馬遼太郎という人は、もともとスーパー忍者が荒唐無稽な活躍をする伝奇小説「梟の城」で直木賞を取った、山田風太郎とたいして違わない作風のエンタメ作家だった人です。ですから、初期の作品は(特に短編は)忍術だか魔術だか催眠術だか超能力だかを駆使する主人公が、怪しげな活躍をしたり失敗して墓穴を掘ったりする娯楽時代劇が多く、しかも大抵、出てくる謎な女性とナニな関係になるというサービスがついてます。えっ、これがあの国民作家の司馬遼太郎なの?って感じです。そういう「胡散臭さ」が好きか嫌いか、で好み
日光の二社一寺を廻り、最後はどこを廻ろうか?時刻は16時半を過ぎ、日も落ちかけてきました。日光参拝も、これが最後です。地図を見ました。開山堂へ行こうと思いました。開山堂は日光東照宮の奥社宝塔の北東にあります。この開山堂が重要なポイントではないかと予感したのです。開山堂は勝道上人の墓と木像が安置されている場所です。開山堂へ行くには、東照宮の境内を出て、東照宮の東側の道から行きました。●日光東照宮の客殿の前広場があり、すごく良い花の香りがしまし
いつも『しげるお兄さんのブログ』をご覧いただき本当にありがとうございます♪✨皆さまは『孤独のグルメ』という番組をご存知ですか❓✨漫画でも連載されていたものを『実写化』したテレビ番組ですが、そこに主人公でもある『井ノ頭吾郎さん(松重豊さん)』が、『飲食店(※実在する飲食店なんです❗️✨)』へ行き、大好きな『食事』を一人孤独に堪能しまくって、一口ごとに心の声(ナレーション)で伝えながらとにかく食べるのがこの番組なのでありまーす‼️✨この番組のオープンでのナレーションで、『時間や社会に
こんばんは!大河ドラマトークライブin浜松もう少し書こうと思います。石川数正役の迫田さんは、家康と数正は、2人でセットですので、とってもラッキーなんです。家康様が映るともれなく私も付いてくるという事です。って、喜んでいましたね。洸平さんも、この状態をニコイチって、呼んでました笑笑それで、このニコイチのシーンをいくつか、スクリーンでみんなで観たのです。秀吉と再開した時の、あれ誰?のシーンや、秀吉に差し出した塗り薬、痒み止めだったというシーン。とても、興味深いシーンを会場のみん
母が新幹線に乗ってやって来ました!先日83歳になった母が、無事に来れるか心配でしたよ、ホント。新横浜の駅のホームまで迎えに行きまして…結果、大丈夫でした。荷物は先に宅配で送って、身軽でおいでよ、って言ったのに、お土産いっぱい買って来るのだから…やっぱり母は母ですね。翌日、夫と3人で一泊旅行に行きました!もちろん、ライムはお留守番…涙息子が来て、見てくれてます。東京スカイツリー駅から出発!スペーシア!!前から乗ってみたかったの。カッコいいよね!!座席も広くて、めちゃくちゃ
このご時世に、熊の話を気楽にするのは憚られますが。歴史の話題ということで、お許し下さい。熊本には、熊はいないそうですが。では、なぜ熊本という地名なのか?「隈」というのは、川が湾曲している地形のことを指します。川が湾曲した内側の土地だから「隈本」、三方を川に囲まれているのだから、これを天然の堀にすれば、築城に有利な土地ですよね。それを加藤清正が、熊本という文字に改めたというのは、記録があって確かな話です。なんで熊なんてケダモノの名前が、戦国武将の城の名前に相応しいんだ、とか思います
こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。5月3日放送の大河ドラマ『豊臣兄弟!』。えっ?武田信玄…そんな死に方…?浅井長政をお市が介錯するというのも、なかなか斬新でしたね…大河ドラマを見てない人は、再放送か、NHKプラスで視聴してみてください。(※大河ドラマ『豊臣兄弟!』の著作権は、NHKに属します。また浜松市の公式キャラクター「出世大名家康くん」と本作の家康くんは、縁もゆかりもありません。なお、本作の著作権は、作者に属します
小早川秀秋は最初から東軍です。「最初から」というのは、美濃関ヶ原での合戦の開戦前からすでに東軍、という意味です。戦闘が始まってもまだ迷っていたとかは「ウソ」です。小早川は、松尾山に他の部隊がすでにいたのを追い払って、強引に布陣しています。この時点で、石田三成が「アイツは敵に回った」と認識できなかったのならば、それは悪いけど馬鹿、といって悪ければ、情報収集・分析能力が圧倒的に欠如してます。小早川秀秋は、寧々さんの甥であり、秀吉とも淀殿とも秀頼とも、血縁関係はありません。そのせいでか、秀吉
いつもありがとうございます。ハッピーダイエットの船田です。徳川家康の健康法についてシェアしました。ハッピーダイエット的にもおすすめの食事法ですね。斉藤一治斉藤一治-「いいね!」18,962件·11,424人が話題にしています-和多志は初めも終わりもなく、大宇宙の法則に従い、氣が変化するだけの永遠の旅人です。人でいる間は日本人であり、両親の恩を知り、恩に感謝して、他利の心で報恩させていただきます。www.facebook.com徳川家康は75歳まで生きました。戦国武将
豊臣秀頼は、どうすれば滅亡せずに済んだか?まず微視的に言えば、生き残れる方法なんて、いくらでもあったでしょう。なにしろ千姫の婿なのだから、やりようによっては加賀前田家と同じく、御三家並みの待遇で生き残れたはずです。もちろん、「やりようによっては」です。加賀前田は、たびたび幕府の挑発を受けながら、プライドを捨ててひたすらへりくだって服従の態度を示しました。まつさん偉かった。利常がんばった。これが秀頼にできるかどうか、てゆうか、まわりの取り巻きたちが許すかどうか、です。「ほんまはワイは主
こどもの日。天気も回復したので、勝手にマラニックにいきました。向かったのは、唐津。名護屋城跡~諸大名の陣跡を巡りましたスタートは道の駅・桃山天下一大河ドラマ「豊臣兄弟」にのっかって、まずまず盛り上がっているようです。まずは立派な名護屋城跡博物館なんと、入館料無料です秀吉が大阪城から名護屋城にもってきたとされる、黄金の茶室が展示されていましたここから歴史探索の道を走ります文禄・慶長:戦国武将の陣跡|肥前名護屋城-名護屋城ってどんなトコ?-上杉景勝陣跡
親中対反中、反高市対親高市、結果、国民の3分の2がイエス、高市自民の単独3分の2確保彌榮日本の夜明けが始まったー中道は”中国への道”中国支持主導で高市打倒の旗のもとに創価と立憲が合体国民民主も、れいわも、石破・岸田連合まで巻き込んでの、反高市総結集を図りたかったが、事前に察知され、突然?解散総選挙の先手を打たれ、岡田克也に代表される媚中も発覚し、政策もないただの親中+『反高市』連合だと見透かされ、国民に総スカンをくらい、シナ謹製の泥舟に相乗りで、
☆一之江境川入り江:油屋江戸川区の一之江境川には昔、うちの近くに入り江があった・・・入り江の奥には元は油専門だったのか『油屋商店』という店があり何度か行ったことがある・・・今はワインなどが主で酒屋になっているよう・・・徳川家康により江戸の城下町と行徳の塩田を結ぶため小名木川と新川がつくられ境川は新川につながり海上交通が発達した。。。*=================*☆入り江の変遷私が子供の頃、この入り江は
栃木県は日光にあります、東照宮日光東照宮ホームページ日光東照宮は、日光霊峰の山懐聖地恒例山にあり、中禅寺湖から流れる大谷川と女峰山から流れる稲荷川との河合いの山岳水明の地に鎮座します。神域は、樹齢400~800年神杉につつまれ、その中に点在する社殿群は自然環境と見事に融合する宗教的文化空間です。toshogu.jpへ行ってきました✨といっても、2024年に訪問して、ず〜っと放ったらかしにしていたんですよ💦今更ながらなんですが、レポートします🙁東照宮には、国宝建築物5件と、美術工芸品2
「もし関ヶ原の戦いで、石田三成率いる西軍が勝利したら、どうなっていただろうか?」歴史にたらればやもしは禁物だ、という人もいますが。たらればや、もしがいけないなのではありません。「もし、石田三成が勝ったら」というならば、現実世界では何故石田三成は勝てなかったのか、その原因は何か、を分析することからしか始まりません。それ無しに「もし、は、もしだよ」とか言っても、それは単なるオアソビで、歴史語りとしては意味がないのですよ。もし関ヶ原で、互角の兵力同士がぶつかって、ほんのちょっとした時の運
毎年恒例の増上寺へ初詣に行ってきたよゆーたの受験まであと少し今年は本気の合格祈願ですやっとお正月っぽい気分が味わえてウキウキ♡日光さる軍団のお猿さんも来てたよ~🐒馬の着ぐるみを着させられる猿。頑張って竹馬してました休憩時間のお猿さんお疲れの背中。各自、屋台で腹ごしらえ焼きいも大好きでドンキでもスーパーでもどこでも焼きいも🍠買っちゃう増上寺&東京タワーバックで焼きいも(食べかけ)を🤳撮ってみたけど全然映えてないと夫に注意され普通は焼きいもじゃなくてお守りとかを増上寺バッ
2025年6月、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮へ参拝に行きました。鹿島神宮を訪れたのは実に約5年ぶりとなります。まだ6月なのに真夏のような陽気が続いているため、涼しいうちに参拝するため朝5時過ぎに出発し、現地へ6時半頃に到着しました。境内に自生している杉を用いて建てられた大鳥居です。以前の大鳥居は御影石によるものでしたが、東日本大震災により倒壊したため、2014年に再建されました。大鳥居をくぐるとすぐに見える楼門は朱塗りで美しく、日本三大楼門の一つに数えられるほどですが、残念ながら現
4月8日水曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物石川数正(迫田孝也)石川数正(いしかわかずまさ)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。徳川家康の片腕として酒井忠次とともに活躍したが、小牧・長久手の戦いの後に出奔して豊臣秀吉に臣従した。深志城主10万石となり、信濃松本藩の初代藩主とみなすことが通説となっている。家系は河内源氏の八幡太郎義家の六男・陸奥六郎義時が河内国壷井(現在の大阪府羽曳野市壷井)の石川荘を相伝し、義時の三男の義基が石川
先週の金曜日、松下洸平さんのラジオ。最後の、今週の自分に一言のコーナー『まあ、気にするなって。』なんでも、1月4日に、日光にプライベートで旅行に行ったそうな。大河ドラマで、徳川家康をやるので、お墓に手を合わせに行ったとか。日光東照宮なのかな?参拝をして、そのあとは、お蕎麦を食べたそうで。まだ4日ということで、まあまあ混雑してて、拝観料払う受付で、洸平さんもちゃーんと列に並んだそうで、そこから階段を何段も登って行ったそうで。お蕎麦屋さんのおかみさんも徳川家康ゆかりのお話をふつうにし
「関ヶ原の戦い」と言われますが、実は戦闘は東北から九州まで、全国各地で起きています。伊達政宗も上杉景勝も黒田如水も、それぞれの場所で(それぞれの思惑で)戦っています。毛利輝元だって、関ヶ原にこそ来なかったものの、毛利軍は西国方面で結構積極的に動いています。輝元が「天下を取りに来ていた」のは事実です。王将が無闇に前線に出るのはヘボ将棋です。毛利輝元が大坂城にどっしり構えて、全国の戦闘を指揮しようと考えていたとすれば、さほど理に合わないことではないでしょう。関ヶ原が「決戦場」になるというのは、
少し更新の間隔が空いてしまいました💦時間が経ってしまったのですが、旅行の記録を🚗先月末、愛知県へ1泊旅行に行きました。そこそこ距離のある所へ行くのは久しぶり。旅行は子供達はもうなかなか予定が合わず、一緒に行きたがる…という感じでもないので、今回も主人と2人。子供達の成長を感じる瞬間でもあります笑。何となくの目的は、歴史的名所巡りと海の見える宿〜でした合戦の跡地にある、新東名高速の長篠PA。馬防柵が再現されていたり、店内に火縄銃などの展示もあってなかなか面白かった徳川家康出世の城
3月16日月曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物明智光秀(要潤)明智光秀(あけちみつひで)戦国時代から、安土桃山時代にかけての武将、大名。明智氏は第56代清和天皇を祖とする清和源氏頼光流多田源氏の一流土岐氏の流れを汲む一族であるが、光秀が同明智氏出身かは不明。通説では美濃国の明智氏の支流の人物で、俗に美濃の明智荘の明智城の出身と言われているが、他の説もある。越前国の一乗谷に本拠を持つ朝倉義景を頼り、長崎称念寺の門前に十年ほど暮らし、このころに
取材途中、徳川家康の側近・本多忠勝公の墓所である浄土寺で開催された地蔵盆に参拝し、非常に珍しい伝統飴「幽霊飴」をいただいた。夏の終わりの清涼な風が境内にそよぐ中、提灯の柔らかな光が揺れ、参拝者の静かな祈りが響き合う。私は、浄土寺に伝わる「幽霊飴」の由緒ある物語に惹かれ、その飴を求めてこの地を訪れた。また、浄土寺が徳川家康公の忠臣・本多忠勝公の墓所であると知り、歴史と霊性が交錯するこの聖地に身を置くことに深い感慨を覚えた。元禄の半ば、1695年頃の夏の終わり、浄土寺門前の三崎通りにある飴屋
◆遺跡から発掘される化粧道具も化粧文化研究の大切な資料です!こんにちは、山村です!今年最後のブログは、発掘調査への協力について。今年5月に、『江戸済海寺久松松平家墓所調査報告書』という大判の書籍が出版されました。この本は、伊予松山藩主、久松松平家の菩提寺・済海寺にある、江戸大名墓所の墓49基を、発掘調査した報告書です。久松松平家は、徳川家康の母、於大の方(おだいのかた)が再婚して生んだ3人の男子の末弟、定勝の嫡男である定行が、寛永12年(
「明石市立天文科学館」の後は、同じ明石市内にある国指定史跡「明石城」(兵庫県立明石公園)を目指します🚙🏯日本100名城🏯No.58「明石城」11時50分100名城スタンプ設置場所がこちらに変更になったみたいです🕵️♂️兵庫県立明石公園にある「明石公園サービスセンター」に来ました🚶♂️ありました👀「日本100名城スタンプ」です🏯「日本100名城スタンプ」No.58「明石城」御城印もこちらで販売されていました🏯「明石城」御城印300円明石城入城記念証御城印御城印の