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2026年5月7日こんばんはいや…暑い1日でしたね長野県内は各地で今年一番の暑さとなり上田市では真夏日になったのだとかただでさえテンションの上がらない1日がこのお天気ではさらにテンションが下がりますあと1日、頑張っていきましょうかねさて、4月の昭和の日なのにもう初夏のような陽気の静岡市を訪ねた初夏の風薫る静岡の旅から今回もお送りしていきたいと思います前回から旅の舞台が清水から静岡市街地へあまり歩いたことのない静岡市街地散策がいよいよ今回から始まっていきますよ大トロ丼
今回は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人を、肖像画をもとにAIを使って再現してみました。まずは織田信長です。素材としたのは宣教師が描いたといわれているこちらの肖像画です。こちら。冷徹そうな視線がいかにもという感じです。ただ、結構優しそうでもあるような。もう一枚作ってみました。大河ドラマ『太閤記』で信長を演じた高橋幸治さんにかなり似ていると思いますが、どうでしょう。続いては豊臣秀吉です。元に
「豊臣兄弟!」三方ヶ原の戦い、あっという間に終わりました。家康、だいぶ気弱になってます。姉川で信長にガツンとやられたのが、トラウマになっているようです。今回も、家来として登場していたのは石川数正「だけ」です。家康、この男だけが最後の頼り、みたいな雰囲気ですら、あります。ところで、この石川数正について、「この先の史実を考えると、切なくなる」って人がいましたけど。さて、どうでしょう。数正は、このあと徳川を退転して、豊臣秀吉の家臣になるはず、です。つまり「家康を裏切る」ことになるわけです
このご時世に、熊の話を気楽にするのは憚られますが。歴史の話題ということで、お許し下さい。熊本には、熊はいないそうですが。では、なぜ熊本という地名なのか?「隈」というのは、川が湾曲している地形のことを指します。川が湾曲した内側の土地だから「隈本」、三方を川に囲まれているのだから、これを天然の堀にすれば、築城に有利な土地ですよね。それを加藤清正が、熊本という文字に改めたというのは、記録があって確かな話です。なんで熊なんてケダモノの名前が、戦国武将の城の名前に相応しいんだ、とか思います
小早川秀秋は最初から東軍です。「最初から」というのは、美濃関ヶ原での合戦の開戦前からすでに東軍、という意味です。戦闘が始まってもまだ迷っていたとかは「ウソ」です。小早川は、松尾山に他の部隊がすでにいたのを追い払って、強引に布陣しています。この時点で、石田三成が「アイツは敵に回った」と認識できなかったのならば、それは悪いけど馬鹿、といって悪ければ、情報収集・分析能力が圧倒的に欠如してます。小早川秀秋は、寧々さんの甥であり、秀吉とも淀殿とも秀頼とも、血縁関係はありません。そのせいでか、秀吉
「関ヶ原の戦い」と言われますが、実は戦闘は東北から九州まで、全国各地で起きています。伊達政宗も上杉景勝も黒田如水も、それぞれの場所で(それぞれの思惑で)戦っています。毛利輝元だって、関ヶ原にこそ来なかったものの、毛利軍は西国方面で結構積極的に動いています。輝元が「天下を取りに来ていた」のは事実です。王将が無闇に前線に出るのはヘボ将棋です。毛利輝元が大坂城にどっしり構えて、全国の戦闘を指揮しようと考えていたとすれば、さほど理に合わないことではないでしょう。関ヶ原が「決戦場」になるというのは、
大河ドラマをここ数年見始めているのですが、主演俳優の年齢と歴史上の人物の年齢との差を調べてみました。22歳;『義経』(2005)滝沢秀明,『篤姫』(2008)宮﨑あおい,23歳;『源義経』(1966)尾上菊之助,24歳;『竜馬がゆく』(1968)北大路欣也,『信長』(1992)緒形直人,『葵徳川三代』(2000)尾上辰之助,『江』(2011)上野樹里,25歳;『武蔵』(2003)市川新之助,26歳;『武田信玄』(1988)中井貴一,『琉球の風』(1993)東山紀之,『北条時宗』(
いつも『しげるお兄さんのブログ』をご覧いただき本当にありがとうございます♪✨皆さまは『孤独のグルメ』という番組をご存知ですか❓✨漫画でも連載されていたものを『実写化』したテレビ番組ですが、そこに主人公でもある『井ノ頭吾郎さん(松重豊さん)』が、『飲食店(※実在する飲食店なんです❗️✨)』へ行き、大好きな『食事』を一人孤独に堪能しまくって、一口ごとに心の声(ナレーション)で伝えながらとにかく食べるのがこの番組なのでありまーす‼️✨この番組のオープンでのナレーションで、『時間や社会に
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」有名な、徳川家康の歌。・・ですがこれは本人が詠んだのではなく、後世の人が「家康ならば、このように詠んだだろう」と推測して創作された歌なのです。それほど「家康=忍耐強い」というイメージが定着していた、ということですね!(・∀・)この「ホトトギス」には、たくさんの漢字表記があります。「杜鵑」「杜宇」「蜀魂
2026/4/18(土)上野東照宮特別公開に行きました。毎年、徳川家康の命日にあわせて開催していると書いてありました。今年は4/16(木)から4/19(日)でした。金色殿、拝殿内部が公開されており、外から見えます。先ずは、お守り売場で、黄色い巾着型の金運のお守りを買いました。寛永寺の薬師如来さんが、上野東照宮でのお守りは、黄色いのを買え。とアドバイスしてくれたからです。お守りの写真がなくてすみません。金ぴかのチケットを購入!一人1000円でした。わあー✨✨✨✨中も金ぴかだー
こんばんは!大河ドラマトークライブin浜松もう少し書こうと思います。石川数正役の迫田さんは、家康と数正は、2人でセットですので、とってもラッキーなんです。家康様が映るともれなく私も付いてくるという事です。って、喜んでいましたね。洸平さんも、この状態をニコイチって、呼んでました笑笑それで、このニコイチのシーンをいくつか、スクリーンでみんなで観たのです。秀吉と再開した時の、あれ誰?のシーンや、秀吉に差し出した塗り薬、痒み止めだったというシーン。とても、興味深いシーンを会場のみん
柳生宗矩はなぜ、板倉重昌が死ぬだろうことを断言したのだろうか。彼の考えはこうだった。板倉重昌がいかに幕府の威権を代行する者であっても、重昌自身は1万1千石の小大名だ。諸大名を統御することはできないだろう。鎮圧軍のほとんどが九州の外様大名であり、しかも大大名が多い。それらが多数の兵を率いて参陣するのに、わずか三百人程度の兵を率いてゆく重昌の命令など重んじられようもない。おそらくは重昌は浮いた存在になってしまい、その攻撃や作戦命令も諸大名はきかないだろう。宗矩は重昌の性格もよく知っていた。
©コーエーテクモゲームス『戦国立志伝』、今回はおまけ武将の世良田元信(せらだもとのぶ)で遊びます。この世良田元信、私の世代は週刊少年ジャンプの漫画、『影武者徳川家康』で知っているという方もいるのではないでしょうか?小説やテレビドラマにもなっているようです。実は徳川家康は亡くなっていて影武者である元信が家康として天下を獲った、そんな興味深いifストーリーなんですがこの家康影武者説、色々と根拠もあるようで・・・!?©コーエーテクモゲームスちなみにゲー
3月16日月曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物明智光秀(要潤)明智光秀(あけちみつひで)戦国時代から、安土桃山時代にかけての武将、大名。明智氏は第56代清和天皇を祖とする清和源氏頼光流多田源氏の一流土岐氏の流れを汲む一族であるが、光秀が同明智氏出身かは不明。通説では美濃国の明智氏の支流の人物で、俗に美濃の明智荘の明智城の出身と言われているが、他の説もある。越前国の一乗谷に本拠を持つ朝倉義景を頼り、長崎称念寺の門前に十年ほど暮らし、このころに
豊臣秀頼は、どうすれば滅亡せずに済んだか?まず微視的に言えば、生き残れる方法なんて、いくらでもあったでしょう。なにしろ千姫の婿なのだから、やりようによっては加賀前田家と同じく、御三家並みの待遇で生き残れたはずです。もちろん、「やりようによっては」です。加賀前田は、たびたび幕府の挑発を受けながら、プライドを捨ててひたすらへりくだって服従の態度を示しました。まつさん偉かった。利常がんばった。これが秀頼にできるかどうか、てゆうか、まわりの取り巻きたちが許すかどうか、です。「ほんまはワイは主
ペッパーランチと『信長の野望出陣』のコラボメニュー第3弾、徳川家康「シラスと海の彩りペッパーライス」をさっそく食べてきました!うーん…、悪くないんですけどヨクモナイ。シラスとエビとペッパーライスは割と合うんですよ。ただ、肉が正直イラナイ。じゃあ肉の味を引き立たせようと思いステーキソースをかけるとこんどはシラスやエビがイラナイ子になっちゃう。「だったら普通のペッパーランチでヨクネ?」…ってのが私の正直な感想でゴザイマス。3つのコラ
18日(土)京都から浜松へワープ浜松駅前には、トゥンクトゥンクじゃなかった、巨大な家康くんが構える静岡県の中高生のヒーローは、やっぱり徳川家康だ!三浦知良も超えられなかった。(昨日放送の「Qさま」より)切符は、京都市内→横浜市内8,100円あれ、8,030円じゃないのとの声が聞こえてきそうだが、京都駅の券売機は、新幹線経由で乗車券のみの購入は出来ず、特急券を合わせないと在来線経由になってしまうのだ。浜松までの自由席特急券とセットでは、浜松から先は強制的に在来線経由になる
11月5日、エールエールギフから西へ徒歩1分。焼き鳥の家康https://tabelog.com/gifu/A2101/A210101/21002150/旅の出発前、エールエールギフの他にハシゴできそうな店をGoogleMapで検索していたら、家康という店が目に飛び込んだ。(秀吉というお店だったら敬遠したかも。笑)店の評判もなかなか良い。エールエールギフのスタッフもよく使うそうです。ちなみに岐阜城の近くには信長というホルモンの店もありました。間口は小さく、良き
5月5日火曜日端午の節句こどもの日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物山県昌景(石井一影)山県昌景/山縣昌景(やまがたまさかげ)戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。武田家の譜代家老の飯富虎昌の弟とされているが、甥であるとも言われている。戦国時代の飯富氏の一族では武田信虎家臣の飯富道悦の息子とみられる「源四郎」が永正12年(1515年)10月17日に西郡の国人の大井
2025年6月、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮へ参拝に行きました。鹿島神宮を訪れたのは実に約5年ぶりとなります。まだ6月なのに真夏のような陽気が続いているため、涼しいうちに参拝するため朝5時過ぎに出発し、現地へ6時半頃に到着しました。境内に自生している杉を用いて建てられた大鳥居です。以前の大鳥居は御影石によるものでしたが、東日本大震災により倒壊したため、2014年に再建されました。大鳥居をくぐるとすぐに見える楼門は朱塗りで美しく、日本三大楼門の一つに数えられるほどですが、残念ながら現
越前一向一揆の地圓宮寺(福井県越前市あおば町)龍門寺城跡(福井県越前市本町)金ケ崎城跡(福井県敦賀市金ケ崎町)荒木村重は、天正三(1575)年七月頃より「摂津守」となり、同年八月、織田信長の越前一向一揆攻めに参加しました。「信長公記」には以下のように書かれています。「1、大良越え(だいらごえ)(*1)・杉津(すいつ)(*2)の城。大塩(*3)の円強寺(えんこうじ)(*4)の勢力に加賀衆が加わって立て籠もっている。1、海岸(*5)に新城を造り、若林長門・甚七郎父子が大将とな
家康(幼名竹千代)は今川の人質だったのではない。今川を尊敬し服従する松平一族の棟梁として竹千代を育てるために、今川義元が駿府に呼び寄せたのだ。三河岡崎の田舎に生まれた竹千代が大都会である駿府の町で受けたカルチャーショックは大きかっただろう。そして、今川義元から依頼された軍師・太原雪斎の教育内容は「軍略」と「人の上に立つ者の心得」だったのに違いない。それはフルブライト留学が日米の相互理解とリーダーの育成を目標としていたことと同じである。家康(幼名竹千代)が駿
先週の「豊臣兄弟」。家康の「あれ、誰?」が話題になっていますが。正直、このときの家康は、挙動不審でした(と、私には見えました)。織田の元小物のことなんか思い出している余裕もないほど、不機嫌を押し隠している、ように見えました。なんで、こんな方面違いの戦に駆り出されるんだ、という不満もあったはずですが。加えて、この戦、本当に大丈夫か?という漠然とした不安感が、この金ヶ崎の陣中に漂っているんですよ。松永久秀も、同じです。この戦はどう転ぶかわからない、と言っていますが、要するに「織田は危ない」と
関ケ原の戦で石田三成が勝っていたらと考えるとゾッとする。必ずや大阪方はその後揉めて分裂して日本はまた長い戦国の世に逆戻りするのは火を見るよりも明らかだ。そうなるとバテレンに助けを求める大名が必ず現れる。なんなら日本自体が植民地化する可能性すらあった。国としての体裁も無くなる。新たな覇者が現れるかどうかもわからぬ。覇者が現れればまた朝鮮出兵するだろう。戦で勝ち残るというのはそういうことなのだ。そんな時代が続くことが良いとは思えぬ。世界に例を見ないほど平和な三百年をもたらした徳
昨夜書き終えて投稿した瞬間バッサリ消えてしまって…余力が無くそのまま寝ました😭久々に味わったあの現象…いったい何が原因なのかさっぱりわからん💦昨日書くことに意味があったのに…と思いつつやっぱり残しておきたいので←2023年5月5日の殿『余韻に浸ってます(*´∀`*)』お風呂上がってやっと落ち着きましてゆっくりweb記事を読みながらさすがプレスの方たちのお写真はどれも素敵だなぁと感心してます。もうね、サイコーでした(//∇…ameblo.jp大河ドラマの主演・徳川家康公として騎馬武者行
ゴールデンウィークの直前の5月1日。休暇届を午後から出し、すーっと職場から消えた私😅💦💦向かったのは埼玉県大宮市。私が推しにはまって以来初めてのファンミーティング🤭💓私がハマったのと、ブレイクのきっかけは朝ドラだったけど、まさかのその直後にコロナ禍にみまわれ、俳優業もお休みになったり、ライブが中止になったり、ライブ開けても長いこと声出し禁止だったりしたのよね。コロナ禍あけて、私も泊まりでライブに行ったこともあったけど、ファンミーティングは初めて😆💓一言で言えば、とにかく楽しか
今まで、「城郭建造物」の「天守」「御殿(茶室・能舞台等含む)」「櫓」「櫓門」「城門」を紹介してきましたが、まだまだ「城郭建造物」はあります!先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管
取材途中、徳川家康の側近・本多忠勝公の墓所である浄土寺で開催された地蔵盆に参拝し、非常に珍しい伝統飴「幽霊飴」をいただいた。夏の終わりの清涼な風が境内にそよぐ中、提灯の柔らかな光が揺れ、参拝者の静かな祈りが響き合う。私は、浄土寺に伝わる「幽霊飴」の由緒ある物語に惹かれ、その飴を求めてこの地を訪れた。また、浄土寺が徳川家康公の忠臣・本多忠勝公の墓所であると知り、歴史と霊性が交錯するこの聖地に身を置くことに深い感慨を覚えた。元禄の半ば、1695年頃の夏の終わり、浄土寺門前の三崎通りにある飴屋
徳川家康が生まれた岡崎城がある岡崎城公園の南側に「五万石ふじ」(愛知県岡崎市康生町)と呼ばれている藤棚がある。今年は4/24金〜5/6水まで「五万石藤まつり」が開催されている。「大手門」ここから岡崎城公園に入って行く。「岡崎城」2006年に日本100名城に選ばれている。近くにはツツジも咲いている。赤も綺麗だなぁ〜白のツツジもいい!「五万石ふじ」に到着!藤棚が低いので、藤を避けながら歩いて行く。ほのかに、甘い香りが漂う!綺麗な紫色の花!アップでパチリ!1本の藤の木から幾つ
2025年に参拝をおすすめしたい神社として神社ソムリエの佐々木優太さんが、ゲッターズ飯田さんに紹介していた神社広島東照宮広島駅から、徒歩8分!駅近な神社です。赤や、朱色など、カラフルな神社=開運神社として紹介されてました。今年は、赤やオレンジなど、カラフルな色を身につけるといいらしいです。ジャンボ釜かつて広島は、全国の風呂釜の8割を生産した「鋳物王国」だったそうです。それに因み、年末年始には、このジャンボ釜と神社のご神水で、牡蠣入りの雑煮がふるまわれる「ジャンボ釜雑煮