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大僧正天海⑦【東照大権現】天海ら一行は日光山の山麓を歩きつづけた。やがて天海は、「その昔、源頼朝が常行三昧堂を建立した。」という土地で歩みを止めたのである。「拙僧の見たところ、地勢としてこの地が最も優れた土地である。」といい、自らの縄張りを披露したのであった。さて、日光山といっても、正しくは日光三山であり、男体山、女峰山、太郎山の三山とそれに連なる山岳を総称した名称である。とくに男体山には古くは「二荒山」と呼ばれた。三山にはそれぞれ新宮権現、滝尾権現、
好きな戦国武将。有名所は織田信長(これは信菜❤️)徳川家康やら人気なんだけど以前山形決戦の博物館で見た人物上杉鷹山少ない予算で産業改革案を作り実行し絹を利用した産業、倹約令や人材育成やらも立派だが災害や凶作に備えたりと地味だが縁の下の力持ち的能力で頭の回転も速い。大阪府の借金を地道に返すならこういう人が現れたらと思うが今の改革案と言えば人材不足を他所に全てスマホで済まそうとする役所や携帯電話会社とか言い出したらキリがない。しかし一度説明しても理解出来ない方
鬼門(きもん)とは、北東(十二支では丑と寅の間に当たる方角)を指し、古来より「鬼が出入りする不吉な方角」とされてきました。「陰陽道」や「家相」において忌み嫌われ、建築や都市設計にも強く影響を与えました。「陰陽道」の思想では四隅の方位には「門」の名があります。北東は鬼門、南西は裏鬼門、北西は天門、南東は風門と呼ばれています。鬼門(北東方向)は、「鬼が出入りする不安定な方角」とされ、災厄や不浄が侵入する入口と考えられました。その対角線上にある裏鬼門(南西方向)は“入ってきた鬼が出ていく方角”と語ら
このあいだ観た「阿古屋」が、源平合戦の余話だったのを思い出して、「平家の一族はみんな死んで、末裔というのは全くいないのか?」というと、そうでもないよ、って話をします。ちなみに平家と平氏は違います。桓武平氏の武士は北条だ三浦だと山程いますが、平家というのは平清盛の家族のみを指します。さすがにこれは檀ノ浦で全員海に沈んだ、と思われがちですが。平頼盛(池禅尼の次男、清盛の異母弟)は、早くから「平家」と離れて鎌倉方につきました。「天下大乱のときは必ず一族が分裂する」というのは、ここでも当てはまりま
生田斗真さんの一橋治済が、ここのところやたら元気です。大雨で利根川が決壊したというのに「時が来た!」と大喜びしていましたが、どういう意味でしょうか?少なくとも、今までは彼の「時」ではなかった、ということです。御三卿の「一橋」というのは、江戸城内の屋敷の名前で、単なる通称です。本名は「徳川治済」つまり徳川の御一門ですから、幕府の職には一切就けない、政治決定には全く関与できないんです、本来は。だから、裏技的な陰謀ばかりをしていたわけです。いっぽう。松平定信が、ついに幕政に参画しました
小早川秀秋は最初から東軍です。「最初から」というのは、美濃関ヶ原での合戦の開戦前からすでに東軍、という意味です。戦闘が始まってもまだ迷っていたとかは「ウソ」です。小早川は、松尾山に他の部隊がすでにいたのを追い払って、強引に布陣しています。この時点で、石田三成が「アイツは敵に回った」と認識できなかったのならば、それは悪いけど馬鹿、といって悪ければ、情報収集・分析能力が圧倒的に欠如してます。小早川秀秋は、寧々さんの甥であり、秀吉とも淀殿とも秀頼とも、血縁関係はありません。そのせいでか、秀吉
お花だけじゃなかった…!久保史緒里ちゃん「どうする家康」トークショーin浜松で拝見しましたが、清楚で凛としっかりしててこんなお嫁さんが我がにも来て欲しいと思ったけど笑乃木坂46久保史緒里ちゃん卒業コンサート2日目ご両親からの手紙の朗読お母様→有村架純さんお父様→松本潤さん—さくらこ(@113ydbs)2025年11月27日本日久保史緒里ちゃん卒業コンサート2日目のご両親からのお手紙を、義父(松本潤)義母(有村架純)が読んだって有村架純ちゃんとはすごく仲良くさせていただいてると
前回からの続き(1月11日のこと)です押小路通りを更に西へ進み、油小路通りで下り(南下し)ますやはり石碑を見るために行ったのですが、こちらは建物の敷地内にあるため、こちらの門外からの撮影となりました😅中にあるのはこちら大老土井利勝屋敷跡住所・京都市中京区油小路通押小路下る西側駒札アップで大老土井利勝屋敷跡当致地は、江戸時代のはじめ、幕府の老中、大老土井大炊頭利勝の屋敗があったところである。利勝は天正元(1573)年の生まれ。幼時より徳川家康の信任あつく、二代将軍秀忠の誕生の
北斎漫画より徳川幕藩体制の忍者忍者と光源氏。歌川国貞画「今源氏錦絵合須磨十二」。(1853年)伊賀衆甲賀衆の一部は本能寺の変の際に、堺の見物に訪れていた徳川家康を護衛して伊賀越えを行なったことから、徳川幕府に召抱えられるようになった。この際、200名程の伊賀衆が仕官したが、1582年(天正10年)から1615年(元和元年)の間に75名が死亡しており、記録によれば危険な城攻めの前線などに投入され戦死した者が多かったという。その過酷な任務に対し、知行は10石程度と
・書名:シン・関ヶ原・著者:高橋陽介・出版社:講談社(講談社現代新書)この本を読み終えた夜、私は机の前でしばらく手を組んでいた。歴史というものは、まっすぐに立っているようでいて、実のところ少しずつ風に押され、気づけば斜めに傾いている木のようなものではないか。そんな感慨が胸の内に湧いてきたからである。著者は、関ヶ原という大きな合戦を、いわばそっと横合いから覗き込む。その視線の冷静さが、私の心をずいぶん落ち着かせもしたし、また不安にもさせた。なぜなら、これまで私の中で固く結びついてい
\ご訪問ありがとうございます/静岡PARCOの猫カフェ🐱でひとしきり遊んだあとPARCO内の治一郎で購入さっくさくっ『【推し活は2度美味しい】꒰猫カフェ꒱初体験』今までご縁がなく旅先で思いを遂げるまさに初体験です💖…amebl
酒井忠尚(さかい・ただなお、ただひさ、ただよし)概要三河上野城の城主。?年ー1565(1568とも)年別名忠賀、将監主君松平広忠→元康(徳川家康)氏族酒井氏父母酒井康忠(忠善、酒井浄賢などの諸説あり)兄弟忠親?、忠次?妻不明子尚昌、重元生涯酒井忠尚は徳川家康(松平元康)に対し三河一向一揆と同時期に謀反したため資料が少なくなっている。そのため父、兄弟が誰なのかは複数の説がある。江戸幕府が編集した寛永諸家系図伝、寛政重修諸家譜、藩翰譜によれば酒井浄賢の子とさ
シャングリ・ラ東京さんで北村麻子さんのねぶたを堪能し、東京駅の地下通路を通って八重洲口から丸の内口へと移動。階段を上ると見えてくる赤レンガの駅舎。ここに来ると、用事はなくても、これ見たさに駅舎に入っちゃうのよね。綺麗に修復されたドーム型の天井が美しい。干支のメダリオンなどをしばし鑑賞しました。堂々たる風格の東京駅は、私が一番好きな辰野金吾の建築です。ここに来るたびに撮っているので、何枚同じ写真がパソコンの中に入っているのやら。左手(北側)。
2021年に出版され大ヒットを記録した同名ビジネス小説を原作に、AIで復活した偉人たちによる最強ヒーロー内閣の活躍を描いたコメディ映画。(C)2024「もしも徳川家康が総理大臣になったら」製作委員会コロナ禍の2020年、首相官邸でクラスターが発生し、総理大臣が急死した。かつてない危機に直面した政府は最後の手段として、歴史上の偉人たちをAIホログラムで復活させて最強の内閣をつくることに。江戸幕府を作った伝説の男・徳川家康を総理大臣に据え、織田信長や豊臣秀吉といった偉人たちが集結した
学研まんがNEW日本の伝記『石田三成』豊臣秀吉の天下統一を卓越した実務能力で支えた武将・石田三成。秀吉の死後、豊臣政権をおびやかす徳川家康に立ち向かい、天下分け目の関ケ原の戦いで西軍を率いて戦った。その忠義を貫いた生涯をオールカラーで描く。豊富なビジュアルの資料ページも付属。hon.gakken.jp弱さを知る勇気と、仲間を信じる力『学研まんが石田三成』を読み、豊臣秀吉と石田三成が目指した戦のない世への強い願いに深く感銘を受けた。関ヶ原の戦いでは西軍が敗れたが、その平和への志は、勝利
漢作唐物のなかで、山上宗二が三肩衝・三名物としたのは、初花、楢柴、新田(にった)このうち新田については、2022年の京都国立博物館の茶の湯展の図録に私も目にしたはずだが、全くといっていいほど、記憶にない形をみると、肩のあたりが初花より、ややなだらかで、胴が張って美しい形とはいえ、この写真では、釉薬がどういう感じだか全く分からないので名品のかけらも感じないと思っていたら、茶道具鑑賞辞典では、下記の写真があって、この写真は、ライトなどで、釉薬の様子を
最近、暴飲暴食気味なのよね~という方、そうでない方、ポチッと、応援お願いいたします。スピリチュアルブログランキングへにほんブログ村有難うございます。心が満たされないと、暴飲暴食気味になります。何かしらの浄化をなさってみては如何でしょうか。落ち着いて来ると思います。ささっ、本文を読んでくださいませ。私は、ご縁を頂く方々に、「お財布の中にはお塩を入れた方が良いです」と申し上げております。お金は、様々な人が、様々な気持ちで触れています。そのお金を収めるのがお財布です。人のエネル
傑作「塞王の楯」を書いた今村翔吾先生の「幸村を討て」が文庫版になったので、買って一気に読みました。(単行本は2022年3月)タイトルの幸村といえば、もちろん大坂の陣で大活躍した真田幸村であり、表題「幸村を討て」にも、深い意味があります。574ページもある超大作で、特に最終章は、緊張感に溢れ、見事というほかないエンディングでした。一体どうやってこんなストーリーを創り出せるのか、作家というのはつくづく凄いなと感心しました。今村先生は、真田家の歴史を研究しているうちに、
歴史が好き。こんにちは!歴史探求家のアズチです😊キムやろがい!戦国時代のヒーロー、織田信長。彼の名前を聞くと、どんなイメージが浮かびますか?「天下布武」「桶狭間」「本能寺の変」…。派手な戦績の裏で、信長が進めていたのは、当時の常識を根底から覆す超・中央集権体制の構築でした。🏯織田信長は「中央集権」の鬼だった!〜悪魔と天才の間に立たされた男の真の構想〜今回は、信長が目指した「日本の新秩序」と、それが当時の人々にどう映ったのかを深掘りしていきます!🔥鉄壁の中央集権体制:信長こそ
愛知の城巡りの会で東海道と中山道を繋いだ美濃路(みのじ)ウォーキングに行ってきました。美濃路は江戸時代に作られた街道といわれていますが、その原型は戦国時代にすでにあり、織田信長や徳川家康も通った街道と考えられています。だから単なる街道ウォーキングではなく、史跡巡りを兼ねた街道歩きみたいなコースです。美濃路はどこを通る?美濃路は東海道と中山道を結んだ街道。宮宿(名古屋市)~垂井宿(岐阜県)を結んでいました。この途中に信長の居城・清洲城址が残る清須市があります。信長
令和7年3月に神戸市立博物館で開催された「古地図からひろがる世界」展に行ってきました。https://www.kobecitymuseum.jp/exhibition/detail?exhibition=384【開催概要】神戸市立博物館は、日本屈指の質と量を兼ね備えた古地図資料を所蔵しています。その礎の一つが、寄贈された南波松太郎コレクションです。本展は、南波松太郎コレクションのなかから、優品を選りすぐり、広く公開するものです。古地図をこよなく愛した南波松太郎を偲ぶとともに、コレクション
書店の新書コーナーで興味を惹かれた、高橋陽介著「シン・関ヶ原」(講談社現代新書)を購入して読みました。表紙(本書の紹介)「関ヶ原の戦い」とは、江戸時代に各地で編纂されたさまざまな史料を、明治になってから帝国陸軍参謀本部が集約し、再構築したものである。そして、これをもとに「国民的作家」司馬遼太郎が創作した長編歴史小説『関ヶ原』によって、日本人の「関ヶ原像」が決定づけられ、いまもなお、多くの人々を魅了しつづけている。本書は、著者が、1600(慶長5)年9月15日に美濃の関ヶ
※色のついたところは、リンクが貼ってあります。クリックして詳細をご覧ください。ラジオサンキューFM84.5福祉番組「ともみとともに」1時間、福祉にスポットをあてて放送しています。今日のゲストは株式会社夢幻(むげん)専務取締役佐々木雄一郎さん。2022年の第68回名古屋まつり郷土英傑行列で徳川家康を務めたので「殿」と呼ばれている(^^)(名古屋まつり)名古屋を象徴する「金シャチ」バッジをつけてご出演して下さいました。立ち上げからのメン
今日は岡崎城へ行ってきました良い天気だったので、凄く暑かったですねそんな暑い中、期間限定・2,000部限定の謎解きゲームに参加してきました!現在、岡崎城公園では岡崎戦国謎解きゲーム~タイムカプセルと予言の書~が開催されています。なかなかの難易度とボリュームで、ゲームクリアまでの目安は約2時間とのことでした。私達は、4人で協力して約1時間20分でクリアしましたクリアするとこの他、グレート家康公「葵」武将隊オリジナル景品をゲットできます。ちなみに、ゲーム途中でグレー
3月2日、旅行会社ツアー初日の宿は三重県伊賀市。近くに伊賀鉄道の上野市という名の駅があるが、上野市ではなく伊賀市とはどういうこと?調べたら、2004年に上野市と周辺の町村が合併して伊賀市になったそうで。その宿の近くには日本100名城の伊賀上野城があります。単に上野城とも呼ばれる。宿到着が夜なので、何も見えないと思っていたら、おお、ライトアップされているではないか。宿を抜け出し、攻城へ。白鳳門門の先へ。左は高校、右は小学校。先は真っ暗Y字路を左に行
2025年に参拝をおすすめしたい神社として神社ソムリエの佐々木優太さんが、ゲッターズ飯田さんに紹介していた神社広島東照宮広島駅から、徒歩8分!駅近な神社です。赤や、朱色など、カラフルな神社=開運神社として紹介されてました。今年は、赤やオレンジなど、カラフルな色を身につけるといいらしいです。ジャンボ釜かつて広島は、全国の風呂釜の8割を生産した「鋳物王国」だったそうです。それに因み、年末年始には、このジャンボ釜と神社のご神水で、牡蠣入りの雑煮がふるまわれる「ジャンボ釜雑煮
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
前のブログ、「どうしてそこに建てられたのか分からなかった「赤木城」」6月25日(水)にNHK「戦国の築城名人藤堂高虎」を何気なく見ていた時に、行ったことのあるお城が出てきました。(戦国の築城名人藤堂高虎-歴史探偵-NHK)7、8年位前に、何もない山の中にお城があるということで、見に行ってきたものです。紀伊半島南部、三重県熊野市にある「赤木城」です。「日御碕神社の前に境港へ」昨日のブログ「日御碕神社の前に足立美術館」に引き続きの旅行記です。に関連してです。
こんにちは!日曜日の午後、皆様お花見楽しんでる頃でしょうか🌸夫は桜の木がある友達のおうちで大人数でお花見パーティー。私は相変わらず咳止まらず家で寝てます涙去年の春休みに人生初日光へ行ってきました!日光行った事ないなんて本当に東京出身なの?と言われます笑そのくらい東京の人にとって日光は身近な存在なのでしょうね。今回はスペーシアXという特急に乗って行きました。新型特急スペーシアX(SPACIAX)特設サイト|東武鉄道公式
久能山東照宮は、日本の歴史と文化に触れる絶好のスポットです。その特徴的な石段や素晴らしい景観、そして徳川家康ゆかりの地として、多くの観光客を魅了しています。しかし、「1159段の石段を登るのは大変そう」「アクセスはどうなっているの?」など、不安や疑問を抱える方も多いですよね。この記事では、久能山東照宮の歴史やアクセス方法、見どころについて詳しく解説していきます。また、体力に自信がない方や効率的に観光したい方のために、役立つ情報もお届けしますよ。さらに、石段を上る際のコツや絶景ポイント