ブログ記事35,627件
夏うた、阿波踊り、三ツ矢サイダー、阿波よしこの、高円寺、多田神社、サザンオールスターズ、メッシ、清和源氏、アワブキ、泡吹、徳島県徳島市、東京都杉並区、兵庫県川西市、千葉県、茨城県潮来市、歌謡曲。トップページ・プロフィールこれまでの曲目リスト歴音235.夏のアワ!三つの矢(ノスタルジック夏メロ.15)夏のピークは、少しだけ越えたのかも!でも、広いニッポン…まだまだ暑くて熱い酷暑の夏!「歴音fun」は今年もやってます!連載「ノスタルジック夏メロ」!過去のコラ
会社の理不尽な扱いに激怒して退職を選択してしまった私。短気は損気とはまさにこのこと。立小便しながら豊臣秀吉に関東へ行けと言い渡された徳川家康はグッとこらえておとなしく江戸に入ったといいますが、なかなかできることではありません。「九州の片田舎の小工場へ行け!総務課長だぞ!」と言われた私は徳川家康のようにはなれず、織田信長になって反撃してしまいました。定年間際のおじさんは恐ろしいほどまともな職がありません。学歴があろうが、有名企業に勤めていようが、そんなことは無
※京都市東山区耳塚、案内板・・・巨大な円墳の上に巨大な五輪塔が載る京都市東山区耳塚1️⃣〜文禄・慶長の役耳塚(京都市東山区大和大路通七条茶屋町)耳塚は、豊臣秀吉の晩年最大の「悪行」と呼ばれ、秀吉を「英雄」から「暴君」に変えた「文禄・慶長の役(朝鮮出兵1592〜1593・1597〜1598)」関連の貴重な史跡です。「文禄・慶長の役」は、「秀次事件」と並んで「サル暴君っぷり」を如実に現した「事件」と言えます。この「文禄・慶長の役」は、今でも朝鮮半島
熱い名古屋最高夏はこうでなくっちゃ…汗だくです本多忠勝フェスでは「戦国甲冑展」も同時開催!大河ドラマで実際に使用された戦国武将の甲冑と、グラフィックデザイナー福田彰宏氏による本多忠勝の生涯をたどるパネル展示で、徳川家康、酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、豊臣秀吉の甲冑が展示されます!#本多忠勝#甲冑pic.twitter.com/c3cFf58TVO—住吉浦休憩施設(@987sumiyoshi)2026年8月18日なんと桑名の本多忠勝フェスで金陀美具足が!期間:8月1
【問題】色金山とは、徳川家康が次のうちどの合戦において陣を置いた場所か?【選択肢】桶狭間の戦い三方ヶ原の戦い姉川の戦い長久手の戦い【正解】長久手の戦い【解説】色金山(愛知県長久手市)は、長久手の戦いのおりに家康が陣を置き軍議を開いた場所である。現在、国の史跡として整備され、家康が腰掛けた床机石などが残されている。
童友社の江戸城が完成しました江戸城は古くは扇谷上杉家・上杉定正の家宰であった太田道灌により縄張りが整備され、関東屈指の名城とされましたのち関東が上杉氏から伊勢(後北条)氏のものとなり、江戸城も北条領の重要な城となりました太閤秀吉の北条攻めにより北条氏が滅すると、豊臣政権五大老筆頭として関東に加増転封された徳川家康の居城として整備されました以後明治新政府が出来るまで徳川将軍家の居城として栄えました今では語るまでもなく皇居として天皇陛下がお住まいです天守閣は江戸の
「山下聡吾」「徳川聡吾」「早稲田大学アメリカ合衆国プロテスタント教会」「E・E・スミス博士」等、と、インターネットで辞書的に検索すると、信じられない天才児と言うことと、その功績により、日本国総理大臣、アメリカ国大統領、等、一時的な役職を省くと、個人としては、世界一有名な、赤ん坊時代から、テレビ報道で、世界的に大スターになりながら、1962年のクリスマスに即位の儀式を上げた、1961年に生まれた時からの、徳川一門=華族150万人のトップの、日本国最高地位、にして、世界最高地位、世界皇
このご時世に、熊の話を気楽にするのは憚られますが。歴史の話題ということで、お許し下さい。熊本には、熊はいないそうですが。では、なぜ熊本という地名なのか?「隈」というのは、川が湾曲している地形のことを指します。川が湾曲した内側の土地だから「隈本」、三方を川に囲まれているのだから、これを天然の堀にすれば、築城に有利な土地ですよね。それを加藤清正が、熊本という文字に改めたというのは、記録があって確かな話です。なんで熊なんてケダモノの名前が、戦国武将の城の名前に相応しいんだ、とか思います
大垣城を見学した後、まだ時間があったので、関ヶ原まで行ってみることにしました。大垣駅から関ヶ原駅へは東海道線で13分ほど。関ヶ原は新幹線で通過する際に景色を眺めたことはありましたが、実際に降り立つのは今回が初めてです。駅自体は比較的こじんまりとしています。駅から徒歩5分くらいのところに「岐阜関ケ原古戦場記念館」があります。駅から記念館へ向かう道の途中です。2020年に開館したという比較的新しい施設です。徳川家康が最後に陣を置いたのがこの記念館のあたりとのことで、最上階の展望室からは戦
5月5日火曜日端午の節句こどもの日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物山県昌景(石井一影)山県昌景/山縣昌景(やまがたまさかげ)戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。武田家の譜代家老の飯富虎昌の弟とされているが、甥であるとも言われている。戦国時代の飯富氏の一族では武田信虎家臣の飯富道悦の息子とみられる「源四郎」が永正12年(1515年)10月17日に西郡の国人の大井
マツコの知らない世界で話題!名古屋名物えびせん「坂角総本舗ゆかり」2025年12月23日(火)よる8時55分から放送の「マツコの知らない世界」お菓子缶の世界で名古屋の老舗【坂角総本舗】が紹介されました。番組では✔️珍しい✔️高級感のある✔️思わず集めたくなる"お菓子缶"が特集されました。その中で登場した、ジェイアール名古屋高島屋限定ゆかり黄金缶12枚入り1,080円※現在入手不可坂角総本舗さんの珍しい缶と言えば下記のような商品もあります。◉2024年の【坂角総本
「福山城博物館」日本100名城日本城郭の最高傑作と書かれてました(よく分かりませんが…)個人的にはどこの城郭も最高傑作です😊駐車場が城内にはないので、少し離れた所に2か所ありましたこの裏門?の横にも駐車場ありましたが、関係者のみのようでした徳川家康のいとこ水野勝成が備後10万石の領主出入り口料金500円割引あり築城当時の福山城記録が残ってるのが凄いよね兜が平凡な感じ…鯱「井伏鱒二」(いぶせますじ)広島県加茂村(現福山市)出身兜が面白い家紋は「抱き沢瀉」(だき
4月21日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物滝川一益(猪塚健太)滝川一益(たきがわかずます/いちます、旧字体:瀧川一益󠄁)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い、天下統一に貢献した。没年から逆算すると、大永5年(1525年)生まれ。出生地は近江国甲賀郡大原(滋賀県甲賀市甲賀町)とされる(『勢州軍記』)。尾張国の織田信長に仕えるまでの半生は不確かである。甲賀流の忍者であったという見解も
大河ドラマをここ数年見始めているのですが、主演俳優の年齢と歴史上の人物の年齢との差を調べてみました。22歳;『義経』(2005)滝沢秀明,『篤姫』(2008)宮﨑あおい,23歳;『源義経』(1966)尾上菊之助,24歳;『竜馬がゆく』(1968)北大路欣也,『信長』(1992)緒形直人,『葵徳川三代』(2000)尾上辰之助,『江』(2011)上野樹里,25歳;『武蔵』(2003)市川新之助,26歳;『武田信玄』(1988)中井貴一,『琉球の風』(1993)東山紀之,『北条時宗』(
ある日の休日…上野で散歩(^^)"上野の森美術館"で開催されている"ゴッホ展"を目的に行ったんだけど、なんと当日入場券は売切れ…しかも大行列!それ見て心が折れて断念…計画性のない人はあかんね〜^^;近くに"上野東照宮"があったので、ふらっと行ってみました。徳川家康を祀る神社です。八代将軍"徳川吉宗"や十五代行列将軍"徳川慶喜"も一緒に祀られているそうです。大鳥居…五重塔…金ピカの拝殿?…上野店の喧騒の中、ここだけがシンっと静まった特別な場所のようなオーラがありました。さて…昼
前回のぶログで載せているとおり、5月2日は静岡県袋井市にある由緒あるお寺『可睡斎』に行ってきました。広い境内は見どころがたくさんあるので、お参りした順番に載せていきます!前回載せた「ぼたん苑」から本堂に向かう脇道には「放生池」という池があります。奥に見えるのは「魚籃観音」いけには錦鯉がたくさんいました。餌もあげられるみたいですよ。さらに進むと「山門」があります。仁王像が睨みをきかせています。ここをくぐって右手にあるのが、「おさすり大黒」「ひとさすりで福を招き、ふ
1.長篠の戦い(1575年・天正3年)武田勝頼は徳川方の長篠城を攻撃しました。これに対し、徳川家康の要請を受けた織田信長が援軍を率いて出陣し、長篠設楽原で決戦となりました。織田軍は馬防柵を築き、銃数だけでなく、大量の弾薬と火薬を使って鉄砲を効果的に運用しました。一方、武田軍も鉄砲を使用していましたが、弾薬と火薬は輸入品であり、信長によって経済封鎖されていたため早い段階で弾切れとなってしまいました。そのうえ織田軍の途切れることのない射撃に圧倒されて武田軍は敗北しました(歴史学者・平山優氏の指
9月27日土曜日信長協奏曲(信長コンチェルト(再放送)主要登場人物前田利家(藤ヶ谷太輔)前田利家(まえだとしいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に「加賀百万石の祖」とも称される。天文7年(1539年)12月25日前田利春の四男として尾張国愛智郡荒子で生まれる。幼名は犬千代。荒子前田家は利仁流藤原氏の一族とも菅原氏の一族ともいわれるが、確かなものではない。当時の領地は2000貫だった(利家記)
中公文庫■幸村を討て■今村翔吾(1984-)■2022年■歴史ミステリー概要徳川家康が最も恐れた男、真田幸村の謎に迫る!「歴史ミステリとして、そして本格ミステリとして、実に優れた一作」――大矢博子(解説より)徳川・豊臣両家や諸将の思惑が交錯する大坂の陣。亡き昌幸とその次男幸村――何年にもわたる真田父子の企みを読めず、翻弄される東西両軍。徳川家康、織田有楽斎、南条元忠、後藤又兵衛、伊達政宗、毛利勝永、ついには昌幸の長男信之までもが、口々に叫ぶ。「幸村を討て!」と……。戦国最後の戦い
京都市東山区にある「高台寺」は、豊臣秀吉の死後、正室の北政所(ねね)が出家して、高台院を称していた時期、1606(慶長11)年に秀吉の菩提を弔うために創建したお寺です。そのため高台寺は北政所ねねの法名が由来となっています。高台寺の夜間拝観を書く前に、高台寺とねね様について深堀りしたく、この機会に書こうと思います。京都の歴史を勉強するまでは、ねねが何者かもろくに知りませんでした。ねねと淀殿、どちらが秀吉の正室?茶々って、ねね?淀殿?北政所と大政所って誰のこと?って感じでした。ねね様
徳川家康公を御祭神として祀る「東照宮」を巡る【東照宮巡り】。今回は千葉県にある東照宮を訪れてみました。埼玉にある我が家を出発してから約3時間半。辿り着いたのは、JR総武本線の「八日市場」駅。駅前から伸びる一本道を、ひたすら真っ直ぐ10分ほど歩いていった先に、東照宮がありました。隣に建っているラーメン屋のほうが明らかに存在感が強いのですが(笑)、その陰に隠れるように小さな鳥居があります。こちらが千葉県で唯一「全国東照宮連合会」に加
「関ヶ原の戦い」と言われますが、実は戦闘は東北から九州まで、全国各地で起きています。伊達政宗も上杉景勝も黒田如水も、それぞれの場所で(それぞれの思惑で)戦っています。毛利輝元だって、関ヶ原にこそ来なかったものの、毛利軍は西国方面で結構積極的に動いています。輝元が「天下を取りに来ていた」のは事実です。王将が無闇に前線に出るのはヘボ将棋です。毛利輝元が大坂城にどっしり構えて、全国の戦闘を指揮しようと考えていたとすれば、さほど理に合わないことではないでしょう。関ヶ原が「決戦場」になるというのは、
これから、物凄く意地悪なことを書きますよ。豊臣秀吉の死後、上杉景勝が徳川家康に反抗的態度をとり続けた目的は、「豊臣家臣団」を分裂させることです。その目的は、秀吉の天下統一、惣無事令をチャラにして「戦国乱世」に戻すこと。そのドサクサでふたたび「戦国大名が自由に領地を取ったり取られたりする戦国乱世に戻したい」ということです。家康に「立ち向かった」とか、家康と決戦して天下を取ろうとか、そういうことではないんです。とにかく「バトルロワイヤル状態」の混乱に戻ることを期待したんです。関ヶ原の戦い
岐阜県岐阜市で行われた大河ドラマ巡回展に行ってきました。これはNHKが主催する大河ドラマのプチ展示。令和八年(2026)は豊臣兄弟なので、1年かけて全国いろんなところを巡る、いわば移動展示会です。>>大河ドラマ巡回展|NHK公式サイトではどんな内容だったのか?私が印象的だったポイントをお伝えします。定番の展示まずは定番のパネル、衣装。大河ドラマ館ほどなく数点の展示ですが、ドラマの中に出てくる重要なアイテム。ドラマ見てないと分からない小道具次にお
天正10年(1582年)、武田氏が滅亡し徳川氏の城となった三枚橋城には、徳川家康の四男である松平忠吉が城主として配置されました。しかし、忠吉はわずか2歳だったため、城代として城の運営を任されたのは、忠吉の後見である松平康親でした。松平康親(松井忠次)歴戦の武将としての風格が漂っています。松平康親(松井忠次)は、大永元年(1521年)、三河松井氏の惣領である松井忠直の嫡男として三河国吉良庄にて生まれました。当初は今川義元に仕えていましたが、永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで義元が戦死
2月19日木曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物まつ(前田利家の正室)(芳春院)(菅井友香)芳春院(ほうしゅんいん)(天文16年7月9日(1547年7月25日)〜元和3年7月16日(1617年8月17日))戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。加賀国(石川県)の戦国大名・前田利家の正室。名はまつ。篠原一計の娘。戒名は芳春院殿花巖宗富大禅定尼。母(竹野氏)が利家の母の姉であるため、利家とは従兄妹関係にあたる。学問や武芸に通じた女性であったと伝わ
我が家の旅の宿はいつも主人がしています今回は一泊目はあまり予算を取らずに・・・ゆったりと温泉に入れる宿ということで選んだとのこといきなり非日常感たっぷりの赤い橋!!そして町屋風のお店がありました。土曜だったのですが到着は3時なのに人はまばら・・・日帰り温泉も対応していますが混み合ってはいませんうれしいような・・・心配なような・・・混んでいるのではと心配していたので拍子抜けといっ
「征夷大将軍より、関白のほうが位は上ですよね、だとすれば徳川将軍といえども、関白の命令は聞かなきゃいけないんですよね?」それは、全然違います。関白は公家のトップ、征夷大将軍は武家のトップ、ともに天皇の一の家来という意味では、横並びです。征夷大将軍は関白の家来でも部下でもありません。関白は必ず将軍より偉いかっていうと、そうとも限りません。関白も征夷大将軍も共に令外官であり、決まった位階はありません。敢えて言えば何大臣を兼ねているかで格は決まりますが、関白が右大臣や内大臣に過ぎないこともあ
「関ヶ原の時点で、豊臣秀頼が家康の軍門に降って、徳川幕府の一大名になることを選択していれば、大坂の陣で滅ぼされることも無かった?」関ヶ原は「豊臣」対「徳川」の戦いであり、徳川(東軍)が勝って西軍(豊臣)が負けたのだから、西軍に担がれていた豊臣秀頼は徳川の「軍門に降って」いれば、つまり家康の家来になってしまえばよかったのに、と言うなら、それは間違いです。関ヶ原は豊臣対徳川ではありません。豊臣秀頼は、というより子供の秀頼を支配している母の淀殿は、東軍、西軍の両方に「そなたたちが豊臣正規軍だ、宜し
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第28回、「急げ!秀吉」の感想です。(続きです。)<越中魚津城>柴田勝家:「どけ~!邪魔だ~!」勝家が暴れている。柴田勝家:「おのれ!明智ぃ~!」佐々成政は勝家を抑えようとする。暴れる勝家の前で、座りこんで、勝家を抑えようとするのは前田利家であった。利家:「……とがめられるとすれば上様ただお一人。」利家:(信長を代弁して)「この愚か者めが!これしきのことで取り乱すでない!」利家