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世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その33古代のユダヤ教の故事を伝承するだけでなく、原始キリスト教の故事さえ伝える封印されし島「隠岐」には、神道が伝えるあらゆる神事のひな形があるとしかいいようがない。これまで紹介したものですら隠岐の祭事の一端である。いわば「隠岐」とは島そのものが古代の神殿でもあり磐座でもあるといえる。しかし、「隠岐」は小さい島である。元々この島に祀られた神とその御神体とはいったいなんだったのだろうか?◆荒神さん隠岐の島前・島後に今も残るのが「荒神」(こ
山の神(潮石)伊勢国度会郡三重県度会郡大紀町滝原(県道38号線より北へ折れたすぐ、「おおみやサイクリングターミナル」の西隣、「滝原1134-3」の東向かい)(瀧原宮から徒歩20分ほど、短時間であれば周辺に停め置きできそうです)■祭神山の神瀧原宮のご本殿の位置からおよそ150mほど南の位置に鎮座する社(瀧原宮のご本殿から直接アクセスはできません)。◎幅、高さともに2m弱の「潮石」と称される巨石が御神体。古代祭祀の形態を残しています。据えられたように見受けられるため、「磐座」と解し
スピリチュアルカウンセリング河合洸司のスピリチュアルカウンセリング・サロン【Senju-千手-】★事務所が移転しました。★↓↓↓住所は下記からどうぞ↓↓↓https://ameblo.jp/zico0102/entry-12414687548.html★来店時の注意事項★https://ameblo.jp/zico0102/entry-12420686688.html**********************************************【雑
私の大好きな神様に会いに行ってきました三輪明神・大神神社です。大神と書いて「おおみわ」と読みます。三輪の神様には、いつもとってもお世話になっているので・・・定期的にお参りに来ています言わずと知れた山岳系最強の神様私は三輪の神様がほんとに大好きですご祭神は、大物主大神大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして三輪山に祀られることを望まれました。『古事記』や『日本書紀』の神話に(しかも両方に)創祀の伝承
檜原神社大和国城上郡奈良県桜井市大字三輪字檜原(P有、大神神社からは徒歩20~30分)■延喜式神名帳卷向坐若御魂神社大月次新嘗相嘗の論社■祭神天照大神若御魂神[配祀]伊弉諾尊伊弉册尊大神神社摂社。「倭笠縫邑」の伝承地(元伊勢)の一つ、最有力候補地と言えるでしょうか。「三ツ鳥居」を有する希少な社でも。◎崇神天皇の初め、国内に疫病が蔓延し人民が半分以下になるまで減るという非常事態に陥りました。「神淺茅原(かむあさぢがはら)」にて毎朝夕天神地祇に祈りました。ところが一向に
先日12日に長岡市(旧栃尾市)で行われたいわゆる、”奇祭”へ行ってきました。名前をほだれ(穂垂れ)祭り。同市下来伝地区で今回で38回目となるお祭りです。この祭りのほだれ(穂垂れ)とは稲穂が実って穂先が垂れる形に由来することで、豊かな稲作をお祝いするお祭りです。道祖神のひとつである男根形のほだれ様は農耕と人を守る神様として、古くからこの地域で信仰されてきました新潟県長岡市(旧栃尾市)の下来伝地区では、日本一の大きさを誇る「ほだれ様」が祀られて、毎年3月の第2日曜日に
9月14日スクールの皆さまと一緒に行った参拝記録ですまず向かった先は、靖國神社東京に行く時、靖國さんによく参拝させて頂きます。それは、靖國神社の近くの築土神社さんとのご縁が深い為。とはいえ(広島原爆)平和記念公園での祈りや終戦記念日の祈り現在取り組んでいるカルマの精算もあってお久しぶりに参拝できて良かったです築土神社は、私が10年前からお世話させて頂いている稲荷眷属の正焉さまが江戸時代に活躍していた一六稲荷が『正焉さまの過去(狐さんがやってきた番外編)』稲荷大神様のご縁を頂い
《鞍馬寺の大天狗さんに会いに?》定休日は、主に霊山と呼ばれる所に行きます。大神神社の三輪山、伏見稲荷大社の稲荷山、鞍馬寺の鞍馬山。遊びや観光目的で行っているのではありません。何度か、鞍馬寺の大天狗さんの真言が最近、頭に勝手によぎりましたので、鞍馬寺に行くことにしました。今日は修業をしにきている上から下まで白装束の方達や、シンギング・リン?シンギングボウルを奏でているグループに会いました。整体の店用にお土産屋さんで、天狗のお面も買いました。昨年までは、鞍馬寺に祀られている毘沙門天
天一神社(桜井市鹿路)大和国十市郡奈良県桜井市大字鹿路94(P無し、短時間なら境内横に停め置きできそう)(アクセス道に特に困難な箇所は無し)■祭神天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)桜井市の最南東端「鹿路(ろくろ)」集落の最も高い位置に鎮座する社。南東に「竜門岳」、北西に「音羽山」を控える標高650mほどの高所地。わずか13世帯(平成二十七年度)の過疎集落。◎山中の秘された社であるがためか、古代から様々な時代に関わって来た歴史が見て取れます。◎目を引くのは「神杉」と称される、境
こんにちは。フィガロはネコ座布団で寝てて、あっつくなったのかネコ座布団から出てカーペットで寝てたツムのお尻にコテン。ツム、嫌そう。案の定、ツムは立ってわたしの左に移動して改めて寝ました。フィガロは大きく伸びをしてそのまま寝続けてます。
黒川温泉から高千穂に向かう途中にあったトンネルの駅に立ち寄りました。未完成に終わった九州横断鉄道のトンネル跡地を焼酎の貯蔵庫として活用されています。又、敷地内にはかつての車両や、SLも展示されているんです。なぜ馬がいるか?って、それは焼酎「ひむかのくろうま」だからかな。トンネル内は年間17℃前後に自然に保たれ、焼酎の貯蔵に適した環境です。まずは高千穂に行ったら乗りたかった廃線路を走る高千穂あまてらす鉄道「グランド・スーパーカート」。棚田が広がる里山の風景を眺めながら、「東洋一の高さ」
有名なパワースポット,御神体。とても気が澄んでいて,静かながらも,ひしひしとパワーを感じる。浄化されます。
等波神社近江国伊香郡滋賀県長浜市田部6-1(鳥居前に横付けしました)■延喜式神名帳等波神社の比定社■旧社格村社■祭神鳥磐橡樟船尊(トリノイワフネクスノミコト)[配祀]仲哀天皇神功皇后長浜市市街地の東部外れ、小丘陵裾に南面して鎮座する社。創建は白鳳十三年(684年)に神示の奇端を得て鎮座と伝わりますが、天明七年(1787年)の火災により社殿等すべてを焼失し、詳細不明。ご祭神の鳥磐橡樟船尊は、天鳥船神の神名の方がお馴染みでしょうか。イザナギ・イザナミ神から生まれた神。蛭
自伐林業講習からの帰途花巻にある道の駅で車泊。岩手といえば蝦夷族長アテルイ。近くにアテルイゆかりの地ないかな〜って思って調べて出てきたのが丹内山神社。謎の土着神アラハバキ神を祀る神社…!その御神体の写真を見たらエキセントリックがビビッと。翌朝行くことにした。奥州藤原氏、安俵小原氏、盛岡南部氏など名立たる実権者たちが篤く加護してきた場所。わたしの友達、空海も縁あるとのこと。詳しい説明はこちらにお任せ。アテル
弁天島・蛭子大明神(橋杭岩)紀伊国牟婁郡和歌山県東牟婁郡串本町くじの川1549-8(住所は「道の駅くしもと橋杭岩」のもの)■祭神(不明)「橋杭岩」の列岩の中ほどにある小島「弁天島」、その薮内に鎮座する社。創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。背後のおよそ高さ10m幅20mほど(薮内のため全容は把握できず)の露出岩盤を、御神体としているようです。隣に蛭子大明神の石柱と神像が据えられています。「橋杭岩」を神が宿る霊地として、また「弁天島」をその中央の核として、太古からの祭祀場で
こんにちはすぎもと純子です。あなたを導く本質の声を聞く〜軽やかに生きる〜メルマガを配信しています。メルマガの登録はこちらからです。ぜひ、登録してくださいね。↓↓↓↓↓↓↓カラダの声・ヨガ・元気・意識・幸せ(reservestock.jpこちら、八ヶ岳から見た甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山と北岳です。八ヶ岳で大自然の中にいると、人間は自然の中の一員と言うことが身に沁みます。様々な鳥がいて鹿やタネキ、雉などの動物湧き出るお水太陽の光肥
2016/6/11熊野古道松本峠を散策した後に立ち寄りました。花の窟(はなのいわや)神社は、日本書紀にも記されている日本最古の神社らしいです。海岸縁を国道42号線が走っていますが、その脇にある神社です。目の前には、七里御浜熊野市から鵜殿村に至る約22Km続く日本で一番長い砂礫海岸の七里御浜(ひちりみはま)が広がります。そして、神社には、御神体の岩が見えてますね。約10メ-トル程の三旒の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、約170メー
こんにちは。毎日暑い日が続きますが、みなさんお元気ですか?さて、ここ茨城県筑西市の大町(筑西市甲)には、文明3年、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したという羽黒神社が鎮座しています。また大町の羽黒神社を筆頭に、水谷領内には多くの羽黒神社が建立され七羽黒と呼ばれました。一説には、結城七社を模した(『茨城県神社誌』口戸羽黒神社の項「出羽羽黒山の御分霊を迎へ結城七社を模して鎮斎した」)とも言われています。現在一般に言われている七羽黒は、①羽黒神社(大
埼玉県の振り返りが続きます(どんだけ埼玉好きなのかしら?私)埼玉県の飯能市の上名栗地区に来ました名栗川参道橋を通り過ぎ参道を振り返ると…自然豊かで素敵な所坂を登り狭い路地を抜けてたどり着きました八坂神社⛩です立て札より『上名栗八区自治会内の鎮守として祀られています。通称「ヤクジンガミサマ」天王様と同様に疫病を防いでくれる神と言われています』地域の神様として大切にされているのがわかります願いが叶う神様としても知られているとのことです静寂な時が流れます神社の両脇を囲
玉置神社の末社、玉石社。末社とはいえ玉置神社の奥宮であり、本来の聖地とも言われています。本殿より先に礼拝にうかがうのが、大峰修験道の習わしとまでなっています。本殿から玉置山山頂へ向かう山中に鎮座。玉石社、山頂への最初の鳥居。2つ目の鳥居。いたる所の樹々が神様なんですね。3つ目の鳥居。4つ目の鳥居。まさにつづら折り。5、6、7つ目の鳥居。そしていよいよ・・・・・・・・
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その35「陰陽道」は隠岐が発祥の地であった。島前は「陰の六芒星」、島後は「陽の五芒星」を成す「五六合わせ」で、これが「鬼の五六島」、「隠の五六島」で国産みにおける最初の島「オノゴロ島」の正体だった。そこには古代ヘブライの神宝=鬼の宝が隠されていたが、それらは「ヨシュアの宮」の名を持つ「吉佐宮=籠神社」を作った一族によって「眞名井神社」と「出雲大社」へと移された。では、いったい誰が「隠岐」に古代ヘブライの神宝と神事を持ち込んだのか、ということである
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その34古代ヘブライの神宝であった七本首の金の燭台「メノラー」は元々は隠岐に鎮座していた。だが、「国譲り」が起きた際、出雲の築木に新たな出雲大社が創建された時に、隠岐から出雲へと強制的に移動させられた。だから隠岐の人たちは出雲人を嫌う。七本首の蛇を型どった金の燭台「メノラー」と「八角形の台座」が、海を渡って出雲へと移されたことで、「八岐大蛇」(ヤマタノオロチ)が海から上がってきたという伝説になっているのだが、なんで7本首の蛇なのに8本首の龍となってい
私のブログを読まれている方は、わかると思います!真言密教の表白にある謎の文章。「微細金剛の身処を証して神変加持の法力と自在無礙の方便力を得せしめ給え」「微細金剛」を探し求め、カミノガンデ量子波、音叉の波動、自らの聲響ホ-ミ-、チャクラ、オ-ラ、阿字観。結果、行き着いたのが、somatid。地球誕生43億年、否、宇宙誕生の源である微細生命体。真言宗の血脈の源、阿字本不生の現物。秘密の太陽文字が映る。ソマチッドが敷きつめられた磐石での智火!世界でひとつの護摩
東大阪市の神社仏閣巡り暫くは神社が続くと思います前回のラグビー神社から、徒歩で約1キロ太鼓の音が鳴り響いてるどうやら近くの学校で練習しているみたい秋祭りのだんじりが実は岸和田に負けないぐらい賑やかな東大阪商店街は穏やかで大阪の下町感が良い感じ途中若宮神社址と書かれている一角が有りましたどうやら次に行く神社に関係しそうなので画像は後ほど・・。そして到着したのは津原神社(つはらじんじゃ)正面正面には鳥居は無く、注連石と大きな石灯籠が二基。あとは社標
湯殿山神社本宮:山形県鶴岡市田麦俣六十里山7「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」松尾芭蕉は、元禄二年(1689年)旧暦六月八日(7月23日)に月山から湯殿山に下り、こう記している。「惣じて、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍って筆をとゞめて記さず」。坊舎に戻り、別当代の会覚阿闍梨に求められて詠んだ一句が冒頭の句だ。行者の法式とは「装束小屋、爰にて衣服を改め金銀銭其外所持の品を此所に置て、是より先の様子人に語る事を堅く禁ず」(諸州採薬記)という参拝の決まりのことだ。湯殿山神
熊野速玉大社から徒歩で15分くらい熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に神々が降臨された熊野信仰の発祥地和歌山県新宮市神倉神社(かみくらじんじゃ)鉄馬車で駆けました神倉神社は新宮市街地の北西部、神倉山に鎮座する、熊野速玉大社の飛地境内摂社であり、境内外縁は直ちに断崖絶壁になっている。山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる(熊野年代記)。「ゴトビキ岩」を御神体とし、高倉下命(たかくらじのみこと)・天照大神(あまてらあすおおみかみ)を祭神としています。まず
2017年12月24日去年の記事です。熊野市にある「花の窟(はなのいわや)神社」に来ています。神々の母、花の窟神社と書かれた顔出しパネルがありました。石柱には日本最古と書かれています。日本最古の神社の一つのようですね。日本書紀に花の窟の由緒が書かれています。一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ故(か)れ紀伊国熊野の有馬村に葬(かく)しまつる土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには花
今年の初詣のお話。坂東市にある國王神社に行きました。近くのお寺さんは、メジャーなので、外しました。ご鎮守様は、車の通りが激しい所を通るので、除外です。で、考えました。正月とかしか、御朱印をやっていない、そう遠くなく、大きくも無い神社さんは、無いかと…そう言う理由で、國王神社さんになりました。國王神社さんは、平将門公終焉の地に建てられた古社です。将門公の三女・如蔵尼が、父の最期の地に庵を建てたのが國王神社の創建であり、父の三十三回忌に当たって刻んだ「寄木造平将門木像」(茨城県指定