ブログ記事3,440件
私のブログを読まれている方は、わかると思います!真言密教の表白にある謎の文章。「微細金剛の身処を証して神変加持の法力と自在無礙の方便力を得せしめ給え」「微細金剛」を探し求め、カミノガンデ量子波、音叉の波動、自らの聲響ホ-ミ-、チャクラ、オ-ラ、阿字観。結果、行き着いたのが、somatid。地球誕生43億年、否、宇宙誕生の源である微細生命体。真言宗の血脈の源、阿字本不生の現物。秘密の太陽文字が映る。ソマチッドが敷きつめられた磐石での智火!世界でひとつの護摩
水谷神社(春日大社境内摂社)(みずやじんじゃ)大和国添上郡奈良市春日野町160(春日大社内)(春日大社有料P利用、1000円/1日)■祭神素戔嗚命大己貴命奇稲田姫命春日大社の摂社(当社では「中社」と称されていた)の筆頭。「春日奥山」の山中に鎮座する上水谷神社(かみのみずやじんじゃ、禁足地内参拝不可)の里宮とされます。◎その上水谷神社は「水谷川」と「能登川」の水源に当たる地に鎮座。大和は盆地であり干魃が頻繁に起こるため、雨乞いの祈りが頻りに捧げられました(龍王社の記事参照
彦瀧大明神志摩国答志郡三重県鳥羽市河内町(詳細住所不明、アクセスやPは下部写真参照)■祭神彦瀧大明神鳥羽市を南北に流れる「加茂川」、その支流「河内川(こうちかわ)」のそのまた支流の上流、山あいに鎮座する社。◎創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。「鳥羽三女神」の一社などとも言われるようです。あとの2社は加布良古大明神(伊射波神社)と相差町の石神神社(未参拝)。彦瀧大明神は白蛇を御神体とするとか。◎あくまでも想像の域を出ませんが、「彦」とある以上は男性神なのではないかと。女性特有
本日、お仕事で弘前に行ってきました依頼主は、岩木山の山姫様。※本当の名前は違いますが、便宜上、山姫様と呼ばせていただきます。神様が依頼人というだけでど緊張ですミッションポッシブルなるか!!山姫様のご依頼は、「Aさんの側におりたい」「私をAさんの元に連れて行って!」でした...。ちなみに、Aさんと私は二、三度あったことがあるくらいの関係ですほぼ他人やんけ!「山姫様や、気持ちはわかる。しかし、二、三度あったことがある人は、人間界でほぼ他人というのである」「いくら祈祷師と
埼玉県の振り返りが続きます(どんだけ埼玉好きなのかしら?私)埼玉県の飯能市の上名栗地区に来ました名栗川参道橋を通り過ぎ参道を振り返ると…自然豊かで素敵な所坂を登り狭い路地を抜けてたどり着きました八坂神社⛩です立て札より『上名栗八区自治会内の鎮守として祀られています。通称「ヤクジンガミサマ」天王様と同様に疫病を防いでくれる神と言われています』地域の神様として大切にされているのがわかります願いが叶う神様としても知られているとのことです静寂な時が流れます神社の両脇を囲
金山媛神社河内国大縣郡大阪府柏原市雁多尾畑4828(P有)■延喜式神名帳金山孫女神社の比定社■祭神金山毘売神「龍田山」や「嶽山」(正確な場所は不明)など、古代鑪(たたら)製鉄が営まれたという「雁多尾畑(かりんどおばた)」地区に鎮座する社。◎金山毘売神という金属神が祀られる社。1kmほど麓の青谷には金山彦神社(現在記事改定中、リンクへは飛びません、6/712:02にUP予定)が鎮座。◎「雁多尾畑」という古代の名残りある地名。朝鮮語で「カル」はナイフ(包丁)や刀の意味があるとさ
御神体が住吉明神ということで少しお気に入りの鶏鉾。中国の史話に基づき、平和になり鳴らさなくなった起訴用の太鼓に鶏が住んだ故事に因む。★鶏鉾の紹介サイト★鶏鉾|山鉾について|公益財団法人祇園祭山鉾連合会祇園祭の山鉾「鶏鉾(にわとりほこ)」のご紹介をいたします。下京区室町通四条下ル。www.gionmatsuri.or.jp中国の史話より取材、昔、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという故事によって、その心をうつしたものという。鉾頭の三
スピリチュアルカウンセリング河合洸司のスピリチュアルカウンセリング・サロン【Senju-千手-】★事務所が移転しました。★↓↓↓住所は下記からどうぞ↓↓↓https://ameblo.jp/zico0102/entry-12414687548.html★来店時の注意事項★https://ameblo.jp/zico0102/entry-12420686688.html**********************************************【雑
玉置神社の末社、玉石社。末社とはいえ玉置神社の奥宮であり、本来の聖地とも言われています。本殿より先に礼拝にうかがうのが、大峰修験道の習わしとまでなっています。本殿から玉置山山頂へ向かう山中に鎮座。玉石社、山頂への最初の鳥居。2つ目の鳥居。いたる所の樹々が神様なんですね。3つ目の鳥居。4つ目の鳥居。まさにつづら折り。5、6、7つ目の鳥居。そしていよいよ・・・・・・・・
徳島県霊峰剣山山頂剣山本宮宝蔵石神社の御朱印御朱印帳を持って行ってなかったので書き置きをいただく書いていただくことも可能登山に配慮して袋を半分に切って台紙まで入ったご配慮尽くしと恋みくじ…間違って買ったけど御神籤の内容は合ってると思う!ご縁は必ずしも恋愛とは限らないもんね剣山本宮の鳥居剣山本宮宝蔵石神社魔除昇運!!剣山は太郎笈とも言うそうな四国太郎忌部さんたちは今の徳島の三木氏一族御神体の宝蔵石宝剣が埋まってる??こちらは御朱印はないけれども大剣神社
2017年12月24日去年の記事です。熊野市にある「花の窟(はなのいわや)神社」に来ています。神々の母、花の窟神社と書かれた顔出しパネルがありました。石柱には日本最古と書かれています。日本最古の神社の一つのようですね。日本書紀に花の窟の由緒が書かれています。一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ故(か)れ紀伊国熊野の有馬村に葬(かく)しまつる土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには花
登山道とは山の中を移動する為にある様々な道の総称です一般的な道路と同じでその目的や発祥も様々なものがあります①生活道だったもの昔は村と村、市と市の移動は徒歩や馬でしたので間に山脈があるのに行商などの用事があるとすると越えなければなりませんすると必然的に一番登りやすい所には道が出来、それは大抵峠を通る事になりますこの様に出来た登山道は峠を通って村と村を繋いでいます戦国時代には軍道、江戸時代には街道となった道もあります②登拝道だったもの人口集積地や船、街道から良く見え
湯殿山神社本宮:山形県鶴岡市田麦俣六十里山7「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」松尾芭蕉は、元禄二年(1689年)旧暦六月八日(7月23日)に月山から湯殿山に下り、こう記している。「惣じて、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍って筆をとゞめて記さず」。坊舎に戻り、別当代の会覚阿闍梨に求められて詠んだ一句が冒頭の句だ。行者の法式とは「装束小屋、爰にて衣服を改め金銀銭其外所持の品を此所に置て、是より先の様子人に語る事を堅く禁ず」(諸州採薬記)という参拝の決まりのことだ。湯殿山神
2016/6/11熊野古道松本峠を散策した後に立ち寄りました。花の窟(はなのいわや)神社は、日本書紀にも記されている日本最古の神社らしいです。海岸縁を国道42号線が走っていますが、その脇にある神社です。目の前には、七里御浜熊野市から鵜殿村に至る約22Km続く日本で一番長い砂礫海岸の七里御浜(ひちりみはま)が広がります。そして、神社には、御神体の岩が見えてますね。約10メ-トル程の三旒の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、約170メー