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大神神社⛩️平日なので人も少なく厳かな中気合を入れて向かうカマキリもお参りかな池の水を抜いてる準備完了4回目山が御神体その山を登る飲食は水分補給のみ携帯での撮影禁止本当に参拝のみでの登山🧗♂️ほぼ初めて登った時は春の装いでスカートヒラヒラさせて登った楽しむ事も出来ず死にそうになりながら登ったそんな事を繰り返したので今日はやっと登山靴🥾で行き違う人にも笑顔で挨拶出来る程になりましたとても素敵な所で写メ撮りたかった〜皆様に見せたかっ
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その37紀元前3世紀、「徐福」はまず「沖縄」へ向かい、「久高島」を日本最初の聖地にすることで「隠岐の注連縄」とした。それが「隠岐縄」=「沖縄」のことで、対岸にある「斎場御嶽」に「アーク」を安置してヤハウェの磐座とした。古神道の「磐座・磐境」の一番最初の形こそ、この久高島だったのである。それが琉球神話の創世神「アマミキヨ」の話であり、それは後に日本神話の「天孫降臨神話」へと姿を変える。次に徐福=アマミキヨは「奄美=アマミ」へと向かい、そこに
10月26日月曜日、奈良県は吉野町にいます吉野山から下って来て東吉野方面へと走りました『岩神神社』へ行きました奈良県吉野町矢治というところ、国道169号線沿いに鎮座します。ちょくちょく前を通過してるのですが、気付かず通ってました駐車場は小型車が二台置ける程度です会社でバイクが趣味の同僚の方との会話「この前、吉野のほうに走って来たんですけど岩の神社ありましたよ!」「吉野に磐が御神体の神社・・・?あるかもね!吉野のどの辺り?」「よくわから
おはよん(*゚▽゚*)/なぁーらんです!まいにちさむいですねー。昨日は皆さんあたたたたかくして寝ましたかー?らんはいつもトーラム前にはおふとんをしっかり装備して準備万端っ!あたたたたたたたたたたたかくしてからするんだよ♬↑すごく温かいってことだれだー?『そんな事するから寝落ちするんだゾ』とか言ってんの!そんなに寝落ちしてないもん٩(๑òωó๑)۶さてさて!見てみてー(*´艸`*)昨日の夜中にもツイートしたんだけど、可愛いでしょー。少し上から映すとけっこうかわいい♬この『٩
ラーメンでおなかいっぱいになった後は、宿に向かいます久しぶりの日本海どんより曇り空でポツポツ雨もまずは由良海岸から塩俵岩道の駅あつみでお土産を玉こんにゃく、藻塩と庄内の甘酒をカミさんにここを過ぎたら、すぐに新潟です短い時間だったけど、山形県ありがとうここで気になっていた塩のスイーツを名物、笹川の流れのソフトクリームを頂きましたほんのり塩、うまうまですお店の中では海水がグツグツと海を見ながら頂きました海水、めっちゃ綺麗笹川の流れ付近トイレ休憩兼ねて寄ったパーキング、
本日、お仕事で弘前に行ってきました依頼主は、岩木山の山姫様。※本当の名前は違いますが、便宜上、山姫様と呼ばせていただきます。神様が依頼人というだけでど緊張ですミッションポッシブルなるか!!山姫様のご依頼は、「Aさんの側におりたい」「私をAさんの元に連れて行って!」でした...。ちなみに、Aさんと私は二、三度あったことがあるくらいの関係ですほぼ他人やんけ!「山姫様や、気持ちはわかる。しかし、二、三度あったことがある人は、人間界でほぼ他人というのである」「いくら祈祷師と
自伐林業講習からの帰途花巻にある道の駅で車泊。岩手といえば蝦夷族長アテルイ。近くにアテルイゆかりの地ないかな〜って思って調べて出てきたのが丹内山神社。謎の土着神アラハバキ神を祀る神社…!その御神体の写真を見たらエキセントリックがビビッと。翌朝行くことにした。奥州藤原氏、安俵小原氏、盛岡南部氏など名立たる実権者たちが篤く加護してきた場所。わたしの友達、空海も縁あるとのこと。詳しい説明はこちらにお任せ。アテル
金山媛神社河内国大縣郡大阪府柏原市雁多尾畑4828(P有)■延喜式神名帳金山孫女神社の比定社■祭神金山毘売神「龍田山」や「嶽山」(正確な場所は不明)など、古代鑪(たたら)製鉄が営まれたという「雁多尾畑(かりんどおばた)」地区に鎮座する社。◎金山毘売神という金属神が祀られる社。1kmほど麓の青谷には金山彦神社(現在記事改定中、リンクへは飛びません、6/712:02にUP予定)が鎮座。◎「雁多尾畑」という古代の名残りある地名。朝鮮語で「カル」はナイフ(包丁)や刀の意味があるとさ
上の記事の続きです。『みわ』のメッセージがガンガンきたので、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)に呼ばれてることに氣付き、行って参りました。電車で行くのは初めてです。二の鳥居まで、三輪駅から徒歩5〜6分なので近いです。久しぶりの大神神社。去年の8月に、妹とY子と参拝して以来です。去年の記事⬇『奈良①大神神社へ』『三輪素麺』から、三輪山に呼ばれていることに氣付き…ライオンズゲートのエネルギーと満月に合わせて、奈良の大神神社他と石上神宮へ行ってきました♪三輪明神大神神…ameb
彦瀧大明神志摩国答志郡三重県鳥羽市河内町(詳細住所不明、アクセスやPは下部写真参照)■祭神彦瀧大明神鳥羽市を南北に流れる「加茂川」、その支流「河内川(こうちかわ)」のそのまた支流の上流、山あいに鎮座する社。◎創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。「鳥羽三女神」の一社などとも言われるようです。あとの2社は加布良古大明神(伊射波神社)と相差町の石神神社(未参拝)。彦瀧大明神は白蛇を御神体とするとか。◎あくまでも想像の域を出ませんが、「彦」とある以上は男性神なのではないかと。女性特有
先月に兵庫県は高砂市にある『生石神社』へ行って「石の宝殿」を見た事をブログに書いたんですけど、実は和歌山にも同じ名前の神社があるのです。今回はその同じ名前の神社です。和歌山県の有田川町にある「生石山」の山頂付近にいます。軽井沢と気候的に似ているので関西の軽井沢と呼ばれているらしいです。地元ではそんな事聞いた事ないですけど・・・。その山頂から(車で)少し下った所に岩を御神体とする神社があります。いちおう車で走れる道はあります。恐らく地元の人以外でこの場所に来る用事のある
祇園祭後祭の7月24日に196年ぶりに復興巡行する【鷹山】を観に行った後、烏丸御池に向かって室町通を北へ。久しぶりに室町通三条上ル【役行者山】を訪ねた。『役行者山』修験道の開祖、役行者小角が大峰山と葛城山との間に石橋を架けようと一言主命に石を運ばせたという伝説に由来する。『胴掛』左右に向き合う龍の綴織<役行者山の装飾品>通路の入口で「茅の輪」をくぐる。装飾品はガラス戸入りケースに展示。〜見送り〜「唐美人園遊
2017年12月24日去年の記事です。熊野市にある「花の窟(はなのいわや)神社」に来ています。神々の母、花の窟神社と書かれた顔出しパネルがありました。石柱には日本最古と書かれています。日本最古の神社の一つのようですね。日本書紀に花の窟の由緒が書かれています。一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり)ましぬ故(か)れ紀伊国熊野の有馬村に葬(かく)しまつる土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには花
美大と神輿不快感を感じる方がいるのも承知しています。線引きが難しいテーマです。私はこの神輿見物を楽しんできました。娘と見たことも。彫刻科が本気で作る造形の見事さが目に焼き付いています。お祭りは有志ですが、必修授業の男女裸体デッサンもいずれ無くなってしまうのかな寂しいです↓スマホ読んだよーはバナナバナータップしてもらえると嬉しいです。↓PCはこちら長押し(2秒)でバナナ剥けます(^-^)スマホで表示されずorz母校の美大祭、懐かしいなぁ。娘の美大祭も行けると
次に湯殿山神社にまいります。この鳥居の下までは車で来ることができます。そこから連絡の参拝バスに乗り神社に向かいます。歩くと30分弱のようです。バスは頻繁にはありませんので、おまいりされるときは予めお調べください。御祭神はオオヤマヅミノミコト、オオナムチノミコト、スクナヒコナノミコトです。この湯殿山神社では、裸足になって御神体に登拝させていただけるのですが、古来より「語る勿れ」「聞く勿れ」と言われてきました。裸足になってご神体に登拝するのは、大日如来と一体になって感得することであり、ま
朝貴神社(あさきじんじゃ)紀伊国牟婁郡和歌山県東牟婁郡串本町出雲58(社前に停め置きました)■旧社格村社■祭神大己貴命[配祀]天照大神火々出見尊火産霊神蛭子命熊野夫須美神速玉男神家津御子神本州の最南端、「潮岬(しおのみさき)」の半島東岸海際「出雲」に鎮座する社。◎創建は社伝によると、「長録二年(1458年)、大職冠藤原鎌足公の嫡子伊美麿から二十五代の裔、神祇大副卜部兼倶が熊野参詣のとき出雲国より勧請し創建」としています。卜部兼倶(ウラベカネトモ、吉田兼倶)は
湯殿山神社本宮:山形県鶴岡市田麦俣六十里山7「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」松尾芭蕉は、元禄二年(1689年)旧暦六月八日(7月23日)に月山から湯殿山に下り、こう記している。「惣じて、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍って筆をとゞめて記さず」。坊舎に戻り、別当代の会覚阿闍梨に求められて詠んだ一句が冒頭の句だ。行者の法式とは「装束小屋、爰にて衣服を改め金銀銭其外所持の品を此所に置て、是より先の様子人に語る事を堅く禁ず」(諸州採薬記)という参拝の決まりのことだ。湯殿山神
後祭が復活した2014年から後祭の6番目に巡行する南観音山。南観音山だけに存在する行事、「あばれ観音」は、宵山と呼ばれる、後祭山鉾巡行の前日である7月23日の深夜に、御神体の楊柳観音を神輿にくくりつけて揺らしながら、保存会がある町内を3周するというものである。★南観音山の紹介サイト★南観音山|山鉾について|公益財団法人祇園祭山鉾連合会祇園祭の山鉾「南観音山(みなみかんのんやま)」のご紹介をいたします。中京区新町通錦小路上ル。www.gionmatsuri.or.jp「下り観音山
埼玉県の振り返りが続きます(どんだけ埼玉好きなのかしら?私)埼玉県の飯能市の上名栗地区に来ました名栗川参道橋を通り過ぎ参道を振り返ると…自然豊かで素敵な所坂を登り狭い路地を抜けてたどり着きました八坂神社⛩です立て札より『上名栗八区自治会内の鎮守として祀られています。通称「ヤクジンガミサマ」天王様と同様に疫病を防いでくれる神と言われています』地域の神様として大切にされているのがわかります願いが叶う神様としても知られているとのことです静寂な時が流れます神社の両脇を囲
玉置神社の末社、玉石社。末社とはいえ玉置神社の奥宮であり、本来の聖地とも言われています。本殿より先に礼拝にうかがうのが、大峰修験道の習わしとまでなっています。本殿から玉置山山頂へ向かう山中に鎮座。玉石社、山頂への最初の鳥居。2つ目の鳥居。いたる所の樹々が神様なんですね。3つ目の鳥居。4つ目の鳥居。まさにつづら折り。5、6、7つ目の鳥居。そしていよいよ・・・・・・・・
ブログ更新4970回目祇園祭の大船鉾に「黄金の龍」150年前の姿に近づく祇園祭’21後祭の宵山始まる大船鉾光り輝く龍頭所長散策ぶらり~休日お散歩大船鉾(おおふねほこ)は、7月に京都市内で行われる祇園祭において毎年7月24日の後祭で、鬮(くじ)とらずで最後を巡行する山鉾である。大船鉾の始まりは、四条町では「祇園社記」の記事に基づき、嘉吉元年(1441年)の建立とされています。「康富記」の記述から、応永29年(1422年)にはすでに存在したという説もあります。いずれにしても応仁の乱以
2016/6/11熊野古道松本峠を散策した後に立ち寄りました。花の窟(はなのいわや)神社は、日本書紀にも記されている日本最古の神社らしいです。海岸縁を国道42号線が走っていますが、その脇にある神社です。目の前には、七里御浜熊野市から鵜殿村に至る約22Km続く日本で一番長い砂礫海岸の七里御浜(ひちりみはま)が広がります。そして、神社には、御神体の岩が見えてますね。約10メ-トル程の三旒の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、約170メー