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「日本」を封印した「聖徳太子」その14聖徳太子の謎を調べれば調べるほど「物部氏」が登場する。4世紀に秦氏が渡来して以降、天皇は基本的に秦氏で皇后は物部氏の王族であった海部氏の娘、それも特殊な力を持った巫女が選ばれてきた。天照大神の神意を下ろすことのできる姫巫女と天皇陛下というのは必須の組み合わせなのである。天皇陛下というのは役職で、その字が示すように「天の白く輝く王」=天照大神の階下にいて、その神意を下々の者に述べ伝える役割、つまり天照大神の預言者ということである。よって天皇陛下自身
皆さまわしのブログにアクセスしてくれてありがとうございます。そして、『フォロー』や『いいね』をしてくれる心優しい方々、本当にありがとうございます。いよいよ、5月15日より月組の公演がスタートじゃあな。この公演はトップスターの珠城さんと美園さんの退団公演じゃあな。同時に7名の方が退団、紫門さんと輝月さんが専科へ組み替えとなるの。作品は雪組の望海さんと真彩さんの退団公演『fff』を手掛けた上田先生が描く日本物じゃあな。上田先生の日本物は『月雲の皇子』や『星逢一夜』があり、2
館林市のつつじが岡公園に今年も行って来ました~群馬県館林市の「名勝つつじが岡公園」は1万本約100種類のツツジが咲く日本屈指のつつじの名所です。冬はハクチョウ、ミコアイサなどがやって来ます!普段は人がいないのに大変な人出今年は無料駐車場が満車で有料駐車場に停めてしまいました。ヤラレタ分福茶釜の茂林寺も近いので狸。それでは630円を払って入場しましょう~まずは日の出霧島がお出迎え!クルメ系、宮城野。関寺(せきでら)紫。ヤマツツジ系は見ごろを過
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。YouTube動画『後醍醐天皇について占ってみた』、公開されました。早速紹介させて頂きます。後醍醐天皇について占ってみた久しぶりの歴史シリーズです。今回は後醍醐天皇についてです。吉野桜と後醍醐天皇については前回の動画をご覧下さい。https://youtu.be/Kwg6lTJHiYY?si=wJaWmHnKmjOMgJ96沙貴誉(さきほまれ)の名前でブログを書いています。https://ameblo.jp/b
藤島神社(福井市毛矢3丁目8番21号)御祭神新田義貞公難攻不落の鎌倉幕府を攻め落とした英雄で、後醍醐天皇を支え武士道の原点となった武将です。後醍醐天皇の建武政権に反旗をひるがえした足利尊氏を討つため、新田義貞が派遣されますが、箱根・竹ノ下の戦いで敗戦します。その後後醍醐天皇の皇子恒良親王、尊良親王を奉じて北陸へと下り、1338年藤島の戦いで戦死します。野上神社義貞公夫人勾当内侍を祀る摂社藤島神社は小高い丘にあり、先に開通
「いろは歌」と「即身成仏」の謎その35前回の連載、”弘法大師「空海」と真言密教の謎”の中(その13〜15)でも「如意宝珠」(にょいほうじゅ)のことを取り上げたが、空海に関わる「如意宝珠」には2種類ある。一つは恩師・恵果阿闍梨より授けられた「如意宝珠」で、これは室生寺の「如意山」(にょいやま)という小高い丘に埋められていると伝えられており、それは門外不出とされ世に出ると災いが起こると言いつたえられている。この「如意宝珠」については、東寺に残された空海の遺言状『遺告二十五箇条』の二十四条に
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
来る6月5日(水)午後2時より、大阪府大阪市に鎮座する全国住吉神社総本社・住吉大社にて「第48回楠公研究会〜全国住吉神社総本社・住吉大社と南朝住吉御所〜」と題して楠公研究会を開催致します。住吉大社は、後醍醐天皇、後村上天皇が一時期、行宮とされておられ、行宮跡や後醍醐天皇が愛でられた松も現存しており、南朝と深い関わりを持つ神社です。勉強会では、正式参拝の後、住吉大社権宮司で前乃木神社宮司の加藤司郎様より御講話、境内御案内を頂きます。この度の住吉大社での勉強会開催にあたり、多大のご尽力を賜
こんばんは、デジkota9です!足利尊氏を追う!福岡編エラそーな題名をつけておりますが、尊氏公ゆかりの地を訪れてるだけです(;^_^Aそんなプチ歴史探訪ですが、福岡で訪れるのが多田羅という交差点と興国寺というお寺の二カ所。足利尊氏を語る上でおよそハズすことのできない戦いが福岡でありまして、それが多々良浜の戦いと言います。京での戦いに敗れ、再興を賭けて九州へと西走し、この多々良浜の戦いで勢力を立て直して再び京へと向かうことになるのです。
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。YouTube動画『吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~』が公開されました。早速紹介させていただきます。↓こちらの方が見やすい方はこちらからご覧下さい。吉野桜~後醍醐天皇と南朝皇居~おにぎり丸と嵯峨仙識が、吉野へ旅してきました。吉野桜と南北朝時代の先頭に立った後醍醐天皇の歴史に触れた旅となっています。沙貴誉(さきほまれ)の名前でブログを書いていますhttps://ameblo.jp/basara-do
後醍醐天皇が倒幕の軍を起こした時、鎌倉幕府は「天皇、御謀叛」と言った、といいます。謀叛というのは、下の者が植えに対して逆らうことを言うわけだから。つまり、幕府の執権ほうが、天皇よりも偉かった、ってことなのか?違います。天皇が「御謀反」したのは、執権に対してでも幕府に対してでもありません、「日本国」に対して、です。後醍醐は国家秩序を脅かしたんです。どんな帝王でも、従わなければならない「天の節理」ってものがあります。ときの天皇個人よりも、日本国が長年の間に築き上げてきた国家秩序のほうが、
吉水神社【内容】「初期書院造りの傑作」といわれる書院建築で、世界遺産でもあります。作法が「二礼十七拍手一礼」と珍しい形です。17の神様を祀っているからだそうです😳後醍醐天皇が「南朝の皇居」と定め、ここを拠点として「吉野朝」の歴史が始まったそうです。皇居ですから、すごい場所ですね😳ちなみに後醍醐天皇は、ここ吉野の地で病のため亡くなっているそうです。最後の地でもあるわけですね☝️源義経が静御前と弁慶を連れて、頼朝兄さんから逃げのびてきた場所でもあります。境内には、弁慶が追っ手をドン
朝、吉野山に来て山頂を目指す時は通り過ぎてしまった吉水神社様に、夫と私は帰りに立ち寄りました。御祭神は後醍醐天皇陛下、楠木正成公、吉水宗信法印様です。https://www.yoshimizu-shrine.com/吉水神社様のすぐ近くには湯元宝の家(ほうのや)さんというお宿が、以前ありました。2020年に出版された奈良のガイドブックが私の手元にあります。どうしてその本を買ったのか全く思い出せないのですがどうも私はその頃奈良に行きたくて色々調べたもの
5月26日(日)は運良く本城球場を13時から5時間借りれるようになりました。久々の本城球場です。なかなか貸し出しする事すら少ない球場です。ただ高価なので人気はイマイチかもしれません。グレード的には上級ですので何かイベント事しても良いかな?とも思ったり…つーか、その日は若松サンデーリーグが2試合入ってるので、まずはそちらが重要です。なのでこの日は4試合になるのかなぁ(笑)で、せっかく良い球場借りてやるんだったらさ、アナウンス付きにしたらより豪華じゃない?😙なのでアナウンスのプロフェ
大きな木には必ず触っとく思考の学校校長の大石洋子です。ところでですね、このお寺、うちから100歩くらい歩いたところにあるお寺なんです。九品寺(くほんじ)って言います。このお寺、鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞さんが、当時の鎌倉幕府の権力者だった北条一族のみなさんの菩提を弔うために建てたお寺なんだそうで(最期は北条一族さんみんな自害されたみたいですね、昔の政権交代はそんなかんじだったんですよねえ、そう考えるといまはずいぶん良い世の中になりましたね。)つい最近そのことを知りました。なんと
4月6日。吉野山をてくてく歩いて、吉水神社へ。入ってすぐのところ、凄い人集り。みんな乗り出してカメラを構えて、向こうに広がる桜の山景色を撮ろうとギュウギュウ。。。でも、確かに、この景色は凄い。。絶景ですね。「一目千本」と書いてありました。吉野の桜。吉水神社と言えば、源義経がここで過ごしたと言われているのですね。頼朝に追われて、この吉水神社に潜伏するも、更に追討の手が、、静御前とここで別れて、弁慶らと吉野の山深くに落ちて行く、、置き去りにされた静御前のものとされる歌、大学時代
【奈良】奈良県吉野郡吉野町吉野山にある南朝勅願寺如意輪寺のステキな【御朱印】令和元年5月1日より新たに猫不動尊の御朱印がいただけるようになりました【如意輪寺御朱印】月ごとに印の色が変わるそうです(カラー書き置き御朱印もありました)【猫不動明王】令和元年5月1日開眼法要※撮影許可をいただいております【如意輪寺御朱印】
GWにちょっとだけ旅行を。まずは奈良の天理市にある柿の葉ずしの平宗(ひらそう)直売所「便利館」でお昼に食べる柿の葉ずしをセレクトして詰めてもらって…御本尊ご開帳中の金峯山寺(きんぷせんじ)に向かいました🚙もうすぐ着くってところで通行止めになってて…「金峯山寺も吉水神社もココに車停めて歩いて」と言われ😱徒歩20分と言われて、1日を費やすハメになりそうなので泣く泣く諦めました。以前、ご開帳の時期に行って御本尊は拝見したことあるので、諦めもつきました😅でも本日の2大メインイベントがなく
7月に放送された、歴史秘話ヒストリア。今回は、楠木正成。楠木正成と言えば、後醍醐天皇から菊紋を下賜され菊紋は戴けないと辞退。菊を半分水に流したものならと菊水紋を賜ります。時は鎌倉時代末期鎌倉幕府を倒す計画した、後醍醐天皇。1331年(元弘元年)、後醍醐天皇を中心に挙兵。地名から名字にした足利氏、北条氏。再来年の、大河ドラマの北条氏は現在の伊豆の国市。楠木正成の所領の河内国に、楠・楠木の地名が無いようです。何処かと言うと、駿河国。今も楠の地名があるようです。駿河国楠って何処?
善福寺さんで長いことお話してお昼まで頂きまして、移動です。良い気持ちで寝ているんでしょうね。如意輪寺に到着です。後醍醐天皇御霊殿法然上人が開いた浄土宗のお念仏を称える私たちが、この世(彼岸)へと向かいます。「二河白道庭園」は、私たちがこの世からあの世へ往生する様子を喩えたお話を庭園に表現したものです。釈迦は「行け」と発遣し、阿弥陀は「来い」と召喚す。私たちが目指す先は「阿弥陀如来」の石柱が立つ西方極楽浄土です。そこに向かう唯一の方法は左に燃えさかる「火の海」と右の激流が逆巻く「水の
天皇の名前というのは、ほとんどすべて、死んだあとに後世に贈られる尊称です(生きているときは、単に「ミカド」とか「院」とかです)。この「死後に付けられる呼び名」には、実は二種類あるんです。その天皇の業績などに因んで後世の学者がつけたもの(天智とか天武とか)を「諡号」といい、その天皇が離宮を営んだ、引退後に住んだ場所で呼んだものを「追号」といいます(奈良時代あたりまでは学者も力をこめて天皇の諡号を考えていたんですけど、平安時代になって天皇が実際の政治をしなくなってくると、業績っていってもあんまし何
3月の上旬、雨上がりの気持ち良い翌日奈良の月ヶ瀬梅林へ行きました梅の名所として知られていますが、今回はじめての月ヶ瀬です赤い橋を渡り、川沿いを走って山の下の大きな駐車場に停める事が多いみたいですが、北側から回って山の上の駐車場を目指しましたよその名もズバリてっぺん駐車場駐車場の梅が満開でした車を降りたらふわ〜と香ってきて『来てよかったぁ』と第一声濃いピンクがとっても好き可愛いですこれから咲きそうなツボミがたくさんついていました。(3月上旬)てっぺん駐車場からほ
20-3建武の新政京都にはいった後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、「延喜・天暦の治(えんぎてんりゃくのち)」を理想とし、摂関政治(せっかんせいじ)・院政(いんせい)・武家政治(ぶけせいじ)すべてを否定する政治姿勢をとり、天皇親政(しんせい)をめざして建武の新政(けんむのしんせい)を開始したが、この新政は、3年ほどであえなく失敗することになる。新政が失敗した理由を確認しておきたい。➊妥協的(だきょうてき)な政治機構中央機関として、記録所(きろくしょ)と並んで旧幕府の引付(ひ
■三鈷の松(さんこのまつ)②~ラッキーアイテムGet場所!?~-「三鈷」とは、密教で用いられる法具(道具)。金剛杵の一種で両端が、三つにフォーク状になっている武器です。後醍醐天皇も右手に持っておられます。右手をアップ。確かに三鈷杵を持っておられます。十二神将では、毘羯羅大将(びからたいしょう)が持っておられます。さらに、吉野の蔵王権現様も。その三鈷杵に準えられたのが、「三鈷の松」。この松葉は、幸運を招く縁起物
初日とは、幕開きの台詞が変わっていました。光月さんが南北朝時代の説明をする前に、出演者が続々と出てくるが、珠城りょうさんが出るまでは拍手するなとの説明がありました。あと、幕間のロビーでは、会話をしているグループがいると、係員の方が「会話はお控えください」と声をかけてましたので、会場がぐっと静かになりました。この作品良作です!!退団公演は駄作が多いイメージでしたが、ますます良作だなぁとうなりました。なるほど、かなり考えられた作品です。上田久美子先生の作品は2回観ないとわからなかっ
突然ですが今上天皇の諱(いみな=お名前)をご存知でしょうか?そう、「徳仁」(なるひと)様とおっしゃいます。<以下敬称略>今上天皇は第126代天皇。その前の上皇様は「明仁」(あきひと)。昭和天皇は「裕仁」(ひろひと)。大正天皇は「嘉仁」(よしひと)。明治天皇は「睦仁」(むつひと)・・・あ~もうええわ!とにかく皇室男子の諱(いみな)にはやたらと「仁」の字がつく。今上天皇の弟・秋篠宮皇嗣殿下だって「文仁」(ふみひと)だしね。
神戸高速線新開地駅徒歩5分兵庫警察署前竹内典之シェフGeorgesBlancHôtelBeau-RivageGenèveフィレンツェやプーリア州等で3軒リーガロイヤルホテル大阪を経て2017年5月15日オープンムール貝・小海老・帆立・トマトエスカルゴバターココット焼き真鯛の香草マリネ、シーザーサラダカリフラワームースパイ蛍烏賊・ベーコン・菜の花ペペロンチーノ→予約時スープへ変更可連子鯛、ベーコンと春キャベツケッパー・焦がしバターソース兵庫産牛フィレ肉、マデラソ
2020年1月4日近鉄の観光特急「青の交響曲」に乗って吉野まで来たけれど、普通電車で一駅逆戻りしました。下車したのは吉野神宮駅です。ここから吉野神宮まで歩いて参拝に向かいます。帰りの電車をチェックして・・・・15分か40分ですね。帰りの電車を12時40分に目標を定め吉野神宮に向かいます。吉野神宮駅前から南へ向かうと直ぐに大鳥居が建っています。鳥居をくぐって「吉野神宮」までの道のりは、少し急坂を約1キロ程(20分ほど)登るそうです。結構な急坂の自
現在の天皇家は「北朝」の子孫です。なのになぜ、「南朝が正統」とされているのか?足利義満が「南朝を正統と認めます」という政治的決着で南北朝を合一したから、です。そんな馬鹿な、南北朝は「北朝勝利」で終わったから、南朝の子孫は消えて、北朝の子孫が今の天皇に至るのではないのか?実質的にはそうでも、形式的には、南北朝の分裂は「南朝正統」で決着したんです。「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結し
こんにちは〜🌟前回、かなりしんどい〜、という感じでしたが、若干戻ってきました今朝は6:30から1時間強のウォーキング👍後半はゴミ拾いもしました🌈わたしが拝読するブログは、やっぱり、見えない世界を身近に感じておられるかたのブログになりますそんなブロガーさんのお一人が、ぜひ聴いてみてください、と紹介されていました、篠笛奏者の佐藤和哉さん!なぜか、心惹かれるものがありまして、、、先日、ついに和哉さんの篠笛を生で拝聴する機会に恵まれました(遠くに佇み