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南朝の子孫・亡き叔父の無念独り言。今朝、5時半に気持ち良く起床(少し寝坊)。7時過ぎ、Xを少々チェック。急にドーンと頭と肩が重くなった。電磁波攻撃も念頭に、自分の波動でバリアを張る。それでも駄目。「きっと、今日は疲れているから、本日はリラックスをして過ごそう。急用もない。」そう自分へ言い聞かせる。9時過ぎ、非常に遅い朝食。食事中、急に父の(母方)従兄弟が(白昼夢と脳裏に)現れる。先月から、結構頻繁に現れる。諦め、Xへある投稿をすると約束
如意輪観音本展には、南朝勅願寺である如意輪寺から、秘仏本尊の如意輪観音坐像も、お出ましになっておられました・・・・・・・・写真1、2(↓):如意輪観音坐像(1312年、如意輪寺蔵、本展の絵葉書より)後醍醐天皇、楠木正行らの運命を見つめてきたお顔です・・・深い物思いに耽る目の表情に、ぞくっとするものを感じました・・・また、どこかニヒリスティックな雰囲気も感じました・・・写真3(↓):去年の3月に訪れた如意輪寺の山門奥に見えるのが、
ライバル剥き出しの両県人このタイトルを見て、「あ~あの話か」と思われた年輩の方は多いでしょう。「お互いにライバル意識を剥き出しにする」と言う話で・・・別の言い方をすれば「仲が悪い」とも言えるし、逆に「良き競争相手」とも言える。先に申し上げておきますが、これは当時(昭和)に「そう言えば、そんな話があったな」と言う一時期の状況であり、現在(令和)の若い人は「そんな話は知らない」と言う人がほとんどだと思う。福岡の生まれ育ちの僕が、このことを意識したのは会社人生の中半だった。支店の
「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結した」という捉え方は、あまり実情を反映していないからです。つまり、北朝の天皇は、戦ってもいないし勝ってもいません、実際のところを見れば。足利尊氏や後醍醐天皇のせいで天皇家が二つに分かれちゃった訳では、ありません。天皇家は、尊氏よりずっと以前、鎌倉時代のうちから、「持明院統」と「大覚寺統」の二つに割れて、交互に天皇を出しながら反目していたんです
鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ4日目(10/1)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動後、後醍醐天皇ゆかりの地、赤壁5日目(10/2)は、知夫里島からフェリーで西ノ島へ移動後、国賀海岸の観光6日目(10/3)は、西ノ島の焼火神社、後醍醐天皇行在所
鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ4日目(10/1)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動後、後醍醐天皇ゆかりの地、赤壁5、6日目(10/2、3)は、西ノ島へ移動後、国賀海岸、後醍醐天皇ゆかりの地、焼火神社7、8日目(10/4、5)は、中ノ島へ移動後
明治から昭和の戦前まで、南北朝時代の天皇は「南朝が正統」とされ、異論は許されませんでした。現実の天皇は北朝の子孫なのに。たとえ学問の分野でも、うっかり足利尊氏や北朝を擁護するようなことを言うと、ヒステリックに非難され、弾圧されました。なんでか?明治維新、という政治運動が「南朝正統」という思想をドグマとしていた、からです。幕末に活躍した「討幕の志士たち」が自分たちの活動の基盤とした思想は、「とにかく天皇は神聖で、天皇に逆らう者は悪である」という「尊皇思想」というヤツです。天皇の意志に叛
鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。七類港フェリーターミナルの無料駐車場です。公衆トイレの近くは満車でした。公衆トイレです。古いけど掃除が行き届いているトイレでした。和式が1つあるだけでした。多目的トイレは洋式ですがウォッシュレットではありませんでした。メテオプラザのトイレはウォッシュレットだったので、そちらを利用することにし
・とても面白いのだが、かなり分厚く、一気に読み通すのはちょいとシンドイかも・・。こういう時は、①、②、③とか何回かにわけて読む方法がある。間に他の本が入ったりして・・。まあ、その方式で行こう!・まず、1)南北朝時代は「自由」な時代であった。後醍醐天皇の「新儀」(朕が新儀は未来の先例たるべし=自分が新しいものとして始めたことが後代の先例になる)の開き直りもあるし、既存勢力と新規勢力の対立の構図でもあった。人々は、自らの利害に従って、相対する勢力の間を容易に行き来することになるだろう。(p.1
近い方が羨ましい!!奈良県【春日大社大鎧展】にて奈良県川上村で500年に渡りお護りされていた南朝自天王の兜が史上初公開だそうです!!公開は前期7/19〜7/21、後期8/28〜9/7今回に限り出展していただいたとのこと。なぜなら500年もの間、村で秘密にされて本当に大切に大切にお護りしてきたものなので、今まで村から出たことなど無かったのです。6月にNHKの【歴史探偵】「後醍醐天皇と南朝」にて後南朝についても放送されていたので、時代が変わったなぁと嬉しく思っておりました。詳しく