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鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ4日目(10/1)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動後、後醍醐天皇ゆかりの地、赤壁5日目(10/2)は、知夫里島からフェリーで西ノ島へ移動後、国賀海岸の観光6日目(10/3)は、西ノ島の焼火神社、後醍醐天皇行在所
本日は旧暦11月2日となりますが、正王元年十一月二日、西暦では1288年11月26日、後宇多天皇に第二皇子の尊治(たかはる)親王が誕生しました。尊治親王とはその後即位された後醍醐天皇です。後醍醐天皇は、日本史で必ず教わる天皇の内でも有名な天皇です。私も歴史を再勉強するまで、ほんの数人しかちゃんと知らなかった天皇の内のお一人が後醍醐天皇でした。この当時の朝廷は大覚寺統(亀山天皇系)と持明院統(後深草天皇系)の二つに分かれていて、相互に天皇が即位されるという状況でした。祖父の亀山天
YouTube更新。建武の中興を支えた忠勇の後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王を非道にも弑逆した足利尊氏の弟・直義。そしてその首級を寵妃・雛鶴姫が密かに運び山梨の山中に鎮めた。親王の首級が神社の御神体に…日本人が忘れてはいけない大義の史実を解説。
極楽征夷大将軍垣根涼介:著あらすじ第169回直木賞受賞作やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて鎌倉府の信用は地に堕ちていた足利直義は怠惰な兄・尊氏を常に励まし幕府の粛清から足利家を守ろうとするやがて後醍醐天皇から北条家討伐の勅命が下り一族を挙げて幕府に反旗をひるがえした足利家の重臣・高師直(こうのもろなお)は倒幕後朝廷の世が来たことに愕然とする後醍醐天皇には武士に政権を委ねるつもりなどな
2025-11-24吉野如意輪寺こちらで、今回のハイキングの最後のスポットになります菊が沢山ん〜とぉ?楠木正行(まさつらって読むみたい)が木を植えてぇ〜その木の前に後醍醐天皇が腰掛けた石があるってことかなお久しぶりだし、行っとこか…後醍醐天皇陵エッホエッホと、境内にいた数人の方たちが、まろんの後に続いて階段を上がって来られたよ気になってたんだね〜こちらではなくぅ〜もちっと上ですひえ〜〜〜着いたぁお辞儀をして、階段を下りますどこからいらしたのか、5人くらい上がっ
⛩️後醍醐天皇塔尾陵と京都御所は、まるで見えない糸電話のように、互いに響き合う要所であるような気がしたので、⛩️塔尾陵と京都御所とを結ぶ串呂を引いて見たのであります。すると予想通り、まるで神風が空を飛ぶ糸を伸ばしたかのように、御所の北西にある「🪦応仁の乱勃発の地碑」を結びつけたのです。⛩️塔尾陵-京都御所-🪦応仁の乱勃発の地碑(⛩️上御霊神社境内)京都御所の北西に位置する「🪦応仁の乱勃発の地碑」は、⛩️塔尾陵-京都御所と飛んで来た神風の糸で結ばれているように見えるのです。
11月の3泊4日隠岐島漫遊最終話。〆は後醍醐天皇です。焼火神社からタクシーで別府港に戻ります。10分でしたが、女性運転手さんと島と観光の話で盛り上がり、楽しいひと時。港に着いたのが10時半。フェリーの出港時刻まで1時間半程。この旅最後の史跡へ向かいます。別府港から徒歩5分程の湾に突き出た丘陵にその史跡はあります。◆黒木御所跡◆(島根県指定史跡)ここは、元弘の乱で敗北して隠岐に配流された後醍醐天皇が、隠岐を脱出してするまでの1年間を過ごしたと
爰(ここ)に本朝人皇の始(はじ)め、神武天皇より九十五代の帝(みかど)、後醍醐天皇の御宇(ぎょう)に当(あたつ)て、武臣相模守(さがみのかみ)平高時と云(いう)者あり。此の時、上(かみ)君の徳に乖(そむ)き、下(しも)臣の礼を失ふ。これより四海大きに乱れて、一日も未(いま)だ安からず。狼煙天をかすめ、鯢波(げいは)地を動かす。今に至るまで四十余年、一人として春秋に富めることを得ず。万民(ばんみん)手足をおくに所なし。『口訳太平記』の復習と予習を兼ねて、漫画で読
YouTube更新しました。今回は足利直義によって暗殺された後醍醐天皇皇子・大塔宮護良親王の妃と皇子が祀られる雛鶴神社について。宜しければご覧ください↓
奈良まほろば検定(*^_^*)第191回(*^_^*)新しいシリーズ②の答え:エの松永久秀松永久秀戦国時代の梟雄とも呼ばれる松永久秀の出自・出生や前半生は、生年は永正(えいしょう)七年(1510)とされますが、確証はなく真偽は不明です。出自についても山城・摂津・加賀・筑前・阿波・豊後・近江などの説がありますが、近年では山城西岡または摂津五百住(よすみ)村の出自とする説が注目されているようです。久秀は、初め三好長慶(ながよし)に仕え、祐筆を務めたとも言われますが、天文(て
84歳の青春中今を生きる❣孤高の安倍神像神社素心宮司の自己流「二千日回峰早朝修行」今日で「999日」達成皇紀2685年令和7年12月15日月曜日風が冷たい零下1度霧深し今年の目標千日回峰まで後「1日」午前2時30分起床午前6時山頂到着午前8時帰宅14キロ~15キロ徒歩数約25、000歩継続こそ力何かの夢と目標を達成するためには、痛みや苦しみを実行しなければ成就しない。修行の道は甘くない愚直に山
調布市役所で同じ部署課にはならなかったが親しくしていた方が当山に来られ、40年振りにお会いした。最近、病のために心臓が止まったそうだ。90歳という年齢的なこともあって永代供養墓を自分自身の為に求めたいということだった。その中で、永代供養墓の説明方々当山のその由緒を話した。🌸分倍河原の合戦について分倍河原の戦いは、1333年(元弘3年)に現在の東京都府中市で行われた戦いです。この戦いは、鎌倉幕府の滅亡に大きく貢献しました。新田義貞と鎌倉幕府軍が激突し、新田軍の勝利に終わりました。
こんにちは先日、お風呂に入っていた時に、足のふくらはぎにネコに引っ掻かかれたような複数の傷を発見なんじゃこれは・・自分で引っ搔いた傷なのか暫く様子を見ていたら、日毎に赤くなってミミズ腫れのようになってきたそして、かゆくてたまらんよく見ると湿疹のようにも見えるこれはもしかして、最近よく聞く帯状疱疹ってヤツ心配になって皮膚科へ待ち時間2時間半、診察3分の結果・・。「あ~っ、これは引っ掻き傷やね」・・っと先生。え~~~~っただの引
奈良まほろば検定(*^_^*)第190回(*^_^*)新しいシリーズ①の答え:ウの賀名生皇居跡賀名生皇居跡(あのうこうきょあと)(奈良県五條市)賀名生皇居跡は、奈良県五條市西吉野町賀名生にある史跡。1336年足利尊氏に京都を追われた後醍醐天皇が吉野へ赴く前に滞在した、郷士(名士)・堀孫太郎信増の邸宅に滞在したのち、吉野山に向かった。1348年には堀家の背後丘陵に黒木御所を建て、後村上、長慶、後亀山天皇が行宮とした。堀家住宅(国重文)周辺一帯は、賀名生の里歴史公園として整備されて
2025-11-24一目千本から吉水神社の境内へ〜すぐに吉水院庭園まずまず人がいますご挨拶しまーす人が多すぎて、色々見て回るのはちと難しい弁慶の力釘義経ってここまで逃げて来たんだね〜吉水神社にはこういうのがあるんだね〜そろそろ出ますコースへ向かいます次は花矢倉展望台…けど、その前に水分神社があるよトコトコ〜ん?勝手神社お社新しく出来てるぅ〜すごいすごい前に来た時は、な〜んにも無かったトコに新しいお社が建ってるよ良かったね〜前回までに来たときは、寄付を募っ
84歳の青春今を❣生き抜く❣〇安倍晋三総理の銅像建立祈願孤高の安倍神像神社素心宮司の自己流「二千日回峰早朝修行」今日で「998日」達成皇紀2685年令和7年12月14日日曜日雨今年の目標千日回峰まで後「2日」午前2時30分起床午前6時山頂到着午前8時帰宅14キロ~15キロ徒歩数約25、000歩継続こそ力何かの夢と目標を達成するためには、痛みや苦しみを実行しなければ成就しない。修行の道は甘
2025-11-24金峯山寺を出て歩いてます塀から塔が見えてます中に入ってパチリ東南院出て、歩きますトコトコ〜吉水神社行きまーす左側…よく見ると…源義経と…弁慶…って書いてるね上り坂、あと少しっ着いた〜入るよ〜一目千本いい景色です後醍醐天皇の南朝の時…
はてさて、前回は草刈正雄さん演じる日野勝光卿について話しました。それで二度目についてですが、一昨年に僕が行った嵐山日帰り旅行についてやりたいと思います。藤岡弘さんの大内政弘を話題にするか迷ったのですがまあ良いでしょう。というわけでまず梅田駅。河原町行きの特急にのり、急ぎ向かうは桂駅。到着です。そして嵐山線ホームへ向かいつきましたるは阪急の嵐山駅です指が写っちゃってますね。それはさておき立派な駅舎。一大観光地の玄関口に相応しい佇まいです。この旅行に行ったのはたしか9月の末の頃。
2025-11-24いつもこちらでお土産買うんだけど、、、これから歩くからなぁ〜てなことで、、、北村酒造花の宴まろんは日本酒を手に入れたトコ〜すぐ近くの和菓子屋さん萬松堂草餅と栗餅を購入桜の羊羹が美味しかったお店だから覚えてるよ金峯山寺まだ修理中〜あら、今日は何やらお店が出てるよぎんなんが売ってました初めてだけど、購入してみました紙の封筒に入れてレンジで1分ちょいしたら殻も綺麗に取れるらしい修理中の仁王門を右に行って坂道を上ります鐘がなってましたちょうど動
84歳の青春中今を生きる❣孤高の安倍神像神社素心宮司の自己流「二千日回峰早朝修行」今日で「996日」達成皇紀2685年令和7年12月12日今年の目標千日回峰まで後「4日」午前2時30分起床午前6時山頂到着午前8時帰宅14キロ~15キロ徒歩数約25、000歩継続こそ力何かの夢と目標を達成するためには、痛みや苦しみを実行しなければ成就しない。修行の道は甘くない愚直に山頂を目指しなんだ坂こんな坂