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2026年夏アニメは『逃げ上手の若君』と『ワールドイズダンシング』という南北朝時代を舞台にした2作が同時に放送される非常に稀有な状況となっています。史料の残存状況もあり、室町幕府に擁立された北朝と比べるとあまり研究が進展してこなかった南朝に関する研究も進み、一般向けの書籍でも多くの著書が発売されるようになってきました。『『南朝研究の最前線ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』』日本史史料研究会監修、呉座勇一編の気鋭の南朝研究者15人の研究の成果を書き留めた一冊です。日
近鉄吉野駅からロープウェイに乗り、吉野山の坂道を登っていきます。金峯山寺の蔵王堂を過ぎてしばらく歩くと、石段の上に静かな門が現れます。ここが奈良県吉野郡吉野町吉野山に鎮座する「𠮷水神社(よしみずじんじゃ)」です。御祭神は後醍醐天皇です。かつてこの社は「吉水院」という金峯山寺の格式高い僧坊で、創建は1300年以上前、役行者によると伝えられています。そしてこの一棟の建物は、源義経と静御前が身を潜め、後醍醐天皇が南朝の皇居とし、豊臣秀吉が花見の本陣とした場所でもあります。日本史の主役たちが、
■■【今日の写真】奈良県吉野山如意輪寺5御霊殿桜のない吉野山は、静かで、また格別です。日本一の桜の名所として知られる吉野山ですが、春の桜が終われば夏にかけて紫陽花が咲き誇り、夏の新緑に囲まれた山は森林浴スポットとしても近年訪れる方が増えています。秋になると山々は紅く染まり、寺社・仏閣巡りとともにハイキングも楽しめます。そして冬になると真っ白な雪景色のなか佇む名所・旧跡は静寂につつまれ、荘厳な雰囲気を感じていただけます。四季を通してそれぞれに魅力のある吉野山の景色を
どーも、castom98です。以前の記事で、鳥取県大山町の漁港にございます後醍醐天皇の御腰掛の岩をご紹介しました。『鳥取県大山町後醍醐天皇の御腰掛の岩』どーも、castom98です。今回ご紹介いたしますのは、鳥取県大山町の港町に保存されている史跡、後醍醐天皇の御腰掛の岩です。訪問したのは2026年6月です。…ameblo.jp後醍醐天皇が隠岐から脱出してたどり着いたという伝承ですが、実はもう一か所後醍醐天皇上陸地があるのです。それが今回ご紹介いたします、隠岐の神塚
今日は午前中は晴れていたが午後は曇りになった。↓明日の夕方から雨の予報だったが今見たら今日の夜も雨の予報に…来週は猛暑日が戻ってくるみたいだが最近の天気予報はあてにならないからハズレてほしいな。こちらは佛殿(仏殿)の裏側にある後醍醐天皇御霊殿。中には入れなかったが御霊殿は後醍醐天皇の600年御遠忌を記念して1937年に建立されたもので後醍醐天皇の尊像、尊儀をはじめ、後村上天皇、後奈良天皇、後桃園天皇、後陽成天皇、後光明天皇、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の各ご尊儀が奉安されている。
鎌倉の苔の妙法寺護良親王の墓鎌倉の大町地区に在る【妙法寺】です。苔寺で有名なお寺です。『鎌倉/苔の妙法寺①苔寺』苔石段鎌倉の苔の妙法寺苔寺🟢鎌倉の大町地区の苔寺で有名な【妙法寺】です。此方にも南北朝時代の護良親王(もりながしんのう)の墓が…ameblo.jp『鎌倉/苔の妙法寺②仁王門と名越北条家』鎌倉の苔の妙法寺仁王門と北条名越家鎌倉の苔寺で有名な大町地区の【妙法寺】です。『鎌
広島から松山に向かうフェリーに乗ると松山に近くなった頃比較的大きな島の脇を通過します地図で見ると周防大島から連なる忽那諸島のひとつそれが忽那島(くつなじま)現在は松山市の中島という名称ですがかつては忽那氏が治めた島でしたこのあたりでは村上水軍や河野水軍がよく知られていますが忽那氏も軍事力を持つ一族で特に南北朝時代の活動が知られています後醍醐天皇皇子の懐良親王は南朝の九州制覇を担う為に京都を出て延元4年(1339)頃忽那島に来島し3年間もの間忽那
奈良まほろば検定一級目指し(*^_^*)第48回(48)の答え:イ五條市堀家五條市堀(ほり)家住宅所在地奈良県五條市西吉野町和田建設年代室町時代後期特徴等近世には見られない手法を各部に使った中世民家足利尊氏に京都を追われた後醍醐天皇は、当家に滞在後、吉野に向かったとの伝承があり、賀名生(あのう)皇居跡としても知られている旧家である。当初の建物は、居室部は二階建てとし、屋根は勾配の緩い切妻屋根で、板或いは杉皮葺等であった。南西を正面とする現主屋は、江戸前期の修理改造
護良親王の墓🪦後醍醐天皇の第三皇子の護良親王(もりなが/もりよししんのう)の墓です。🪦鶴岡八幡宮の東側の二階堂の鎌倉宮の方面にあります。鎌倉幕府倒幕の二年後に信濃の国で、北条高時の遺児の次男時行が鎌倉奪還する為に挙兵しました。『逃げ上手な若君』の主人公の時行です。この時、10歳の若者です。裏で手を引いているのは、諏訪大社の諏訪頼重です。倒幕後に後醍醐天皇に不満を抱いている武士たちが反乱軍に加わります。『鎌
【呉座勇一vs高橋弘樹】異例の天皇批判!幕府滅亡の物語...英雄たちの最期とは?【鎌倉幕府vs後醍醐天皇】ReHacQ【呉座勇一vs高橋弘樹】異例の天皇批判!幕府滅亡の物語...英雄たちの最期とは?【鎌倉幕府vs後醍醐天皇】ReHacQ2026/02/28に公開済み#太平記#成田悠輔#リハックひろゆき、成田悠輔、後藤達也…、新たな視点で経済・社会を見つめ直すビジネス動画メディア「ReHacQ」!今回は国際日本文化研究センター准教授の呉座勇一さんにお越しい
今日は午前中は曇っていたが午後は少しだけ晴れた。気温が上がって蒸し暑い日に…明日以降も暑い日が続くみたいだが雨も油断出来ないな(-_-;)←昨日は予報にない雨にやられました。こちらは向唐門(むかいからもん)。1925年に建立された切妻造・檜皮葺(ひわだぶき)の四脚門で国登録有形文化財に指定されている。この門は勅使門(ちょくしもん)とも呼ばれる格式の高い門で總持寺はかつて後醍醐天皇より綸旨を賜った寺だった。門が開扉されるのは住職の入山式、正月、7月のみたままつり、11月の能登からの移転記念
直接的なつながりはないけれど、後醍醐天皇所縁の神社/天皇陵を巡るシリーズとして参拝明治新政府は、江戸時代後期からすでに存在していた「勤王」「南朝正統」などの思想を、新国家の歴史観の中に取り込んでいったという見方のようただ、、多分に、新政府に都合のよいプロパガンダって感じはするけどね👀?鎌倉幕府を倒す→江戸幕府を倒す後醍醐天皇による政治→明治天皇を中心とする新政府建武の新政→明治維新さらに加えるなら、足利尊氏は西郷隆盛か尊氏は京都を制圧したが、南洲翁は西南戦争で没
「天龍寺とは、どんなお寺なのだろう」「嵐山まで行くなら、何を見逃してはいけないの?」と気になっていませんか。天龍寺は、京都・嵐山を代表する世界遺産の禅寺です。最大の見どころは、嵐山や亀山を背景として庭の一部に取り込んだ曹源池庭園。ただ眺めるだけでも美しい庭ですが、歴史を知ってから訪れると、池の向こうに広がる景色の見え方まで変わります。この記事では、天龍寺の歴史、見どころ、拝観時間、所要時間、アクセス、混雑を避ける方法に加え、朝の嵐山を楽しみやすい宿までわかりやすく紹介します。天龍寺とは
梅雨の合間を縫って、1泊2日で出雲街道歩きを計画しました。両日とも曇りの予報ですが、天気予報が外れがちで、どうなりますやら・・・。6月22日昼すぎ、高速バス等を利用して、マッチ箱のような小さな駅舎の「美作大崎駅」に戻り前回の終了地点から、小雨模様の「大崎地区」を出発しました。左手「光伯地蔵」の先、右手の道路下に「夜泣き地蔵」があります。「後醍醐天皇」に謂れがあるそうですが、詳細は不明でした。街道の筋道である旧道を進むと「大渡橋」があり、その先200m位の所に「1里塚」が
【逃げ上手の若君】「後醍醐天皇vs後鳥羽天皇運命の明暗を分けた理由とは?」島流しにされた天皇たち④(陽菜ひよ子)-エキスパート-Yahoo!ニュース【逃げ上手の若君】「後醍醐天皇vs後鳥羽天皇運命の明暗を分けた理由とは?」島流しにされた天皇たち④陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター8/14(金)18:30『逃げ上手の若君』(通称:『逃げ若』)は、鎌倉幕府滅亡後を舞台に、北条時行が足利尊氏に戦いを挑む歴史スペクタクル漫画(作者:
鎌倉は、はっきり山派と海派に分かれるが、ここ二階堂は完全な山族の暮らす土地柄である。椿ノ恋文/小川糸「ツバキ文具店」は、鎌倉宮の近くにある設定👀✨閑話休題鎌倉宮後醍醐天皇の皇子護良親王もりながしんのうをお祀りする建武中興十五社の一社建武中興十五社とは、建武の新政に尽力した南朝側の皇族/武将などを祀る十五社総称で、明治時代に整えられた👀✨建武の新政(1333〜1336年)とは、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し天皇中心の政治を復活させようとした改革のことだけど、・133
子供の頃、現在の「京都御所」は、かつての「平安京」の「内裏」だと、勝手に、思い込んでいた。しかし、それが、全く、違う場所にある別物だということを知って、驚いたのは、随分と、後のこと。現在の京都御所は、平安京にあった「大内裏」のあった場所から、東に外れた場所にある。なぜ、このようなことになっているのでしょう。この本から。平安京はいらなかった-古代の夢を喰らう中世-(歴史文化ライブラリー)Amazon(アマゾン)平安京には、中央の北の端に面した場所に「大内裏
篠崎崇先生のお話の続きです。株式会社Amourよりハプスブルク家、織田信長、伊達政宗の謎を紐解く都市伝説です都市伝説だってよ否、わからんぞつづく...
北朝第一代光厳(こうごん)天皇は鎌倉幕府末期の天皇で、南北朝時代の北朝初代天皇です。御父は後伏見天皇、御母は西園寺寧子。光明天皇は同母弟。諱、量仁(かずひと)。正和二年(1313年)生。在位は元弘元年(1331年)から元弘三年(1333年)。朝廷が持明院統と大覚寺統に分裂していた鎌倉時代末期、両統から順番に天皇を出す両統送立(りょうとうてつりつ)が幕府主導で行われていました。その持明院統の後伏見天皇の第三皇子として量仁皇子は誕生します。元徳元年(1326年)七月、大覚寺統の後醍醐天皇
⇧宝戒寺本堂鎌倉宝戒寺逃げ上手な若君最近読んだ本です。【逃げ上手の若君】と【極楽征夷大将軍】です。片方は、マンガですけど・・・(写真⬇️)共に日本の南北朝時代が舞台になっています。【逃げ上手の若君】の主人公は、『北条時行』です。北条得宗家の十四代執権の北条高時の次男と生まれます。戦う事が苦手で逃げることが、唯一の特技です。その甲斐があって、動乱の時にも運良く逃げ通しました。鎌倉幕府滅亡後に三度、鎌倉を奪回
1,伊勢から大和へさて、6回もかかってしまった顕家編は最終回です。伊勢へ向かった顕家。この地には吉野から出向いてきた親房がいたようです。これ従来から「伊勢は北畠氏の拠点だった」「荘園を持っていた」という説がありましたが、現在まで伊勢に北畠氏の荘園は確認されていません。伊勢に北畠氏が根付くのは、これより後の北畠顕能(顕家の末弟)からです。作中でも荘園があることにしていますが……親房が伊勢を拠点としたのは、伊勢神宮があり、皇室に好意的だったことが上げられます。もっとも、この時期は伊勢計略に
昨日は東京国立博物館の「空海展」に行ってきました。振り返ってみると、そこに至るまでにも、いくつもの不思議なご縁がありました。年末年始に淡路島、四国、岡山などをぐるっと車で巡る旅の際に、Hに勧められてふらっと立ち寄った金毘羅さん。そのときは、まさか自分が空海についてこんなに考えるようになるとは思っていませんでした。空海は現在の香川県善通寺市で生まれたとされています。そこは8ヶ月前に訪れた金毘羅神宮から車で20分ほどの場所にあります。そして今回、縁あって東京国立博物館で空海の世界に触れ
もう先週のことなんですが、作家生活で初めてやりました。重版原稿の校正ですね。つまり、誤字脱字チェックです。そう、プロとしてあるまじきことではありますが、少々誤字がね……読者様から指摘があったのは「高氏」とするべきところが、「尊氏」になっていたというものです。足利高氏の「高」は北条高時からもらったものですが、建武の新政で後醍醐天皇(尊治)より一字をもらい「尊氏」としています。北畠顕家「早々に剥奪せよ」多田貞綱「武士とはもらったものでは返さないもので」実は南朝は「
奥吉野から見た金峰山寺(2011年11月撮影)この特別展と少し話は外れるが、15年ほど前の晩秋に吉野へ行ったことがある。後醍醐天皇坐像木造・像高35.9cm・室町時代(15-16世紀)・奈良如意輪寺蔵後醍醐天皇坐像如意輪寺を参拝した日に撮影(2011年11月撮影)如意輪寺本堂(2011年11月撮影)吉野山の歴史を訪ねるためで、源義経の逃避行の足跡や西行が隠棲した庵跡、後醍醐天皇の吉野還幸の地など、歴史に
奈良まほろば検定一級検定試験目指し(*^_^*)第38回(38)の答え:ウ明神池明神池奈良県で最も大きな天然池。役行者がこの池の霊気に打たれ開いたという池神社が池のほとりにある。近年本殿や鳥居が塗り替えられたとのことで、鮮やかな朱色が青空に映えている。池自体がご神体とも言われ、池に向かっている社もある。おまいりをするときには両方におまいりするそうだ。池の周りが遊歩道になっている。一周が約1km。この池の不思議な伝説は7つあるという。その一つは「入る谷なし出る川なしなの
歴史好きなぱんだ(´Д`)。よく歴史関係の書籍を読んでます。本日は新書の紹介です。スタバで読書(´Д`)。なぜかスタバって集中出来るんですよ。コーヒー飲みながら読んでました。本は兵藤裕己『後醍醐天皇』(岩波書店、2018)です。やー、面白かったです(´Д`)。日本の政治・社会・文化の一大転換期となった南北朝時代と、日本史上きわめて特異かつ稀有な帝王である後醍醐天皇について詳しく解説されていました。ぱんだ、古代が好きなので、恥ずかしながら南北朝時代についてはあまり知らず、建
大河ドラマで北条高時を演じた片岡鶴太郎が持つ狂気と稚気は、観る者に、権力を握った無能な暗君であることを暗示した。と前回書いたが、史料でみる高時の狂気と稚気は、どうも本当らしい。増鏡には、心構えや性格なども、どういうわけか思慮分別がなく、しっかりした考えがないと、手厳しい。他の史料には、「ほとんど妄気」などとある。妄気とは、中身のないとか暗愚の意である。これだけ見れば、とうていまともな政治判断のできる人とは思えない。劇変する世の時勢におされ、貞時の晩年ころから得宗(北条氏惣領)は
奈良まほろば検定一級検定試験目指し(*^_^*)第37回(37)の答え:ア飛鳥坐神社飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は村社。祭神八重事代主神大物主神飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)高皇産靈神創建年代とその由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥
七類港からフェリーに乗って4時間島後、隠岐の島町を経由して以前は直行便があったらしいが、今は船員不足などもあり、経由便しかないただお盆の時期など、少しダイヤが変わりそう朝9時に出て、午後1時頃中ノ島に到着した海も綺麗で海産物もとれる養殖もされており牡蠣などもある田んぼもあり後醍醐上皇が流された地後醍醐天皇は隣の西ノ島に流されている歴史は興味深い建物も綺麗で役場も新しい移住者も多いようだ
奈良まほろば検定一級検定試験目指し(*^_^*)第36回(36)の答え:エ明治時代吉野神宮吉野神宮の祭神は、南北朝時代に吉野で南朝を開いた後醍醐天皇です。明治天皇の強い思いにより1889年に創建された神社であり、京都への帰還を望み続けた後醍醐天皇の心情を反映して、社殿は真北の京都を向いて建てられています。by吉野おじさん