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昨夜は残業して疲れ果てて22:00に帰宅。今朝は診療前に9:30出勤。遅くなった理由は、他院でのヒアルロン酸注入後の血流障害が生じた患者さんの治療をしたためです。注入後瞬時に症状(痛み、痒み、くしゃみ、鼻づまり)が出現。1時間で網状紫斑が、注入したほうれい線~頬~額~鼻全体の広範囲に拡大。ほうれい線エリアは黒色化。施術介助した看護師は注入直後に白色変化に気づき、院内で待機する指示を出したそうです。直ぐに溶解が必要と気づいた(これまた医師ではなく)看護師の機転で、当院に依頼が来ました。
他院で受けたヒアルロン酸注入の修正治療の症例です隆鼻目的で、鼻根部にヒアルロン酸注入を受けた1週間後に、酷い膨らみが生じてお問合せをいただきました施術を受けたクリニックの担当医からは経過をみるように指示されたようですが、ご本人が不安を強く感じている上、さらに当院スタッフによる電話口でのヒアリングで、瞼まで腫れがひろがっていることや、赤みも出現していることがわかり、すぐに当院を受診いただきましたこちらが初診時の写真ですご本人曰く、アバター状態凹凸が目立ち、しこりのように硬くなっ
岩手県内で運動🟰楽しいを元気もりもりお伝えしている岩渕みどりです【スポーツ保険加入のお知らせ】2024年度親子体操にご参加予定の皆様へ━━━━━━━━━━━━━令和6年度スポーツ安全保険のご案内です━━━━━━━━━━━━━こちらの保険は私が担当しています5か所の児童センター幼児体操教室でも19年前から全員が加入している信頼ある保険です令和6年4月1日~令和7年3月31日まで有効(1年間)
過失医師は事故直後の面談で・・・「警察に行かれても仕方がないと思っています」「あってはならないことだと思っています」「すべて僕の責任です」と、ご自身に全ての責任があると認めていらっしゃいました。しかし、残念なことに暫くすると、母が負った後遺障害と手術とは無関係であるかのような発言をされるようになりました。(2020年4月8日の記録より)手術によって起こったものであろうが、病気によって起こったものであろうが、元々かなり神経が傷んでいたわけだから、病気によって起こっている
過失医との最後の面談(カルテ記載の誤り)の続きです。2021年7月15日の面談時、術前カンファレンスについて「その時のカンファレンスの記憶自体ははっきりしたものはありません。もう一年以上前のことだし」「そこまで詳細な記憶は私にはない。その事(事故)が起こってからのことは結構覚えてますけど、その前のことって・・・」等と仰っていました。しかし、裁判所へ提出された〇〇医師(過失医)の書面では「自立執刀の経験がなく、術前カンファレンスで執刀辞退を〇〇医師(上級医)に懇願している。自身の
年末も疼痛との闘いの続きです。医療事故が原因で後遺した神経障害性疼痛のコントロールのためにミロガバリン、トラマドール・アセトアミノフェン配合剤錠、ノルスパンテープ等のオピオイド系鎮痛薬、ソセゴンやアセリオ等の注射や点滴を常時使用していた影響か、精神的に不安定な状態が続きました。また、この頃は同時に心療内科からアタラックス、セロクエル、エビリファイ等の精神安定剤や抗精神病薬も処方され、かなり強いせん妄を発症して母はまるで別人のようになっていきました。-----------------
こんな大晦日の前日ギリギリになって、ようやく重い腰をあげて大掃除(笑)不要な書類を廃棄しようと、書類が沢山入った引き出しを整理していたら、夫が脳溢血で倒れた時の入院・手術等証明書が入ったクリアファイルを発見。傷病名『脳動静脈奇形破裂による脳出血』発病の欄『2014年8月◯日午後8時突然後頭部痛が出現し、◯急患センターを受診。脳卒中を疑われ、同日当院救命センターに紹介転送。来院時意識鮮明。左同名半盲を認め、頭部CTにて右後頭葉皮質下出血を認めたため入院』症状経過等の欄『入院後、アンギ
正式謝罪⑧(虚偽説明と検証の公平性)の続きです。〇〇先生(過失医)の事後対応があまりにも酷いと感じたことについても、院長(当時)へお伝えさせていただきました。「何よりも患者さん家族に誠実に対応しないと駄目だと思います。みんな、そりゃ過ちがないわけじゃないと思うけど・・それを認めてね。軋轢が生まれ始めたところで聞いた時に私も注意したんです。家族の方に寄り添うように対応しないと駄目だと。最近は会われてますか?〇〇先生(過失医)と。」(私:全く・・・)「〇〇先生(過失医)にはよく
医療安全推進室と主治医との面談③の続きです。2020年1月22日の医療事故後、母は後遺障害の増悪等によってなかなか退院の目処が立ちませんでした。その間、複数の病院職員より〇〇医師(過失医)が他の患者ご家族様とトラブルになっていることや、異常な勤怠状況等、普通ではあり得ないことを多く耳にしました。また、〇〇医師(過失医)が私のことを「モンスター」と呼んでいることもお聞きして強い憤りを覚えましたが、退院の目処が立っていない母への対応を心配して感情を露わにすることは控え、何をお聞きしても、何を
事実の説明の続きです。医療事故から約4ヶ月が経過した2020年5月26日、〇〇医師(上級医)より母の手術動画を見せていただきました。知識のない私が見てもわからないだろうと思っていましたが、ドリルで神経を巻き込んだ事故の瞬間は素人の私でもはっきりとわかるくらいショッキングな映像でした。誠実に事後対応してくださった病院関係者は〇〇医師(上級医)だけでした。この3年間、「手術前まで時間が巻き戻せたら良いのに」という会話を何回したことか・・・〇〇医師(上級医)も私も悔やんでも悔やみきれず、
医療安全推進室と主治医との面談④の続きです。2020年12月11日の面談記録なので、もう2年9ヶ月も前のことですが、私にとってはつい先日のことのようです。※〇〇医師(過失医)の個人情報や不適切な表現と感じたもの等は省きます。---------------------------------------主治医どこか違う病院に行く予定だったのが急に白紙撤回になったそうです。・・(市民病院に〇〇医師(過失医)が入職した経緯について)・・医療安全噂を聞いたんじゃ
誕生日と大きな不安の続きです。2021年3月2日17時半頃、病院の玄関前で〇〇前院長と偶然お会いしました。私の方からお声掛けさせていただき、少しお話しすることが出来ました。その当時不安に感じていたことを正直にお伝えし、いくつかご質問もさせていただきました。しかし、何を申し上げてもその場しのぎの回答しかいただけないことに段々怒りを抑えきれなくなり、「公務員という理由だけでどうしても〇〇先生(過失医)に対しての懲戒処分が難しい場合は医療過誤や職務怠慢を公表してください。それも無理だと仰
消えた水頭症の続きです。年が明けてすぐ、2020年1月6日に検査入院しました。入院患者が多く大部屋が満床だったようで、病院負担で眺めの良い個室を用意していただき、母は大喜びしていました。そして、1月7日に脊髄造影検査(ミエログラフィー)を受けました。検査については「痛いことしか覚えてない、とにかく痛かった、死ぬかと思った」というのが母の感想でした。しかし、退院当日、病室に来られた〇〇医師(過失医)より「検査の結果、思っていたより骨も強い。人生百年の時代ですから、まだまだ自分
手術(医療事故)直後の説明の続きです。手術(医療事故)直後に簡単な説明はありましたが、2日後の1月24日に脳神経外科の外来診察室にて再度〇〇医師(過失医)より説明がありました。この日も手術当日と同じように、馬尾神経が切断損傷されているかどうかについて現段階ではわからないという説明でした。わからないのは、「手術ビデオを見返していて、硬膜が破れた時にドリルの先端に索状のものが巻き付いていたが、硬膜と神経は色味が一緒なので」という理由でした。また、説明の際、〇〇医師(過失医)は以下
過失医との最後の面談(脳外科医も辞める)の続きです。2021年7月15日、〇〇医師(過失医)との最後の面談ではプライベートなお話もしてくださり、その大変な状況に同情致しましたが、今となっては、そのお話自体事実だったのかどうかさえわかりません。面談中は責めるような言葉は一切使わないよう気を付けながら、極力冷静にお話しさせていただいたつもりです。-------------------------------------私市に対しても申し立てされてますよね?〇〇医師(過失医)市に
今日16時前頃、病院へ母の面会に行ってきました。機嫌は良かったのですが、せん妄(幻覚?幻視?)が酷く、犬や猫が見えているような状態でした。訪室してくださった看護師さんによると、ここ最近はあまりポータブルトイレは使用せず、排泄はおむつでしているとのこと。スプーンを使って食べる等の動作も普通には出来なくなってきているように思います。少し前ほどではありませんが、まだ喘鳴があり、「苦しくはないの?」と聞くと、「息苦しくなってきたら寝るようにしてる。寝てる時だけ苦しいのも痛いのも忘れるからな~」と
過失医師が医療事故と向き合い、心から反省し、母に対して誠実に対応してくださったら、裁判や刑事告訴には至らなかったと思います。医療事故から4ヶ月が経過した2020年5月21日、当時の主治医〇〇医師(上級医)から母へ『医療過誤が原因で後遺障害を負ったという事実』を説明していただきました。以下は、ちょうど1年前に書いた記事です。《抜粋》医療事故が原因で後遺障害が永続するという事実を母が知った時、精神的に強い方ではない母は絶望して自暴自棄になるのではないか、〇〇医師(過失医)を一生恨
初めての外出許可の続きです。母の医療事故直後より可能な限り穏便に、出来れば誰も傷付けることなく、一日も早く前進したいという気持ちがありました。前院長から「医師の手技上の過誤」という説明を受けていましたし、「補償する」というお話でした。術前状況の虚偽記載が原因なのか、他に原因があったのかはわかりませんが、市民病院からは母の今後についての提案や賠償、和解に関する具体的な提案は一向になく、医療従事者からは刑事告訴を勧められる等、やはり代理人を立てずに話を進めることは無理なのだと認識し、諦めの境
異様な空気の続きです。2021月3月中旬に市民病院の代理人弁護士より連絡文書を受け取ってから1ヶ月以上が経過しました。〇〇医師(過失医)は一緒に勤務する医療従事者に対して〇〇市へ処分の申立てを行ったり、〇〇医師(上級医)を刑事告訴する等、普通では考えられないようなことが続いていたため、弁護士さんは医療事故被害者への対応どころではないのだろうと思いました。〇〇医師(過失医)関係の問題が山積でお気の毒に感じましたが、同時に何故〇〇医師(過失医)の代理人をお引き受けになったのか不思議でなりませ
18年前の4月25日、JR福知山線脱線事故は起きました。事故当時はめちゃくちゃに壊れた電車の様子と、救出の大変さが報道され、被害状況の詳細はわかりませんでした。その後、1人救出されては、生存者か死者かがテロップで報道され、最終的には107人の方が亡くなる事故でした。あれだけの事故ですから、生存者は、大きなケガを負っていました。当然、頭を打つケガをされた方もいたと思うので、高次脳機能障害を発症された方も少なくなかっただろうと思います。事故で負わされた後遺障害との闘いの
手術終了直後の続きです。手術終了後、病棟内にある小さなカンファレンスルームで〇〇医師(過失医)は沈んだ表情のまま静かに話し始めました。以下のような説明を受けたことを記録しています。「手術中に問題が起こった」「ドリルの先端が硬膜に当たってしまい、神経が飛び出して元に戻した」「現段階では神経が切れたかどうか、後遺障害が残るかどうか分からない」「問題が発生したことを正直に家族に話したいと自分から上級医に申し出た」※しかし、後日(2月4日)上級医から全く逆のことを聞かされまし
母以外の医療事故の続きです。2021年1月28日の転倒骨折事故以降、下肢免荷(体重をかけないこと)が必要となり、十分なリハビリが出来なくなりました。免荷は8週間の予定でしたが、実際には8週間を過ぎても骨癒合に向かうことはなく、全く先が見えない状況が続きました。2021年2月26日に〇〇医師(上級医)より「〇〇先生(過失医)から刑事告訴された。病院を辞めないといけなくなるかもしれない。そうなった場合は主治医を続けることが出来なくなる」という趣旨のご連絡をいただき、3月以降、実際に病院
医療安全推進室への不信感の続きです。医療事故が原因で後遺障害が永続するという事実を母が知った時、精神的に強い方ではない母は絶望して自暴自棄になるのではないか、〇〇医師(過失医)を一生恨み続けるのではないか等の思いがあり、母に事実を話すことを恐れていました。〇〇医師(過失医)より「賠償請求する場合、お母さんに医療事故の事実を説明する必要があります。病院とギクシャクして退院を迫られる可能性もあります」という趣旨のことを何度かお聞きしていたこともあり、事故直後より「不誠実な対応さえ取られ
過失医との最後の面談(給料泥棒)の続きです。当時の主治医〇〇医師(上級医)が面談に参加された後も疼痛管理の会話が続きました。医療事故から3ヶ月ほどで〇〇医師(過失医)には主治医から外れていただきましたが、事故を起こした当事者として当然その後の母の症状や治療法についても把握していただいているものと思い込んでいました。しかし、〇〇医師(上級医)よりお聞きしていた通り、もう殆ど関心すらないように感じました。『【33】主治医交代』あり得ない発言の続きです。2020年5月1日、多職種カン
正式謝罪直後の面談の続きです。正式謝罪の少し前のことですが、〇〇医師(上級医)より「〇〇さん(母)のお身体を元の状態に戻す事は、本当に残念ですが出来ないと思います。でも、病院全体で出来る限り〇〇さん(母)と娘様が少しでも得心出来るように、全力で取り組み続けることは間違いありません。」と力強いお言葉をいただきました。そして、2020年6月2日には前院長からも「誠意をもって対応していく」とお聞きし、これでやっと前に進めると、家族として大きな期待を抱きました。しかし、それ以降病院側
自分の人生を振り返ってみてひどい打撲をした記憶はありますか?交通事故で車にはねられたことだったり殴られたことがあったり叩かれたことがあったり自転車で転倒したことがあったりスノーボードで転倒したり尻もちをついて尾骨を強打したり骨折は打撲の衝撃が強くて発生するわけだしボクシングや空手、ラグビー、アメフト、サッカー、相撲、スケートボード、そのどれもが激しい打撲がついてまわるスポーツ。激しい打撲というのは
骨折の経過説明の続きです。2021年5月7日、医療課の〇〇さん(当時)に診療カルテの開示請求と同時に母の医療事故報告書の開示請求も行いたい旨お伝えしましたが、事故報告書に関しては別扱いとなるため、確認後再度連絡しますとのことでした。その後、〇〇医療課長より、「情報公開条例に基づき事故報告書の開示は出来ない、開示するには裁判所の命令が必要」という趣旨の説明があり、民事裁判に対する目的意識を強く持ち始めました。-----------------------------------
医療従事者からの要望④の続きです。術前状況の虚偽記載で記述しましたが、2020年9月4日、〇〇医師(過失医)が虚偽の術前状況を記載し、その書類が損害保険会社へ提出されていることがわかりました。その際、正確な内容に訂正していただくことをお約束いただいておりましたが、それから2ヶ月以上が経過した2020年11月13日、〇〇医師(上級医)より虚偽の術前状況は訂正されておらず、再度同じ内容で保険会社へ提出された可能性があることを教えていただきました。その後、2020月11月17日に〇〇さ
ブログ記事【105】は諸事情により一旦非表示とさせていただきます。2020年1月22日の医療事故以降、神経障害性疼痛の疼痛コントロールのために様々な種類の鎮痛剤が投与されました。疼痛が少しましになったと思ったら今度は薬の副作用で強いせん妄状態に陥り、幻覚や幻聴が原因でベッドから転落して右足を骨折してしまいました。長期間免荷が続き、右足は医療事故で感覚がなくなっていることもあってか回復にかなり時間が掛かっていました。そして、せん妄を抑えるために鎮痛剤を見直したことで再び強い疼痛に襲われ
主治医との面談(人工透析になる可能性)の続きです。②馬尾神経切断を認識した時期はいつだったのか2020月1月24日(事故の2日後)、〇〇医師(過失医)より「神経が切断されているかどうかについて現段階ではわからない。別に神経がちょん切れたわけではないので、改善の見込みはもちろんあるとは思う」という趣旨の説明が繰り返しありました。《関連記事》『【11】医療事故後の説明(神経切断)』手術(医療事故)直後の説明の続きです。手術(医療事故)直後に簡単な説明はありましたが、2日後の