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着用甲冑の確かな遺品の遺らぬ北条氏。その姿を追い求めた過去二回。文献から甲冑の特徴に地域性を認め、それもこの地域独特の形状が五枚胴の素懸縅蝶番多用、間数多い長草摺にあるのではと判断し、手掛かりの少ない中で大胆にも当主二代の姿を描きました。その後に参考とした氏康兜が現代物の誤りと記す書籍を知り、これこそ確たる遺品無き中、その姿を描く事の難しさを痛感しました。鉄砲の登場等で戦闘方法も変化した戦国の後期は、これまでの歴史上最も急速に甲冑も試行錯誤を繰り返しながら変化していたと考えられ、場合によって
1月10日、八王子城へ。約3年ぶりの攻城。以前にこんな石碑あったかな?無料駐車場脇にある石碑は以前からあったけど。前回はメイン部分の御主殿を見たので、今回は本丸など山の方へ。籠城戦に備えて築かれた山の部分は八王子城跡自然公園って言うんだ。よく見ると、ツキノワグマに注意だと。マムシ、イノシシに注意の看板は以前からあったけど・・・用心深いクマって、人の気配を感じるとじっと身を潜めるそうで。人が1m横を通っても動かずに隠れるから、我々は気付かないもの。うっかり道を踏
いや、しびれました…。本日午前11時30分、合戦イベント「三増峠の戦い」がついに終戦し、武田軍の勝利となりました!「三増峠の戦い」は過去の合戦のリバイバルではなく全く新規のテーマだったため、果たしてどちらの軍の人数が多くなるのか予想が難しかったですが、戦況が明けてみると数十人の差とほぼ同数、軍功は北条軍が約4.5万リードしている状況でした。終戦時の軍功差は約2.5万という僅差だったわけですが、それ自体実はそれほど例がないわけではありません(前々回の四国の役は約2.7万差、な
週が明ければ開戦となる合戦イベント「三増峠の戦い」。今日がレギュラーの予告としては最後の機会となります。ということで、まだ発表していなかった大手柄武将と総攻撃についてお知らせ致します!お待たせしました~。北条軍の大手柄武将北条氏繁猪俣邦憲上田朝直原胤栄成田氏長風魔小太郎武田軍の大手柄武将武田信廉武田信豊初鹿野昌次曽根昌世真田昌幸今回の合戦は久しぶりに両軍で大手柄武将の人数が異なります。北条軍は6人で武田軍が5人となっています。オレンジ色
先月末、県内の情報番組で山中城の躑躅が見頃と放送されました。ゴールデンウィーク恒例になっているので、5月3日の早朝6時に山中城に行きました。躑躅が綺麗に咲いています。田尻の池元西櫓の斜面。西櫓と西ノ丸の間は、山中城の撮影スポット。富士山・障子堀・躑躅が一緒に撮影出来ます。西ノ丸の斜面。西櫓にはクラウドファンディングの幟旗が靡いてます。山中城は、東海道三島宿と箱根宿の中間にあります。永禄年間(1558〜1570)北条氏康により築城。小田原の西の防衛を担う最重要拠点。1590