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5月3日は、小田原北條五代祭りを観に小田原まで行って来ました。千葉市民なので、在来線で行くと、結構遠かったです。小田原城は、戦国時代に後北条氏が5代に渡って関東を統治した本拠地でした。後北条氏は、豊臣秀吉の小田原攻めで没落してしまいますが、今でも小田原市民は後北条氏に親しみを抱いているんですね。そんな戦国大名・北条氏5代を称え偲ぶお祭りです。1960年に小田原城の天守閣が再建されたことを記念して始まり、今年2024年で第60回を迎えました。11時から出陣式
静岡県三島市にある山中城に武将隊が来ます。SNSを見ると…山中城戦国武将隊禄寿應穏新年度も山中城でのお出迎えを継続いたします。新年度初回は4/29予定です。10:00~15:00西の丸に武将が出陣いたします。現地案内や写真撮影などお気軽にお声がけください。*山中城の説明や、一緒に記念撮影出来ます。山中城登城の記念に武将隊と一緒に撮影してみては。自分も武将隊と一緒に記念撮影してあります。『山中城クラファンイベント3/16障子堀に入る』3月16日、地元にある山中城へ行きました
先月末、県内の情報番組で山中城の躑躅が見頃と放送されました。ゴールデンウィーク恒例になっているので、5月3日の早朝6時に山中城に行きました。躑躅が綺麗に咲いています。田尻の池元西櫓の斜面。西櫓と西ノ丸の間は、山中城の撮影スポット。富士山・障子堀・躑躅が一緒に撮影出来ます。西ノ丸の斜面。西櫓にはクラウドファンディングの幟旗が靡いてます。山中城は、東海道三島宿と箱根宿の中間にあります。永禄年間(1558〜1570)北条氏康により築城。小田原の西の防衛を担う最重要拠点。1590
ゴールデンウィーク中、毎年恒例になっている山中城に行きました。山中城は、東海道三島宿と箱根宿の中間にあります。永禄年間(1558〜1570)北条氏康により築城。小田原の西の防衛を担う最重要拠点。1590年、豊臣秀吉による小田原征伐による激戦となりました。豊臣秀次率いる7万の軍勢に対し、北条方の松田康長率いる3千の守備兵との間に、豊臣軍の一柳直末は北条方の銃弾を浴び戦死。秀吉の宿老として活躍した一柳の死に、秀吉は3日間嘆き悲しんだそうです。奮戦虚しく北条方は城主松田康長の討ち死により
着用甲冑の確かな遺品の遺らぬ北条氏。その姿を追い求めた過去二回。文献から甲冑の特徴に地域性を認め、それもこの地域独特の形状が五枚胴の素懸縅蝶番多用、間数多い長草摺にあるのではと判断し、手掛かりの少ない中で大胆にも当主二代の姿を描きました。その後に参考とした氏康兜が現代物の誤りと記す書籍を知り、これこそ確たる遺品無き中、その姿を描く事の難しさを痛感しました。鉄砲の登場等で戦闘方法も変化した戦国の後期は、これまでの歴史上最も急速に甲冑も試行錯誤を繰り返しながら変化していたと考えられ、場合によって
日曜日の早朝、1ヶ月ぶりに山中城に行きました。旗が靡いています後北条氏家紋三つ鱗田尻の池桜が咲いています水面に映る旗クラウドファンディング返礼の旗です山中城の撮影スポット霊峰富士後北条氏築城術の障子堀ピンク色の花が綺麗ですミツバツツジ岱崎出丸の桜山中城は、ゴールデンウィーク前後に躑躅と皐月が咲きます。標高が高いので、まだ咲いて無かったです。5月になったら、また早朝散歩に行こうと思います。『山中城躑躅』ゴールデンウィーク最終日は、鈍った体を動かしに山中城に行きま
「北條五代祭り」は、戦国大名・後北条氏五代を称え偲ぶ祭り。北条氏五代とは、初代早雲、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直。武者行列のパレードが市内を勇壮に練り歩きます。2024年は60周年記念。
1月10日、八王子城へ。約3年ぶりの攻城。以前にこんな石碑あったかな?無料駐車場脇にある石碑は以前からあったけど。前回はメイン部分の御主殿を見たので、今回は本丸など山の方へ。籠城戦に備えて築かれた山の部分は八王子城跡自然公園って言うんだ。よく見ると、ツキノワグマに注意だと。マムシ、イノシシに注意の看板は以前からあったけど・・・用心深いクマって、人の気配を感じるとじっと身を潜めるそうで。人が1m横を通っても動かずに隠れるから、我々は気付かないもの。うっかり道を踏