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佐助稲荷神社に行って来ました。源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島での流人時代、病に伏していた時に「かくれ里の稲荷」と名乗る翁(おきな)が夢枕に立ち平家討伐の挙兵を促したそうです。その後、頼朝は平家を滅ぼし鎌倉幕府を開きました。建久年間(1190〜1999年)、頼朝は畠山重忠に命じて「かくれ里の稲荷」を探し当てさせ再建させたのがこの「佐助稲荷神社」と伝えられています。源頼朝は若い頃、兵衛佐(ひょうえのすけ)という官職であったため佐殿(すけどの)と呼ばれており、佐殿を助けたことから「佐助稲荷神社」の名がつ
「征夷大将軍より、関白のほうが位は上ですよね、だとすれば徳川将軍といえども、関白の命令は聞かなきゃいけないんですよね?」それは、全然違います。関白は公家のトップ、征夷大将軍は武家のトップ、ともに天皇の一の家来という意味では、横並びです。征夷大将軍は関白の家来でも部下でもありません。関白は必ず将軍より偉いかっていうと、そうとも限りません。関白も征夷大将軍も共に令外官であり、決まった位階はありません。敢えて言えば何大臣を兼ねているかで格は決まりますが、関白が右大臣や内大臣に過ぎないこともあ
ここまでであれば、鎌倉幕府としては何らかの対処が必要となるのは誰もが認めるところである。そして、鎌倉幕府の対処の選択肢の中には北条義時失脚も含まれる。無論、北条義時がそれを許容するとは思えない。いや、北条義時だけでなく鎌倉幕府の首脳部の誰もが北条義時失脚という妥協案を受け入れるなどできないという意見の一致を示している。後鳥羽上皇が狙っているのは北条義時の失脚ではなく鎌倉幕府そのものであり、源平合戦以降の長きに亘って鎌倉方の武士たちが築き上げてきた成果の全てを、後鳥羽上皇は白紙撤回するよ