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源頼朝久安3年4月8日グレゴリオ暦換算1147年5月9日年丁卯月乙巳日辛丑時◯◯←戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳、甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子のどれか4甲辰、14癸卯、24壬寅、34辛丑、44庚子、54己亥64戊戌、74丁酉・辛、丑、庚が良く、辰、子が悪そう・年運でみると、乙卯、丁巳、戊午が悪そう・効用を考えると、時柱は丙申、丁酉あたりか大運年運出来事◯◯丁卯1147年誕生甲辰乙卯1159年平治の乱で父親の義朝敗北癸卯庚辰1160年平
「将軍は源氏しかなれない」というのは嘘です。鎌倉幕府にも摂家将軍や皇族将軍がいたように、源氏でなければ将軍になれないというのは俗説に過ぎません。なので、足利義昭に「養子にしてくれ」ともちかけ、それを断られてので、征夷大将軍になるのを諦めた、という話も、如何なものかと思います。秀吉が本気で望めば、足利義昭が何をどういおうと、征夷大将軍でも何でもなれたでしょう。ただし、「征夷大将軍になれば幕府を開ける、日本の支配者になれる」というのも、誤解です。鎌倉幕府と後世呼ばれる組織(当時は幕府なんて
水戸光圀が編纂した「大日本史」が、幕末水戸藩の尊王攘夷思想のバックボーンとなった。それはもう誰もが知ってる、そのとおりの話なんですが。ポイントは「徳川の御三家にもかかわらず」つまり幕府を守るべき徳川一門の藩が、なんで反幕府思想の温床みたいになっちゃったのか、でしょう。まず前提として、「尊王攘夷=反幕府」では全然ない、ということを確認してください。ここのところを類型的に考えている人が多いですが。尊王攘夷というのは「正統な君主のもとに団結し、外国に屈するな」という思想であり、「いや、それは
前回に続きまして、江戸時代版"プロジェクトX”から――、「家康、江戸を建てる」門井慶喜著祥伝社文庫(482頁)前回ご紹介しました『流れを変える』は、大半が水はけの悪い低湿地である江戸の土地改良のため、利根川の流れを変えた男達の物語でございました。今回は、江戸の"もう一つの水問題”についてのお話『飲み水を引く』でございます。※※※※家康は新本拠地・江戸で、河川工事や埋め立て等の整備を進める一方で、飲み水の問題にも着手していました。大半の