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おはよーございますわたしです。今年が…終わる…正月が来る…忙しい…正月が…いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!今ひとたび仮眠とったら終わらんかな…1月10日くらいになって…だめだわ、うち10日なっても忙しいわ…もうしょうがないですね。諦めます。一般職の皆さんは昨日で仕事納めくらいでしょうか。あとはコミケが2日目ですね。わたしも参戦する同期にお使いを頼みました。戦場へ旅立つ同期へ(`・ω・´)ゝまぁさておきまして。今回は後半戦です。なんの?と思う人は先週号をご覧下さい。では
おはようございます。わたしです。また1ヶ月ほど空いてしまいましたね。一気に寒くなってしまって布団から出れなくなってしまいました叶うことなら布団の中の温度を維持したまま仕事がしたいです。さて気を取り直して本題へ移りましょうか。今回見出しの通り、写真がめっちゃ多いです。県社志々伎神社鎮座地:長崎県平戸市野子町御祭神:十城別王(とおきわけのみこ)旧社格:国幣小社(延喜式)県社(明治)御朱印:不明というわけで今回は長崎
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそ管理人Rinkoです。9月に伊勢神宮内宮の別宮、瀧原宮へ行ってきました。瀧原宮は、ゼロ磁場として有名で、「ゼロ磁場って何・・・」といろいろ調べていたら、大阪で有名なゼロ磁場スポットとして、こちらの神社が出てきました。意賀美神社(おかみじんじゃ。大阪府枚方市)私が住んでいるところから、車で数十分ここならすぐ行ける、と瀧原宮の数日後に行ってきました右の石碑には、「式内意賀美神社」と書いてあ
世間はGWに突入しましたね。仕事帰り、繁華街には沢山の人が溢れかえっていました数日前までは円安の影響からか外国人観光客しか居ない様な感じで、ここは外国かっって感じでしたが、今日はサラリーマンさんや若い人達も沢山街に繰り出しておりましたです。まぁ、私には余り関係のない話ですがねっGWもしっかり仕事なこんにちは味醂です{人も多いしズラして休みます。。さて、バタバタしていて更新が遅くなりましたが前回の続き大好きなアフロ仏さんに会えてウキウキ気分な味醂は少しだけご近所散策
2023年4月4日&5日。1泊2日で茨城県の神社を5社ほど巡ってきました。巡拝のメイン・テーマは《国津神VS天津神》。すなわち、「(政権に)まつろわない」星神=カガセオ。そして、それを討ったタケハヅチ。この両者を祀る神社にお参りすることが目的でした。今回は、タケハヅチを祀る神社です。式内社静神社(しず神社)『延喜式』神名帳に記された社号久慈郡7座(大1座・小6座)→名神大社「静神社」しつのかみのやしろ当社は、常陸國の二之宮でもあります。◇鎮座
【造化三神/天地開闢に関わる三柱】@art.mochida.daisuke『古事記』によると、天地が開けし時に突如として現れた神様がアメノミナカヌシ。それに続く様にタカミムスビ、カミムスビが現れました。そしてすぐに身をお隠しになったこの三つ柱の神々を総称して「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼びます。造化三神は男性女性の区別がない独神(ひとりがみ)であり、最初に生まれたアメノミナカヌシは、その名の通り天(宇宙)の中心に坐す神様。このアメノミナカヌシは中
糸井神社(いといじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、延長五年(927年)の延喜式神名帳にに記載されている式内社である。社伝によると御祭神は、「本殿豊鍬入姫命、同二ノ宮猿田彦命、同三ノ宮綾羽明神、同四ノ宮呉羽明神」と記されており、応神天皇の御代に、呉国から来た綾羽・呉羽(あやは・くれは)の織女が天皇の勅により大和で綾織を織ったとされ、その時に創建されたとも伝えられている。御祭神:豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)所在地:奈良県磯城郡川西町結崎68
【コノハナチルヒメ/山神の御子神】@art.mochida.daisukeコノハナチルヒメ(木花知流比売)は『古事記』に登場する国津神オオヤマヅミ(大山津見神)の娘で、名称や系譜は記されていますが、特に事績に関する記述は全くない女神です。ちなみに『日本書紀』に、コノハナチルヒメの神名は記述されていません。系譜によると、スサノオとクシナダヒメとの間に生まれたヤシマジヌミノカミとコノハナチルヒメが結ばれたとされ、この二柱の御子神がフハノモヂ
令制国と一之宮神社一之宮神社とは一之宮神社は、原則令制国一国あたり一社を前提とした、諸国で最も格式が高い神社です。その多くは、延喜式が成立した十世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた式内社から選定されています。御祭神は、その土地の開拓神として篤く崇敬された国津神で、記紀神話に登場する有力な神様が祀られています。五畿七道とは五畿七道は、天武天皇の時代に成立したと言われる古代日本の律令制による広域な地方行政区画で、都を中心に、畿内・東山道・東海道・北陸道・山陰道・山陽道・南
往馬(いこま)大社は、生駒駅と南生駒駅のほぼ中間に鎮座されています。鎮座地:奈良県生駒市壱分町1527-1とても広い御神域です。広い駐車場から眺めた御神域。祭に使われるのだと思います。たくさん社殿が並んでいます。左から、高座、北座、管弦楽座。南座。石段に向かって右に手水舎。石段の途中に楼門。拝殿。拝殿には祭に使われる獅子が置かれていま
【オオカムヅミ/黄泉の軍勢を退けた桃神】@art.mochida.daisukeオオカムヅミ(意富加牟豆美命)は『古事記』によると、黄泉の国でイザナギを黄泉の軍勢から助け出した「桃の木の神霊」として登場しています。「大いなる神のミ(霊)」という意味の神名で、他にも大いなる神の実と解釈し「大神実命」と表記する場合もあり、桃太郎神社(愛知県犬山市)ではオオカムヅミが生まれ変わり桃太郎として鬼を退治したとされます。『日本書紀』にも登場しますが、神名は明
稲代神社・吉原神社((京丹後市峰山町安)丹後国丹波郡京都府京丹後市峰山町安小字森替83(境内に停められるが、運転初心者は困難)■延喜式神名帳稻代神社の比定社■祭神保食神豊受皇大神稲荷大明神「竹野川」支流、「小西川」沿い谷地の丘陵斜面に鎮座する社。地名の「安(やす、旧安村)」は洪水等でできた砂州、近江国の「野洲」と同様、これに由来するものかと思われます。◎社名「稲代神社・吉原神社」とは、「稲代神社」に天正年間(1573~1592年)に祇園牛頭天王を合祀、明治二年に「吉原神
【ヨモツオオカミ/黄泉の国を統べる大神】@art.mochida.daisukeヨモツオオカミは、その名の通り「死者のいる黄泉の国」の神様で、地母神イザナミの別名とされています。『古事記』によると、夫イザナギとの間に多くの国土と神々を産み成したイザナミでしたが、火の神ヒノカグツチを産んだ際に大やけどを負ってしまい、それが原因で黄泉の国に旅立ってしまいます。しかし、イザナミのことが諦められないイザナギは、黄泉の国まで妻を取り戻しにいくのでした
広島県庄原市口和町向泉972に鎮座します備後国の式内社多加意加美神社(たかおかみじんじゃ)実は、今、このブログを書いている途中で、もう一つの多加意加美神社の存在を知りました。同じ庄原市口和町に、多加意加美本宮神社という神社が御鎮座されています。どちらが式内社なのかという論争が始まりそうですけど、私にとっては、どちらでも構いません。私にとっては、新たに、行きたい神社を一つ発見したという吉報です。はい、高龗神社(たかおかみじんじゃ)と同じ音で字が違う、多加意加美
【カムオオイチヒメ/穀物と市の姫神】@art.mochida.daisukeカムオオイチヒメ(神大市比売)を描いてみました。この神様は『古事記』において、スサノオの二番目の妻として記載されています。スサノオの最初の妻は、ヤマタノオロチを退治した際に助けたクシナダヒメですが、どちらの女神様も稲作に関係の深い神様で、スサノオと稲作の関係性の深さを現していると言えます。カムオオイチヒメは、山の神オオヤマヅミの娘とされていて、スサノオとの間に2柱の御
前回からの続き(6月4日のこと)です河辺八幡神社から国道27号線へ戻り、高千穂通りから府道28号線(小倉西舞鶴線)で西舞鶴へ向かいます府道28号線は通称は白鳥街道と呼ばれています😁その国道沿いにあるのが前記事にも書いた彌加宜(みかげ)神社(大森神社)住所・京都府舞鶴市森町872旧社格郷社延喜式神名帳の丹後国加佐郡の式内社・弥加宜(いやかき)神社に比定される神社主祭神天之御影命相殿誉田別命駐車場ありこちらは前記事にもリンクしてましたが、以前に2度ほど訪れています→
【イチキシマヒメ/宗像大社辺津宮に鎮座する女神】@art.mochida.daisukeこの女神はタギツヒメとタキリビメ(タゴリヒメ)と三姉妹で、宗像大社にお祀りされ「宗像三女神」と呼ばれています。『古事記』によると、天眞名井(あめのまない)でアマテラスとスサノオが交わした「誓約(うけい)」という儀式の中で生まれた女神達です。「誓約」の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の次女がイチキシマヒメ。この誓約によって五男三女神が生まれ、「ひな人
高角神社(高見山山頂)(たかすみじんじゃ)大和国吉野郡奈良県吉野郡東吉野村平野241(登拝、アクセス記事は→こちら)■延喜式神名帳(宇陀郡)高角神社二座鍬靫の論社■祭神高見明神標高1248.4mの「高見山」山頂に鎮座する社。大和国吉野郡(現在の東吉野村)と伊勢国飯高郡(現在の三重県松阪市飯高町舟戸)の境に山頂があります。◎創建由緒等については諸説あり、それは社名の訓み方やご祭神、式内社比定に関しても及びます。◎「神社覈録」は当社を式内社高角神社二座に宛てていま
この日は長栄寺の節分祭に行く為に初めて近鉄『河内永和』の駅で下車駅から約300mぐらいの場所って地図に書いてあったのですがアレその場所にはとっても広い境内の神社が有りましたおかしいなぁ~さて、こちらは鴨高田神社(かもたかだじんじゃ)正面鳥居社標とっても静かな神社手水舎拝殿(本殿)ご祭神は速須佐之男命大鴨積命神功皇后応神天皇~由緒等~古代豪族であった鴨氏がこの地に居住、673年に祖神を祀ったのが始まり。祖神は大鴨積命(素盞鳴命の十一世孫
2022年9月9日、武蔵国の式内社である、標記神社を訪ねました。式内社物部天神社(もののべてんじんしゃ)当社、いまは『北野天神社』という社号です。歴史的には、当地に勧請された北野天満宮や周辺神社などの合祀を重ねました。宗教法人としては、『物部天神社国渭地祇神社天満天神社』として登録。これを総称して『北野天神社』としています。◇鎮座地:埼玉県所沢市小手指元町3-28-44◇最寄駅:西武池袋線・小手指駅から1.7km◇バス停:北野天神前~156m(西武バ
【ミヅハノメ/イザナミが産んだ水の神】@art.mochida.daisukeミヅハノメ(弥都波能売神)を描いてみました。この神様は『古事記』のイザナギ、イザナミが多くの神々を産んだ逸話「神産み」で生まれたとされる水の女神様です。高天ヶ原の神々より授かった天の沼矛(あめのぬぼこ)を用いて、国土を産み固めた「国生み」を成し遂げた夫婦神がイザナギとイザナミ。「国生み」が終わると、イザナギとイザナミの夫婦神は多くの神々を産み成しました。これを「神産み」と言います。
徳威神社は、いよ小松北ICから1㎞ほど帰途の所緒に鎮座されます。右に手水舎。手水舎からの眺め。旧社格は県社。---社伝によると顕宗天皇の三年(478)阿閉臣時代の創祀と伝えられている。祭神は大日霊貴神・高産霊神・神産霊神・月夜見神・応神天皇・豊受姫神・武内宿祢である。古くは、徳威神明宮と云っていたが、平安時代の元慶三年、応神天皇を勧請してより徳威八幡宮または吉