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群馬県富岡市で車中泊した翌日、軽井沢方面へ抜けようと碓氷峠を目指す。碓氷峠にあるレンガ造りの「めがね橋」は多くの観光客が訪れる場所でもある。車で行っても良いのだけれど廃線跡にウォーキング・トレイルがあるのでそこを歩いて「めがね橋」も見ようということになった。『アプトの道』群馬県安中市にある『鉄道文化むら』の横からスタート。スタートしてすぐのところにある案内所のようなところで地図をもらえる。この地図を見ながら歩く方が絶対楽しい。ネットからダウンロードも可能↓遊
豊肥本線・南熊本駅は、軍都・熊本の面影を残す重厚な駅舎と、幻の「熊延鉄道」の痕跡が交錯する駅。市街地にありながら、歴史を感じる構造と広い構内が印象的な駅です。南熊本駅|駅舎と駅前南熊本駅は大正3年に「春竹駅」として開業し、昭和15年に現在の南熊本駅へ改称。熊本市南部の玄関口として発展してきた歴史を持ちます。駅舎全景横長で風格のある駅舎、昭和初期を感じさせるデザインですが、この駅舎は、昭和11年頃に建てられたとされる木造駅舎です。熊本大空襲を奇跡的に免れた駅舎です。
昨日投稿した、鍛冶屋線廃線跡探訪「旧野村駅」編『鍛冶屋線廃線跡探訪①』先日より投稿していた、「フォト回顧録〈1990年頃〉加古川線・鍛冶屋線」『フォト回顧録〈1990年頃〉加古川線・鍛冶屋線①』先日の加古川線色キハの投稿で当時…ameblo.jp今回からは廃線跡を辿ります。まずは、旧野村駅から分岐していたあたりへ。踏切から谷川方面を望む。線路脇には「やすらぎの道」と看板が掲げられた石畳の遊歩道があります。右へ逸れていく線路が加古川線の谷川方面。遊歩道と線路の間に不自然な空き地がありま
探索日2018/11/03山陽本線笠岡駅を所管駅としていた専用線工場は1978年3月25日閉鎖専用線の廃止もそのときと思われる発着番線の右に二線の貨物側線があった敷島紡績線はそこからサトウ薬品の左へのびていく敷島紡績線は御食事処看板の位置を通過二枚のシャッターが折れ曲がっているのは線路の名残かこのへんに線路があった道路は当時なかったので踏切跡ではない「止まれ」のむこうが敷島紡績へ進入口工場跡地にはニチイ笠岡店が進出訪問時は笠岡シーサイドモール
長野原駅と太子駅を結んでいた鉄道路線が1971(昭和46)年に廃止となった国鉄吾妻線太子支線一昨年秋に出かけてきた群馬・信州の旅廃線跡散策してきました【長野原駅(現長野原草津口駅)を出ると~】現吾妻線から離れて右にカーブすると鉄橋が現存します赤い上路プレートガーダー橋は白砂川橋梁橋梁手前には、高架の名残と思われるコンクリート土台も残っています真上の道路は県道376号線で八ッ場ダムに伴う県道付替なんです【国道292号線から分岐すると~】廃線跡は地元の裏道に
前回の東海道サイクリング以降、日本列島の殆どの地域が梅雨入りしたため、秋頃までは本格的なサイクリングは出来ないだろうと思っていると、何故だか普通に一日晴れっぽい天気予報が出てきたので6月18日(木)走りに行って参りましたスタート地点は姫路市某所朝から青空が出来ていて、風も適度に涼しくて、正に“サイクリング日和”という感じですまずは少しだけ西国街道(旧山陽道)を走り続いて“姫路明石自転車道#へと入って行きますこの自転車道の姫路近辺の区間は、ほぼほぼ新幹線の高架下の
探索日2018/10/08甘木線(現甘木鉄道)太刀洗駅から分岐していた軍用貨物線※路線図は正確でない可能性あり太刀洗駅南レールを置いてるとこに航空廠線があったはず奥が駅航空廠線はここへのびてくる800mほど甘木線と並走する路盤跡が続いている大刀洗川を渡る橋桁は人道橋化の際に架けられたもの甘木線と同タイプのコンクリート橋が架かっていたと思われる橋脚は鉄道時代のもの鉄道時代の橋脚には、人道橋の橋桁は乗っていない橋台も鉄
撮影日2014/10/13ホテルむかでや5:07チェックアウト早起きやな新潟県中越地震の影響で地面が隆起した・・・と思ったがアート作品やったアスファルト・スポット『千手発電所専用線』探索日2014/10/13飯山線十日町駅から分岐していた、千手発電所建設のための工事用軌道発電所の運用開始は1939年らしいので、線路敷設はそれより前とい…ameblo.jp飯山線十日町駅8:28発の上り列車に乗る足滝9:02着下
冒頭の写真は「名鉄上飯田ビル」です。この建物は、上飯田駅の事実上の駅ビルとして機能していた建物ですが、現在でもいくつかテナントが入り、住宅の区画には住人もいるようです。そしてこの建物の眼前の交差点の名称、今でも「上飯田駅前」です。「上飯田駅前」の表示が今もあるちょうど「名鉄上飯田ビル」の表示も写っていますね。さて、上飯田ビルという駅名を冠した建物名とはいえ、ビルの内部に駅があったわけではないようで、このビルの中に改札口と切符売場があり、そこから外にある小牧線のホームに
毎日スマホの通知に追われてお疲れ気味じゃないですか?🥺鳥取にオープンしたばかりの「風の倉吉」は、あえてTVも時計もない全11室のスモールラグジュアリー宿。結論から言うと『至れり尽くせりの最新ホテル』が好きな人には不向き!🙅♀️でも『日常のノイズを完全に消して、何もしない贅沢を極めたい大人女子』には、人生観が変わるほど最高のリトリート宿です💖古い建物の不便さすら愛おしくなる、そんな極上の宿泊記をたっぷりお届けしますね📝✨希望日の空室・宿泊プランを確認する👇風の倉吉楽天ト
愛知と岐阜に路線を広げる私鉄、名古屋鉄道。通称名鉄。愛知県のまんなかあたりを南北に走る三河線という路線があるのですが、その両端部には今は廃止になった、つまり廃線があるのです。その海側に行ってみました。こんばんは。トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。三河線三河線は、名古屋本線という幹線の南北に伸びる路線。北側を『山線』、南側を『海線』といいます。おなじ三河線でも別系統になっていて、現在では直通運転はされていません。山線の終点は、猿投(さなげ)。
最近、このブログも不定期UPになってしまいました。現役路線がゴールが見えはじめ、残りが少ない分頻度も下がったためです。また「JR東日本エリア廃線跡巡りの旅」。も始めましたが、これからの季節、雪も降りだすため、積極的な計画が立てれてないのです。「ネタ切れ」と言われても仕方ないですね。しかし昨日「仙台出張」でしたので、今日飛行機の時間まで常磐線旧線跡を走破してきました。路盤が・・・準備編でも記載しましたが、「常磐線旧線」という表現は勝手に私が付けた路線名ですので、
【26年5月4日探索・5月8日公開】現在地はこの辺福島県福島市松川町字一人子交通量がほとんどない2車線道路だ。ここ、JR東北本線の線路も近い。振り返ったらちょうど郡山行普通電車が通過していった。向き直って50mくらい進んでいくと、笹薮が途切れた先に旧国鉄川俣線廃線跡と思われる直線が現れた。築堤の上に上がった。松川駅方向、木が覆っていて先が見えない。終点(岩代川俣)方向だ。旧・国鉄川俣線は大正15年(1926)開業、昭和47年(19
廃線跡巡りも徐々にエンジンがかかってきました。今回は悲運の路線「石巻線」の「浦宿駅~旧女川駅」です。再開発?石巻線は2011年3月11日に発生した東日本大震災によって甚大な被害を受け、発生直後は全線運休した路線です。しかし徐々に復旧工事が進み、最後に復旧した区間が終点区間の「浦宿駅~女川駅」間だそうです。下の写真の左下赤枠が「浦宿駅」。廃線扱いになっていますが、写真内赤線が「浦宿駅~現女川駅」間の現役路線。右上の赤枠が「現女川駅」。廃線区間は「現女
本記事は、令和元年(平成31年)に公開された美祢線大嶺駅跡の訪問記を、令和5年7月の豪雨災害と、その後の美祢線全体の大きな変化を踏まえて更新したものです。大嶺支線がたどった「廃止」という歴史が、皮肉にも今、美祢線本線全体にも「鉄道からの転換」という形で迫っている状況を交え、6年前の記事を振り返ります。目次1.旧記事の振り返り:南大嶺から大嶺へ、廃線となった支線の痕跡を追う1-1.南大嶺駅に残る過去の記憶1-2.大嶺駅跡で見つけた歴史の証2.美祢線の現況:「鉄道」と
先日、以前から気になっていた「大社線」の廃線跡を巡ってきました。廃駅?この路線は1990年4月1日を以て廃止された路線ですので、比較的最近の話ですね。起点「出雲市駅」から終点「大社駅」までの7.5kmの路線ですので、北海道の廃線跡巡りに比べると気軽に巡れそうです。今回はレンタカーで終点「大社駅」まで行って、ほぼ廃線沿いに巡り、起点「出雲市駅」まで帰ってこれました。では早速。まずは終点「大社駅」。駅舎は国の重要文化財であることから解体されず観光名所とし
新潟県の燕三条に出張です。本来、燕市と三条市は別の自治体なので、地元では「一纏めにしないでくれ。」なんて人もいるらしい。ちなみに上越新幹線の駅名は「燕三条」ですが、北陸自動車道のインター名は「三条燕」です。今回の出張は車移動で荷物に余裕もあったので、CARACLE-Sをスーツケースに入れて持ってきました。滞在先のホテルからJR燕三条駅は徒歩1分程です。休日が3回あるので、何処に行こうかと地図を眺めて見つけた廃線跡を訪ねてみる事にしました
10月10日スタートは篠ノ井線の明科駅。平屋のローカル色の強い駅舎だと思っていたら、数年前にリニューアルされてロータリーから駅舎まで敷地全体が綺麗になっていた。2009年に整備された『篠ノ井線廃線敷』ハイキングコースの看板やマップも、訪れる人に親切だ。塩尻駅から松本駅ー西条駅ー篠ノ井駅の区間が開通したのは1902年の事。1970年代のSL時代を過ごし、明科駅ー西条駅区間が電化に伴う付け替えで廃線になったのは1988年だ。廃線跡は約4.8kmがウォーキングルート
静岡私鉄旅の、今回は「赤電」こと遠鉄電車です!完乗済みの路線ですが、駅名標の撮り直しを兼ねて新浜松駅からお隣の第一通り駅まで歩いてみることに。すると、現在の整然とした高架からは想像もつかない「クネクネした旧線跡」の謎が次々と浮上……。今回は、あえて「地図(バーチャル)」という高い視点から、浜松の街に刻まれた壮大な鉄道の記憶を紐解いていきます。前回までのお話静岡県内の未乗私鉄路線完乗をめざす今回の旅。スタート初日は、ほとんど愛知県内の移動で終わってしまい、ようやく静岡県にイ
鶴岡駅前から湯野浜温泉行き路線バスに乗車、約40分で善宝寺バス停に到着。バス停の目前に善宝寺鉄道記念館(旧.善宝寺駅跡)がありました。(1993.10.10善宝寺鉄道記念館)木造駅舎にホームが2面、そしてモハ3は開業時(1929年)に自社発注した生え抜き車両。館内には係員が常駐して施設管理が行き届いていましたが、残念ながら「閑古鳥が鳴く」状況で・・・案の定、私が訪問した数ヶ月後には閉館に至ったようです。
この日は今年初めての奥能登2か月ぶりw今年は雪が多くてこちらまで来るのも億劫になってました残念ながら列車は出発したばかり特急輪島行~のバスいまどき、タッチ決済OKこの日はこれで能越県境を跨ぎ帰路能越県境PA(富山方面)は公式では売店など記載はありませんが魚介系とお土産を売っているお店がありますが、不定休立山がうっすらで、帰り道に買い物に寄ったら罠にはまってしまった買わなきゃダメでしょだいたいト
廃線レポ青森県営専用線休線区間第1回探索日2024.10.26公開日2026.08.12所在地青森県八戸市八戸の街を造る鉄道皆さんは青森県営専用線ときいてピンと来るだろうか。青森県民でもその名前を知る人は少ない、超マイナーな路線だ。青森県営専用線、またの名を八戸臨海鉄道といい、現在でも一日3本ほど運行されている貨物路線である。ただ、今回探索するのはその「休線区間」である。その旧線区間というのはこの地図に赤色で示した線であ
久しぶりに西脇市方面へ鍛冶屋線跡に来ました。キハ30は、1990年廃止当時、103系の廉価気動車版のようであまり有難みのない車両でした。ロングシート&扇風機で。そんなことを言いながらも、後年、千葉の久留里線や倉敷の水島臨海鉄道までその姿を求めに行くという変わり身の早さ。鍛冶屋駅は終端駅で、この道路は客車時代の機回し線でした。廃線後、道の両脇にはケヤキ並木が育っていましたが、2年前、跡形もなく伐採されました。
新たなトロッコ列車の車両デザイン等の決定について嵯峨野観光鉄道株式会社では、1991年の営業開始以降、30年以上にわたり運行していた初代トロッコ車両が、2027年春に新たな車両へ置き換わるようで、その車両デザイン等が公開されました。※デザインはイメージ車両エクステリアデザイン1.新たに導入する車両5両(牽引車1両+客車4両)×1編成車両インテリアデザイン景色が主役として映えるよう、柱や窓枠を黒で仕上げ、保津峡の景色への没入感を高めるデザイン縁台型の座席に座りながら景色を楽
撮影日2013/08/09はりま勝原5:36発の下り電車に乗る岡山6:51着、7:13発の電車に乗り換え三原8:46着下車三原駅は、三原城跡の上に位置している9:29発の呉線電車に乗る竹原駅でしばらく停車『三井金属鉱業竹原製煉所専用線』探索日2013/08/09呉線竹原駅を所管駅としていた専用線103系電車が停車する竹原駅駅南に貨物側線跡が残る塀のむこうが竹原製煉所塀のくぼん…ameblo.jp安浦10:42着下車
D5175横を通過するのはえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインです。かつての北陸本線ですが…架線注意五智交通公園に保存されているD51何度も車窓で見たことがありますが近くで撮影したのは今回が初めてです。ナメクジ型と呼ばれた初期型白は白河機関区からだと思います。デンターにでっかい構造物存在は知っていましたが何に使われているものなのかは知りませんでした。正式名はわかりませんでしたが重油を入れるためのタンクらしいです。戦後の石炭不足で重油と一緒に燃やすこ