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別府港駅で入れ替え作業中の「キハ101」と「ハフ7」1981年撮影国鉄山陽本線の土山駅と別府港、そして国鉄高砂線野口駅と別府港を結んでいた別府鉄道、この鉄道は貨物輸送が主体でおもに肥料で有名な多木肥料の製品を多く運んでいました。1980年代に入ってからは貨物の輸送もトラックに移り変わってしまい、1984年に廃止されました。当時、貨物輸送のあった土山から別府港は客車と貨車を併結しての運行、いわゆる「貨客混合列車」が見ることもできました。私が訪問した時は休日だったので残念ながら貨車の連
今週は特にJRネタがないので苦しい時の神頼み?で小湊鉄道を訪れました。既に菜の花や桜の花の季節は終わっているので、残る撮影コンセプトは水田で水鏡を狙うことしかありません。下車した駅で直ぐに反対側から上り列車が来るため、取り合えず駅の傍での被りつきアングルで始めることにします。ご覧の通り路面は草茫々で何か廃線跡みたいです💦休業中のいすみ鉄道のように保線に手を抜いているのではとちょっと心配になります。正方向は逆光になるので後追いで構えていると来たのは仙台色のキハ40でした。
ここは・・大変申し訳ないのですがGoogleマップに以前あった表示が無くなってしまって、、場所をロストしました。塩山軌道跡は葡萄畑にポンと出るので、それをたどっていけばきっと隧道に当たることでしょうあ、でも私が行った時も隧道への道はGoogleマップのストビューになかったので。。フルーツラインの出口近くだった、大きな橋の袂にバイクをおきましたわほら、私用心深いから、ちゃんと停車位置を撮影してる、えらい!ここはストビュー範囲内です。謎の出っ張りによりバイクは余裕で置けます三塩
撮影日2025/11/01所在地は大分県大分市鶴崎下鶴崎大分工場の開設は1944年とのことその時代でレンガを使うことは考えにくい前身の日本染料製造時代のものか?踏切跡は九州石油大分製油所専用線のものとなりに住友化学工業大分工場専用線の踏切があった『九州石油大分製油所専用線』探索日2010/01/10日豊本線鶴崎駅を所管駅としていた専用線住友化学工業大分工場専用線と一部共用九州石油線は1997年2月28日が最終運行日らしい住友…ameblo.jp
【26年5月4日探索・5月8日公開】現在地はこの辺福島県福島市松川町字一人子交通量がほとんどない2車線道路だ。ここ、JR東北本線の線路も近い。振り返ったらちょうど郡山行普通電車が通過していった。向き直って50mくらい進んでいくと、笹薮が途切れた先に旧国鉄川俣線廃線跡と思われる直線が現れた。築堤の上に上がった。松川駅方向、木が覆っていて先が見えない。終点(岩代川俣)方向だ。旧・国鉄川俣線は大正15年(1926)開業、昭和47年(19
北海道内の廃線跡巡りの旅、前回は今後の旅を整理しました。というわけで今週末は「④士幌線廃線跡巡りの旅」です。ちょっと贅沢にそんな国鉄士幌線は、JRグループ発足1週間前の1987年3月23日に全線廃止された路線です。「帯広駅」を起点とし、大雪山のふもと「十勝三股駅」を結び路線延長は78.3km。北海道内のど真ん中辺りに通じていました。場所はこの辺り実は札幌市内からそう遠くは無いものの、今回はこの1路線飲みながらも1泊2日の旅です。というのも士幌線は、
ご訪問ありがとうございます。記事は憶測で書いてますので内容に誤りがありましたらコメント等でご指摘頂けると助かります。全国のJR駅が見たい時はこちら→☆第三セクター・私鉄駅が見たい時はこちら→☆皆さま、こんにちは!前回のブログでことでん(高松琴平電気鉄道)琴平線・岡田(おかだ)駅の訪問記をUPしました。前回のブログもチェックくださいませ。『レオマワールドを知ってます?高松琴平電気鉄道琴平線・岡田駅に行ってきました【まったり駅探訪】』ご訪問ありがとうございます。記事は憶測
豊肥本線・南熊本駅は、軍都・熊本の面影を残す重厚な駅舎と、幻の「熊延鉄道」の痕跡が交錯する駅。市街地にありながら、歴史を感じる構造と広い構内が印象的な駅です。南熊本駅|駅舎と駅前南熊本駅は大正3年に「春竹駅」として開業し、昭和15年に現在の南熊本駅へ改称。熊本市南部の玄関口として発展してきた歴史を持ちます。駅舎全景横長で風格のある駅舎、昭和初期を感じさせるデザインですが、この駅舎は、昭和11年頃に建てられたとされる木造駅舎です。熊本大空襲を奇跡的に免れた駅舎です。
廃線跡巡りの旅第一弾「道南エリア廃線跡巡りの旅」を終えて、先ほど無事に帰宅しました。初の長距離ツーリング、はっきり言って疲れました。そうも言ってられませんので、今日は初日2本目の廃線跡「寿都鉄道線」です。経験が活かされますまずは昨日1日の予定スケジュールです。【5/17(土)】この旅のシリーズは「元国鉄」「元JR北海道」を主として巡っていますが、たまたま路線間を結ぶ道中「寿都鉄道線」の廃線跡があったために巡ることにしました。寿都鉄道線は1972年5月11
探索日2018/09/23奈良駅と加茂駅を結んでいた9.9kmの路線廃止は1907年(明治40年)8月21日佐保川を渡るこれが橋台跡とされているけど、疑わしいな大仏駅跡には大佛鐡道記念公園奥へ続く民家のならびが廃線跡ここには鉄道時代の区画が残っている奈良県道44号になった大仏線跡黒髪山トンネルは撤去され、切り通しになった大仏鉄道跡はウォーキングコースとして紹介されている鹿川隧道(施設名は上写真の案内図による)この上を大仏線が走
探索日2018/10/07大牟田線大善寺駅と西鉄大川駅を結んでいた路線1951年9月25日休止、1966年5月6日廃止元は縄手(後の上久留米)と榎津(後の西鉄大川)を結んでいた大川鉄道津福~大善寺が大牟田線に編入、残された上久留米~津福/大善寺~西鉄大川が上久留米線/大川線として独立した福岡県道47号になった大川線跡右の酒造工場は、大川線現役時からある?道路が廃線跡右は大川市立清力美術館『大川市立清力美術館』撮影日2018/10/07場所は
新たなトロッコ列車の車両デザイン等の決定について嵯峨野観光鉄道株式会社では、1991年の営業開始以降、30年以上にわたり運行していた初代トロッコ車両が、2027年春に新たな車両へ置き換わるようで、その車両デザイン等が公開されました。※デザインはイメージ車両エクステリアデザイン1.新たに導入する車両5両(牽引車1両+客車4両)×1編成車両インテリアデザイン景色が主役として映えるよう、柱や窓枠を黒で仕上げ、保津峡の景色への没入感を高めるデザイン縁台型の座席に座りながら景色を楽
使用機材紹介NikonCoolpixP950撮影日2025年9月24日群馬県安中市松井田町坂本先週までとは打って変わってめっきり涼しくなって朝晩は長袖のトレーナーを着て丁度いい感じだ。せっかく涼しくなったのでちょっと歩ける場所で撮影したいなと思って今週は旧碓氷峠に有る碓氷湖(坂本ダム)から旧熊ノ平駅までの遊歩道を歩いてみた。この道はJR信越線の線路跡でアプトの道として遊歩道として整備され碓氷峠の森公園から旧熊ノ平駅まで繋がっている。今回は碓氷湖の駐車場に車を止めてめが
原油価格の高騰に対してガソリン高くなってますねぇもう自家用車で遠出は無理なので・・・今日はいわき市のお隣になる双葉郡広野町まで観光に出かけました先ずは・・・朝6時の波立海岸。立春を過ぎて夜明けがドンドンと早くなってます出発点は双葉郡広野町大字折木にあるJR常磐線の東禅寺踏切から。現道としての東禅寺トンネル。で東側に旧常磐線の旧東禅寺トンネルあり。煉瓦造りで立派な坑門ですね1960年代に国鉄常磐線が電化する際にそれまでの隧道は断面が小さいので全て放棄
広島県北部の安芸太田町にある吉水(よしみず)園は、緑に包まれた歴史ある日本庭園。いま初夏の一般公開が始まっています。1年の中で、公開されるのは、初夏と秋の2回のみ。2025年初夏は5月31日、6月1、7、8日の4日間です。初夏の新緑に包まれたお庭は本当に美しいし、何より園内に生息する天然記念物のモリアオガエルを見ることができる、貴重な場所なのです。モリアオガエルは、名前の通り森に住むアオガエル。水辺の樹上に産卵するという、奇妙な習性を持っています。吉水園では5月から6月にかけてが産
田代隧道後編探索日2024.11.03公開日2025.10.01所在地青森県青森市人の気配2024/11/0314:43《現在地》二本目の分岐を右に曲がり、険道242号線から離れていく。隧道まではこの道を700メートルほどの道なりなのだが今でも人の出入りがあるのか、路盤は良く締まっており落ち葉にも轍が形成されていた。正直砂利道の県道242号線よりも走りやすそうだ。急に右側が開けたと思ったらそこには八甲田の山々が神々しくそびえ立っていた。
国鉄終焉前、1980年代に加速した、地方ローカル線の廃止。国鉄の処理を早くしたいが余り、百年の計でみた精査をせず、先人の汗と先見性で築き上げ、国民の財産であった鉄道を、その時点の採算と旅客数だけで切り捨てていった時期でした当別荘で度々訪ねる兵庫県でも、そんな路線が多数姿を消しました。今作で取上げる旧高砂線もその一つです。夏恒例の"帰省がてら作"、今年は高砂線の廃線跡を歩き、その痕跡を辿るとともに、なぜこんな重要な経路の路線をバッサリ無くしたのか?当地の現状はどうなっているのか?を
これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、大分市の大分駅の隣駅でもあります日豊線西大分駅は、こちらもご紹介しておりますように、大分地区の貨物の拠点でもあります駅でもあるのが特徴であります。この西大分駅では、旅客列車に関しましては、画像2・3にもありますように島式ホーム1面2線となっているのが特徴でありまして、画像の南福岡車両区の813系電車や大分車両センターの815系電車などと言った普通列車が停車する駅でもあるのが特徴の駅でもあります。尚、上の画像1の駅舎はJR貨物の
昨年の晩秋、当別荘的に緊急案件が飛び込んできました"日本一営業キロ数が短い私鉄"として知られる、和歌山県中部を走る紀州鉄道で、存廃話が降ってわいているというニュースが入り、新年早々に急遽行って参りました又、せっかく久々の和歌山なので、前々から訪ねたいと思っていた紀州の古刹を2ヵ寺寄ってきました。はたして紀州鉄道の現状と将来は?、Wo流にみていきたいと思います。ではスタートしますJRきのくに線・御坊駅に到着(※和歌山県御坊市)"きのくに線"は、JR西が紀勢本線の和歌山県区間に付けてい
ドナルドの甥っ子のお店でお買い上げポテトとハートのリングシューミッキーパンズに挟まれた照り焼きチキンパオみんなでわけっこトゥーンタウン内の見どころといえばジョリートロリー廃線跡ですね中間駅、列車交換時停車することもありました中間駅の駅名なんだったっけ…トゥーンパーク?日本では車が増えすぎた為、路面電車を廃止していきましたがトゥーンタウンでは、人が増えすぎた為、路面電車は廃止となりましたここからはひと昔前の撮り鉄
探索日2018/08/12山田線宮古駅を所管駅としていた専用線廃止は1986年らしい※宮古~磯鶏間で途中分岐、スイッチバックして工場へ進入する写真左下付近が山田線からの分岐点ラサ工業線は右へ分かれ、山田線と並走していく架道橋跡奥は山田線の架道橋撮影地点が廃線跡訪問時、山田線は東日本大震災の被害により運休中この翌年、三陸鉄道リアス線に移管され営業再開する工場方面を見るここに二線の線路があった道が折り返し線跡道路がほぼ折り返し
加茂郡七宗町室兼にある室兼林道にいきました。この林道はかって七宗御料林から木材を運び出すために、室兼から本谷を結ぶ森林鉄道が施設されていた。又ここは昭和10年(1935)に開通し、昭和32年(1957)に廃止されたが、そこ廃線跡の一部を林道になっている。今回はこの林道の入口になる室兼から本谷を目指しました。林道を歩き出すと右側を流れる本谷川は葛屋川の支流で、林道を入口から約2,5㎞の間を主に本谷川沿いを歩くことになります。この林道は狭い道で左側は主に杉林が続きますが、時々顔を出す本谷川は
さばんさです。毎度の朝活はあきらめて、夕活です。しかし暑すぎます。蒸し度がすごいです。昨日の夜から窓は開けられません。今年はどんな夏になってしまうのでしょうかね。一旦休憩で、今日は鉄道の日、こちらです↓1999年4月5日に廃止となった、新潟交通電車線の白根駅です。上の画像の記憶をよーくたどってみると、1999年の11月頃だった記憶が蘇ってきました。奥に写っている緑色の車は当時の私の車で、3年くらいしか乗らなかった車なので、いろいろ考えるとこの時期だと思われます。
国縫駅(くんぬいえき)の歴史を、時系列を中心に深掘りしてお伝えします。あなたの短歌で描かれた「内浦の風のみぞ吹く寂しき午后」の情景は、まさにこの駅の長い歴史が育んだ静けさと重なります。駅名の由来地名「国縫」はアイヌ語に漢字を当てたもの。主な説は:「クンネ・ナイ(kunne-nay)」=黒い川(川の水が黒く見える、または砂鉄が多く水が濁る)「クンネ・ヌイ(kunne-nuy)」=黒い野火海岸に砂鉄が多かったため単に「黒い」という意味内浦湾(噴火湾)の最奥部に位置し、砂鉄の影響で「黒い」印象が
今日はかなりマニアックなお話になるため、興味の無い方はスルーして下さい😅私は最近、仕事で京成本線の京成関屋駅付近に出没しているのですが、それを関西在住の友人に話たところ、友人曰く、「そう言えば、関屋のスユ37はまだ残っているの❓️」と訊ねてきました。(京成3700形・京成関屋駅にて)友人に内容を詳しく聞いてみると、その場所にはかつて、東武線の引き込み線が延びており、千住貨物駅があったそうです。その跡地の一角に、分断された旧型客車の廃車体(スユ372004)が置かれているらしく、マニ
小樽には“ぶらり”に最適なスポットがたくさんあります。その中でも私が好きなのが「旧手宮線跡」のコース。手宮線とは北海道最初の鉄道である官営幌内鉄道の一部として1880年(明治13年)に開通しました。その後北海道炭礦鉄道に譲渡。1906年(明治39年)には国有化されましたが、1962年(昭和37年)に旅客営業が廃止、1985年(昭和60年)には貨物列車も廃止されました。そんな手宮線の通った場所の一部が、「跡」地として今も残されているというわけです。観光スポットとしては小樽
探索日2018/08/15湯田ダム建設にともなう線路移設切り替えは1962年12月1日横黒線は現在の北上線、陸中川尻駅はほっとゆだ駅和賀仙人駅より陸中川尻駅方面を見る現在線右に旧線があった旧線跡は日本重化学工業南岩手工場専用線敷設に利用されたと思われる旧線はこのへんを走っていた国道107号になった旧線跡国道と分かれ、奥へ直進ここに旧和賀仙人駅があった現在は日本重化学工業南岩手工場の敷地になっている橋梁跡橋跡から陸中川
こちらの記事で紹介した、小川駅付近に残っているブリジストン専用線跡ですが、大きな変化があったので紹介します。小川駅に行く用事があったのですが、何気なく見ると残されていた専用線跡の線路が撤去されて、アスファルトが敷かれた仮設の駐輪場になっていました。萩山方です。ここから先もきれいに痕跡が無くなっています。小川駅方向です。線路の痕跡は残っていません。幸い、専用線ホーム跡と思われる築堤は残っていました。なお、国分寺方は変化した様子はありませんでした。小川駅は再開発
線路、動輪、駅名標。南段原。大きなSLを保存するのは大変ですが、駅のモニュメントとしてはこれで十分。レールに年号が書かれているのですが、風化して読めませんでした。いかにもなコース。この辺りは上大河駅があった場所。軍事輸送として重要な線で、D51のような大きな機関車も入っていました。しばらく跡形も無い道を歩いています。寒いのでコンビニで缶コーヒーを仕入れ暖を取ります。広島方向を撮ったところですが、コンビニの少し先に下大河駅があったとされる広
西武鉄道多摩湖線は東京都国分寺市にある国分寺駅から、西武拝島線との接続駅である萩山駅(東京都東村山市)を経て、東京都東村山市にある多摩湖駅までを結ぶ路線です。現在、同線には以下の駅、信号場が存在します。・国分寺(こくぶんじ)・本町信号場(ほんちょう)・一橋学園(ひとつばしがくえん)・青梅街道(おうめかいどう)・萩山(はぎやま)・八坂(やさか)・回田信号場(めぐりた)・武蔵大和(むさしやまと)・多摩湖(たまこ)このほか、その歴史において、・東国分寺(ひがしこくぶんじ