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草津温泉の湯畑周辺の神社仏閣巡り致しましたので、見た場所などをご紹介します。金比羅神社ホテルスパックス草津の裏にありました。つまり、金刀比羅神社は湯畑と西の河原の中間付近に鎮座しています。正面からだと、もの凄く急な階段を上る必要があります。一部手すりがないので、注意が必要です。由来等は以下になります。金刀比羅神社金刀比羅神社創建は江戸時代後期の寛政9年(1797)、桐屋の主人高原長右衛門が讃岐(香川県仲多度郡琴平町)に鎮座する金刀比羅宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられていま
地蔵寺門前のお地蔵さん。道標の他に板碑もありました。「觀應の板碑」とあります。観応年間に建てられたものということだとすると1350年代のもので700年近く前のものということになりますね。古い!そして状態がいい。八坂神社忠魂碑も今回のお遍路中たくさん見ました。徳島でよく見た里程標を兼ねた親柱「距市塲町一五二粁」とあります。反対側には「距撫養町一九〇粁」立派な石灯籠ちょっと読めないのですが「遍路みち」と漢字交じりで書かれているのでしょうか?何気なく撮った石碑なのですが日本
北向庚申塔は伊勢市駅から西へ2㎞、上社のすぐ北に鎮座されます。鎮座地:伊勢市辻久留一丁目7後方は、上社の杜です。--------------------------北向庚申塔青石材。伊勢市で130余の庚申塔中、青面金剛像では最古最大のものであります。青面金剛像は普通三面六臂像が多いのですが、この像は一面二臂です。脚下の天邪鬼も各脚下に鬼一匹ずつというのも、伊勢市では本塔のみであります。他に日月や一猿一鶏を刻んでいます
秘境探索大入12大入おおにゅう幻の秘境花山天皇隠れ里花山(かざん)場所は愛知県北設楽郡東栄町東薗目大入愛知県道429号線古真立佐久間線(こまだてさくません)秘境探索大入11よりつづく『秘境探索大入11』秘境探索大入11大入おおにゅう幻の秘境花山天皇隠れ里花山(かざん)場所は愛知県北設楽郡東栄町東薗目大入愛知県道429号線古真立佐久間線(こまだてさくませ…ameblo.jp今回探索の目的地(花山神社)横庚申塔があつた町誌に載る庚申塔東栄町誌よりずいぶ
今回も海シリーズ3回目前回の『熊野神社』から徒歩20分54号線を北上今津大橋を渡って右手の浜崎漁港の先に延びる砂洲:洲之崎にある八大龍王神社今津大橋からみた洲之崎橋を渡る手前今山の裾野でみつけたお札初めて見ました『道饗祭疫病退散御守り』~道饗祭(みちあえのまつり)~厄神・疫病が入らぬように6月・12月の大祓の後道の途中に食物を供え祈る祭。八衢
関崎の渡しは川田宿と川中島平を結ぶため千曲川に設けられた渡しの一つ。常夜塔町川田神社の常夜塔は千曲川に転落して人々に助けられ仏の功徳に感謝して関崎の長覚寺へ寄進した。文政八年町川田神社へ移された。古城山城跡錦ケ池は川中島合戦の帰途にいた上杉謙信がのどの渇きを覚え村人に尋ねこの池を教えられた。口留番所秋葉社は通りの東西の両端にあります川田宿の中央辺りにある川田宿の地主旅館和泉屋は高級武士の宿学林寺跡にある町川田公民館二十三夜塔と道祖神庚申塔一里塚
宿坊で6時半からのお勤めに遅刻ギリギリになって参加、7時朝食、7時半過ぎに出発しました。Day1のその1にも書きましたが今回のシリーズではお寺の山門より内側の写真は基本的に省略しようと思います。気になる方は現地で確認または検索してください。8番を目指します。こういう瓦はなんていうんでしたっけね。飾り瓦?火の見櫓もチェック。ごしよおおはし秘密基地?ミステリーサークル幼き日の二宮先生八番熊谷寺は右という案内が出ているのに台湾人グループが直進していったので、
今日はめでたい日なので、会社からお休みを頂き、街道歩きをしました。何がめでたいかというと、実は私の誕生日だったんです。誕生日だからといって、中山道の続きを歩きに高崎まで行くにはそろそろ予算的な問題も大きくなりつつあるので、以前からそんなときのために暖めていた「ご近所街道」の赤山街道を歩いてみることにしました。赤山街道とは、土木などのノウハウを発揮し、関東郡代として関東地区の開発を進めた伊奈家が拠点とした陣屋から、各地(大宮方面、越谷方面、千住方面)に輸送や連絡のため
俎岩山蓮着寺の次はランチを挟んで萩にある水東山林泉寺へ。御本堂の前に大きく立派な藤棚があり、正面からだと御本堂が写真に撮りづらいです横から。藤の花が咲くと美しいだろうな〜こちらは地蔵堂かな。美しい境内には石仏がいっぱい。境内入り口と藤棚の下の六地蔵さま。羅漢さま、お地蔵さまや、小僧さん、庚申塔なども。御朱印。
1番から2番は1.4km、2番から3番は2.6km、3番から4番は5kmとここまでは倍々ゲームで札所間の距離が伸びています。とはいえ、この5kmで撮った写真が170枚。例によって取るに足らない(撮るに足らない?)写真ばかりとは言え取捨選択に悩みます。旧撫養街道の高徳線踏切手前の立派な道標。右大坂越とあります。讃岐方面へ向かう道のようです。左側の道標は「☞三番金泉寺五丁、☜四番大日寺五十丁」とありますが向きがおかしいです。本当は東西を差していたものを鉄道工事か何かの際にここに移設して南
寺子屋師匠で大正4年(1915)4月2日に逝去された当家四代目伊藤七郎治(しちろうじ)の筆塚です。裏には教え子の名前も彫られています。筆塚(ふでづか)とは、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算や実務教育を教わった教え子が、師匠が亡くなった際にその遺徳を偲んで、自分たちで費用を出し合って建てた供養塔だそうです。左に見えるのは庚申塔です。
内山横道の入口には、庚申塔、二十三夜塔や三十三夜塔といった月待塔(つきまちとう)、御嶽神社碑、馬頭観音などがあります。
菜の花公園の下~千曲川沿いの道路の「大乗妙典一千部供養塔」大乗妙典一千部供養塔は、衆生を迷いから悟りの世界に導いてくれる教えを記した仏教経典である「大乗妙典」を一千回、独誦したときの記念に建てた石碑です飯山市菜の花公園下の千曲川沿いの道路際に、庚申塔や、◆◆供養塔などの立派な石碑が3つも建てられています。なお、大乗妙典一千部供養塔は文化12年(1815年)と刻まれているので、今から208年前に建てられたものです。この道路は古くからあった道なのでしょうか。
小竹町・八雲神社さんから、桜台6高稲荷神社さんに向かいました。途中で鳥居と社殿がありましたが、扉があって入れませんでした。社号標もありませんでしたので、お狐様がありましたので稲荷神社でしょうか?住所は、練馬区桜台3丁目16番3号でした。高稲荷神社さんに向かいました。途中に、庚申塔がありました。元の所在地(桜台2‐43)から移して来たようです。高稲荷神社さんに着きました。社殿は、一段上のようです。こじんまりと纏まっている
徳祥寺から美女木廃工場スタジオにやって来ました。内田工務店と書かれた廃工場。言われなければ、ここがスタジオだとは分かりません。建物内部です。この廃墟が醸し出す雰囲気が、ドラマの撮影等で多用されています。貸スタジオなので、コスプレイヤーの利用もあるようです。ここ以外にも、電車や航空機のセット(座席シート)も用意されています。スタジオを後にして、そろそろ最終目的地へ向かいます。写真は途中で遭遇した小さな神社です。ちょっと入ってみましょう。狛狐がいるのでお稲荷さ
今日は60日に1度の「庚申の日」。仕事は休みにしているし、天気も良いので、練馬区下石神井5丁目の庚申塔を訪ねました。出発点は西武新宿線の「上石神井駅」(いま思えば、この出発駅の選択はどうだったか?)。住宅街のなかにお堂がある、「丸彫青面金剛庚申塔」。練馬区の住宅街(と畑地)は平坦だし高い建物もないから目印がない!方向音痴の私は道に迷いながら辿り着きました。なぜ「丸彫」というか?それは本体が丸のまま削り出されているから?いや、もともとは光背があって、そこに月と日輪などが彫られ
『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多●こわい庚申(こうしん)さま✪道教からおこった庚申信仰は、平安時代に日本にはいり、以後、仏教・神道・修験道などと習合して日本独特のものとなった。もとは中国の道教の説によるもので、人間には三尸(さんし)という虫がいて、庚申の夜に抜け出して天帝にその人の罪悪を報告するというので、その夜は眠らないで夜明かしをする。これは平安時代から貴族の間では行われていた。近世には各地に庚申講がぞくぞくと生まれ、至るところに庚申塚や庚申塔がつくられた。庚申さまを信じ