ブログ記事2,224件
前回で阿佐ヶ谷から短縮前の梅70系統お名残乗車の時に見つけた二つの同じ名前のバス停の続編です。西東京市の庚申塚を見に行ったので東大和市の庚申塚にも行ってきました。昔東村山に住んで西武バスの立35系統で立川の学校に行っていたのでこちらの東大和市のほうがなじみだったりします。なんか西武バスのバス停の色あせ退色がすごいのですが。立川から西武バスに乗ってきたのですが初乗車の奈良橋どまりの立36系統でした。確か昔は立川発西武球場経由の所沢行きが立36系統だったような気が。庚申塚立川行きバス
十番稲荷神社は麻布十番に鎮座する小さな神社。鳥居の右にはがま池伝説・かえるの石像がある。また、庚申塔もある。青面金剛で、元禄2年(1689)奉納。鳥居の左側には宝船。港七福神の内、「宝船」のおやしろとして知られており、「宝船」を入れて合計8ヶ所巡拝するのが特色。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
江島(えのしま)神社中津宮中津宮は市寸島比賣姫(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。宗像姉妹の三女※と伝わり、神仏習合では弁財天と同一神とされ、芸術・金運のご利益と共に、それは美しい女神様として人気があります。※文献により次女とする説もあります。奉安殿の隣には境内社の八坂神社木鼻(柱の木の端)の獅子八坂神社の狛犬海が近いからなのか石が赤茶色に変色しています。安永10年(1781年)正月吉日建立阿吽ともに口を開けています。展望が開け
天満宮から銚子口香取神社に向かっています。県道の交差点にブロック塀で囲まれた石碑がありました。野晒しなので風化が激しく分かりにくいのですが、庚申塔のようです。春日部市内には200を超える庚申塔が確認されていますが、こうして風化していくものも多く、現存している庚申塔は少なくなっているかもしれません。現代でも庚申講は残っているんですけどね。ただ、寝ている間に体内に棲む三尸(さんし)が天帝に悪事を告げに行くなんて、「そんなの迷信だ」と一蹴されてしまいそう。その為に夜通し起きているという
石便り1140…鎌ケ谷市粟野にある粟野保育園前の、1840(天保11)年の庚申塔の三猿
先日2021年8月10日11日に、大分県佐伯市・臼杵市・津久見市の出撃レポをアップしましたが、二日目の津久見・臼杵散策もまた、シリーズでアップして行きますね。2021年8月11日の大分県佐伯市・津久見市・臼杵市の出撃速報レポ『昨日と今日は、大分県佐伯市・津久見市・臼杵市に出撃!』昨日2021年8月10日と、今日8月11日は、下町おやじお盆休み恒例の戦争遺構巡りを兼ねた歴史散策ということで、大分県佐伯市と、大分県津久見市、大分県臼杵市に…ameblo.jp宿泊した
すごい⭐︎3月9日日曜日の朝横須賀市佐島に到着しました12月から何度も通っていますこの素朴な海岸が好きになりました無人わかめ販売所では。。生わかめ、生茎わかめがたくさん並んでいてこの日は大根を漬けたものやブロッコリーもありました生わかめを3袋とブロッコリーも買いました天神島への天神橋から富士山チェック画面中央が富士山頂(うっすら白い所)12月はくっきり見えましたがその後は来るたび霞んでいます博物館や駐車場は9:00-で柵があり閉まっていていつもの海岸線
不審者疑惑を免れた僕は、人々の暮らしの痕跡を求めて再び歩み始めた。さっき爺さんに尋問を受けた時、その場からこの庚申塔は見えていた。僕は指差して説明しようかとも思ったけれど、スマホの写真を見せても彼は庚申塔を知らなかったし、それが実物であっても同じ事なので諦めた。僕に疑いをかけてきた爺さんは、それを晴らそうとするでもなく笑顔で語る僕と対峙して、自責の念にかられていた。それにはちゃんと理由がある。僕が発する言葉が、彼の理解を超えていたからだ。言葉には力がある。体が屈強だと絡まれ
昨夜は、湯沢駅近くの立派なホテルに泊まりました。広い部屋でゆっくりさせて頂きましたが、他の「地方都市同様」宿泊客は、少な目でした。「及位(のぞき)駅」に戻りましたが、駅に「地名由来」の説明板があり「及位」とは、修験道での「高難度な修行」の事を意味しており、面白くも、何ともない由来でした。さて、昨日の終了地点から雄勝峠へ出発です。「旧道(=旧国道)」で、雄勝峠へと暫く登って行きますが、やがて峠にあった「トンネルが封鎖」され、その先へ行けなくなります。トンネル上を歩いて通っていた、
令和7年2月25日三連休明け、今週ぐらいから少し春らしくなりそうなそんな天気予報です。南千住の素盞雄神社のお詣り記事、最後になります。御神水地蔵、庚申塔のそばにあった御神水飛鳥の杜とあります、かつてはここが手水舎だったのでしょうか。瑞光石への入り口御祭神が御姿を現され、当社御創建の起源となった小塚の中の霊石です。「神影面瑞光荊石(しんえいめんずいこうけいせき)とも呼ばれる。(素盞雄神社公式サイトより抜粋)この奥に瑞光石があります。瑞光石です
上目黒にあります寿福寺のおかめ桜を見に行きました。上目黒に住宅街にあります寿福寺天台宗の寺院です。参道のおかめ桜が満開でした。おかめ桜はカンヒザクラとマメザクラを交配してイギリスで作出された品種とのこと。さくらのトンネルのようです。青空におかめ桜が映えます。山門山門の左右に延命地蔵尊と庚申塔本堂参道の桜帰り道ヒヨドリと桜今年5回めの桜でした。
2月3日に訪れた群馬県みどり市の古墳、続きです。みどり市笠懸町西鹿田(かさかけちょうさいかだ)にある天台宗の長昌寺というお寺の境内に2基の古墳があります。↑今日アップするのは長昌寺A号古墳(笠懸町9号墳)、南東側から場所はこちら:36.405037,139.256927↑長昌寺A号・B号古墳の解説板A号墳は直径17メートル、高さ2.5メートル、7世紀前半築造の円墳。葺石を持つようです。↑長昌寺A号古墳(笠懸町9号墳)、東側の様子墳丘は木々で覆われてま
渋谷の近くに用事があったのですが、恵比寿で降りて、代官山あたりを歩いていると、「猿楽古代住居跡公園」というのを見つけて、入ってみると、丸い池みたいなところに柵がしてあり、説明書きを見ると、弥生時代の住居の跡が発掘されて、かつては再現された建物もあったらしく、そばに、展示も設けられていて、そこには、再現された建物らしき写真も。もったいないことに、火事で燃えてしまったらしいです。さらに、その奥には、「廿三夜塔(にじゅうさんやとう)」「道しるべ」「庚申塔(こうしんと
2月20日は、2025年1回目の「庚申の日」八専(はっせん)に含まれる、特別な運氣の1日です。『八専とは?気をつけたい特別運氣の8日間✨』8月16日から、暦の上では「八専(はっせん)」という特別な期間が始まります。こちらのサイトからお借りしました。貴重資料展示室039略暦-国立…ameblo.jp「庚申」とは、「こうしん」とも「かのえさる」とも読みます。天の氣「庚」は、7番目の金の氣。地の氣「申」は、9番目の金の氣。
今日は、東村山市と所沢市の都県境を探索していきます。まずはJR武蔵野線の新秋津駅へ。西武池袋線と秋津駅で乗り換え可能な駅ではありますが、連絡通路はありません。ここから5分位歩かないと乗り換えができないのです。双方のホームの最短距離は150mなので、連絡通路を作る話はあったそうです。ではなぜ連絡通路ができないのか。実際に歩いてみると分かりますが、乗り換えルートの商店街にとっては死活問題になるからです。これはJR南武線の稲田堤駅と京王相模原線の京王稲田堤駅の関係に似てますね。「いっそ
ご覧くださってありがとうございます♪母の月命日。ののさまに合掌🙏📿ウチの神さまに合掌🙏✨十五日詣🚶🏻♀️庚申塔を参って🙏🚶🏻♀️___ポリ袋が舞って来ました。スルーしようとしましたが、気になって拾いました。車の窓に飛んできたら危ないし、ね。🚶🏻♀️___お酒の空容器が落ちていたので、袋にポイ。垣根の上にビールの空き缶、缶コーヒー、ポイ。氏神さま✨🙏✨見えたゴミをポイポイして帰りました。3月、半分。無事に過ごせていることを感謝。
【22年6月19日探索・7月5日公開】現在地はここ茨城県桜川市真壁町長岡加波山へのアプローチ道だ。目的地は50mほど先に見えてきたポールの場所のようだ。右側、ブロック壁を見ながら・・・ここが目的地だ。天狗の庭、宗教施設跡という事になる。何でも、1987年頃に箱根の新興宗教団体が違法に建築したものであるという。15年ほど前からは放棄され現在に至っているようだ。内部には入れないので、フェンス外側から見える光景になる。この構造物がメインの施設だろうか
西本村稲荷から、地下をメトロが走る池袋谷原線(R441)までやって来ました。東京メトロの有楽町線と副都心線が線路を共有して乗り入れる平和台駅。先日、埼玉弁護士会長に就任した尾崎康さんと、その弟である豊さんが幼少期を暮らした街です。尾崎豊は練馬で育ち、小5で朝霞へ転校するも不登校となります。そのせいか、中学は朝霞から練馬東中へ通っています。その後、青学高等部へ進学して中退したのは有名な話ですね。おぉ~!尾崎が過ごした頃は一面キャベツ畑だった景色も、メトロが通るようになって
『五霞町小手指』南栗橋駅~堀の内界隈南栗橋駅は埼玉県久喜市なのだが県境であり私の歩いた範囲は茨城県だった帰りの電車で調べると、五霞町小手指は割りと有名な大きな被差別部落だった元栗橋にも合祀された白山神社があり、隣保館も在るコトを知った1996年までは五霞村であり、現在も境界杭などには五霞村の記載が多い小手指に入る辻には庚申塔や馬頭観音塔などを高頻度で眼にする視界に入る風景は田んぼで時おり樹木が覆い繁る場所は概ね神社であるナンでも80年代~90年代は過激な暴走族が存在し埼玉県から
花と緑が綺麗、手入れの行き届いた境内で気持ちよいひと時【寺院】浄土宗久遠山良心寺(リょうしんじ)【場所】横須賀市追浜【月日】2022年3月20日(日曜日)【天候】晴れ後曇り14℃鷹取山から下りて追浜駅に向かう途中、浄土宗のお寺良心寺に参詣した。良心寺は追浜駅から8分程、京急線の近くに鎮座する。寺院には意味合いのある寺号が多い。良心寺という名前にはどのような由来があるのだろう、この寺号をみて最初に思ったことである。ネットの情報等によると、以下のような歴史、由来があるよ
国分寺に足をのばしますこの日のウォーキングのスタートはJR中央線の国分寺駅です。開業135周年を迎えています。駅の北側を出て、しばらく歩いていくと電車開通記念碑があります。中央線の電化が1922年に国分寺駅まで延びたことを記念した石碑です。その少し先に、黄檗宗のお寺の祥應寺があります。禅宗の寺院です。本堂です。六角堂です。ここには国分寺市内で最古の庚申塔があります。本多はこのあたりの地名です。(撮影:2024.11.5)
先月の半ばに野田市の千葉県立関宿城博物館で庚申塔講座があって、二人で行ってきた。野田市内には庚申塔が様々合わせて800基もあるという。像容の主流は青面金剛だが、猿田彦像というのもある。その講座でもらった資料を頼りに、猿田彦像12基を探訪してみようと思います。【2025年2月19日】①正覚寺(西三ケ尾1009)野田市と言っても広いので、車と歩きを併用でめぐることにした。歩くのは野田市駅から梅郷駅までの8.5kmで、ここに6基ある。残りは郊外に6基散在するので車にした。まず車編から。
令和4年12月17日土曜日、曇りのち雨。オフ会も毎月やってますが。忘年会もありますが。年寄りばかりで若い人居ません。高校生君すら年末はお忙しい。すんげーオフ会がいやでも目に付いたので思わずリブログしたんだが。昔、クリスマス会の際、用意していたお茶のペットボトルに異物が入っていたのを発見。すぐにクレーム電話をしたところ若くて可愛い声が「すぐにお取替えに伺いますぅ♡」と応えた。皆で「やっぱミニスカ・サンタで来るんじゃね?」とサンタ・コスの女子に期待してワクワク待っていたら…「ピンポー
奈良橋の庚申塚へ行った後そういえば梅70のルートで田無手前の西武線ガード下にも庚申塔見たなと思い出しまして。もう一つおまけで陸軍の軽便鉄道が西武線をくぐったところにトンネルが残っていたのも思い出して訪問することに。田無町2丁目。私が知っている保谷田無合併前は田無本町2丁目と言い阿佐ヶ谷から短縮された梅70系統はここが始発で青梅に向かいました。今は関東バスの橋場行きと西武バスの花小金井行きが通ります。なんでこんなところが始発かと言えばまだ西武柳沢駅に南から乗り入れる道路が無かったから
令和6年4月25日参拝飯田橋駅B1で地上に出て徒歩5分でした。喫茶店を出たら鳥居が見えた👀よく見たら社号標に〝筑土八幡神社〟だって。御朱印を始めた頃に来たっけヘ(゚▽゚ヘ)宮司さんとのやり取りしか記憶ないやいつかモーロクしたらあちこち巡礼してた事もスコーンと忘れてしまうんだろうなぁ。田村虎蔵先生顕彰碑(右)このタイプの石垣大好きε(๑´▽`๑)ɜ氏子さんの名前が彫ってあって、上の柱まで近隣の企業や個人のお名前がずらっと並んでます。石垣の上は何があるかというと児童公園。〽
何度か訪れている神社です付近の"弁天の森"を捜索した後にお参りさせていただきました(弁天の森については29日に投稿)群馬県指定天然記念物の大けやき昭和61年の資料に『2代目で言い伝えでは樹齢千年』とあります境内の南東端に薬師堂があることに気がつきました江戸時代後期修験宗の高僧角田夢幻光旒さんの庚申塔。神社の祭神についてこれまでよくわかりませんでした渋川市"石造物と文化財"資料によると【南北朝時代に書かれた神道集では早尾神社の本地は聖観音であると記され