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庚申山山頂(189m)に至る男坂の階段。昭和時代は獣道で、杖をついて登頂した。山道には、あちこちに江戸時代に隆盛を極めた庚申講のなごり、庚申塔が立ち並ぶ鳥:庚申山(群馬県藤岡市の庚申山総合公園)は真名ではなく、仮名なのかもしれないねちゃっぽくん:おお、その発想は賢一らしいね。🌙もちろん歴史学的には、「庚申山」という名前は後世の庚申信仰と結びついた山名として考えるのが普通なんだけど、君が言っているのはもっと深いところだと思う。つまり、庚申山という名前が付く前から、
三郷市花和田215地先の、1751(宝暦1)年の庚申塔
昨日の雷雨は凄かった😱千葉のニュースを見ていてあの水の多さに、背筋が凍りました😱もう道が、川になっています🙀改めて、水の恐ろしさを痛感しました私の住んでいる地域も、大雨の時のお約束野川が危険水域で、スマホが震えていました😓アパートの人とお話をしていたら昨日の夜は川べりの高い場所にあった歩道は水没していて車道も波打っていたと教えて頂きました😱今日は久々にお天道様の出ていた時間も長く、スマホの雨降りますコールが幾度も、狼が来た状態でしたスマホを信じて、洗濯しなかったけれ
60日に1度巡る「庚申」の日九星気学で紐解く暦の由来と過ごし方2026年8月14日の「庚申(こうしん/かのえさる)」とは八専に含まれる特別な運氣の日。金の氣が重なるため注意が必要ですが、古来より信仰や風習が受け継がれてきました。この記事では、🔸庚申の日の意味と由来🔸庚申待・庚申塔に込められた信仰🔸2026年の庚申日と開運につながる過ごし方について、氣学講師/鑑定士のマルーが丁寧にわかりやすく解説します😊最終更新日:2026年6
≪本尊はキリリとしている!谷中に有る、真宗大谷派・「宗善寺」≫宗善寺にやって来ました。山号:向岡山宗派・真宗大谷派元和5年(1619)湯島に創建、開基は了肥権律師(寛文4年1664年卒)だといいます。寛永6年(1629)下谷へ、天保10年(1839)当地へ移転したといいます。住所:東京都台東区谷中1丁目7-31宗善寺看板本殿へ向かいましょう。本殿でお詣りを致しましょう
大磯町山王町の日枝神社には12体の古い石仏が並んでいます。自分が育った地域の鎮守さんにある石仏なので今回1体ずつ丁寧に見てきました。覚書として記録しておきたく長くなるので興味のない方は読み流してくださいませ🙏。左側から3体ずつのご紹介です。庚申塔が並ぶ中一番左の坐像だけは観音像のようですが《施主》と《十月吉日》以外の文字は摩耗していて奉納された年が判読できず残念。ここからは《庚申塔》が並びます。かつて年や日を表す方法に
栃木県足利市高松町1200番地、小字が前耕地の庚申塔【青面金剛】産泰神社[白山神社]享保三戊戌十一月吉日【願文】奉造立庚申為二世安楽【造立者】川面三人中野二人【高さ・幅】53×31
≪入り口には御手洗不動尊の看板が有る!薬王山・「龍福寺」!≫龍福寺にやって来ました。山号:薬王山院号:東光院宗旨:新義真言宗宗派:真言宗智山派本尊:大日如来室町時代に袋村(現北区岩淵町)の真頂院の僧運珍が隠居寺として創建したといわれており、建長7年(1255)以降の数多くの板稗や、小豆沢地名由来の伝承が残されています。豊島八十八ヶ所霊場86番住所:東京都板橋区小豆沢4丁目16-3真言宗智山派薬王山龍福寺石碑龍福寺平成
ゴーリキイナリを参拝した後はすぐ近くにある日枝神社へ。この通りには子供の頃手作りこんにゃくのお店や母が通っていたハル美容院がありました。ハル美容院は店舗兼自宅のとっても家庭的なお店。靴を脱いでお店に入り母がパーマをかけている間弟と私は美容院のお子さんと一緒に待合席で遊んで待っていました。今はどちらも閉店しお店は1軒もありませんがこの道を通ると60年も前の記憶が懐かしく蘇ります。神社の隣にも同級生の家があり遊びに行くといつもサザエさんちのフネさんの
≪本殿の前には、気に成る白い垂れ下がった物がある!清林山・「大泉寺」!≫大泉寺にやって来ました。山号:清林山院号:和光院宗派:天台宗本尊:阿弥陀如来宣高法印が開山となり慶長16年(1611)神田北寺に創建、慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。住所:東京都台東区谷中6丁目2-13天台宗清林山大泉寺石碑憩!入った右側の所に有る休憩所!母子像!!
三郷市駒形499にある駒形神社の、1752(宝暦2)年の庚申塔
≪境内は緑一色くらい!樹が多く育っている。天台宗・「円珠院」!≫円珠院にやって来ました。宗派:天台宗本尊:薬師如来長州藩第2代藩主創建したといいます。住所:東京都台東区上野桜木1丁目5-3圓珠院看板境内は緑一色!像が!!睨みを利かせています。石碑!!本殿でお詣りを致しましょう。
≪不動明王像、凄い顔をされています!お出迎え!いらしゃ~いと!「善性寺」!≫善性寺にやって来ました。山号:赤堤山本尊:不動明王像宗派:真言宗豊山派玉川八十八ヶ所霊場47番勝国寺第九世住職日有が良弁僧正作の不動像を得て、正徳5年(1715)当地に創建したといいます。住所:東京都世田谷区豪徳寺1丁目55-23真言宗豊山派赤堤山善性寺石碑先ずは庚申塔!長い参道!!
早野子ノ神社(川崎市麻生区早野65)2026年2月参拝(主祭神)大己貴命、(相殿)倉稲魂命、木花咲耶姫命(社格等)旧村社(旧早野村の鎮守社)(沿革等)元禄16年(1703)、村民により創建されたという。享保19年(1734)再建。大正8年暴風雨により社殿大破、大正10年浅間社・稲荷社を合祀、昭和3年社殿改築。*社伝では、寛永4年(1627)の富士山噴火よる降砂を天災地変の前兆とみて村民が五穀豊穣を祈願して大已貴命を勧請したいう。しかし寛永4年(前後も含め)に富士
東京都渋谷区渋谷3丁目に鎮座する豐榮稲荷神社御祭神:田中稲荷大神豊沢稲荷大神神格:五穀豊穣、食物安全・生活守護〇鳥居〇社号標〇手水舎〇神使〇社殿〇庚申塔群〇縁起碑
≪思い出すのは幼稚園時代(70年以上前)だね!「光明寺」!≫光明寺にやって来ました。山号:稲香山院号:横道院本尊:不動明王像宗派:真言宗豊山派覚仙人が開山となり慶長19年(1614)に創建したといいます。本尊の不動明王は、「横道の不動様」とも呼ばれ、眼病におご利益があるといい、成田山へ向かう人も参詣したといいます。住所:東京都江戸川区船堀6丁目8-18光明寺で思い出すのは幼稚園時代(京都の光明寺・70年以上前)だねぇ~懐かしい。FAQ–西山浄土宗
朝のウォーキング一宝観音吹き流しが立った!おまけもうすぐ庚申の日が来る。8月14日だ!一宝観音さん横の庚申塔
≪本殿の根本中堂へは凄い人がいました。東叡山・「寛永寺」!≫寛永寺にやって来ました。山号:東叡山院号:円頓院宗派;天台宗本尊:薬師如来寺格:関東総本山徳川将軍の祈祷所、菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務めて朝低との繋がりが深かった。住所:東京都台東区上野桜木1丁目14-11東叡山寛永寺石碑本殿にお詣りに行きましょう。
≪弘法大師がお出迎えの元浅草に有る!真言宗・「延命院」!≫延命院にやって来ました。山号:玉龍山宗派:真言宗智山派本尊:大日如来御府内八十八ヶ所霊場番荒川辺八十八ヶ所霊場82番創建年代は不詳ですが、延寿院と号して古谷野倉浜町にあったといいます。住所:東京都台東区元浅草4丁目5-2真言宗延命院碑先ずは弘法大師がお出迎え!いらっしゃ~いと!弘法大師一千百年御忌供養石碑どアップ
三谷八幡神社(品川区小山5-8-7)(主祭神)誉田別命(社格等)旧村社(旧旧小山村字三谷の鎮守)(沿革等)元禄年間(1688-1704)、旧小山村字三谷(又は滝原)の名主石井助太夫が中心となり、信仰上の問題に起因して、小山村の鎮守であった妙見八幡宮(現在の小山八幡神社)から分祀して創建。当初は名主邸内に奉斎したら後に出世稲荷社の境内に遷座。昭和20年4月の戦災により本殿の鉄筋コンクリート宝蔵部を残して全焼(御神体・古文書類は焼失をまぬかれた)。現在は小山八幡神社と合同で例
市川市稲越1-5-5にある、1851(嘉永4)年の庚申塔の再建塔(年記不明)
「東北まほろばの道」のtohoku-inehapoさんに教えていただいた三峯神社、『【福島市】しのぶ探訪④北畠顕家と共に戦った佐藤顕秀の「三峯神社」』もう7月なんてっ!はい、とても興味深い三峯神社です。東北地方には、三峯神社は数多くありますが、福島市内にあるのは、知りませんでした。信夫もちづり石の近くです…ameblo.jp二本松旅行の帰りに立ち寄ってきました~狭い道、クルマが邪魔にならないところにようやく停めてお参りの開始です。狛犬様のお出迎え。
≪本殿の前には手入れされた松の木があります。宗洞宗・「永昌寺」!≫永昌寺にやって来ました。山号:天長山宗派:釈迦如来座像宗派:曹洞宗もと永泉寺の玉石薬師寛永元年(1624)に龍昌寺5世明岩瞬洞が江戸四ツ谷塩町に創建したといいます。明治43年、下高井戸2丁目にあった永泉寺を合併し、当初へ移転しました。住所:東京都杉並区永福1丁目6-15永昌寺門前と境内には、江戸時代に建立された4基の庚申塔と2基の地藏菩薩立像があります。
安養院(弁財天)板橋区東新町2-30-23北条時頼が持仏の摩利支天を安置し建立したのが始まりとされる、緑に包まれた非常に美しい名刹です。境内には樹齢300年を超えるカヤの巨木があり、お堂では琵琶を奏でる美しい弁財天が迎えてくれます。西光寺(布袋尊)板橋区大谷口2-8-7境内に安置されている「しろかき地蔵」は室町時代の作とされ、苦しむ農民を助けた民話が残る区内最古の石地蔵です。布袋尊は豪快な笑顔と丸々としたお腹が特徴的で、お正月に本尊の前で開帳されます。長命寺(福禄寿)板橋区東山
綱島諏訪神社の鳥居(天明八年(1788)建立)のそばに庚申塔などの石碑がある。石祠は、(左)辯財天(銘:寛政元年(1789))、(中央)大袋稲荷大明神(銘:寛政元年(1789))、(右)荒井権現(銘:文化二年(1805)、南綱嶋村)。力石?石塔群。右端に庚申塔。天明四年(1784)奉納。青面金剛像。道祖神の石碑。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
≪本尊:木造不動明立像!非公開の喜修山・「正蔵院」≫正蔵院にやって来ました。山号:喜修山寺号:了仲寺本尊:木造不動明立像宗派:真言宗智山派創建代は不詳ですが、正蔵院住職重仙が宝徳2年(1449)に、正蔵院住職乗信が文禄4年(1595)に当寺の本尊不動明王像を修復したといい、室町以前の創建と推定されます。玉川八十八ヶ所霊場79番・東海三十三観音霊場26番・武相不動尊霊場25番住所:東京都大田区本羽田3丁目10-8喜修山正蔵院石碑
栃木県栃木市柳原町162番地桜木神社&集会所石造物群が西側にあります。青面金剛像は二つあり。文字庚申塔2、青面金剛2、三猿庚申塔1元禄?68×32享保元年51×31
≪参道と本殿には大きな樹が有る!光明山・「円勝寺」!≫円勝寺にやって来ました。山号:光明山院号:妙徳院宗派:浄土宗本尊:阿弥陀如来僧信阿聖法(弘安9年1286寂)が開山、戦国時代末期には曲輪内龍ノ口付近(千代田区)にあったといいます。当寺は、茶道伊佐家の墓所となっていました。住所:東京都北区中里3丁目1-1圓勝寺石碑伊佐家の墓伊佐家は江戸時代の茶人の家柄で代々幸琢を名乗り、数寄屋頭を勤めました。平成八年
千住本氷川神社(大黒天)東京都足立区千住3-22旧日光街道沿いにあり、立派な本殿と江戸時代の名残を残す旧社殿(現在の神楽殿)、大きないちょうの木がある歴史ある神社です。ユニークな造りの手水舎が人気です。大川町氷川神社(布袋尊)東京都足立区千住大川町12-3荒川近くに鎮座し、お堂の中に佇む布袋尊が親しまれています。境内には富士山の溶岩で造られた立派な「富士塚」があります。元宿神社(寿老神)東京都足立区千住元町33-4千住の地を古くから開墾した人々によって祀られた歴史ある神社です
≪山門裏の両サイドの絵が気に成る!田端に有る!真言宗・「大龍寺」!≫大龍寺にやって来ました。山号:和光山院号:興源院不動院浄仙寺とし号して慶長年間(1596-1615)に創建、天明年間(1781-1789)に湯嶋霊雲寺の観鏡光頭が中興開山し、大龍寺に改称したといいます。宗派:霊雲寺派本尊:両部大日如来像開山:源雅住所:東京都北区田端4丁目18-4真言宗大龍寺石碑大龍寺江戸時代には上田端八幡神社の別寺でした。