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4月25日根津神社のつづきです。つつじまつりを観終わって神社を参拝します。つつじ苑からみた楼門舞殿拝殿の正面参拝も行列でした。お友達は御朱印をもらうのでわたしが先に並んでいました。並びながら写真を撮影。手水舎唐門奥に拝殿がみえます。唐門の屋根お友達が戻ってきて話すには頂きたかった切り絵の御朱印は売り切れだったようでした。そんなに人気があるんだとびっくり。わたしたちの側にいた方のお話しだと切り絵御朱印は27日から再販されるとHPにあったそうです
足利公園のふもとすぐ近くの神社ですお参りさせていただきました清々しい。狛犬はそんなに古くないのではと思いましたが1940年です。応徳元年より(1084年〜)とあります主祭神は須佐之男命どんど焼き(道祖神祭り)お稲荷様の初午祭天神祭機神社礼祭などいろいろな神様がいて祭典があるようです。ひっそりあった大石。御神木御神木に絵馬やおみくじが。。ちょっと珍しいですね。お稲荷様奥の鳥居の扁額が読めずに辞書で調べました機神神社です立派な石段もあって。。織
赤沼神社を目指して、春日部市東南部を歩いています。ヤツデだ!めっちゃ懐かしい。子どもの頃はよく見かけたけど、ホントに久しぶりに見ます。ヤツデ(八手)と言いつつ八つに割れてないのは、数が多いという意味で八を使っているからです。しかも必ず奇数(裂け目は偶数)なんですよ。なんか舎利塔みたいだな。ヤツデには界面活性作用のあるサポニンが含まれている為、食用にはなりません。食べたら細胞膜が破壊されちゃいます。日陰でも育つので、嘗ては魔除けに植えられていたようです。石鹸代わりに洗剤としても使わ
昭和な酒屋さんでゆっくり休憩できたので、探索を再開します。越谷浦和バイパス(R463)を渡って南へ進み、昔ながらの蛇行した道を歩いていくと、交差点の角にある小高い場所に庚申塔が建っています。って、これじゃほとんど見えないですよね。最初は何処にあるのか分からなくてうろうろしたので、付近を通る方々に訝し気に見られてしまいました。こんな所を登ったりしようものなら、さらに不審に思われるので断念。遠目に観察して先へ進みます。前回にゃんこに出逢った時と同じような道を歩いていきます。
石便り1142…佐倉市青菅にある青菅会館の、1750(寛延3)年の庚申塔の三猿
延命寺さんのあとはこちらにお詣りに来ました"上州歳時記"という本にこちらの勢至堂が載っていて珍しいのでずっとお詣りをしたいと思っていたのです沼田市材木町の長寿院さんは幸せのオーラいっぱいでした平和観音様庭木のお手入れが行き届いています巨大な自然石の庚申塔がありおやっ!?と思いました江戸時代に京都で書家として活躍した大阿闍梨吉岡下野田村生まれ角田無幻光旒さんの書による庚申塔がありました群馬県のあちこちに無幻光旒さんの文字塔があります天保七年1836年
今朝6時ごろに雨戸を開けた時点で降っていたのは雨でしたが、お向かいのお宅の屋根にはその前に降っていたと思われる霰が白く積もっており、間もなくして雨の中で雷鳴が聞こえたと思ったらその後は雪がかなり本格的に降り、午後には雨も雪も止んでどんどん雲が取れたら日差しが降ってくるといった具合で、今日の散歩おじさん地域は、天気の状態がいろいろに変わった一日でした(@。@)雷鳴が聞こえていた時にウェザーニュースアプリの雨雲レーダーで落雷を確認したところ、散歩おじさん家から4kmほどの所に落雷マークがあり、さっ
2月16日埼玉県さいたま市岩槻区。慈恩寺と三蔵法師の霊骨塔を訪ねていると小雨が降ってきた。急ぎ常源寺へ。この寺には「一石五輪塔」があるというのだが、残念ながら境内では発見できなかった。どうやら公開していないらしい。ああ、そう。気を取り直して「飯塚神社」へ。もともとはここも久伊豆神社を称していた。二の鳥居三の鳥居明治に他の神社と合祀し改称したものの、今でも地元では「久伊豆様」と呼ばれているそうな。ところで参道沿いに建つこの屋根と柱の
河畔砂丘に建つ藤塚香取神社の境内を探索しています。これは先代の鳥居ですね。経年劣化でしょうか。柱と笠木だけ遺されています。柱は横に倒した方が良さそうだけど、意図的に立てているのでしょうか。たまにそうしている神社があったりするんですよね。ここは特に案内板等が無いので、詳細は不明です。こちらは役目を終えた手水鉢。講や氏子が奉納することが多い手水鉢は、それほど劣化するものではないけど、なにかの節目とかで交換になったのかもしれません。さっきの鳥居と並べて置かれているので、神社の歴史コ
奈良橋の庚申塚へ行った後そういえば梅70のルートで田無手前の西武線ガード下にも庚申塔見たなと思い出しまして。もう一つおまけで陸軍の軽便鉄道が西武線をくぐったところにトンネルが残っていたのも思い出して訪問することに。田無町2丁目。私が知っている保谷田無合併前は田無本町2丁目と言い阿佐ヶ谷から短縮された梅70系統はここが始発で青梅に向かいました。今は関東バスの橋場行きと西武バスの花小金井行きが通ります。なんでこんなところが始発かと言えばまだ西武柳沢駅に南から乗り入れる道路が無かったから
先月の半ばに野田市の千葉県立関宿城博物館で庚申塔講座があって、二人で行ってきた。野田市内には庚申塔が様々合わせて800基もあるという。像容の主流は青面金剛だが、猿田彦像というのもある。その講座でもらった資料を頼りに、猿田彦像12基を探訪してみようと思います。【2025年2月19日】①正覚寺(西三ケ尾1009)野田市と言っても広いので、車と歩きを併用でめぐることにした。歩くのは野田市駅から梅郷駅までの8.5kmで、ここに6基ある。残りは郊外に6基散在するので車にした。まず車編から。
江島(えのしま)神社中津宮中津宮は市寸島比賣姫(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。宗像姉妹の三女※と伝わり、神仏習合では弁財天と同一神とされ、芸術・金運のご利益と共に、それは美しい女神様として人気があります。※文献により次女とする説もあります。奉安殿の隣には境内社の八坂神社木鼻(柱の木の端)の獅子八坂神社の狛犬海が近いからなのか石が赤茶色に変色しています。安永10年(1781年)正月吉日建立阿吽ともに口を開けています。展望が開け
すごい⭐︎3月9日日曜日の朝横須賀市佐島に到着しました12月から何度も通っていますこの素朴な海岸が好きになりました無人わかめ販売所では。。生わかめ、生茎わかめがたくさん並んでいてこの日は大根を漬けたものやブロッコリーもありました生わかめを3袋とブロッコリーも買いました天神島への天神橋から富士山チェック画面中央が富士山頂(うっすら白い所)12月はくっきり見えましたがその後は来るたび霞んでいます博物館や駐車場は9:00-で柵があり閉まっていていつもの海岸線
上州の石仏という写真集より。変わった青面金剛を探した神社と同じく広沢町のお寺さんにまたまた変わった雰囲気の地蔵の庚申塔があるそうで探しに行ってみました。ピアノ演奏の音が響いてくる素敵なお寺でした広い墓地の入り口に在りました庚申塔とは思えない独特な表現だな、と思いました形がとても変わっていて意味深なのです私はキリシタン仏の可能性を感じました(写真集の筆者はそういう事は書いていず、私の個人的な見解です。)長くて大きな舟形のような石ですが上部は大きな余白を残し
上目黒にあります寿福寺のおかめ桜を見に行きました。上目黒に住宅街にあります寿福寺天台宗の寺院です。参道のおかめ桜が満開でした。おかめ桜はカンヒザクラとマメザクラを交配してイギリスで作出された品種とのこと。さくらのトンネルのようです。青空におかめ桜が映えます。山門山門の左右に延命地蔵尊と庚申塔本堂参道の桜帰り道ヒヨドリと桜今年5回めの桜でした。
今日は、恵比須からスタートです。まずはJR恵比須駅へ。西口の恵比須様にご挨拶。しばらく山手線沿いに歩いて、ガードを潜ります。ガードの名前は、庚申道ガード。名前の通り、ガードの先に立派な庚申塔があります。こんなに背が高い庚申塔は、滅多に見られないですね。橋供養も兼ねているようです。橋供養とは、橋の渡り初めの前に行う供養のことです。庚申橋が架かる渋谷川。もはや川の風情はありませんが、今流れているのは綺麗な再生水です。明治
東圓寺に来ています。名前だけで優しい気持ちになれる「しあわせ観音」。光背は頭部のみで、如意宝珠を象った宝珠光です。左手に蓮の花を持ち、右手を衆生に向けて「救いの手」を差し出しています。観音様の慈愛は、この姿からも滲み出ていますね。戦時中に東京から朝霞へと戻って来た世帯が増え、それに伴い小学校の増築が必要となりました。そこで、学校の近くにあった塚を切り崩して校舎を建てました。ところがその塚は古墳だったので、戦後になって弔いの為に建てたとのことです。「お墓を荒らしてしまって
唐木田稲荷神社に来ています。境内には、石像が収められた堂宇が建っています。庚申塔の予感がしますね。中を覗いてみましょう。手前に三猿の庚申塔がありますが、奥に男子小学生が大はしゃぎしそうなものがありますね。陰茎にしか見えませんが、何を隠そう勃起した陰茎です。いや、下ネタではなく、金精神(こんせいしん)という神様です。精力絶倫な男根をイメージして祀られています。凄く分かりやすい子宝の神様ですね。安産や縁結びにもご利益があり、全国各地に見られる性器崇拝の信仰です。こんな静寂な場所で
2月20日は、2025年1回目の「庚申の日」八専(はっせん)に含まれる、特別な運氣の1日です。『八専とは?気をつけたい特別運氣の8日間✨』8月16日から、暦の上では「八専(はっせん)」という特別な期間が始まります。こちらのサイトからお借りしました。貴重資料展示室039略暦-国立…ameblo.jp「庚申」とは、「こうしん」とも「かのえさる」とも読みます。天の氣「庚」は、7番目の金の氣。地の氣「申」は、9番目の金の氣。
熊本市中央区小沢町に所在する県指定重要民俗文化財の西福寺の庚申塔です。西福寺の本堂前の、本堂向かって右側に所在します。熊本市HPによると、この庚申塔は偏平な安山岩の自然石の板碑です。塔の地上高は136㎝、最大幅76㎝、板石の厚さは約15㎝です。碑面上部中央に阿弥陀菩薩、下部に観音・勢至の両脇侍を線刻しています。如来・脇侍とも雲に乗って迎えにきた姿で、早来迎像と呼ばれます。碑面左側に「于時明應八天丁未八月日庚申講一結集敬白」(=1499年)とあり、図像の下に「道清」をはじめ21名の
国分寺に足をのばしますこの日のウォーキングのスタートはJR中央線の国分寺駅です。開業135周年を迎えています。駅の北側を出て、しばらく歩いていくと電車開通記念碑があります。中央線の電化が1922年に国分寺駅まで延びたことを記念した石碑です。その少し先に、黄檗宗のお寺の祥應寺があります。禅宗の寺院です。本堂です。六角堂です。ここには国分寺市内で最古の庚申塔があります。本多はこのあたりの地名です。(撮影:2024.11.5)
都道427号線から、東へ向かって歩いています。善福寺川を渡って南へ進み、杉並区立郷土博物館にやって来ました。入口には、旧井口家の長屋門が移築されています。名主を務めた井口家の、格式を表す門です。中から見た長屋門です。手前が年貢米を収納する蔵屋で、奥は納屋になっています。敷地内には、区内にあった石像が集められています。庚申塔も二基あります。玉川上水に身投げした人を弔う、川中投身亡者供養塔。今は中央道が走り、暗渠となった玉川上水の橋に建っていたもので
令和4年12月17日土曜日、曇りのち雨。オフ会も毎月やってますが。忘年会もありますが。年寄りばかりで若い人居ません。高校生君すら年末はお忙しい。すんげーオフ会がいやでも目に付いたので思わずリブログしたんだが。昔、クリスマス会の際、用意していたお茶のペットボトルに異物が入っていたのを発見。すぐにクレーム電話をしたところ若くて可愛い声が「すぐにお取替えに伺いますぅ♡」と応えた。皆で「やっぱミニスカ・サンタで来るんじゃね?」とサンタ・コスの女子に期待してワクワク待っていたら…「ピンポー
民間信仰の知識が役に立つ東京都あきる野市横沢地区には石仏群と呼ばれる場所が二か所ある。これまで、石仏研究の分野でも見過ごされた場所であるが、私はこの場所は一処二祭場という意味で神道と仏教の祭祀跡(祭場)だと考えている。この二つの祭場に不思議なことに烏八臼の謎が潜んでいるようだ。仏式の祭場には庚申塔、馬頭観音、地蔵の他に何故か「鉢と臼」が置いてある。烏八臼の文字から推測すると先ず「臼」が頭に浮かんでくる。そして、「八」は「鉢」に通じてくる。
西本村稲荷から、地下をメトロが走る池袋谷原線(R441)までやって来ました。東京メトロの有楽町線と副都心線が線路を共有して乗り入れる平和台駅。先日、埼玉弁護士会長に就任した尾崎康さんと、その弟である豊さんが幼少期を暮らした街です。尾崎豊は練馬で育ち、小5で朝霞へ転校するも不登校となります。そのせいか、中学は朝霞から練馬東中へ通っています。その後、青学高等部へ進学して中退したのは有名な話ですね。おぉ~!尾崎が過ごした頃は一面キャベツ畑だった景色も、メトロが通るようになって