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横須賀のまちを歩いていると、道ばたや神社の片隅にひっそりと立つ石の塔を見かけることがあります。それが庚申塔(こうしんとう)です一見ただの石碑、墓?に見えますが実はこれ江戸時代の人々のちょっと不思議な信仰から生まれたものです。体の中にいる三尸(さんし)の虫昔の人は人間の体の中には三尸(さんし)という虫がいると考えていました。この虫、なんと人が寝ている間に体から抜け出し天にのぼってその人の悪事を報告するという存在。つまり「悪いことがバレて寿命が縮む」
今日は朝から、たくさん歩きたい!と思い、8時半から歩きました。1時間経過したぐらいから、未知なエリアへ突入。地図を見てもわかりませんでしたが、歩くと新しい発見ばかりで楽しいです✨お店の発見も楽しいですが、お寺や神社に立ち寄るのも、これまた楽しいです。子供の頃は少し怖い感じがして、近寄らなかった庚申塔。今は近くに寄って見たりしてます。笑途中、道に迷っていろんな方に聞きましたが、みなさん優しい方ばかりで無事に徒歩だけで帰ってくることができました🥲
≪本尊は如意輪観音菩薩、豪徳寺の末寺でもある、曹洞宗・「善養院」!≫曹洞宗・善養院にやって来ました。山号:家岳山正式名:家岳山善養院家獄善養庵主が開基、明壺麟鏡が開山となり創建、明治維新の際に一旦廃寺となったものの再興したといいます。本尊は如意輪観音菩薩、豪徳寺の末寺である。住所:東京都世田谷区新町2丁目5-12山門から中を見ましょう。世田谷二十番観世音霊場曹洞禅宗善養院石碑神(仏)が向かえ
川べり散歩を楽しんだ後バス通りを通って耳鼻科に戻ります。道路向こうに見えた木々の中に見得た赤い鳥居は八雲神社です。小高い丘に生えた木々の下に動くものを発見キジバト君でした。平塚の八雲神社は主に素戔鳴尊(スサノオノミコト)を祭神とし安政3年(1856年)に疫病除け厄除けの神社として建立されました。明治時代に平塚本宿東仲町で疫病が流行した時に八雲神社の神輿を借りて渡御したところたちまち疫病が鎮まったといわれるあらたかな神輿があるそうです
2020年7月下旬の旧東海道歴史散策の続き。「横浜熊野神社」をお参りした後は、ランチを食べに行き、その後、また旧東海道を横浜方面に進んで行きました。横浜熊野神社のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12928937548.html『横浜熊野神社~旧東海道~神奈川県横浜市鶴見区の神社・史跡』2020年7月下旬の旧東海道歴史散策の続き。旧東海道川崎宿を、「芭蕉句碑(麦の穂句)」「無縁塚」「市場の夫婦橋跡」と見学した後は、更に旧東海道を
庚申の日とは?氣学で読み解く暦のエネルギー2026年4月16日の「庚申(こうしん/かのえさる)」とは八専に含まれる特別な運氣の日。金の氣が重なるため注意が必要ですが、古来より信仰や風習が受け継がれてきました。この記事では、🔸庚申の日の意味と由来🔸庚申待・庚申塔に込められた信仰🔸2026年の庚申日と開運につながる過ごし方について、氣学講師/鑑定士のマルーが丁寧にわかりやすく解説します😊最終更新日:2026年4月16日目次4庚
江ヶ崎八幡神社(横浜市鶴見区江ヶ崎町13-31)(主祭神)応神天皇(社格等)旧村社(旧江ヶ崎村の鎮守)(沿革等)天正19年(1591年)、家康の江戸入府に際し、当地を知行地とされた荒川重世(長兵衛)が、当神社の社領を定めて社殿を修理したと伝わる。これを実質的な創建とみてよいか。当地は江戸時代を通じて旗本荒川氏の知行地であり、当神社は同氏を中心として維持されてきた。明治42年に、無格社大六天社(面足尊・惶根尊)を合祀。昭和3年に境内が新鶴見操車場に敷地として買収され当地
ぐんま百名山ブログをご覧いただきありがとうございます。ぐんま百名山「庚申山」189m。ぐんま百名山の中で標高が最も低いのが「庚申山」。標高が低い丘陵地でも地元で愛される山として”ぐん百”に選定されています。(※登ったのは2026年4月中旬)「庚申山」は総合運動公園のハイキングコースの一部、ミニ動物園経由で登ります。アスファルト道の先の、右に分岐した先がミニ動物園。子供向けのミニ動物園です^^。目当てだったミニブタの「文太くん」は昼寝中・・・、仕方なくヤギの
「大山道踏破模様~~その1」を記載したあと、約1ヶ月進行しないまま時間が経ってしまった。まず、「前回、溝の口周辺で発見出来なかったところなど」を補完の意味で訪れたのち、その後、「溝の口から長津田」まで歩を進めた。いよいよ多摩丘陵にさしかかり登り下りがあるハードな道のりであった。この地域、山を切り開いて開発が高度に進んでおり、いにしえの姿が残っているところは少ない。今でも更に開発が進んでおり寂しい思いもしたが、これも東京一極集中の影響かと諦め、少しでは