ブログ記事934件
昨年、子供の頃以来訪れた広島平和記念公園G7サミット直後で大変混雑していて時間がなくて諦めた広島平和記念資料館やはりGW中で混雑していてしかも、円安の影響か海外からの訪問者が大変多かったです。でも、今回は時間に余裕があったので並ぶ覚悟で行くとそんなに待つ事なく無事に入館できました。入館料は、大人200円です。資料館からの風景最初は雑談していた海外からの観光客も最後には無言となり私も…目を背けたくなる吐きそうになるほどの(飛び出した目の玉を手で受ける画があ
夫と広島旅行をしてきました東京駅から広島駅まで約4時間30分遠いな〜と思っていましたが、ウトウトしたりネットで調べ物をしていたらあっという間でした11時30分頃、広島駅に到着お昼ご飯は駅ビル内にあるお好み焼き屋さん福ちゃん本当はみっちゃんで食べる予定でしたが行列だったので急遽変更しました。牡蠣がとっても美味しい〜お腹いっぱいになったので、路面電車に乗って原爆ドームへ。路面電車楽しい〜原爆ドームは思っていたより小さいと思いました。(飛行機雲が)お天気
とりあえず、こんばんわ。局長です。ミリシタの最新イベントを現在走っているところですが、局長的にらったったはグランツーリスモのOPっぽいなーって。それにしても、ミリアニは佐竹美奈子がええ感じだよな。脚線美がすごいそそられるというか・・・。というわけで、前回の続きでも。広島平和記念公園へとやってきた局長、マルセル・ジュノーやノーマン・カズンズの記念碑をパチリとしたりしましたが、この2名って学校の授業で習わないけど超偉人なんですよね・・・。そんでもって、原爆資料館こと平和記念資料
その1:元祖へんくつやでお好み焼き★お好み焼きを食べた後はぶらぶらお散歩。道中にあるお店を覗いて雑貨やお土産を購入したりパン屋アンデルセンの立派な本店を見学したり。街歩きを楽しみつつ、原爆ドームに到着。名残のつつじが綺麗でした。あいにくの天候でしたがこの日も観光客がたくさん訪れていました。日本人よりも海外観光客が多い印象です。崩れた瓦礫、むき出しになった鉄骨。曇り空の下、時が止まったかのようにただ静か
江波の漁師中村杉松さんは、1945年8月6日、建物疎開作業中に原爆の閃光をあび、倒壊した建物の下敷きになった。全身火傷に急性放射線障害で髪の毛も抜けて一時は生死の境をさまよったが、何とか危機を脱した。しかし1949年になると、杉松さんは極度の疲労に襲われるようになり、漁に出ることができなくなった。奥さんが一人魚の行商で一家を支えたのだが、今度は奥さんがひどい貧血になり、行商先で倒れて1951年3月、病に臥せる夫と6人の幼い子どもを残して亡くなった。死因は子宮ガンだった。原爆症と断定はできな
12月10日(日)朝4時、広島市へ向けて自宅を出発。昼前に広島市内に到着した。私は講演会へ。ふじにゃんトークライブin広島宮沢孝幸先生による、最後の講演会だった。夫は原爆ドームと広島平和記念資料館へ。来場者から質疑応答の時間を与えられた。私も挙手したのだが当てられず・・・終わってから藤江さんに質問をした。同僚から言付かった質問だったので、返答を持ち帰った。夕方、宿泊先の宮島コー
こんばんは🌙ちよみんです😊今日の投稿ネタの「小学校の修学旅行」そのタイトルを見ただけで苦しくて辛かった修学旅行を思い出して気分が落ち込みました。とりあえず、全然楽しくなかった!修学旅行に行く前の班分けの時点ですでに辛かった。当時の私はクラスに友達が一人しかおらず、それも友達というより親分と子分のような関係でした。当然、私が子分です。でも二人だけだと班分けの決められた人数には足りません。同じ班になってくれる他の女子を探す必要がありました。私はおとなしい子や一人ぼ
広島平和記念資料館本館の「生きる」のコーナーで、驚いた。2015年に94歳で亡くなった福島菊次郎さんが1952年から10年近く撮り続けた中村杉松さん一家の写真が展示され紹介されていたのだ。中村杉松さんを追いかけた写真は1961年に『ピカドンある原爆被災者の記録』として出版され、世の中に衝撃を与えた。しかし、福島さんの写真は平和記念資料館では長い間展示されなかった。福島さんは自著にこう書いている。〈聖地ヒロシマ〉を批判し、その尊厳を冒涜するような写真は資料ではないのである。(福
Asingleatomicbombindiscriminatelykilledtensofthousandsofpeople,profoundlydisruptingandalteringthelivesofsurvivors.Throughbelongingsleftbythevictims,A-bombedartifacts,testimonialsofA-bombsurvivorsandrelatedmaterials
クニさんです^^今日も「クニブロ。」へようこそ!1泊2日で3県を巡る弾丸旅行~前回の続きです♪全方位みっちみちの夫の自宅に40分ほど滞在した後早朝から開いている地元の大型スーパーを3軒ハシゴしならがご当地調味料を購入し(大きいスーパー楽しい)夫が勤める会社周辺を見学した後3つ目の県へそこは夫が小学生の頃家族と訪れた場所だそうで日本人なら必ず観ておいた方がいいですよ。と
こんにちはアリーシャです。コロナ禍も終わり、今年の夏休みは久しぶりに家族で遠出の旅を決行いたしました。来年は娘も受験生ですし、大学生になったら家族で旅行に行く機会も減るかもしれません。というわけで、以前から行ってみたかった3ヶ所(原爆ドーム、宮島、姫路城)を訪れる忙しい旅となりました。広島・姫路に家族3人(夫婦と高2娘)で2泊3日、旅してきました。初日は東京から宮島まで移動。広島駅で荷物を預けられず、雨も降ってきたので広島市内観光を諦め、まっすぐ宮島へ。到着後、厳島神社周辺を散策。2日目
モンペ姿の親戚の女性1945年春前にも書いたのだが、初代蝋人形の火傷の様子と着ている服の破損の具合がどうもマッチしていない。女性の両手の指先から皮膚がたれているのは原爆の閃光による重度の火傷のせいだ。しかし袖口にゴムの入っている着物の袖はまったく無事であることに気がついた。(女性が着ているのはブラウスではなく、上の写真のような着物を縫い直した上衣とモンペだと思われる)女性の胸元にしても、上衣の右胸部分が焼け、下着(シュミーズか襦袢)も焼け、火傷した乳房があらわになっているとすると、
広島出張でホテル法華倶楽部に泊まった日、早朝の散歩は原爆ドームへ通称、原爆ドームと呼ばれていますが、正式には「広島平和記念碑」といいます。1945年(昭和20年)8月6日8時15分広島市の上空から投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える記念碑(被爆建造物)です。もともとは広島県のさまざまな物産を展示するための広島県物産陳列館として開館され、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていました。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲