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[常陸国]大甕神社(*画像はWikiより)■表記*紀…(星神)香香背男命・天香香背男・天津甕星*記…(記載無し)*「先代旧事本紀」天神本祇…天背男命・天世乎命、天津甕星、天香香背男*大甕神社…甕星香々背男命*他に加賀背男命*天背男命・阿麻乃西乎乃命(何れも「新撰姓氏録」)を同神とする説も■概要神話に登場する「星神」。ヤマト王権に最後まで服従しなかった神とされ、高天原に坐す「悪神」とも、葦原中国にいる「まつろわぬ神」とも。◎紀には2ヶ所に登場するも、記には登場
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************抑々、上記の本田翁の伝書にある「鎮魂法」は、神を鎮祭する際の鎮魂法であって、個人が行う修行としての鎮魂法ではない。その鎮祭目的の方法が鈴木廣道氏に伝授されたということだ。これが可能になるには、審神者レベルで霊魂の運転活用ができることが必要条件だが、北海道に帰郷する鈴木氏に対して、その時点では無理でもいつか役立てられるように伝えおいたものと推測する。何故なら、これは御霊璽、鎮魂石
須佐之男命厄神退治之図その昔、伊予で語り継がれてきたものが東国に伝えられ、南北朝の末期に編纂されたと考えられる『神道集』には、「三島大明神事」があり、その冒頭では「伊予国三嶋郡から荒人神が顕れた。その神を三嶋大明神という。」と記されている。また、南伊豆町・弓ヶ浜に隣接して建つ「笑止の碑文」にも「千早振る神三島神」と記されている。千早振る神・荒人神とは「勢いが激しく、力強い」神を示し、記紀における須佐之男命に由来するものである。三嶋大社では、大山積神・積羽八重事代主
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第二章日本書紀に見ゆる実例一日本書紀巻第一(神代上)(巻末G参照)又猿女君の遠祖天鈿女命は即ち手に芽纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に俳優す。亦天香山の真坂樹を以て鬘と為し、蘿を以て手すきに為して、火処燒き、覆槽置せ、顕神明之憑談す。』(「顕神本田霊学法典」)『また猨女君の遠祖天鈿女命は手に茅を巻いた矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧みに俳優をした。
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************それはさて置き、当時の指導情景の記録があるので、もう少し掘り下げてみたいと思う。形式としては審神者の前に大勢の人達が座り同時に行うものだった。これでは本田霊学の幽斎とは全くの別物だといえる。『幽斎修業は、修業者にたいして、手を一定の形式に組みあわせて、瞑目静座させ、審神者は天津祝詞を奏上し、天の数歌をとなえ、石笛を吹きならして、「ウー」の言霊によって霊をおくる。本来、