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本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第八章神術研修の本意神術である鎮魂法、帰神術を修めるのは、奇蹟や不思議な術を体得することを志とす可きでなく、その本旨は神典と国史とを根拠として、専らその法則に随って研修し、神霊の儼存の事実を確認して、その尊厳を体得し、幽冥界の幽遠微妙である事情を知得し、惟神(かんながら)の大道を了解する事に有るのである。故に本田翁は“道之大原(解説一四二頁)”に「霊学は心を浄むるを本
古鳥史康氏のブログから。『幕末の1806年~1807年、日本の北辺をロシア艦船が襲った。村々に艦砲射撃を行い、上陸、襲撃、略奪を繰り返した。千島・樺太の漁民は震えあがり、家財を背負って、「ロシアが来る!」と叫びながら逃げ惑った。幕府に届いた嘆願書には「海より火の手が上がる如し」と記されている。しかし幕府も国民も泰平の享楽に慣れ、現場の危機を知ろうともせず、現場の事実も届かなかった。平田篤胤は決意する。日本国民と国家を動かさなければならない。
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************筆者の体験では、神感法の際もある段階まで意識はしっかりとしている。勿論自身が就寝中であるという自覚はないが、それでも強烈な神気による霊的な感触はかなりのものだった。最初は佐藤先生の御存命中のこと。夢の中だが、白い玉石の敷き詰められた神前(伊勢神宮の御垣内のような場)で先生の審神者を受けていた。いつものように体を切り口を切ったが、殆ど幽斎の時と同じ感覚だった。(仰向けで寝ていた
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第七章神感法長沢翁門下で傑出した神主は宮城島金作氏である。氏は明治二十七年、御穂神社々務所に於いて翁を審神者として帰神を執行されたことがあった。其の折に御穂神社の御眷属八千彦(やちひこ)命が御懸りあって、日清戦争の状況に就いて予言あられた。その神詰と申すのは、実に微に入り細にわたって正確であったことに並び居る人々を驚嘆させたとの事である。之れは翁にとって帰神予言中の最
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『人体に懸られる霊は何処へ憑依するか、此の事を記述するのが前後したが、長沢翁は左の様に述べて居られる。「霊の憑依は大脳へ憑り中脳及延髄より脳神経の作用にて全身に及ぶものなれば、心臓に感じ此の感を起す。手より憑ると思う者あれども非なり。大脳へ憑る故に強き時は自己の意識を失うなり」。』(「顕神本田霊学法典」)帰神術で転霊を行う場合、複数の方法がある。それをここで明らかにする
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『霊的無感覚と痺れの無感覚の對照は至らぬ比較であったが、霊的の場合の−境地−は「霊肉分離」の状態である。鎮魂に於いても霊肉分離の境地を会得しなければ完全な鎮魂は出来得ないとの事を前に述べて置いたが、帰神に於いても又然りと云える。併し鎮魂と帰神の場合の霊肉分離は、同じ分離でも本質的に境地が異るものである。鎮魂法に於いての霊肉分離は自己の力に依って会得するものであるが、帰神術に
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『帰神術修業中には各種各様の現象が現はれる。筆者の体験の一部であるが、或る一日作法通りに執行し、審神者の転霊中、霊が御懸りなられると思はれる寸前であった。この時組んで居た両手が突然に「パツ」と無くなって了った。妙な事もあるものだと思い、故意に少しく動かして見た。確かに肉体的には在る事を感じられるが、精神的(統一状態に於いての)には何ら感覚は無くなっている。之を例えで云えば、
『前世の記憶をもつ少年全訳勝五郎再生記聞』平田篤胤著、今井秀和訳・解説/角川ソフィア文庫巻末の”平田篤胤関連「幽冥」ブックガイド”が面白い。斎藤英喜が執筆している『現代思想』篤胤特集と、『平田篤胤狂信から共振へ』紹介いただいております。前世の記憶をもつ少年全訳勝五郎再生記聞(角川ソフィア文庫)Amazon(アマゾン)現代思想2023年12月臨時増刊号総特集◎平田篤胤Amazon(アマゾン)平田篤
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『和歌の御得意な霊の場合は、審神者が題を出す事もある。例えば「社頭の梅花」とか其の季節の題を出すと、巧みに御読みになられる。此の場合の口調は朗吟風になさることも有るが、普通の音声で読まれる事もある。審神者としても長歌とか、綾のある古語などは兎もすると聞き洩すことが有るので、二、三回程くり返して御歌い下さる様御願いする事にしている。終了後歌詩の句などを記録しようとする場合に、どう
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『憑霊に御得意な事柄を問うと、それぞれ得意とされる処の書画とか、詩歌をなさるとか、又舞を遊ばすとか種種な御答がある。書画をなされる霊に御揮亳を御願いする場合は、前以って筆墨紙其の他の諸用具を用意して置き、書かれるとの御言葉があれは直ぐ仕度をする。霊は何ら躊躇する事なく即座に筆を採られて一気呵成に揮亳されてしまうものである。文字の場合は、審神者は古き書体でと御願いすると、何ら
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『扨斯くして霊が自在に憑依出来得るまでに神主の体が錬磨されて来た所で、憑霊の御名前を尋ねるのであるが、この作法として、我々が通常用いている言葉の如く「貴方の御名前は何と申されますか」などと云う様な問い方はしないで、憑霊に一揖して「汝(いまし)(又はミマシ)の御名は」と問うか、「汝の御名を告げられよ」と斯く問うか、「汝の御名を告げられよ」と斯く問う事である。此れに対して憑霊は
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************帰神術は本来、国土や神社を祓い、また天下国家を憂いて神意をお伺いするものだが、昭和の公式・正式幽斎では前者の「祓い」が主だった。そこでは神主が神籬となり、神界が祓いを行う。そして御啓示は、その祓いの神事に付随して行われた。その時、最も重要なのは③である。神界から御啓示を受け止められないならば、発せられた言葉は御啓示ではなく、自意識の産物になってしまう。神界の御啓示を戴く
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『此の時期に到っても神主の体の練れは未だ完全でない為に憑依された霊の御名を尋ねても、正確に言語を発しないのが通常である。然しその発声方法は審神者が機を見て指導し、明確に発声出来得る様手段を行じれば、徐々に明瞭となってくるものである。此所で注意すべき事は、霊動したから体を切ったからとて、軽々しく憑霊の名を尋ねる様な事をしてはならない。何故かと云うと邪霊なれば簡単に喋り出すが、正
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************整理すると、穏やかで明るい光に包まれると共に、神気の充実、岩笛が遠くから聞こえてくる感覚が揃う事が、帰神術における神主側の要件であり、言い換えれば、体を切れる状態になったという事。その後、審神者の質問の声が「やや遠くから聞こえる」ことでも、「俯瞰」の確認ができる。つまり「俯瞰ができている」とは、鎮魂力による分魂ができている事に他ならず、それは「吾が霊魂が天御中主大神の御許へ至
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************体感的に神気が充満している感覚は、肉体と同じ座標にある直霊の顧みる働きによりわかるが、穏やかで明るい光に包まれるのは、分魂した一霊四魂の方の直霊の働きにより、俯瞰的に覚るものだ。そして我慢できなくなった時に、体が切れる状態になるわけだが、切った後は呼吸をはじめ体の状態も楽になる。この一連の流れの中で大事なのは、「俯瞰」だ。ここでの俯瞰とは分魂した側の一霊四魂に、視座が置かれた
いわきに行った話のつづき。チェックアウト後、まっすぐ帰らずに、せっかくなので、笠間に寄って行こう。と言う。今年になって、笠間のカフェ「言の葉」のおかみさんとご縁ができたので、話をしたくてしたくて、いるかは、いつも突然、突撃。(さすがに到着前に連絡したが)。にもかかわらず丁寧に対応していただく。カフェはたいへん居心地よく、調度品なども素敵、すべて気が利いていて調和している。こんなふうに完璧な空間を作り上げることができるなんて天才だ。そういえば、昨夏に亡くなったI
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『神主の体が練れるに従って霊動は僅少となり、態度も整然となってくる。体が整う頃に至ると「体を切る」状態が出現する。体を切ると云うことは、正座したまま身体の形を崩さずに一尺から二尺ぐらい飛び上り、又元の位置へ着座する事である。初期の内は此の行動を何回か繰返す事もあるが、熟達するに従い、霊が憑依(降霊)する時に一回、昇霊する時に一回、前後二回行はれるのが正規とされている。』(「顕神
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************来宮神社でのことだが、似たような場面に遭遇した。大柄で恰幅が良く始めて来た方だった。当然転霊は行われず祓いだけだが、数分経った頃、突然大きな声を上げはじめた。まるで狼の遠吠えのような威圧感のある叫びだった。佐藤先生が審神者だったが、岩笛もやめて叉手を組まれ、その方を見て居られた。すると彼は次第に遠吠えをやめて静かになり、そのまま最後まで大人しくしていた。そして本人は特にどうこう
出雲を巡る③・出雲國二ノ宮佐太神社・無料記事を加筆修正、有料記事にしました|夢我一全「佐太神社」の現在、公式で言われている祭神は「佐太大神(さだのおおかみ)という神で、この神は猿田彦神(さるたひこのかみ)」の別称とされています。この佐田大神を猿田彦神と同体とすると「公式」が、ある時から認めてしまってから、この神社の面倒くささは始まります。本来の祭神は「佐太大神(さだのおおかみ)」なのですが、これが江戸時代の神学者「平田篤胤(ひらたあつ…note.com
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『これに就いて大分昔の事であるが長沢翁の語られた話に、翁の御奉仕の月見(やまなし)里神社の社務所に於いて、門下の佐野氏が審神者となり神懸りを行った事が有った。此の時右の如き動物霊(野狐)が或人に懸り、氏が霊縛を行った処、その霊が突然に飛び出してきて氏の膝頭に咬みついた。側らに居られた翁は其れを見て直ちに追除かれたが、氏の膝には疵は付かなかったが、着衣には歯の跡があり穴もあい
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************本田翁の「道之大原」にも次のような文章がある。本田翁が何故皇法の重要性を説くのか、その理由がよくわかる。『霊学は心を浄くするを以て本と為す、故に皇神、鎮魂を以て之を主と為す。百姓尊奉して日々に真心を練るべし。令義解に云く「鎮は安なり、離遊の運魂を招き、身体の中府に留めるを言ふ」と。見るべし、其の国家の重典たるを。今人蒙昧頑乎として顧みず、法を外に求め、術を異尋ね、慣習常と
勝五郎の生まれ変わり|中村篤史/ナカムラクリニック『勝五郎の生まれ変わり』(ラフカディオ・ハーン著)より。「以下の著述は『物語』ではない。私はあくまで、19世紀初頭に江戸幕府の押印と署名がなされた日本の文書の翻訳者にすぎない。豊多摩郡中野村に住む百姓源蔵の次男勝五郎の事例勝五郎が9歳のとき、姉に奇妙な話をする。「ぼくはこの家に生まれる前、程久保村(現在の東京都日野市)に住んでいて、藤蔵って名前だっ…note.com非常に面白かった。短い年数での生まれ変わりってあるんですよね
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『初期の霊動はその人の体質と、憑られる霊の動作に依り各種各様の形態を示すものであり、初期に於いては「口を切る(懸った霊が言語を発す)」などと云う事は到底出来るものではない。故にある期間は、専ら憑霊に神主の体を慣らす様に任せて置かなければならない。併しこの期間中、審神者が問いもしないのにベラベラと喋り出すが如き憑霊なれば、之は絶対に低級な霊である。体を慣らすに任すと雖も、邪霊
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第四節帰神の状態とその憑依現象審神者が何回か転霊を行っている裡に、神主の状態に変化が現はれる。まず相貌に複雑した表情が出てくる。頭を前後左右に動かす者もあり手を上下に振り動かすことも有る。首筋が強く張って来て全身が膠著状態となる事もある。呼吸も平常よりは大分激しく乱れる。なお或種の凝魂と云うか一つの固りの如きものが、臍下丹田より喉の方に向って昂上(つきあげる)する状態
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『翁の膝下に教を乞いした者は前に述べたる如く実に夥しい数に昇るのではあったが、此の内、神典皇学を純粋に修めて入門した者は幾人有ったであろうか。筆者の知る限りに於いては、その過半数は各種の迷信的宗教を身に着けて来て居たものと思う。今翁の遺された入門帳を見るのに、氏名を記載した者しなかった者(この方が多い)多数であるが、記載した中に「現界の名は何某、幽界の名は何々命?」などと記入し
日本史上最も有名な生まれ変わりの物語─8歳少年が語った前世の記憶とは?https://youtu.be/JFscgEiF-_A?si=pZ4eM5mPd0sDHF_DHSメディア_HSMedia2025/11/07#転生輪廻#前世の記憶#生まれ変わり今回ご紹介するのは、江戸時代後期に日本中を震撼させた前世を完全に記憶していた少年、勝五郎の衝撃的な物語です。少年・勝五郎が語った前世の記憶は、実際の地名や家族構成、遺品までもが一致し、やがて国学者・平田篤胤や作家・小泉八雲によ
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『長沢翁が入門する人々ごとに必ず申し聞かせられた言葉は「わしの処へ入門した以上は一切の迷信を去りなさい。嘗(かつ)て学んで来たものは全部捨てて、白紙となって皇典を学び国学の書を読み、而して霊術を修めなさい」と申されるのが常であった。なお翁が真摯(しんし)に学ぶ我々によく語られた事は、「此処へ来る弟子達は其の数も多いが、皆“術”を目あてである。この神術は、幽玄至貴な神事であ
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第三節憑霊に於ける正邪と精神問題善神界より正霊を引いて審神者が転霊すると云う、正式な帰神術を執行するのに、何故に邪霊が懸る事があるで有ろうかと疑間を感ずる者も多々あることと思う。此れに就いて本田翁は神伝秘書で「精神正シケレバ則チ正神ニ感合シ、邪ナレバ則チ邪神二感合ス、精神ノ正邪卜賢愚ハ直チニ幽冥ニ応ズ、最モ戒慎スベシ」と明確に教示されている。かくの如く、霊学を修むべ
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『問憑依を願う場合に、当方より特に指定せる御神霊や御春属に御降霊願う事は出来得るや。答当方にて特に各種諸要件の有る場合は、其の御分掌の御活きある霊に御降霊願う事はあり得る。』(「顕神本田霊学法典」)その時の幽斎の目的にもよる。審神者が質問したい内容が専門的な事柄である場合には、その職掌の御神霊の降臨を願うことは許されよう。佐藤先生の御存命中に、筆者も何度かそのような
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『問その融合せし霊が神主に懸りて口を切り、固有の御名を名乗られるか、此の点に付き説明を願う。答審神者が神主に何回か転霊すると云うことは、一、二回ぐらでは霊気が身体に充実しない為に、全身に溢れる迄続けるのである。この全身に霊気(神気)が充実せし時に、神主が体を切る(専門語−第四節に述べる)のが正則とされている。さて御名を名乗られると云う事は右の如く「神気充満して体を切っ