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NHK大河ドラマべらぼう吉原を舞台としたNHKらしからぬ攻めた演出で話題です(笑)。毎週楽しみでリアタイで見ています!!主役の横浜流星くんももちろんだけど小芝風花ちゃんの花魁・瀬川粋でカッコいいねぇ~~これから身受けされた後瀬川の出演どうなるのかな?楓花ちゃん、出なくなっちゃうの?そんなの嫌~~!!水野美紀と安達祐実の眉毛が無いのも気になってしょうがない~(爆)。ポチッと押して欲しぃ~のにほんブログ村
元治元年(1864)七月十九日、禁門の変が勃発すると、伊地知は西郷吉之助(隆盛)と共に薩摩藩総指揮官小松帯刀を補佐しました。そして御所に襲いかかった長州軍を撃退すると、翌二十日には天龍寺の長州藩本陣に攻め込んで、これを攻略。寺を放火するという手荒な真似をしましたが、長州藩と鳥取・岡山・加賀・対馬の各藩との密謀を示す文書などを多数押収すると共に、兵粮米五百俵を分捕りました。この兵粮米は、戦後焼け出された被災民のための炊き出しに利用されました。そして慶応四年(1868)一月、鳥羽伏見の戦いで薩
当たらずとも遠からずとは、このことです。再来年の大河ドラマが発表されました。タイトルは、「逆賊の幕臣」、主人公は小栗上野介です。小栗上野介といえば、よくバラエティーで取り上げられる、徳川埋蔵金のネタ元にされている方で、幕末における徳川幕府の知恵袋で、明治維新において、薩摩長州の新政府にとっては、生きていては困る人物でした。だから、最期は悲劇的です。いわれなき罪を着せられ、しかも切腹ではなく斬首でした。脚本は、なんと!安達奈緒子で、小栗を演じるのは、松坂桃李です。彼の起用は、遅すぎたほどです
新選組映画第一号とされる『近藤勇』の主演役者・森三之助について調べているうちに、三之助よりも、彼と一時愛人関係にあったという花井お梅の方が気になってきてしまって、ここ数日、国会図書館デジタルコレクションにある花井お梅に関する書籍を読み漁りました。花井お梅は、明治二十年(1887)に下男の峰吉を殺害して逮捕されました。この事件は俗に「箱屋殺し」と呼ばれ、男女の愛憎が殺人にまで発展した事件として世間の大きな注目を浴び、翌年には『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』(作・河竹黙阿弥)『
年末時代劇スペシャル、白虎隊の後編感想です。これドラマもそうなんですけど、主題歌の良さも相まって評価の高い作品になったと思います。堀内孝雄さんの「愛しき日々」です。かたくなまでのひとすじの道愚か者だと笑いますかひたすら夜を飛ぶ流れ星急ぐ命を笑いますかきまじめ過ぎたまっすぐな愛不器用者と笑いますか歌も良いのだけど、詞が秀逸ですね。小椋佳さん天才。これだけで泣けるわ〜最初に登場するのは会津目指して攻め入る官軍、長州藩の世羅修蔵。(そ
5月3日応永33年(1426年)の正月の夜のことである。氷川大明神(現、氷川神社)の神主、岩井常陸介が不思議な夢を見た。白髪の老翁が枕元に立っており、いま社頭に一人の僧が仮寝の夢を結んでいるこの方は稀有な善知識であり高僧であるよってこの方をながくこの地にとどめて布教せしめよ西方の観音堂に案内するがよいといい終わると消えた。神主は起きて社頭に行ってみた。すると一人の僧が社殿の回廊で安らかな寝息をたてていた。この寒夜に布団もなく安眠できるとは、よほどの修行を
昨日、『桜田門外ノ変』という映画を観ました。2010年公開です。今日はそのレビューをしたいと思います。そう、それは3月にもかかわらず季節外れの雪の江戸。真っ白な雪が降り積もった美しく厳かな光景に飛び散る鮮血……これネット配信でレーティングなし(全年齢)だったんですけど。ええっ全年齢ですか?!けっこう残酷でエグイ場面ありましたけどね。だって、大老井伊直弼のお首がとられちゃうんですから。お首の様子も、お首がなくなった胴体の様子もバッチリだったのに。血の量もすごい。時代
映画『十一人の賊軍』待ちに待った公開!観てきたー公式サイト映画『十一人の賊軍』公式サイト-11月1日(金)全国公開飛び交う銃撃轟く砲弾の最中、11人の凶悪な犯罪者たちによる夢と自由を賭けた壮絶な死闘が始まる!為す術もなく、理不尽な現実に翻弄される男たちの魂の叫び。このままで終われるか!数々の傑作を手がけた名脚本家・笠原和夫のエネルギーが凝縮された強烈作がついに映画化!さらに、監督・白石和彌が迫力と疾走感を兼ね備えた圧巻のアクションをストーリーに焼き付ける。11zokugun
こんにちは😊社会人(ならではの楽しい)勉強時間☆13分☆の時代だそうです(https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/fa5e772fdf159d49fcccf348dc8a9a6a2125c3ae)忙しいまいにち。勉強というより知りたいことはたくさんでも何か時間がうまく嵌まらずそのままになっているコトを「得意分野の人に話してもらいながら、みんなで楽しく、新しい世界を学んでいくカフェ」をします❢(アリスの)ティーパ
さて、ここらへんで一度視点を変えてみましょう。佐久間象山の暗殺事件について考える時、決して切り離して考えることが出来ないのが池田屋事件です。象山の暗殺からさかのぼること約1ヶ月、元治元年六月五日、急進的攘夷派浪士たちが三条小橋西の旅籠池田屋に集まっていたところを新選組が急襲したこの事件で、浪士たちの首領的立場にあったのが肥後脱藩浪士の宮部鼎蔵でした。宮部鼎蔵は文政三年(1820)四月、肥後藩医宮部素直の次男として肥後国益城(ましき)郡田代村(現・熊本県上益城郡御船町)に生まれ
いやはや...いいね(笑)。いい!!この大河ドラマは...予想を遥かに上回り、メチャメチャ良い!!今までの所、幕末物としてはここ20年の大河ではぶっち切りだ...。原作者・大森美香は、間違いなく本物だ...。恐れ入った...。僕は大河ドラマで、これほどリアルに再現された桜田門外の戦闘シーンを見た事がない。強訴を装って行列をストップさせる所、拳銃による発砲が号砲となり一斉に打ちかかって行く流れ、銃弾を下腹部に食らった籠の中の井伊...全てが完全に再現されていた。短い時間で、分かり易く、し
文久二年(1863)八月二十九日の夕刻のこと。京の都は鴨川の東岸、川端通の二条の辻をやや南に下がったあたりを、ある父娘(おやこ)が歩いていました。※.「文久二年京都細見図」より。父親は名を文吉といい、「猿(ましら)の文吉」の異名を持つ目明かしでした。世に名高い安政の大獄においては島田左近に従い、時の大老井伊直弼に反目する水戸派の検挙に功績をなし、その報奨金(※)を元に高利貸しをはじめて莫大な冨を得ていたことなどから、尊王攘夷の志士は無論、京の町の人々にもひどく憎まれていました
2月末から「ひな祭りコンサート」が続いております🎎旧松喜醤油屋さんでのコンサート【旧松喜醤油屋は、江戸時代から商いをしていた許斐家が、幕末から明治初期に建てた家屋です。明治13年(1880)から醤油醸造を始め、当主の名にちなんで松喜醤油と名づけました。昭和40年代に後継者が無く絶えましたが、市指定文化財として保存されています。醸造蔵などは既に無く、「舟天井」や「月見台」「箱階段」などに豊かな商家の面影が見られます。「大黒柱」に筑前竹槍一揆の傷跡があります。】という市指定文化財内での
続きまして~こちら↓恋歌Amazon(アマゾン)3,500円恋歌(れんか)by朝井まかて今のところくまモンに恋心が湧かないから小説で恋心を味わおうと思って読んでみたで、以前、書評を書いた『白蓮れんれん』の柳原白蓮と宮崎龍介のような熱き恋愛小説を想像していたのだけど‥『恋歌』は恋愛小説というだけではないもっと過酷な物語だったよ確かに前半部分には苦しいほどの一途な恋が成就するまで‥が描かれ
この本は装丁にしてもタイトルにしても、一見してノンフィクションかな?と思えるのですが、実際はフィクション、小説です。が、本当はノンフィクションにしたかったんじゃないかな。でも、内容的に危険すぎるから小説にしてうやむやにしたんじゃないかな・・・始まりはこの一枚の写真。「フルベッキ写真」というそうです。フルベッキは人の名前で、写真の中央に写っている外国人。幕末の日本にやってきた宣教師なのですが、およそ宣教師らしからぬ振る舞いで明治の革命に加担したと言われる人・・・
文久三年(1863)五月二十一日の夜、寺町通に宿を確保したあと岡田以蔵らを連れて鴨川を渡り、祇園に繰り出したと思われる勝海舟。そして、祇園新地へ向かおうと縄手通を北に向かったところで豊永伊佐馬らの襲撃を受けますが、以蔵が伊佐馬を返り討ちにしてしまったのではないか・・・。豊永伊佐馬も岡田以蔵も同じ土佐の人間なのに、どうしてと思われるかも知れませんが、新選組(壬生浪士組)を見てもわかるように、この文久三年頃というのは、まだ志士たちの考えが「倒幕対佐幕」のように二極化されておらず、そのため
私はあまり再読しない方なので、自分で買った本のほとんどは古書店に売りに行って、本棚のスペースを確保する。ただ、「これは参考になったな。面白かったな。また読みたいな」と一応残しておく本もある。結局再読しないことが多いのだが、今回、処分するかどうか決めるため、何冊か読み返してみた。数年前から、世界史を再勉強している。最近は、地政学が人気のようだが、確かに面白い。世界史で学べ!地政学(祥伝社黄金文庫)Amazon(アマゾン)「地形」で読み解
日本の総理大臣がアフリカ諸国の歴訪を終えて帰国した。アフリカといえば、中国はアフリカ諸国に対してケタ違いの6兆6千億円の経済協力を表明している。6兆といえば欧州の小さめの国の予算と同規模だから相当なものだ。その中には無償資金提供もあれば無利子融資もある。タダより高いものはない。融資はしょせん借金である。借金はこわい。とくに国の借金というものは。握手する岸田首相とモザンビークの大統領読売新聞オンラインより日本にもかつて国の行末のために外国から金を借りて渾身の賭けに出た男がいた
フリーメイソンの本家ですし幕末に武器を売りつけて日本を分断化して歴史の改ざんもされてますよ!そこからロスチャイルドの魔の手がひしひしと蔓延って来てるのが分かりますね!—大日本人(@pXsV0bexCk42214)2025年3月3日
文久二年七月二十日、木屋町二条樋之口の妾宅において九条家の家来島田左近が襲撃を受けて行方不明となり、翌二十一日早朝、そのすぐ近くの高瀬川に首のない死体が浮いているのが発見されました。ただちに町奉行所や所司代から役人が現地に赴き、死体の検分が行われました。死体の右腕に「尾州」の入れ墨があった事から、島田左近である事が君香と下男の清助により確認されました。この入れ墨は、左近がかつて尾張国で罪を犯し刑に服した経験がある事を示しています。更に午後からは九条家の家臣秦岩太郎、久下栄之助と、左近
それは文久二年七月二十日の事でした。旧暦の七月二十日は現在(グレゴリオ暦)の8月21日に当ります。島田左近は二条木屋町通り樋之口の、君香の為に借りた貸座敷を訪れていました。この日は暑い一日だったようで、暮れ六つ時頃、現代でいえば夕方6時頃の事、左近は暑さをしのぐために下帯姿で行水をしていました。貸座敷には左近、君香の他に下男の清助、下女二名、そして左近が呼んだ祇園新地の芸者三人がいました。あるいは芸者たちの雅な踊りを眺めながら、君香に背中でも流してもらっていたのでしょうか。その
昭和の年末時代劇『五稜郭』第二部(後編)です。ここからはツライ現実の連続です。前回、この後編がどうしても見られなかったが・・・心して見よう。オープニングの五稜郭は、雪景色となりました。「エピローグ・ウラルを越えて」も気になります。冒頭。榎本軍が箱館に攻め入った時、釜次郎の指示で捕虜100名ほどが全員釈放され、青森に送り届けられます。「万国法に従って」というのが理由ですが、当時の日本では異例であったこの処置が、後々榎本釜次郎を救うことになるのです。人には親切にし
寺島忠三郎や久坂玄瑞ら長州藩士の襲撃が失敗した事で、島田左近の居場所は再びわからなくなってしまいました。左近との縁が切れた中西君尾も、もはや打つ手をなくしてしまいました。中西君尾は晩年、自らの体験談をまとめて『勤王芸者』(※)という本を出版しました。晩年の思い出話であるし、生涯芸妓として勤め上げた君尾の、お座敷での“ネタ話”として少なからず脚色された可能性はありますが、幕末維新期の実体験談として貴重な証言である事は間違いありません。その『勤王芸者』の中で、島田左近の暗殺事件に関して君
昭和ネタよりチョット古い幕末~明治ネタ。実在の人物で、千葉佐那・千葉佐那子・千葉さな子とも呼ばれています。私は若いころ、原作武田鉄矢の漫画「お~い!竜馬」全23巻を読んで千葉佐那の大ファンになりました(笑)この人の生き方が大好きでね、高知県立坂本龍馬記念館などにも足を運びましたが、千葉佐那の資料は殆ど皆無ですが、私なりに色々本を読んだり資料を集めていましたので紹介します。二年後の2026年は、千葉佐那が亡くなってから130年目の節目になります
上州権田村に隠棲していた小栗上野介が、実は官軍に抵抗する準備を進めているという情報がもたらされ、官軍は小栗上野介の追討を命じました。豊永貫一郎は原保太郎と共に監察使に任命され現地へと向かいます。慶応四年四月下旬のことでした。そして閏四月一日、追討を命じられていた高崎・安中・吉井の上州三藩は兵を派遣し、普請中の東善寺を取り囲みました。『吉井信謹家記』閏四月朔日、三藩説得方、権田村上野介陣屋普請(東善寺と申す)に罷り在り候につき、此所へ相越し応接す。上野介不審之廉々申達候処、
京都・伏見の町にある「寺田屋」▶︎「寺田屋」(京都市伏見区南浜町263)2019年12月13日撮影薩摩藩士たちの定宿だった「寺田屋」女将のお登勢は勤皇志士たちを陰で支え続けたここは慶應2年(1866年)正月23日に幕末の志士・坂本龍馬が幕吏に襲撃された場所である。▶︎坂本龍馬(1835〜1867)※旧暦表記出典;『近世名士其二』土佐藩郷士・坂本家の次男として誕生。幕末の動乱期を精力的に生きた
鳥羽伏見の戦い頃を描いたと云われる絵図新選組が韮山笠をかぶり銃を装備していたことが伺えます。池田屋事件を最後に浅葱色の羽織りは着用されなくなったと伝わりますが、羽織りの袖と裾、合印に山形の模様が入っておりシンボルだったことが分かります。韮山笠やゲベール銃が普及したのは慶応年間に入ってからのようで藤堂平助を始め隊士は高島流砲術を学んでおり、隊の編成や砲術調練の規模から近代的な銃撃戦を想定していたと思われます。鳥羽伏見の戦いのあと甲陽鎮撫隊となるまでに羽織にたっつけ袴の姿から筒袖段袋が主
再来年の大河は小栗上野介忠順、主演は松坂桃李。「逆賊の幕臣」。これは楽しみです。御上先生(^^;こちら松坂桃李、27年大河ドラマ『逆賊の幕臣』主演『シンケンジャー』時代からのファンしみじみ「殿がついに大河の主役に」(オリコン)-Yahoo!ニュースNHKは3日、2027年に放送予定の大河ドラマ(第66作)が『逆賊の幕臣』に決まったと発表した。主演は俳優の松坂桃李が務め、脚本は安達奈緒子氏が担当。勝海舟のライバルと言われた小栗上野介忠順の活躍news.yahoo.co.jp小栗は昔日
今回紹介する人物に関しては、あまり史料がありません。もちろん幕末の人物の場合、史料が豊富に残っている方が珍しいといえそうですが、この人物の場合、なんだが様子がおかしいのです。いわゆる陰謀論のたぐいとは違うのですが、何かしらこの人物に関しては、その周囲の人々に「触れたくない」「関わりたくない」という気持ちが見え隠れしている・・・、そう感じるのです。その人物というのは土佐藩士豊永貫一郎です。豊永貫一郎は嘉永二年(1849)十二月二十七日、山内土佐守家来豊永耕畆の子として土
おはようございます、かねこです。高知旅行記、ついにラストです桂浜にある坂本龍馬像。坂本龍馬がいなかったら、やはり今の日本は変わっていたのでしょうか。あのとき薩長同盟や大政奉還を推し進めなかったら。国内の内乱は長期化し、幕府ひいては日本の国力は衰退して他国に大きな遅れをとっていたのでしょうか。明治維新は何年も遅れていたかもしれませんね。と言っても、私は正直あまり歴史に強くありません学生時代、社会が一番苦手でした。ただの暗記科目だと思っていたので、やる意味なくね?と未熟な脳みそで判