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本日、常磐線「赤電」リバイバル塗装車を目撃!品川駅18時24分発の勝田行(列車番号1227M)なり!(折り返し待機中なのでまだ到着時の列車番号1220Mのまま)品川駅10番線にて。隣に見えている11番線の18時7分発成田行がまだ出発していないので、赤電のほうに乗ろうとする人はまばらで、ゆっくり写真撮り放題だ!でも、記憶の中の「赤電」とは何か色が違うように見えるんだよなぁ・・・「小豆色」も「クリーム色」も当然全く同じ色だとは思うのだが。テカってるからかなぁ?ステ
福島県の双葉町東日本大震災の時に福島県でも特に津波の被害が大きかった場所の1つです。駅からは海は全く見えません。もし自分でもここまで波が来るのは想像出来ません…双葉町の役所駅前にあります。双葉の旧駅舎は休憩室等に利用されています。至る場所にアートが描かれています。まだあの日のままの場所も残っています。かつては学校があった場所色々と考えさせられました…『福島県の〚浪江町〛を歩く』福島県の【浪江町】を歩きました😄浪江駅福島県で津波の被害が特に大きかった場所の1つの浪江町浪江町
今日は撮り鉄ネタ、ED75機番シリーズのNo.1711039号機のChapter-5です。2005~06年撮影の写真をUpします。白Hゴムに銀パン、国鉄時代のスタイルに近い姿で活躍しました。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。Chapter-4から約2年間のブランクを経て、綺麗に整備された1039号機復活です。露出が厳しく苦し紛れの流しでしたが(前撮りは真っ暗けだった😅)白Hゴムに、パンタグラフと高圧機器は銀塗装、国鉄時代を思わせる姿です。しかし全検を通ったワケで
今日はED75機番シリーズNo.002のRe=リニューアル版1004号機Chapter-3~2001年以降撮影の写真です。リニューアル前の記事には一切無かった白ガマ、帯ガマの姿も出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。1004号機はP形では希少になっていた国鉄色で活躍を続けます。最初は桜の写真から..白ガマが多くなっていたので前だけ赤なら..と作っていたアングルと思われますが、赤赤で揃っていました😅。2001/04東北本線(特記以外以下同様)大河原-
皆様、こんにちは。今年のGWの旅記を書き進めてまいります。東北への旅、2日目。いわきから目的地の大船渡まで、ひたすら乗り継いで行きます。長旅ですので、ゆっくり旅気分に浸ってもらえればと思います😅~2024年4月27日~AM6:00寝坊することなく、無事に起床(笑)ホテルの無料朝食を食べて、駅へ向かいます。〈いわき〉2日目、いわきから大船渡へ向けて、長旅が始まります。〈いわき〉常磐線原ノ町行に乗車。いわきは、東北なのですが…どうしても鉄道で旅
9月9日金曜日、思い立ったように内郷機関区を訪れています・・・「訪れる」と言っても、別に撮影許可撮って構内撮影するわけでなく、機関区外からの「覗き撮影」ですが。この撮影のターゲットは不明。引退期が近づいていたEF80かED75若番狙いだったのか?今ならweb情報を元に運用中の列車(旅客でも貨物でも)を狙うんでしょうけど。上野発5:07の441M平行に乗車した筈ですが、ここで人生最大の「トイレ(小)我慢」を経験させられました。何しろ車内がどんどん混んできて席から通路に出られず、空くこと
今日は撮り鉄のお話でも。先日のゴールデンウィーク。私は愛犬ベルを連れて茨城県取手市まで出かけていました😃(愛犬ベル・取手市の利根川河川敷にて)そして、取手にやって来たならば、私はJR東日本・常磐線の取手~藤代間で「撮り鉄」を楽しむのがお約束初日は快晴の中、安中貨物を撮影しました🎵『4ヶ月ぶりに安中貨物を撮影しました』昨日は車を運転して、愛犬ベルを運動させるため、1泊2日の行程でいつもの茨城県取手市までやって来ました。私は今年の2月に左膝の手術(高位脛骨骨切り術)をしていま…amebl
1996年4月11日に東京都豊島区の東日本旅客鉄道(JR東日本)池袋駅構内で発生した殺人事件。警視庁による正式名称は「JR池袋駅山手線ホーム上立教大生殺人事件」。この事件では被害者の父親が賞金を懸け情報を収集するなどしていたが、未解決事件となった。また事件は大勢に目撃されており、現場となった池袋駅には目撃者の証言などを基に作成された犯人の似顔絵が貼られていた。事件の概要1996年4月11日午後11時30分頃、池袋駅の山手線外回り7・8番線ホームで当時立教大学の学生であった小林悟さん(当時2
GW中に運行された常磐線の「特急絶景ネモフィラ川越号」です。水を張った田植え間近の田圃で水鏡を狙ってみました。E653系K71編成。こちらは先に通過していったE531系赤電編成と通常の常磐線カラーのE531系です。2024年4月28日常磐線
皆様こんにちは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。先日は常磐無線アンテナ取り付け車のうち、キハ28のどの車に同無線が付いていたかを検証しました。前回は検証のみでしたのでちょっと実車の姿を見てみたいと思います。ただし実車が常磐無線アンテナを取り付けていた姿自体は私は見たことが無いので、イラストを使ってご紹介いたします。そもそもこの常磐無線アンテナですが、取り付け両数の最も多かった電車では、アンテナが屋根上に直接載っている形になっています。EF80やEF81といった電気機関車
軽量ステンレス車体や1段下降窓の採用など国鉄末期の新しい潮流に乗って、交直流電車の415系も、211系と同水準の車体にした1500番台が1986(昭和61)年にデビューしました。JR移行後も増備され常磐線では計89両が活躍しましたが、そのうち1編成4両は九州に渡って走り続けています。上野駅で583系「はくつる」(右)と並ぶ415系1500番台=1987年415系1500番台は国鉄末期には九州地区にも4両編成が13本投入され、直流区間の山陽本線小郡駅(現新山口駅)まで顔を出
今回は色差しと車体の組み立てを行いました。〇上野寄り先頭車11号車クモハ102-1201クモハ102-1201上野寄りの11号車に使用されていたクモハ102-1201です。東西線直通用に製造された301系の増備車として登場しました。301系はアルミ車体で台車も103系と異なる形式が採用され、製造コストが非常に高価となってしまい、また保守内容も異なるのでコスト削減のため103系1000番台をベースに製造されました。1000番台と違いATC機器が異なるため運転台直後に機器室を必要と
先週、真南風に、来客がいくつかあって、ゴロンと横になって、まったりおしゃべりしているうちに、白い砂浜にいるみたいな心地よい瞬間があった。真南風がほんとうに沖縄の海辺みたい。だから真南風なんだなあ。と、あらためておもった。戻ってくる場所に。元気になる場所に。Privatecaféを再開いたします!真南風で月1回限定開催。主宰者、しかくらかおるが、FacetoFaceでの対応。uzuRelaと、ラドン浴と、ゆんたく。からだもこころも
今回は、常磐線の原ノ町以西や東北本線黒磯〜新白河で活躍する、E531系のグリーン車について解説します。ちなみに実際にE531系のグリーン車に乗れるのは、上野東京ラインの品川から常磐線の高萩までです。E231系からE233系に進化する過程で登場した車両で、今回はグリーン車を紹介しますが、普通車の車内を見てみるとE233系とE231系を合体させた様な、マニア視点から見ると面白い車両です。関西や北海道在住の方に、関東圏の普通列車グリーン車の説明をしますが、↑の写真のような2階建て車両が関東にはばんば
たまにはE653系の臨時列車でも撮ろうかと思い,ウシサヌまで。久々にK71編成を撮影しましたが,当時のフレッシュひたちを思い出し,懐かしい気分になりました。9022ME653系K71編成おまけE657系K17編成中望遠のカット,本当は70-200を使って135mmとかで撮りたかったのですが。旧型の70-200はメカシャッターの高速連写に対応してないので,24-105で妥協しました。70-200,海外研修のお金が返金されたらRFに買い換えようか悩みどころです。
常磐線の急行列車については主に昭和50年代以降のものとする。それ以前は知らないためです。昭和末期の常磐線時刻表に謎の列車が存在していた。水戸を朝5時台に出る平(当時)行きの普通列車だが、快速表示がないのに快速運転をおこない、しかも気動車であった。全線電化の常磐線に気動車普通列車だけでも謎である。だが、古い時刻表をみる機会があってそのときに疑問は氷解した。この列車はもともと水戸発仙台行き急行「いわき1号、そうま1号」であった。いわき号は、平から磐越東線に入り、郡山から磐越西線などから来た
651系のアップデートの続きです。今回はかなり写真が多いですがご了承ください。ライトをLED化します。電球の基板を取り外し、LED基板を取り付けます。車体を組み戻してレールに置いてみましたが、点灯しませんでした。原因は集電板でした。LED化されたことで基板のレイアウトが変更され、リニューアル品ではそれに伴い集電板が長くなりました。そのため、旧製品の短い集電板とLEDの基板の通電部が接触せず、通電していませんでした。そこで、基板にアルミテープを貼って通電部を延長し、短い集電板
2021年5月14日(金)その2━━━前のエントリーから続く━━━秩父鉄道で、東武9000系の南栗橋入場甲種輸送を撮って来たあとは、羽生から東武で鷲宮へ移動し、鷲宮から2kmくらい歩いて、ラーメン山岡家鷲宮店へ行って昼食。そこから更に1kmくらい歩いて、東鷲宮駅へ…そこから、一旦上野来て取手へ…取手駅からも、2kmくらい歩いて、ガスタンクバックになる陸橋へ…すでにテツヲタは何人か集っていた。最終的には10人くらいになった。もっぱら、ケツ撃ちだけ狙っている人もいた。ここも、
今週はずっと天気が優れず活動していないので、また今日の日付に合わせた語呂合わせの記事になります(^_^;)老朽化したハチイチの後継機として2009年からEF510の500番台が続々と落成して田端運転所に配属されましたが、その内509号機と510号機はカシオペアの専用機とされ、客車と塗装を一体化した「銀ガマ」になりました。古来から金や銀は貨幣や装飾品として大いに珍重されてきたので、スペシャル感が満載ですね。ただ運用の片寄りを防ぐためたまに貨物運用に入ることもありました。
今日はサクッと、私が贔屓にしている、いつものお店の「お寿司」のご紹介です。ゴールデンウィークも明けて、普段通りに商店が営業開始~😃私が連休明けを待ちに待ったのは、いつものJR東日本・常磐線三河島駅前、鮮魚店の「大和水産」さんのお寿司が食べられること週に一度は食べたくなりますよ❗️それでは、私の大好きなお寿司をどうぞ😆👍️➰(握り寿司・1,030円)(鉄火巻・930円)そしてこちらが私の一番の大好物、中トロ握り寿司です⬇️(中トロ握り寿司・1,030円)まあ、いくらお寿司好きとは
E657系、E653系、651系、485系E531系、415系と揃ってきてますが103系を忘れてましたのでググってリサーチしましたえ何でしょうか?この価格?玉数は少ないのですが無いわけではないが。。。バリエーションも多く先頭車両については3種類中間車も色々と。。。とても揃えられるレベルではないので狙いを定めることにします国鉄時代となれば10両編成、1000番台、低運転台高運転台はJR化後の転属らしいので低運転台&1000番台混成がベストそうなればメーカーはマ
水戸駅構内の見える場所で左鹿島臨海鉄道気動車かたやE657系特急電車が並んだE657系特急電車に抜かれたこの後、鹿島臨海鉄道気動車は被られて見えなくなりました2024.5.7
(2008年撮影)桃崎剛裁判長は判決理由で、「利用する事業者の数が違う以上、運賃に差が生じるのはごく一般的。乗客は自由な選択で、いずれかの経路を利用できる」と原告の主張を退けた。2社に是正を求めなかった国の責任も認めなかった。判決後、原告代表の松永貞一さん(75)は都内で記者会見し、「北千住駅で乗り換えるには九十何段もの階段があり、乗り換える人はいない。裁判官は現状をわかっていない」と険しい表情で語った。葛飾区のJR東日本常磐緩行線(各停)の金町駅と亀有駅の利用者16人が、相互直通運転す
黒磯駅に来ています。タンク車が止まっていました。管理はより一層厳重でしょうね。今回はこの普通新白河行きに乗って新白河まで向かいます。車両は常磐線でおなじみのE531系ですが、なんと東北本線の黒磯から新白河間でも使われています。塗装は湘南色でもなくなんと常磐線カラー。色々と謎が深いです。ロング車とクロス車があります。黒磯駅を発車。早速新幹線と同じ目線になります。東海道新幹線ならよく見ますが、東北では珍しい。高久駅に到着。新白河までは約20分の短い旅です。基本的に東北新幹線
今回のイブニングセミナーは、院内の「省エネ」について行いました。資源エネルギー庁の推計では医療機関の電力使用量の内、空調の割合は、約35%との事です。当院の空調は一部ガスを用いておりガスの使用量は他施設より多く使用している状況です。院内で省エネTQMチームをメインに院内ラウンドを実施。効率的に空調の運用をしました。約10%のガス使用量が削減できました。今後も、より快適な療養環境を維持しつつ省エネに取り組んでいきます。
今回は、無敵すぎる超ハイテク列車、E531系を解説します。①誕生までの経緯時代は2005年に遡ります。当時常磐線を走っていた、403系、415系(ステンレス車を除く)は、昭和からずっと使用しており、老朽化が深刻化していました。そして、同じく2005年、つくばエクスプレスが開業しました。車両は高性能車両の2000系。平気で130キロを出すバケモノです。そして、多少のずれはありましたが、上野~取手までのお客さんを奪う可能性がありました。このままでは近鉄VSJRの二の舞になってしまう。
皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。今回は久し振りにキハ58系パーツ毎のネタになります。それまでは非常に地味なアイテムを選んでいましたが、今回は比較的メジャーな「常磐無線アンテナ」になります。常磐無線アンテナは昭和37年に発生した常磐線三河島駅における重大な脱線衝突事故を機に整備され、常磐線では昭和41年3月より上野~取手間で無線の使用が開始されました。当時同区間を走行する車両には例外なく同無線の取り付けが行われ、屋根上にはアンテナが付きました。電車で
探索日2016/05/03常磐線荒川沖駅を所管駅としていた専用線1985年頃まで存在していたらしい※1975年時点での線路配置荒川沖駅に残る貨物側線自衛隊線はここから手前へのびていく右へ曲がっていく線路が陸自線あれは当時の門やろ右端トラックの位置に自衛隊線があったE531系電車の走ってるとこは常磐線自衛隊線は写真左端を通過茨城県道203号線をななめに横断踏切の跡はない塀沿いが廃線跡右下に境界標後にわかるけど、防衛
土浦から帰る途中、水戸駅で乗り換えがありました10分ちょっと時間があるな・・・行っちゃいましょうか?常磐線上りホーム(5番・6番)にあるそばうどん水戸さんにお邪魔しました(^^)かなり狭い店内でカウンターは3人でいっぱいかな?四人目は配膳口で食べるはめになりそう(笑)メニューは勝田そばと同じですね♪ただし、2020年に450円だった名物のとり唐揚げそばは650円と200円値上がりされていました(^^;自分は券売機でかき揚げそば
1991年に所用で東京へ出かけたときの画像です。撮影に使ったカメラはライカ、レンズはズミルックス50mmF1.4でした。当時の上野駅常磐線ホームでデビュー直後のクハ415-1901に出合いました。クハ415-1901は、たった一両だけ製造されたJR東日本の二階建て普通車の試作車両でした。このときは上野駅から北千住駅まで2階席に乗車しました。やっぱり混雑が激しかった常磐線での普通車2扉車では運用に難があったようで、2005年に引退しました。その後、東海道新幹線の東京駅から新大阪